花鳥風月

ナムラケイ

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第1章:花ひらく頃、三条大橋にて

赤青黄色

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 市はとても賑やかだった。
 寒空だが雲一つない快晴で、人々の顔は晴れやかだ。去年は田も畑も豊作だったので、みんなが少しづつ懐に余裕がある。
 出店の数も品揃えも豊富で、活気と色彩の渦に心が華やぐ。
 そぞろ歩きをしながら、征次が尋ねた。

「中弥。何か欲しいものはあるか?」
「欲しいもの?」

 唐突に聞かれると思いつかないものだ。
 身の回りのものは事足りているし、着物にも小物類にもこだわりはない。絵筆は今使っているものが気に入っているし。

「うーん」

 悩んでいると、ぽんと頭を撫でられた。

「何か気に入ったものが見つかったら言うといい。何か、おまえに贈り物をしたいんだ」
「それって、征次が俺に買ってくれるってことか?」
「意味を確認するほど難しいことを言ったつもりはないが」

 贈り物。俺に。

「どうした」
「そういえば俺、誰かに贈り物を貰ったことってないなと思って。あ、いや、長屋のおかみさんや須磨師匠が食べ物をお裾分けしてくれたりするけど、そういうのとは違うってことだよな」

 見上げると、征次は一瞬きょとんとした顔をして、それから顔を押さえた。
 手のひらで覆いきれなかった口元が緩んでいる。

「征次? 具合でも悪くなったか?」
「いや、中弥。さっきといい今といい、おまえは本当に無自覚がすぎる」
「なんだそれ」

 そして、何を買うかで揉めた。散々に。

 征次は流行の柄の着物や、螺鈿細工の印籠や象牙の煙管を勧めてくるが、着物は絵の具ですぐに汚れてしまうし、螺鈿の印籠なんて大店の旦那ではあるまいし、煙管は吸わない。
 何より、値が張るものは気が引ける。

 どうせ買ってもらうなら、いつも使えて大事にできるものが良い。

 そう言うと、征次はまた相好を崩す。
 あれこれ言い合いながら店を回っていると、一際高い女の声が上がった。

「お兄さん! そこの綺麗なお兄さん!」

 構わず通り過ぎようとして、征次に袖を引かれる。

「中弥、呼ばれている。気っ風の良さそうな姐さんだ」
「え、俺?」

 綺麗なお兄さんなんて呼ばれることがないので、気づかなかった。

「そうそう、お兄さん達! あら、二人とも色男ねえ。ちょいとこっちを見て行きなよ」

 呼ばれて数歩戻ると、店主は暗褐色の着物を粋に着こなした若い女だった。
 女の手元には色鮮やかな組紐が並んでいる。
 赤青黄色、水色に緑に紫に橙。銀鼠に浅黄に桃色。色の博覧会のようだ。

「どれも綺麗でしょう? お値段はお手頃だけど、正絹の極上品なの。彼女さんに贈ったら、きっと喜ばれるわよ」

「彼女」という言葉に中弥は怯むが、征次は全く気にしていないようだった。

「姐さん。これ、この人にも似合うかな」
「勿の論よ! お連れさんは髪が綺麗だから、その一つ結びに結わえたら、とても素敵よ」
「中弥、これにしようか。おまえの髪留めはだいぶ古くなっているようだし」
「でもこれ、女の人用のものじゃないのか」

 中弥が言うと、店主の姐さんは手をひらめかせて高らかに笑った。

「やあねえ、お兄さん。若いのにお爺さんみたいなこと言うのね。今はもう宝永年間よ。平安や戦国の世じゃないんだから、今時、男も女もないわよ。誰だって、気に入ったものを好きなように身につければいいんだから」

 男も女もなく、気に入ったものを好きなように。
 姐さんにとっては数ある商売口上のひとつかもしれないが、とても大事なことを言われた気がした。
 この店にしようと決めて、中弥は組紐の束を見つめた。
 絵を描く時は本能と経験が最適な色を選んでくれるが、買い物への応用は効かないらしい。

「征次。選んでくれるか?」
「喜んで」

 征次は嬉しげに頷き、腕を組んだ。組紐が燃え尽きるのではと心配になるくらい、真剣に目を凝らしている。

「淡い色は儚げで情緒があるが地味すぎるな。中弥の黒髪には赤が合うが色気がすぎて心配だ。白は清楚すぎて逆にエロいから外ではつけさせたくないし」

 男前の武士が組紐屋でぶつぶつ言っている様子はちょっと怖い。
 迫力に押されたのか、多弁な店主も黙ってしまっている。

「何なら全部買おうかな」

 ついには妙案を思いついたというように手を打ってきたので、「怒るぞ」と即答した。
 散々悩んで征次が選び取ったのは、つやつやの蜜柑みたいな鮮やかな橙だった。
 絵具では見かけない色で、綺麗だ。

「いい趣味ね。お兄さんは顔立ちが涼しげだから、これくらい華やかな色の方が雰囲気が明るくっていいわね」

 言葉選びが巧みな店主だ。
 征次は支払いを済ませ、ここで結んでいくからと包装を断った。
 中弥の背後に立つと、解いた髪を手櫛で整え、束ねなおして組紐で結わえる。
 頭皮に触れる指が心地よくて、ここが市のど真ん中だと忘れそうになる。
 征次の息が首の産毛を揺らしてくすぐったい。

「俺が贈ったものを中弥が身につけているなんて、感無量だな」
「…そこで喋んな」

 息が触れる度にぞわぞわが走って、首の後ろを押さえた。

 俺は多分、征次のことが好きだ。
 色恋には興味がない。誰かを愛して生涯を共に過ごしたいなどと思ったこともない。
 そのはずだったのに、征次に惹かれた。
 征次といると、落ち着くのに、心の核心を揺さぶられるような不安感がある。
 だからこそ、「嫌いじゃない」以上の言葉を伝えることができない。
 征次は武士で、同じ男だ。今、征次の好きに好きと答えたとして、束の間の性愛に溺れるだけだ。その先の未来は、きっとない。

 振り向いて征次を見上げると、どうした?と目で問われる。

「征次、ありがとう。大事にする」

 礼を言うと、征次は大きな目を細めた。
 天気が良くて、頭上の太陽が眩しい。

「よく似合っている。さあ、行こうか」

 店主に会釈をしてから歩き出すと、征次は不意に視線をあさっての方向に向けた。

「どうした?」
「いや、知り合いかと思ったが人違いだった」
「そっか」

 後ろ手に結び目に触れると、組紐はつるんとして手触りが良い。
 もぎたての果物みたいな瑞々しい色合いだった。
 自分じゃ見えないのが残念だなと思った。
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