アクアイル王国物語

ナムラケイ

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海賊編:過去のストーリー

海賊編:娼婦セイラ、恋より友情を選ぶ。3

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 夜なんて、来なければいいのに。
 太陽の下で、ずっとヴィート達と遊んでいられればいいのに。
 セイラはため息をつきながら、鹿鳴館の灯篭に灯りを灯した。

 店の前の石畳に水を打っていると、斜め向かいの「黒薔薇の館」から男娼のレイが顔を出した。
「セイラ」
「レイ。お疲れ様」
「お疲れ」
 開店前は忙しい。いつもは挨拶だけ交わして終わるのに、レイはセイラの方に近づいてきた。
 ガウンのように前を合わせる異国風の衣装を着ている。濃紺に真っ赤な金魚が泳ぐ絵柄に、銀鼠の帯。V字に空いた襟元から覗く胸は、驚くほど真っ白だ。
「なに? あたし、開店準備があるんだけど。あんただってそうでしょ」
「ボクは稼ぎ頭だから、雑用はしないんだよ。それよりおまえ、最近、昼間に男と会ってるらしいな」
 セイラは顔色を変えた。ヴィート達のことを言われてるのだとすぐに分かった。
「だからなに?」
「その男に、恋してるのか?」
 その質問に、セイラはぽかんと口を開いた。
「ナニソレ」
「その男が好きなのかって聞いてる」

 好き? 
 それは勿論好きだ。
 日に焼けた肌と低くてやさしい声。
 大人びているのに、食べる時は子供みたいにがっつくところ。
 無愛想なのに笑い上戸で。笑うと、いつもは鋭いミント・グリーンの目が垂れ下がるところ。
 次の冒険が待ち遠しくて仕方ないというように、海と空の彼方を見つめる横顔。
 怒鳴りつけながらも、仲間を大事にしているところ。
 でもそれは。

「恋なんかじゃない」
 セイラはレイを睨みつけた。
「と思う」
「なんだよ、と思うって」
「恋をしたことがないかわ分からないわ。でも、ヴィートとは、お客さんとしてるようなことしたいとは思わない」
 それを聞いたレイは、イラついたように足元の石を蹴り飛ばした。
「それは、おまえが娼婦でまだガキだからそう思わないだけだ」
「なによそれ」
 セイラは柄杓を持つ手に力を込めた。
 レイは意地悪な男の子だが、別に嫌いじゃない。でも、ヴィートのことをどうこう言われたくなかった。
「とにかく、やめとけ。そいつ、海賊なんだろ。すぐいなくなる奴と仲良くしても、さびしい思いするだけだ」
 セイラ同様、レイも花街で生まれ育った。船乗りと親しくなり、悲しい思いをしたことがあるのかもしれない。
 でも。
「別れを怖がってたら、誰とも親しくなんてなれない。大事にしたいの。ヴィートは、初めてできた友達だから」
 セーラはきっぱり言うと、店の中に戻った。

 残されたレイは、その場で立ちすくみ奥歯を噛んだ。
「馬鹿セイラ。俺は友達じゃないのかよ・・」

 カランカランカラン。
 大通りの先にある見張り台の鐘が鳴る。花街開業の合図だ。
 レイは一度空を見上げると、ぱんと両頬を叩いて、自分の店に向かった。



 翌週、セイラが波止場に行くと、「ラトゥ・ブラン号」の船員たちはざわついていた。
 美しい帆船はすっかり修復され、船体にはタールがきれいに塗られている。
 食料が詰まった木箱がどんどん積み込まれていく。船の上でも、船員がばたばたと走り回っていた。どの顔も明るい。
 セイラの胸がずきんと痛んだ。
 出航、するのだ。
 ヴィートの姿は見当たらない。

