花鳥風月

ナムラケイ

文字の大きさ
上 下
4 / 40
第1章:花ひらく頃、三条大橋にて

絵師三人

しおりを挟む
 話は1週間前に遡る。
 中弥が師と仰ぐ町絵師、須磨は四条堀川のはずれに工房を抱えている。
 工房といっても、こじんまりとした二階建ての長屋の1階を店舗兼作業場としているだけだ。
 おまけに散らかり放題で、板張りの床には紙と絵皿と筆立てが所狭しと並び、天井と階段に張り巡らされた洗濯紐には作業中の絵がずらりと干されている。
 工房のメンバーは、あるじの須磨、一番弟子の女流絵師るい、二番弟子の中弥。繁忙期には手伝いの絵師を雇うこともあるが、基本は3人きりだ。
 朝から夕暮れまで、3人銘々にひたすら筆を動かす毎日だ。

「るいさん、見ていただけますか? お茶屋さん用の掛け軸です」

 中弥が、下書きを終えた酒呑童子の絵を差し出すと、るいは手を止めて身を起こした。
 工房には作業台もあるが、るいは床に這いつくばって描くのを好む。
 彼女の手元の和紙では、目元が崩れたお岩が薄く笑っている。そこだけ冷気が漂っているようで、うすら寒くなるほどの出来栄えだ。
 るいは目を細めて中弥の絵を観ると、細い指先で宙に丸をひとつ描いた。
 るいは口がきけないので、会話は身振りと筆談だ。
 丸ひとつは4段階評価の上から二番目。二重丸を貰えたことは、まだない。

 中弥は数えで30歳になる。
 絵師の家に生まれ、幼少から筆を握っていた。
 町絵師としてはそこそこ良い線を行っているのではないかと自負しているが、須磨とるいの前ではまだまだひよっこだ。

 色付けにかかろうと、細かく砕いた絵具の粉を湯に溶かしていると、1階で接客をしていた須磨が戻ってきた。
 黒の着流しの下から、緋色の襦袢が覗いている。
 須磨は男性だが、女物の着物も好む。着崩れて袷は開いているし、伸ばしっぱなしの髪は結んでもおらず背中に流れている。
 客の相手をしていたとは思えないだらしのない恰好だ。
 行きつけの飯屋の店員お梅が「須磨先生の色気は犯罪レベル」とよく言っているが、中弥には全く理解ができない。
 一流なのは腕だけだ。

「新しい注文ですか?」

 中弥が尋ねると、須磨は頷いた。

「中弥。おまえ、狩野派は十八番だな」
「はい」

 中弥の父は狩野派に属し、幕府の御用絵師だった。御用絵師は、町人ながらその身分は御目見え以下の御家人と同等とされる。
 息子の中弥は狩野派の一門には加わらなかったが、父の指南でその技法は身についている。

「二条のお城で、口が堅い絵師を探しているそうだ。障壁画の修復をしたいらしいが、理由わけあって秘密裡に作業を行いたいらしい。おまえ、行ってくれるか」

 須磨の工房にはこの手の訳アリ仕事が多い。というか、寧ろそちらでメシを食っている。
 役者や美人画、風景画といったスタンダードな依頼は大手の寡占状態なので、須磨のところには幽霊だの妖怪だの、地獄だの死体だのエログロだののニッチな依頼が多い。
 須磨は公序良俗に反するような題材でも快く仕事を受け、例え岡っ引きに問い詰められても仕事の中身を漏らすことがないので、依頼は途絶えることがない。しかし、ご公儀からの依頼というのは珍しい。

 正直、乗り気はしない。堅苦しい場所で堅苦しい絵の修復作業など息が詰まること間違いない。

「るいさんではなく、俺ですか。るいさんの方が腕は段違いに良いし、口の固さって意味でもるいさんほど信頼できる人はいないでしょう」

 囁かな抵抗を試みるが、「るいは美人だからな。助けも呼べない女を男だらけの城に単身送り込めるか」と一蹴された。

 口は聞けないが耳はばっちり聞こえているるいは、反故紙にさらさらと筆を走らせた。

「中弥だって男にしちゃあ美人なんだから、襲われないように気を付けて」
「女のいない城だぞ。何で俺が襲われんだよ」
「衆道は当世の文化なり。坊主と武家には男好きが多い」

 るいの文字を読んだ須磨はにやりとし、行儀悪く胡坐をかいた中弥の膝小僧を扇子でぱしぱし叩いた。

「男色の侍がいたとしても、こんな痩せっぽっちで陰キャで口が悪い男に手は出さないだろ。少々顔が良くても、色気がないと勃つものも勃たん。中弥に比べれば、12や13の陰間の方が余程艶がある」
「あの子たちは女より女らしい。陰間に走る殿方の気持ちも分からなくはない」
「俺は分からないなあ。女の方が良いに決まっている。春画も男女物の方が断然描いていて楽しい」
「須磨師匠はどちらでもいけそうなのに」
「お、言ってくれるね」

 言いたい放題の師匠と姉弟子である。

「まあ、男だ女だはともかく、色恋は人生の妙だな」

 そうまとめて、須磨は扇子を開いた。焚きしめた香木が香る。るいは中弥を流し見て、筆を滑らせた。

「まさに。中弥も色恋を知れば」

 しかし、その先は続かなかった。言葉を探すように宙を彷徨った筆はそのまま硯に置かれる。
 知ればなんですかと中弥は問いただす。

「知れば、絵が上手くなりますか。俺はそうは思わない。幽霊を見たことがなくても幽霊は描けるし、人を殺したことがなくても人斬りの絵は描けます」

 畳みかけると、るいは同意を示すように頷いてから、再び筆を取った。

「いつか、知れば分かる」

 るいはそれだけ伝えると、背を向けて幽霊画の続きを描き出す。
 まとめあげた黒髪の下の首は細く、背中も小さい。夫を火事で失って、以来ひとりきりの未亡人。
 中弥は押し黙った。大切な人を失う悲しみを、俺は知らない。
 工房がしんと静かになる。弟子二人のやりとりを傍観していた須磨は、沈んだ空気を断ち切るように、ぱちりと扇子を鳴らした。

「とにかく、来週からだ。必要な道具は向こうで揃えるらしいから、筆だけ持ってゆけ。あ、その酒呑童子は今週中に仕上げるんだぞ」

 なんだかんだ言っても、師匠の命令は絶対である。
 はいと大人しく頷くと、須磨は「いい子だ。必ず勉強になるから、頑張っておいで」と中弥の頭を撫でた。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

催眠アプリ(???)

あずき
BL
俺の性癖を詰め込んだバカみたいな小説です() 暖かい目で見てね☆(((殴殴殴

スライムパンツとスライムスーツで、イチャイチャしよう!

ミクリ21
BL
とある変態の話。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

飼われる側って案外良いらしい。

なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。 なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。 「まあ何も変わらない、はず…」 ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。 ほんとに。ほんとうに。 紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22) ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。 変化を嫌い、現状維持を好む。 タルア=ミース(347) 職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。 最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?

処理中です...