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第1章:花ひらく頃、三条大橋にて
指先の熱
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征次は深く息を吐き、池の縁に置き去りにされている古い床几に腰をかけた。隣に座るように手招かれるが、中弥はそうしなかった。真正面に立つと、そっと指先を握られた。
「俺は独身だ。結婚の予定もない」
適当な相槌や返しが見つからなくて、清潔な月代と濃い睫毛をただ見つめていた。
「中弥」
征次が視線を上げた。その瞳はやはりわずかに緑がかっている。
自分から呼びかけたのに征次はそれ以上何も言わない。握ったままの指先を引かれる。征次はまた視線を落として、手の甲に唇を寄せた。
普段人に触れられることのない場所に柔らかな熱を感じて、中弥は息を止めた。
祈るように伏せられた征次の瞼。睫毛が羽ばたくように震えている。
「征次」
甲への口づけなんて、寝屋でも見たことがない。触れられてもいない頬が熱い。
行為の意図が分からず、助けを求めるように名を呼んだ。
征次は唇を離し、視線を挙げて破顔した。
「なんて顔してるんだよ」
「征次が変なことするからだろ!」
手を引っ込めようとするが、それは許してもらえなかった。
征次は意地悪く笑って中弥の手を握り込む、今度は指先に口を寄せた。
「っ……!」
関節を固い歯で固定されて濡れた舌でなぶられて、感覚なんてないはずの爪がうずく。ぞくりと背筋が震えた。
晩秋の冷気で冷え切った手の人差し指の先だけが熱を持つ。脈を測るように指の腹で手首を撫でられ、また震えが走る。
産毛が逆立つような未知の感覚が恐ろしくて、中弥は力まかせに指を引き抜いた。勢いで姿勢がふらつく。何故だか視界が滲んだ。
「なに、すんだよ」
「悪い、つい」
「何がついだ! 二度とするなよ」
語気を強めるとあからさまに傷ついた顔をされて、こちらの良心が痛んだ。理不尽だ。
「嫌だったか?」
「嫌とか嫌じゃないとかじゃなくて、汚いだろ」
「おまえはどこも汚くない」
「何言ってんだ。人間は汚いもんなんだよ。それに、絵具の原料の植物や鉱物には毒性があるものも多いんだ。うっかり口にしたら身体に毒なんだぞ。ああいうことはせめて手を洗ってからにしろ」
勢いでまくしたててしまってから、あれと気づく。そうじゃないだろ、俺。
案の定、征次はにまにまと嬉しそうにしている。
「分かった。今度からは、まず手を洗ってやろう」
「今度からじゃねえよ、もうすんなって話をしてるんだ」
征次は床几から立ち上がり、裾を払った。甘い香が冷気の中で匂い立つ。ひどく真剣な顔をして、同じ問を繰り返した。
「俺に触れられるのは、嫌だったか?」
「嫌、とかじゃなくて」
「では、それほど過剰に反応する理由は何だ」
「性格悪いな」
「よく言われる。それで?」
中弥はたじろぐ。きちんと答えるまで逃がしてくれそうにない。
顔を見るのも見られるのも恥ずかしくて、征次の胸元、濃紺の生地に散る細かな菱模様に目を凝らした。
「触られるのは、知らない感じがして、怖い。ぞわぞわして、背筋とか肩とか鳥肌みたいに総毛立つし、なんか、いたたまれなくて。嫌っていうよりは、キャパを超えてて、無理」
「中弥」
「なんだよ」
「それは、気持ちよかったってこと?」
「は? 気持ちよくなんか。え、あれ?」
気持ち、よかったのか? 経験がなさすぎて分からない。
確かに、いつか爺が小姓と戯れる姿を描いた時、剥かれた小姓が「なんか、びくってしてぞくぞくします」とか口走ってて、なんだこいつキモいなとか思ったけど、あれと俺は同じだったってことか? いや、違うだろ。違うと思いたい。
「……仕事に、戻ります」
逃げることにした。
「俺は独身だ。結婚の予定もない」
適当な相槌や返しが見つからなくて、清潔な月代と濃い睫毛をただ見つめていた。
「中弥」
征次が視線を上げた。その瞳はやはりわずかに緑がかっている。
自分から呼びかけたのに征次はそれ以上何も言わない。握ったままの指先を引かれる。征次はまた視線を落として、手の甲に唇を寄せた。
普段人に触れられることのない場所に柔らかな熱を感じて、中弥は息を止めた。
祈るように伏せられた征次の瞼。睫毛が羽ばたくように震えている。
「征次」
甲への口づけなんて、寝屋でも見たことがない。触れられてもいない頬が熱い。
行為の意図が分からず、助けを求めるように名を呼んだ。
征次は唇を離し、視線を挙げて破顔した。
「なんて顔してるんだよ」
「征次が変なことするからだろ!」
手を引っ込めようとするが、それは許してもらえなかった。
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「なに、すんだよ」
「悪い、つい」
「何がついだ! 二度とするなよ」
語気を強めるとあからさまに傷ついた顔をされて、こちらの良心が痛んだ。理不尽だ。
「嫌だったか?」
「嫌とか嫌じゃないとかじゃなくて、汚いだろ」
「おまえはどこも汚くない」
「何言ってんだ。人間は汚いもんなんだよ。それに、絵具の原料の植物や鉱物には毒性があるものも多いんだ。うっかり口にしたら身体に毒なんだぞ。ああいうことはせめて手を洗ってからにしろ」
勢いでまくしたててしまってから、あれと気づく。そうじゃないだろ、俺。
案の定、征次はにまにまと嬉しそうにしている。
「分かった。今度からは、まず手を洗ってやろう」
「今度からじゃねえよ、もうすんなって話をしてるんだ」
征次は床几から立ち上がり、裾を払った。甘い香が冷気の中で匂い立つ。ひどく真剣な顔をして、同じ問を繰り返した。
「俺に触れられるのは、嫌だったか?」
「嫌、とかじゃなくて」
「では、それほど過剰に反応する理由は何だ」
「性格悪いな」
「よく言われる。それで?」
中弥はたじろぐ。きちんと答えるまで逃がしてくれそうにない。
顔を見るのも見られるのも恥ずかしくて、征次の胸元、濃紺の生地に散る細かな菱模様に目を凝らした。
「触られるのは、知らない感じがして、怖い。ぞわぞわして、背筋とか肩とか鳥肌みたいに総毛立つし、なんか、いたたまれなくて。嫌っていうよりは、キャパを超えてて、無理」
「中弥」
「なんだよ」
「それは、気持ちよかったってこと?」
「は? 気持ちよくなんか。え、あれ?」
気持ち、よかったのか? 経験がなさすぎて分からない。
確かに、いつか爺が小姓と戯れる姿を描いた時、剥かれた小姓が「なんか、びくってしてぞくぞくします」とか口走ってて、なんだこいつキモいなとか思ったけど、あれと俺は同じだったってことか? いや、違うだろ。違うと思いたい。
「……仕事に、戻ります」
逃げることにした。
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