アクアイル王国物語

ナムラケイ

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番外編

番外編:バレンタインストーリー(魔法騎士クロードの場合)

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 今年は、他の誰からも受け取らないと決めていた。
 廊下で、会議室で、食堂で、果てはトイレの前でまで、隙あらばチョコレートを手渡そうとしてくる女性陣の襲撃を、笑顔と「ごめんね」の一言で撃退し続けて、ようやく午前中が終わる。
 
 アクアイル王国軍特殊遊撃隊「スピリッツ」隊長のクロード・フォン・ドミナス中佐は、昼食を終えて隊長室に戻るとソファに寝転んだ。まだ昼休みだというのに、ぐったり疲れている。今日だけで一生分の「ごめんね」を使った気がする。

 風の月(2月)14日。バレンタイン・デーである。
 アクアイル王国人は元来イベントやお祭り事が好きな明るい民族だ。バレンタインで盛り上がるなとは言わないが、彼女持ちの男に臆面もなくチョコレートを渡してくるのはどういう神経なのだろうか。


「失礼します」
 ノックの音がして、隊長付の1士が隊長室に入ってきた。
 まだ少年のような顔つきの軍人は、何やらおどおどしている。その両手にぶらさがる紙袋を見て、クロードは溜め息をついた。
「受け取るなって言ったよね、俺」
「すみませんっ! 断ろうとしましたが、女性陣の勢いに飲まれてしまって」
 1士が勢いよく頭を下げて謝罪を繰り返すので、クロードは逆に可哀想になる。
 確かに、イベントでハイテンションになっている女性の集団の相手は16歳の少年には酷だろう。
 登庁した時に、クロード宛にチョコレートを持ってくる人がいても絶対に受け取るなと念押ししておいたのだが、大方無理やり置いていかれたのだろう。
「あー、謝んなくてもいいから。デスクの横にでも置いておいて。後で隊員に分けるよ」


「それにしても、凄い量ですね」
 1士は感心したように、紙袋の中身を眺めている。
「イベントだからね。みんな貰ってるでしょ」
「そんなことありません! 「スピリッツ」でこんなにチョコを貰ってる隊員は他にいませんよ」
「特殊部隊だからねえ、そもそも幹部以外は面割れてないし」
「そうじゃなくて! 隊長がモテすぎるんです」
 力絶する1士にクロードは苦笑する。
「スペックいいからね、俺」
 笑いながら言うと、1士は真顔で言った。
「隊長が言うと冗談になりませんから」
 
 クロードは、アクアイル王国屈指の名門貴族の子息で、職業属性は花形の魔法騎士で、最年少で中佐に昇任し、現在は王国軍屈指の特殊部隊の隊長である。
 28歳で、長身で体格も良く、顔立ちは優し気に整っているが、ドミナス伯爵家の気品と誇りが色濃く表れている。
 スペックがいいのも、女にモテるのも自覚しているし、それを全否定するほど謙遜家でもない。

「君は、チョコレート貰ったの?」
 ふと尋ねると、1士は真っ赤になった。
「・・・・・っ」
「え、何。そんな恥ずかしがることないだろ」
「まだ貰ってないんですけど、夜、会う約束をしています」
 照れているが嬉しそうな表情に、クロードの方まで口元が緩む。
「彼女、後方の子だったっけ」
「はい。第4補給隊です」
「楽しいデートになるといいな。今日は定時になったらすぐ帰っていいから」
「ありがとうございます!」
 1士は敬礼すると、回れ右をして隊長室を出ていく。

「ちょっと羨ましいかも」
 思わず口に出してから、一回りも下の同性を羨んでどうするよと思い直して、クロードは仕事を再開することにした。
 未決ボックスにはげんなりするほど書類が積みあがっている。
 仕事も溜まっていることだし、女性陣との遭遇を避けるためにも、午後はなるべく隊長室にこもっていよう。


 特殊部隊の隊長といえば、隊員の猛者を従え、日々過酷な訓練と出撃に明け暮れる肉体派、と思われがちだが、管理職なので書類仕事も多い。
 予算要求に人事管理に調達申請の決裁に、意味のない会議への出席に、上級官庁のお偉方や議会への説明。
 日中は訓練に費やすことが多いので、書類仕事はどうしても夜に後回しになってしまう。
 

