アクアイル王国物語

ナムラケイ

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海賊編:過去のストーリー

海賊編:娼婦セイラ、恋より友情を選ぶ。1

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 あの頃、アタシは飢えていた。
 あてどなく、どうしようもなく喉が渇いて。
 渇いて、渇いて、仕方なかった。
 その渇きを満たすものが何なのか。
 それはまだ、知らなかった。


 時は、本編の17年前にさかのぼる。

 海の国マリノにある港町ポーティアック。その外れにある花街の娼館「鹿鳴館」の炊事場で、セイラは水差しの水をごくごくと飲んでいた。
 水差しは空になり、お腹もたぷたぷなのに、それでも、まだ足りない気がする。

 炊事場の前を通りかかったレディ・アンが、セイラを見つけて怒鳴った。
「セイラ! あんた、また水ばっかり飲んで」
 セイラは肩をすくめる。
「だって喉が渇くんだもの。それに、水は美容にいいのよ」
「水だってただじゃないんだよ。最中にもよおしたら、お客さんが萎えちまう。水分は控えめにっていつも言ってるだろ」
「レディ」なんて名乗っているのに、レディ・アンの言葉遣いはまるでスラム街の女将さんだ。
 これ以上怒鳴られるのはまっぴらと、セイラは炊事場を飛び出した。
「こら、どこ行くんだい」
「波止場で客引きしてくるわ」
「だったら、みんなの昼ごはんにサバサンドを買ってきておくれ」
 レディ・アンは、懐から3千ギルを取り出した。
「分かったわ。お昼までには帰る」
 

 鹿鳴館を飛び出し、大通りを走っていると、上から声が降ってきた。
「セイラ」
 見上げると、「黒薔薇の館」の二階の窓から、少年が顔を覗かせている。男娼のレイだ。
「相変わらずはしたないな、大股広げて」
 女の子のような綺麗な顔をしているのに、レイは意地悪だ。
「うるさいわね、今から港に行くんだから」
「おてんばは、客引きしないと客がつかないのか」
 レイは16歳で、男娼の中では一番の売れっ子だ。手足も腰もほっそりとして、くやしいが、セイラより色気がある。
「ほっといてよ」
「せいぜい励むんだな。ボクは昨夜も忙しかったから、もう少し寝るよ」
「商売繁盛で結構ね!」
「港に行くなら、お昼にサバサンド買ってきてくれ」
「自分とこの男衆に頼みなさいよね」
 セイラはいーだをして、大通りを駆けだした。


 港の町ポーティアックには、海の国マリノ最大の港湾がある。港にも沖合にも、商船、漁船、海軍艦船、遊覧船と無数の船が停泊している。
 平日の午前中。港は船員や商人で活気に満ちていて、まさに海の国の繁栄ここにありという様相だ。

 港の広場には屋台が並んでいてちょっとした市場になっている。
 セイラは小間物を物色しながらゆったりと歩く。
 時折、男たちの視線が自分を掠めていくのが分かる。

 セイラは15歳で、美少女だ。ピンク色の髪はふわふわと長くて、童顔で、大きな瞳はマゼンダ色。中産階級の素人娘っぽく見えるように、上品なワンピースを来て、つばの広い帽子を被っている。


「ねえねえカノジョ、ひとり?」
 正面から歩いてきた3人組の男が声をかけてきた。
 子ザル、イマドキ男子、農民。
 セイラは見た目で渾名をつけた。タイプが違う3人組だが、身なりからするとおそらく海賊だ。
 まあ、店に来てくれるなら誰だって構わない。

 セイラは戸惑ったような仕草で控えめに頷いた。
「ええ、ひとりですけど」
「良かったら、お茶でもどっすか? お茶」
 と子ザルが言えば、イマドキ男子が、
「俺たち今日入港したばっかで、このへん知らないんだよね。美味しいカフェ、教えてくれたら嬉しいなー」
 海賊とカフェもいいかもしれない。
 お茶と軽食をご馳走になって、夜は店に来てもらう段取りをつけて、サバサンドを買って、店に戻ればちょうどお昼だ。
「美味しいラテを出す店を知っているので、案内しましょうか」
 そう言おうとした時、頭上から怒鳴り声が降ってきた。

