アクアイル王国物語

ナムラケイ

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海賊編:過去のストーリー

海賊編:放蕩息子カナメ、友のために海に散る。2

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 ヴィート団の一味となって、2週間が経ち、カナメは航海生活にすっかり順応していた。
 金に飽かせたクルーズ船と違い、木造帆船の「ラトゥ・ブラン号」はとにかくうるさい。
 船体は四六時中ギーギー軋むし、波が船腹に当たるピシャピシャドシンという断続的な音に、どこから入り込んだのか鼠や昆虫がガサガサと這いまわる不快な音。そんな騒音にも、船内の湿気た空気も、船酔いにもすぐに慣れた。

 船上でのカナメの仕事は雑用係だ。操舵に整備に調理に掃除に、人手が足らないところを何でも手伝うようにヴィートに言われている。
 おかげで、船の上のことは一通り覚えた。


 船内の狭い食堂に人数分のカトラリーと乾パンを並べ終えると、カナメは厨房を覗いた。
 調理台の前では、団員の食事を一任されている給養担当のシェフ(皆が彼をそう呼ぶが、本名は知らない)が、シチューの鍋をかき回している。
 火力は発火魔法なので、時折ぶつぶつと呪文を呟いては火力を調節している。

「シェフ、ドライフルーツの残り、食後に出してもいいっすか」
「いいよ。残り、もう少なかったよね」
「こんだけです」
 オレンジピールやマンゴーの入った缶の蓋を開けると、シェフは中を覗き込み、首を傾げた。
 シェフは細身で物腰が柔らかく、穏和な顔立ちをしている。図書館司書でもやっていそうな雰囲気で、とても海賊には見えない。
 まあ、この人は海賊稼業には熱心ではなく、一日のほとんどを厨房で過ごしているのだが。

「1人一食分あるかないかだね。次の寄港地まで7日だから、みんなには我慢してもらおう」
「1週間か。長いっすね」
 現在、ヴィート海賊団は、海の国マリノで仕入れた医学書と乾燥ハーブを積んで、東の海のとある島国へ向かっている。いわゆる密輸であるが、これがまた儲かるらしい。
 客船や商船を襲うばかりが海賊ではない。金になることなら何でもやるのだ。

「砂糖は沢山あるから、甘いものが欲しくなったら、何か作ってあげるよ」
 そう言うと、シェフはカナメの口元にスプーンを差し出してきた。クリームシチューが一口分乗っている。
「あーん」
「え、なんすか」
「味見」
 断ることもできなくて、言われるがままに差し出されたスプーンを咥えた。
 とろっとしたクリームが口に流れ込む。
ミルクとソーセージの濃厚な味。
 うまい。
 咀嚼しながら親指を立てた。
「シチュー、ついたよ」
 くすくす笑いながら、シェフの指先が口元を拭ってくる。
 なんだか恥ずかしくて、カナメはお玉で力まかせに鍋を掻きまわした。


 食事は交代制だ。
 団長のヴィートと実質的ナンバー2のセイラを囲むように、手が空いた者達が席につく。今日の第一陣は、ムードメーカーで絵が上手いヴィンチ、小柄で身軽でまさに猿のようなサル、無口な釣りの名手の太公望、弱虫で大人しいロニー、最年長の50歳で隻眼のゼッティだ。

「うまっ!」
「俺、シェフさんのシチュー大好物っす」
 20代のヴィンチとサルは、がつがつと皿を空にしていく。
 シチューとパンだけの簡素な食事だが、量も具もたっぷりなので栄養価は十分だ。
「それ、最後の仕上げは僕がしたけど、作ったのはほとんどカナメだよ」
 給仕をしながらシェフがアピールしてくれる。
「へええ、カナメ、なんでもできるって言うだけあるもんな。操舵もマスト張るのも、もやい結びも一瞬で覚えたし」
 とヴィンチが言えば、太公望が、
「釣りも上手い」
 ぼそりと付け足した。