「あ、セイラちゃーん!」
 マストの一番高いところに昇っていたサルが、セイラに気づいて手を振ってきた。
 手を振り返すと、サルはあっという間に甲板まで降り立ち、飛ぶようにセイラの元へやってきた。その身の軽さにびっくりする。
「こんにちは。出航、するのね」
「なんか急ぎのクエストが入ったとかで、急に決まったんっすよ。おかげで大忙しっす!」
「いつ、出るの?」
「夕方っす」
「そっか」
 別れの日は、唐突にやってくる。
 セイラがうつむくと、サルもしんみりした表情になった。
「俺っち、セイラちゃんと別れるの寂しいっす。その、変な意味じゃなくて。5人で遊ぶの、すっげー楽しかったから」
「あたしもだよ」
「セイラちゃん、最初すんげーお嬢の美少女かと思ったら、夜の蝶だし性格全然女っぽくないし」
「それ、褒めてるのけなしてるの」
「褒めてるんすよ!」

「こらー、サル!! 何やってんだ! マストの点検まだだろうーが!」
 船上から野太い声が怒鳴りつけた。
「はい! すぐ戻ります!」
 サルは叫び返してから、早口で言った。
「セイラちゃん、見送り来れないっすか? ヴィートのやつ、絶対セイラちゃんに挨拶したいと思うんだ。けど、今あいつ、船長と役所に行っちゃってて」
「分かった。必ず来る」
 セイラは約束した。
「絶対すよ。じゃ、俺っちはこれで」
 サルは本当の猿のように素早い動きで、タラップを駆けのぼっていった。


 
 鹿鳴館へ帰ると、セイラは自室のベッドにぼんやりと座っていた。
 ローズと一緒に昼食にリゾットを食べたが、食欲はまるでなかった。代わりに、水をごくごく飲む。
 午後になると、店中を掃除して、部屋を整え、備品を揃え、飲み物を冷やす。夕刻、レディ・アンから今日の予約を知らされた後、娼婦たちは身支度を整える。
 セイラは、クリーム色のロココ調のドレスに身を包み、長い髪をシニョンに結い上げた。
 窓の外は夕焼けで真っ赤に染まっている。遠くで、波の音が聞こえる。

「レディ・アン、出し忘れた洗濯物があるから、行ってくるわ」
 花街の中には専門の洗濯屋がある。
「すぐに戻るんだよ」
「分かってるわ」
 帳場で予約表を確認しているレディ・アンとは目を合わせず、セイラは店を飛び出した。


 セイラが出てくるのを待っていたかのように、大通りにはレイがいた。
「レイ」
「あいつ、これから出発だってな」
「なんで知って」
「花街の売れっ子の情報量なめんな」
 レイは、セイラの大きなバッグを見て、大きく溜め息をついた。
「行くのか」
 セイラはレイをまっすぐに見た。
「行く」
 レイは、着流しの袖から布袋を取り出すと、セイラに向かって放り投げた。
 片手でつかみ取ると、ずしりと重い。ギル金貨の重みだった。
 セイラはびっくりする。
「持ってけ」
「これは、貰えないよ」
 布袋を返そうとするが、レイは両手を袖に差し込むポーズで拒んだ。
「あって困るもんじゃない」
「でも」
 これは、レイが稼いだお金だ。レイの身体の代償だ。
「おまえ、お転婆だし色気はないし、この仕事向いてないよ。さっさと出てけ」
 いつもどおりの憎らしい台詞だが、その口調には優しさが滲んでいた。
 レイは、花街で一生を終える。外の世界を見ることは、ない。
 セイラはレイに飛びつくと、一度だけぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう。行ってきます!」
 波止場へ向けて、駆け出した。



 真っ赤な太陽が波止場を染め上げていた。広場も桟橋も船も人も燃えるようだ。
 波止場で船を見上げるヴィートの姿を認めると、セイラは大声で叫んだ。
「ヴィート!」
 途端に、ヴィートは嬉しそうに笑って走ってくる。
「見送りに来てくれたのか。ずっと立て込んでいて、俺から会いにいけなくて悪かった」
 セイラは首を横に振った。
「違う。見送りに来たんじゃない。船員、募集してるんでしょう。あたし、海賊になる。一緒に連れて行って!」
 一気に言うと、ヴィートは目を見開いて、それから真剣な顔つきで、だめだと言った。
 大きな手が、セイラの両腕を掴む。
「セイラ。おまえは大事な友達だ。俺たちはこれから旅に出るが、この街にはまた何度だって来る。その度に会える」
「あたしは、港でただ待つだけなんて嫌!」
「海賊は悪党だ。人のものを奪い、時には人だって殺す。俺たちはみんなそうして生きている。セイラに出来るか?」
「やったことはないけど、それが海賊という仕事なら、やるわ」
 ヴィートが困ったように眉を下げる。
 セイラはヴィートを見つめた。ミント・グリーンの瞳に、興奮したセイラが映っている。