「サル! ヴィンチ! 素人とガキには手え出すなっつったろ」
 振り向くと、眼光鋭い男が立っている。背が高く、胸板が厚い。アッシュグレーの髪は短くて、堅そうだ。

「うわ、ヴィート! いつの間に!」
 子ザルとイマドキ男子が目に見えてびびっている。農民は突っ立ったままだ。
「いつの間にじゃねえよ。遊びたいなら店で遊べ」
 ヴィートと呼ばれた男は、ミントグリーンの瞳で3人をじろりと睨む。
「ごめんっすー。可愛い子がいたんでつい声かけちゃったっす」
「1カ月ぶりのオカで舞い上がっちゃてさ」
「俺は何も言ってない」
 それぞれ捨て台詞を残すと、一目散に逃げてしまった。

「ったく、ついじゃねえよ」
 ぼやきながら立ち去ろうとするヴィートの袖口を、セイラは掴んだ。
「なんだ?」
 大人びているし貫禄もあるけど、この人、きっとまだ十代だ。

「邪魔するなんんてひどいじゃない。お兄さんが代わりに遊んでくれるの?」
 セイラは拗ねたような表情で上目遣いをする。男はこの表情に弱い。
 が、ヴィートはまるで興味がなさそうにセイラの手を振り払った。
「ガキには興味ねえ」
 
 はああ?
 その言いぐさに、セイラはアタマに来た。
 往来なのも構わず、ワンピースの裾を膝上まで引き上げる。刺激的な色とデザインのガーターベルトと絶対領域が丸見えになった。
「アタシはガキでも素人でもないわよ!」
 屋台のお兄さんたちがぴゅーっと口笛を吹いている。セイラはそちらにウィンクを送る。
 
 唖然としたようにセイラを見ていたヴィートだが、突然笑い出した。
 強面なのに、笑うと子供みたいだ。

「おまえ、面白いな」
 ひとしきり笑うと、ヴィートは、セイラの頭をぽんぽんと叩いた。
「俺はヴィート。そこに泊まってる「ラトゥ・ブラン号」って船の船員だ」
「船員って、海賊でしょ」
「そうとも言うな」
 カマをかけると、ヴィートはあっさりと認めた。
「あたしはセイラ。街の外れの花街で働いてる」
「自己紹介の前に、スカートおろせよ」



 日が落ちると、花街には桃色のランプが灯り、昼間とは別世界になる。
 水が打たれた石畳の上を大勢の男たちが行き交い、両側に立ち並ぶ娼館を物色していく。

 花街の娼館はそれぞれに趣向を凝らしている。年増、ロリコン、SM、男娼、何でもありだ。
 セイラの店は、「鹿鳴館」の名の通り、淑女「風」を売り物にしている。セイラたち娼婦は、貴族が着るようなフリルとレース満載のドレスを着させられているが、生地の質が悪いのでいかんせん安っぽい。
 店主のレディ・アンは、「そのニセモノっぽさがまたエッチなのよ」などと言っているが。

 夜の早い時間は、まだ客足が少ない。
 セイラは、既に客がついたお姉さん達のヘルプとして、各部屋でお酌をして回っていたが、小一時間経ったところでレディ・アンが呼びに来た。

「セイラ、ご指名だ。上客だからよろしくね。ダリアだよ」
「はあい」
 身なりを整えてから、ダリアの間の扉を開いたセイラは、ぎょっとした。


「ヴィート!?」
「よう」
 貴族風偽物アール・デコ調の部屋で、ソファに座っていたヴィートが片手を挙げた。

「座れよ」
 相手は客である。セイラは大人しくヴィートの向かいに座った。
 昼間と同じ、こげ茶の皮のズボンにブーツ、袖がふわりとした白シャツを着ている。腰には、繊細な装飾がなされた短剣が下がっている。

「女、買うのね」
 セイラは言った。
「男だからな」
「ガキは興味ないんじゃないの」
「興味ないな。まあ、食え」
 ヴィートは、コーヒーテーブルにずらりと並んだ料理を差した。
 ハーブサラダ、レンズ豆のスープ、ひな鳥のソテー、海老のカクテル、チーズとサラミの盛り合わせ、イチゴのケーキ。それにどっさりのパンとワイン。 
 売春が目的の娼館で、こんなに料理を注文してくれる人は珍しい。食事と酒は利ざやが大きいので、レディ・アンが「上客」と言うのも頷けた。

 ヴィートは手づかみで海老のカクテルを摘み、さらにひな鳥のソテーにかぶりつく。バターをたっぷり乗せたパンを頬張り、ワインをするすると流し込む。
「食えって」
 気持ちよいほどの食べっぷりを呆然と見ていたセイラの口元に、ヴィートが海老を差し出した。
 思わず口を開けると、海老が差し込まれる。
「あ、おい、尻尾は食うなよ」
 なんだか恥ずかしかったが、ヴィートの指先の前で、海老を噛み切った。
 白ワインとレモンの香りが口いっぱいに広がる。。
「美味しい」
「港町だけあって、魚介はうまいな」
 ヴィートがにっと笑う。
 そうやって笑うと、大人びた表情が消えて、子供のようだ。