 夜8時。来月の賞与に向けた隊員の勤務評定を作成し終えた時、隊長室の扉が開いた。
 顔を覗かせたのは、アクアイル王国軍魔法騎士団のキーランだ。
 クロードは「スピリッツ」に異動する前は魔法騎士団に所属していたのだが、キーランとはその時からの腐れ縁で、悪友のひとりだ。

 キーランは魔法騎士団の華やかな制服姿だ。マントをつけているから、これから帰るところなのだろう。
「ようクロード、まだ働いてんのか」
「おまえこそ、遅いな」
「俺はこれから帰るとこ。お、去年よりは少ないじゃん。ナツリさん効果か?」
 キーランが、チョコレートの詰まった紙袋を指した。
「手渡しで来たのは全部断ったからね。これは、無理やり置いていかれた分。適当に持っていってくれて構わないよ」
「遠慮しとく。嫁と娘が、チョコレートケーキ焼くって朝から張り切ってたからな」
「だったら、こんなとこで油売って早く帰ってやりなよ」
「帰るよ。前通ったら、まだ明るかったから覗いてみただけだ。まだ仕事あんのか」
「ご覧のとおり」
 未決ボックスにはまだ書類がいくつか残っている。

「おまえこそ、今夜はナツリさんとデートじゃねえの」
 言いにくそうに聞くキーランに、クロードは肩をすくめた。
 ナツリ・マルークラは、付き合って半年ほど経つ年上の彼女である。国防省統合戦略局戦術課長という立派な肩書を持つバリキャリエリートだ。
「今、五か年戦略計画の見直し作業やってるだろ。いつにも増して働きづめで、ここ2週間会えてない」
 ナツリは仕事命の人である。
 国家のために全身全霊で働く彼女の姿勢をクロードは好ましいと思っている。だから、下手に会いたいとは言わないようにしていた。

 本音を言えば、早朝でも深夜でもちょっとした仕事の隙間時間でも、寸暇を惜しんで会いに行きたいのだが、我慢していた。
 1秒だけでも1分だけでもいいから。
 そう思っていても、いざナツリに会うと、見つめて抱きしめてキスをして、それ以上のこともしたくなって、どれだけナツリが嫌がっても仕事があるからと喚いても怒られても、離したくなくなるのが目に見えているのだ。

「バレンタインなのに?」
 気の毒そうな顔をするキーランに、クロードは笑った。
「あの人、きっとバレンタインなんて気づいてもないよ」
「そんなんでいいのかよ」
「そういうとこも可愛いからさ、あの人」
 クロードの恋人は凛々しくて賢い人で、汚れ仕事も上手く立ち回ってこなすのだが、こういう世事には疎いところがある。
「おまえって、ちょっとMっ気あるよな」
「どうだろう。泣いてるナツリさんいじめるの、結構好きだけどな」
「うわー。おまえのこと貴族の王子様だと思ってる女共に聞かせてやりたい」
 キーランは軽口を叩くと、愛する家族が待つ我が家へ帰っていった。



 あと30分で日付が変わろうという時、ようやく仕事に一区切りがついた。
 明日の朝は会議が2件、午後からは模擬演習場に移動して、市街戦訓練だ。
 王国軍最強の部隊のひとつである「スピリッツ」は、一癖もふた癖もある猛者揃いだ。
 自分より弱いとみれば、隊長だろうがなんだろうが食ってかかってくる連中なので、気が抜けない。
 帰ったらすぐに眠って体力を温存しよう。
 士官用隊舎までは徒歩5分だが、だらしない身なりで外は歩けない。
 脱いでいた制服の上着に腕を通し、タイを整え、ブーツの紐を結び直し、マントを羽織る。

 ナツリさんに会いたい。
 不意にそう思った。
 魔法騎士のクロードは白魔法も黒魔法も自由自在に操れる。一瞬、瞬間移動魔法でナツリの家まで飛ぼうかと思い立つが、すぐに諦めた。
 ナツリは突然の訪問を嫌がる。
 女性には色々と準備が必要なのだと言う。
 それなりに女性経験があるクロードは、その準備がどんなものか容易に想像がつくし、その上で、そんな準備など必要ないと思っている。
 生身の彼女で十分だし、どんなだらしないところだって可愛いし愛せる自信がある。
 それでも、ナツリの気持ちは尊重したかった。

 そんなことをつらつら考えながら、隊長室の扉を開けると、そこには件のナツリがいた。
 
 え?

