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第1章:花ひらく頃、三条大橋にて
友との夜
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中弥が間借りしている長屋は、鴨川の東側にある。鴨東と呼ばれるそこら一帯はまだ開発も途上で、古い街並みに新しい道や寺社が入り混じっている。
「中弥、帰ったのか?」
木戸番に挨拶をして自室に入り、井戸水で濡らした布で汚れた足を拭っていると、壁越しに隣の友彦の声が飛んできた。
「ああ、今帰った」
「メシは食ったか」
「いや、これからだ」
「炭、貸そうか?」
「助かる、ありがとう」
定番のやりとりだ。裏長屋では物の貸し借りも含め、助け合わないと生きていけない。
友彦はすぐに炭をくるんだ布と酒の入った茶碗を持ってやってきた。
友彦と一緒に、長屋に居着いている茶猫の新三郎も入ってくる。
大工の友彦は中弥より随分大柄なので、四畳半が急に狭くなり室温が上がった。
中弥は礼を言って、熱い炭を長火鉢に入れた。
釜には朝炊いた飯が冷たく冷えて残っている。火鉢で沸かした湯を釜にいれ、味噌を溶く。菜は香の物に、朝のうちに煮売り屋から買っておいた浅蜊のしぐれ煮。
後は寝るだけなのだから、これで十分だ。
「いい匂いだな」
立ち込める湯気の香りに友彦は鼻を鳴らした。
「須磨さんが、客から貰った味噌を分けてくれたんだ。いい味噌だぞ。少し食うか」
「遠慮しとく。おまえは痩せすぎなんだから、ちゃんと全部食え」
匂いにつられたのか、新三郎がすり寄ってきたので、戸棚に残っていた煮干しを咥えさせてやった。
中弥が食事を取る横で、友彦は持参した茶碗の酒を啜りながら、仕事場で茶を出してくれる女中がとびきりいい女なんだ、と楽しそうに喋っている。
中弥は色恋に関心がないので、女の一挙一動で喜怒哀楽できる友彦が少し羨ましい。
「美人なのか」
「ああ。薄幸そうな下がり眉で男好きのする感じなんだが、当たりはつーんとつれなくって、またそこがいいんだ」
友彦はでかい図体をもだえさせ、照れたように月代をぺしりと叩いた。
中弥は髷を結わない。伸びた髪は後ろに流して一つ結びにしている。男らしくないのは分かっているが、この方が汚れた時にすぐ洗えるし、寝る時も楽だし、髪結い通いも不要なので、便利なのだ。
無精でしていることだが、友彦の青々とした月代や膨らませた鬢は恰好よくて憧れだ。
「友彦の趣味はよく分からないな」
「俺ほどになるとな、もはや可愛くてきゃぴきゃぴした愛嬌のある女よりも、こう一癖も二癖もある女の方に惹かれるんだよ」
「おまえはMの気があるからな」
「いいんだよ。女が強い方が世の中も家の中も上手く回るんだから」
「そういうもんかな」
「そういうもんさ」
夜も更けている。ご近所の迷惑にならないように控えめな声で馬鹿話をしながら、中弥は飯を掻き込んだ。
新三郎に二匹目の煮干しを与えて耳の裏をかいてやると、嬉しそうに喉を鳴らした。
「彼女と上手くいったら、紹介しろよ」
「おうよ。応援してくれるのはおまえだけだ、友よ。うちの親方なんざ、女に現を抜かす前に大工の腕を磨けってゲンコツ食らわしてきやがった」
友彦は情けない顔で頭をさすり、中弥に水を向けた。
「そういや中弥こそ、今日から新しい仕事だって言ってたよな。出先に可愛い子とかいなかったのか」
「可愛い子以前に男しかいない場所だよ」
「そりゃあ、つまんねえなあ」
「面白い侍ならいたが」
「へえ。どんなふうに?」
「うーん、言葉で説明するのは難しいんだが。とにかく変わり者だった」
征次の今日の言動を顧みて、中弥は少し笑う。
「思い出し笑いかよ」
「悪いな」
「いや。おまえが楽しそうなら何よりだよ。ほら、おまえも飲めよ」
友彦が酒の入った茶碗を差し出してきたので、遠慮なく一口いただいた。
仕事終わりの酒は甘くて美味かった。
「中弥、帰ったのか?」
木戸番に挨拶をして自室に入り、井戸水で濡らした布で汚れた足を拭っていると、壁越しに隣の友彦の声が飛んできた。
「ああ、今帰った」
「メシは食ったか」
「いや、これからだ」
「炭、貸そうか?」
「助かる、ありがとう」
定番のやりとりだ。裏長屋では物の貸し借りも含め、助け合わないと生きていけない。
友彦はすぐに炭をくるんだ布と酒の入った茶碗を持ってやってきた。
友彦と一緒に、長屋に居着いている茶猫の新三郎も入ってくる。
大工の友彦は中弥より随分大柄なので、四畳半が急に狭くなり室温が上がった。
中弥は礼を言って、熱い炭を長火鉢に入れた。
釜には朝炊いた飯が冷たく冷えて残っている。火鉢で沸かした湯を釜にいれ、味噌を溶く。菜は香の物に、朝のうちに煮売り屋から買っておいた浅蜊のしぐれ煮。
後は寝るだけなのだから、これで十分だ。
「いい匂いだな」
立ち込める湯気の香りに友彦は鼻を鳴らした。
「須磨さんが、客から貰った味噌を分けてくれたんだ。いい味噌だぞ。少し食うか」
「遠慮しとく。おまえは痩せすぎなんだから、ちゃんと全部食え」
匂いにつられたのか、新三郎がすり寄ってきたので、戸棚に残っていた煮干しを咥えさせてやった。
中弥が食事を取る横で、友彦は持参した茶碗の酒を啜りながら、仕事場で茶を出してくれる女中がとびきりいい女なんだ、と楽しそうに喋っている。
中弥は色恋に関心がないので、女の一挙一動で喜怒哀楽できる友彦が少し羨ましい。
「美人なのか」
「ああ。薄幸そうな下がり眉で男好きのする感じなんだが、当たりはつーんとつれなくって、またそこがいいんだ」
友彦はでかい図体をもだえさせ、照れたように月代をぺしりと叩いた。
中弥は髷を結わない。伸びた髪は後ろに流して一つ結びにしている。男らしくないのは分かっているが、この方が汚れた時にすぐ洗えるし、寝る時も楽だし、髪結い通いも不要なので、便利なのだ。
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「いいんだよ。女が強い方が世の中も家の中も上手く回るんだから」
「そういうもんかな」
「そういうもんさ」
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「可愛い子以前に男しかいない場所だよ」
「そりゃあ、つまんねえなあ」
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「思い出し笑いかよ」
「悪いな」
「いや。おまえが楽しそうなら何よりだよ。ほら、おまえも飲めよ」
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仕事終わりの酒は甘くて美味かった。
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