「一番の名物は、サバサンドだけど」
「サバサンド? サバにパンって、冗談だろ」
 心底嫌そうな顔をするのが面白くて、セイラはひとしきりサバサンドの魅力について語った。
「本当に美味しいのよ。うちのお姉さん達だってみんな大好物なんだから」
「まあ、そんなに言うなら、今度試してみるかな」
 
 たわいもない会話をしているうちに、料理は空になっていた。
 食欲が満たされたら、次は性欲だ。
 どんなに楽しくても、これは仕事だから。
 セイラは手を拭き、口を清めると、ベッドの前に立った。
「そろそろ、する?」
 小首を傾げて問うと、ヴィートは苦笑した。

「言っただろ、ガキには興味ねえって」
 セイラはむっとする。
「だったらなんで指名したのよ。こっちだって商売なのよ。指名したからには、することして、お金払ってもらわなきゃ困るわ」
「心配しなくても、金ならちゃんと払うよ」
「意味わかんない。しないなら、なんで花街に来たのよ」
 ヴィートは答えづらそうに頭を掻いた。
「あー。サル達の付き合い、かな。それに、おまえ、なんか面白そうだったし」
「ナニソレ」
「公衆の面前でパンツ見せるとか、面白すぎだろ」
 ヴィートが思い出し笑いをする。
「パンツはぎりぎり出してないわ!」
 セイラが膨れると、ヴィートはますます笑う。
 強面なのに笑い上戸らしい。
「まあとにかく、セイラにもう一度会って、喋りたいと思ったんだよ。なんか、いいダチになれそうだと思ったんだ」
 ダチ。友達。
 セイラの辞書にはない言葉だ。

「サバサンド、波止場に街一番の屋台があるの」
 突然サバの話をし始めたセイラに、ヴィートは首を傾げる。
「そこが一番美味しいの。サバが苦手な人でも食べられるくらい。だから、今度、連れていってあげても、いいけど」
 友達なんていたことがないし、誰かをごはんに誘ったこともないので、めちゃめちゃ緊張した。
 言い切ってそっぽを向くセイラに、ヴィートは優しく答えた。
「本当か? じゃあ連れてってくれ。でも、そんだけ言っといて美味くなかったら覚えてろよ」
 冗談めかして言うヴィートに、言い返した。
「そっちこそ、美味しさにひれ伏さないようにね」



 ヴィートからたんまりと支払いを受け取ったレディ・アンは上機嫌だった。
「あんた、いい客捕まえたじゃないか。若いしイケメンだし、金払いはいいし。あんないい男だったら、海賊でも大歓迎さ」
「レディ・アン、海賊ってどんな仕事をしてるの」
 店を閉めた後の帳場である。レディ・アンは金勘定をする指を止めた。
「どんなって、そりゃあ色々さ。商船を襲って金と積荷を奪ったり、身代金目当てに船員を誘拐したり、小国の離島や街を襲って金品強奪したり、密輸に人身売買に、平気で人だって殺す。まあどっちにしろ、ロクな奴らじゃないよ」
 セイラは表情を曇らせた。
 ヴィートが、そんなことをしているとはとても思えない。想像できない。
「犯罪者ってこと?」
「難しい質問だね。国際的には海賊活動は認められてないけど、裏では海賊に金渡して、他国の商船襲わせてる国もあるからね。マリノもそうだよ」
 レディ・アンは政治や経済にも明るい。お客さんから色々な話を聞き齧っているからだろう。
 うつむくセイラの背を、レディ・アンは元気づけるように叩いた。
「なに暗い顔してんだよ。船乗りも束の間の休息だ、せいぜい楽しませてやらないと。またあのお客さんに来てもらって、たんまり稼ぐんだよ。今日は好きなだけ水を飲んでいいからさ」
「水?」
「いつもがぶ飲みしてるじゃないか」
 セイラは喉を押さえた。
 
 そういえば、今日は喉の渇きを覚えていない。
 ヴィートと話すのに夢中で、食事の時もワインを1杯飲んだだけだ。

 仕事の後は、いつも何か満たされない感じがして、身体にぽっかり穴が開いたみたいなのに。
 今は、喉は潤っているし、心がほっこりと温かい。

 なんだろう、これ。
 セイラは首を傾げながら、帳場を出た。(続く)
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