「剣の方はどうなんだ」
 聞いてくるヴィートに、
「余裕」
 とカナメはにっと笑ってみせる。
 ゼッティとセイラがカットラス(湾曲した片手剣)と弓矢を教えてくれているが、元々フェンシングの心得があったこともあり、初心者にしては良い線いっていると自己評価している。
「相変わらず口が減らないな」
「だから、俺大抵のことはできるんだって」
「余裕なんて言葉は、俺に勝てるようになってから言うんだな」
 ヴィートの挑発的な物言いにかちんと来た。
「勝てるかどうかやってみなきゃ分かんねえだろ」
「分かるさ」
「分かんねえよ。言うなら勝負しろよ」
「俺は構わないが」
 声を荒げるカナメに対し、ヴィートは冷静だ。

 見かねたセイラが口を挟んだ。
「やめておけ。カナメは素質はあるが、お遊びの域を出てない。ヴィートとの勝負なんて目に見えている」
 セイラのカットラスと弓矢は、女性(本人は女扱いされると激怒するが)にしておくのが惜しいくらいの腕だ。カットラスなら、肉体的な力の優位で何本かに1本は取れるようになったが、カナメはセイラにも敵わないのが現状だ。
 碧眼のシャークと恐れられるヴィートになんて勝てるわけがないのは分かっている。それでも、ヴィートが一体どれほど強いのか、この身で確かめたかった。



「くそっ!」
 額から流れ落ちる汗を、カナメは左腕で拭った。
 カットラスを握った右腕を最小限にしか動かしていないヴィートは、汗ひとつかかず涼しい顔のままだ。
 ここだと思って切り込んでも、ヴィートはカナメの動きなど予測しているのか、カナメの刃の向かう先にはいつもヴィートのカットラスが待ち構えている。刃がガキンとぶつかり合うと、押し合う間さえ与えてもらえず、力づくで振り払われる。
 もう30分もこれを繰り返していた。

「いい加減やめにしないか」
「まだまだだよっ!」
 実力差は明白だったが、ここで引き下がるのは嫌だった。こんなに汗をかいて身体を動かしたのは久しぶりだ。
 完全な負け試合だが、このまま引き下がるのが嫌で、もう一度カットラスを構えた。
「待て!」
 ヴィートが低く鋭い声で叫んだ。
「待たねえよ」
「静かにしろ」
 試合中だというのに、ヴィートはカナメに背を向けると、海の方向を見つめた。15メートルほど先の海が不自然に泡立っている。
 
 え。なんだこれ。
 
 ぞわりと寒気がした。
 カナメは、面白いくらいに一瞬で鳥肌が立った自分の腕を気味悪く見つめる。

「総員戦闘配置! セイレーンだ!」
 ヴィートが腹の底から怒鳴った。
 その一声で船上は一気に緊張に包まれる。メインマストのトップに即座に駆けあがったサルが、緊急事態を知らせる鐘を打ち鳴らした。団員達がそれぞれの武器を持って、前後の甲板の所定配置につく。

「耳塞いで隠れてろ」
 ヴィートは、甲板に立ちすくむカナメを船内に突き飛ばした。
 どこか遠くから歌声が聞こえてくる。すすり泣くようなかなしげなメロディーだ。
 4時の方向の海を見つめていると、泡と波の間から美しい人魚が姿を現し、戯れるように泳ぎはじめた。全部で5人。いや、5匹か。

 フォアマストの中間あたりにいるセイラが、弓矢を放った。炎をまとった矢が人魚の胸に命中する。
 よくあの距離から当てるなとカナメは感心するが、感心している場合じゃない。
 人魚は矢を受けても怯むことはない。あっという間に「ラトゥ・ブラン号」に近づくと、ずるずると船縁を超えて登ってくる。
 ウロコがきらきら光って、綺麗なのに不気味だ。

 海賊たちはカットラスで応戦するが、人魚は俊敏に攻撃を避ける。ヴィートのカットラスが1匹の下半身に斬りかかるが、刃はウロコの上をぬるりと滑って大したダメージになっていない。
 ヴィートは舌打ちして、今度は容赦なく上半身を切りつけている。
 豊かな乳房を持つ女性の形の上半身が切り裂かれる様は、モンスターと分かっていても不快だ。カナメは顔をしかめた。