「ヴィート。あたしは花街に生まれて、13の時に初めて客を取った。望んだ仕事じゃないけど、娼婦の仕事が嫌いなわけじゃない。でも、あの狭くて湿っぽい花街では、呼吸が苦しくて。いつも満たされなかった。喉が渇いて渇いて、どれだけ水を飲んでも癒されない渇きをいつも感じてた」
 どうすればその渇きが癒えるのか、全然分からなかった。
 レディ・アンもローズも他のお姉さんたちのことも、好きだ。一緒に働くのは楽しかった。
 それでも、自分には別の居場所がある気がしてならなかった。

「ヴィート。あたし、あんたやみんなといる時は、一度も乾きなんて感じなかった。自分の中が、オアシスの水で満たされてるみたいに、充足感があって。あんたたちといるときはいつも、時が止まればいい、夜が来なければいいのにって願ってた」
「セイラ。セイラ。分かったから」
 ヴィートがセイラの頭をぽんぽんと叩いた。
 いつの間にか、「ラトゥ・ブラン号」の甲板にずらりと並んだ船員たちが二人の様子を見守っている。その中には、サルとヴィンチ、太公望の姿もあった。
「俺も同じ気持ちだ。おまえといると、幸福感で満ち足りて仕方ない。俺だっておまえを連れていきたい。でも、何度も言ったとおり、女は駄目だ」
 絶対言われると思ってた。
 だから、ちゃんと決心はしてきた。

「分かってる。女じゃなかったらいいんでしょ!」
 セイラは胸元の紐を解くと、ドレスを一気に脱ぎ捨てた。
 周囲から歓声と口笛が飛ぶが、勿論下は着ている。
 ゆったりした長袖のブラウスにズボン。どちらも男物だ。
 それからセイラは、唖然とするヴィートの腰に手を伸ばし、ホルターから短剣を引き抜いた。
 頭のピンを2、3本取ると、シニョンがくずれてポニーテールになる。
「セイラっ!」
 ヴィートの静止は無視して、結び目の上にざくりと短剣を入れた。
 馬の尻尾のようなピンク色の束が地面に落ちる。
 さらされた首の産毛を潮風が撫でていった。
 十分、女として生きた。女としてしか生きてこなかった。
 だから、未練はない。

「他に、まだなにか?」
 勝気に微笑んで問うと、ヴィートは心底まいったというように頭を抱えた。
 甲板の海賊たちが歓声を上げている。
 その歓声を引き裂くように、野太い声が怒鳴った。
「こらああああっ! ヴィート! 出航時間だってのに何やってる!!!」
 甲板から顔を覗かせている壮年の男は、ヴィートと同じ髪と瞳の色をしている。
 ヴィートの父親で、船長だ。
 ヴィートが返事をする前に、船長は続けた。
「さっさと船に乗れ、二人とも! 出航するぞ!」
 え。
 今、二人とも、って言った。

「やったああっ!」
 セイラは飛び上がってガッツポーズをする。
「セイラちゃあああんっ! ようこそっす!」
「早くおいで、セイラちゃん!」
 サルとヴィンチが手を振っている。

「ったく。おまえが女やめるってことは、俺は失恋ってことか」
 本気なのか冗談なのか、ため息交じりに言うヴィートにセイラは口調を変えて答えた。
「ガキには興味ないんだろ。それに、恋と違って、友情は一生だ」
 にっと男っぽく笑って見せると、ヴィートは吹き出した。
「やっぱおまえ面白いわ。よろしく、セイラ」
 ヴィートが宙に上げた手のひらに、セイラは思い切り自分の手のひらを打ち付けた。(了)
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