 驚きのあまり、ぽかんと口を開けてしまった。
 ナツリはナツリで、目の前の扉が突然開いたことに驚いている。
 走ってきたのだろうか。冬の冷気で冷えた廊下に、白い息を小刻みに吐き出している。
 詰襟の国防省の制服姿で、仕事用のパイロットケースと紙袋を持っていた。

 クロードは身をひいて、
「良かった、まだいて」
 と呟くナツリを部屋へ招き入れた。

 所在無げに動かされたナツリの視線がデスクの横に置かれたままの紙袋の上で止まる。
 クロードは内心で舌打ちする。
 部屋の物置に隠しておけば良かったと後悔するが、既に遅し。
 
 焦るクロードだが、ナツリが持っていた小ぶりの紙袋を差し出してきたので、両手で受け取った。
 王宮都市アクアイルにあるレベッカのカフェのロゴが入っている。
「沢山貰ってるんだろうなって思ってたし、甘いもの食べないのも知ってるし、いらないかもしれないけど」
 言い訳するように早口で喋るナツリの耳元が赤い。
 じんと心が温かくなった。
 いらないわけがない。絶対にない。
 嬉しくて顔がにやけるくらいだ。

 袋の中の小箱を開けると、ガラスの器に入ったケーキだった。
 チーズクリームとビスケットとココアパウダー。ティラミスだ。
「チョコレートじゃなくてごめんなさい。仕事が終わってからお店探したんだけど、チョコレートもチョコレートケーキも売り切れてて」
 照れているのだろう。変わらず早口で喋り続けている。
「ナツリさん」
「それで、レベッカの店に行ったら、ようやくティラミスだけ残ってて」
「ナツリさん」
 クロードはナツリの頬に触れた。
 凍えていて、冷たい。

 めちゃめちゃ忙しい時で、仕事が終わったらすぐにでも休みたいだろうに。
 バレンタインを祝うなんて柄でもない人なのに。
 疲れている身体で、冬空の下を何軒もお店を回って、こんな深夜に自分に会いにきてくれた。
 なんて健気な人だ。
 愛おしくて愛おしくて仕方がなかった。
 今すぐ抱きしめてキスをしたいけれど、それよりも伝えたいことがあった。

「ナツリさん、俺、今年は誰からもチョコレートは受け取らないって決めてました。あれは、職場に勝手に置いていかれた分だから。俺はひとつも食べてないし、触ってもないよ」
 子供に言って聞かせるようにゆっくりと告げると、ナツリは安心したように微笑んだ。

「いただきます」
 付属の木製のスプーンでティラミスを口に入れる。
 ほろ苦い甘さが疲れた脳と身体に沁み込んでいく。
「美味しいよ」
 そう言うと、ナツリはまた微笑んだ。
 仕事の時の射るような視線と厳しい顔つきからは想像できないような、女性らしい柔らかい笑みだった。
 ナツリは特別に美人というわけではないが、クロードは彼女をとても美しい人だと思っている。
 その知性と生き様が、彼女を誰よりも美しく見せている。

 ティラミスをのせた匙を口元に差し出すと、ナツリは躊躇いなくそれを口に含んだ。
 それからは、交互に一口ずつ食べ合って、器が空になると、どちらからともなくキスをした。軽いキスをして、それから深いキスをする。
 明日も-いやもう今日になった-も仕事だし、訓練もある。
 それでも、今夜はもうこの愛しい人と離れたくなかった。

「ナツリさん」
「なに?」
「ナツリさん。今夜、帰したくない」
 祈るように言うと、ナツリは唐突に質問を投げかけた。
「中佐、ティラミスの意味って、知ってる?」
 クロードは首を傾げる。
「意味? 意味なんてあるんですか?」
 ナツリは真っ赤になりながら、レベッカが教えてくれたんだけどと前置き、クロードの耳元で甘く囁いた。

「私を天国に連れて行って」

 破壊力抜群の攻撃に、クロードは目眩を覚える。
 うわ、これは。反則だ。
 何の最終兵器だ。
 どうなってもしらない。煽ったのはそっちだ。
 もう、めちゃくちゃにするから。

「覚悟してください」
 宣言して、クロードはナツリの身体を強く強く抱きしめた。

(了)
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