 上空から降っていた矢の雨が止んだと思ったら、セイラがマストから降りてきた。矢が切れたらしい。
 そのセイラに、一匹の人魚が目を向けた。相変わらず歌を口ずさんでいる。
 空洞のようなまっ黒な目が笑うように歪み、人魚の髪が生き物のようにうねると、セイラの身体にまとわりついた。
 セイラは腰に差していた短剣で髪を切り裂こうとするが、その手首にも髪がまとわりつく。
 海賊たちは他の4匹の応戦で精一杯だ。

 セイラの様子に気づいたヴィートが駆け寄ってくる前に、カナメはカットラス片手に船内から飛び出していた。
 人魚の白い背中を背後から斬りつけると、人魚は叫び声をあげる代わりに、一層高い音域で歌声を響かせた。神経を逆撫でするような調子はずれの気持ち悪いメロディーだ。
 セイラの身体を拘束していた髪がするすると元の長さに戻っていく。

 ほっと息を吐いた瞬間、くらりと目眩がした。
「おまえ、耳!」
 セイラが叫ぶ。
 耳?
 なんのことだ?
 首をかしげると、頭がぐらぐら揺れた。立っていられない。
 やばい、倒れる。

 その場にしゃがみこもうとしたカナメの身体は、ヴィートによって大樽の陰に引き込まれた。
「馬鹿、おまえ! 耳塞げって言っただろ!」
 ヴィートは怒鳴りながら、大きな両手でカナメの耳を塞いだ。
 歌声が聞こえなくなると、頭の痛みはすぐに無くなった。
 周りを見ると、仲間達はみな耳に何か詰め物をしている。
「セイレーンを知らないのか。歌で船員を惑わして、海に引きずり込む。歌を聞いていたら、足腰が立たなくなるんだ」
 耳は塞がれているが、唇の動きで意味は分かった。
「最初に言えよ」
「耳ふさげって言っただろ」
「説明が足らない! 大体、ヴィートは耳栓してないじゃないか」
「俺は、聴覚くらいコントロールできる」
「やり方教えろ」
「お前には無理だ」
「んだと?」
 
「二人とも。痴話喧嘩してないで。はい、これ」
 言い合いをしていると、どこから現れたのかシェフが耳栓を渡してくれた。
「ありがと」
「じゃ、僕は中にいるから、頑張ってね」
 シェフは見た目通り戦闘能力がほぼゼロなので、戦闘には参加しない。簡単な黒魔法と白魔法が使えるので、もっぱら治癒担当だ。


 苦戦しつつも、セイレーン5匹を無事討伐して、鱗のうち金色に輝くものは金になるというので剥ぎ取り、死骸は海に捨てた。
 嵐が過ぎ去った甲板に胡坐をかき、剥ぎ取った鱗を海水と布で磨きながら、カナメは溜め息をつく。

 腕っぷしには自信がある方だったが、ヴィートには完敗だったし、セイレーンとの闘いでもほとんど役に立てず、足手まといなほどだった。
 モンスターは予測がつかない動きをするので、どう戦っていいのか咄嗟の判断がつかなかったし、闇雲に動くと他の団員の動きの邪魔になるので、どうしても身体が強張ってしまうのだ。

「瞬発力もバネもある。実戦経験を積めばすぐに腕は上がる」
 カナメの横でカットラスの手入れをしながら、ヴィートが言う。
「慰めかよ」
「俺は慰めも世辞も言わない」
「へーへー」
「おまえの戦い方は上品すぎる。貴族の嗜みじゃないんだ。型なんて気にするな。目つぶしでも金的でも何でもアリ。反則だろうがずるかろうが、戦闘では生き残った者が強い」
 セイレーンとの戦いで、ヴィートの圧倒的な機動力を見た後だ。カナメは素直に頷き、そして拳を握りしめた。

 大した努力もせずに大抵のことはこなせるが、真剣に何かを極めようと本気で努力している奴には敵わない。一番を取るのはそういう努力家に任せて、自分は1ケタの地位をうろうろしていればいい。
 ずっとそういうスタンスだったから、誰かに勝ちたいとか、悔しいとか、そういう風に思ったことはなかった。
 でも今は、なんだか無性に胸の奥がもやもやする。
 ミントグリーンの瞳でおかしそうにカナメを見下ろすこの男に。
 こいつに負けたくない。
 そう強く思った。
 カットラス、マジでやってやろうじゃん。

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