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海賊編:過去のストーリー
海賊編:娼婦セイラ、恋より友情を選ぶ。1
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あの頃、アタシは飢えていた。
あてどなく、どうしようもなく喉が渇いて。
渇いて、渇いて、仕方なかった。
その渇きを満たすものが何なのか。
それはまだ、知らなかった。
時は、本編の17年前にさかのぼる。
海の国マリノにある港町ポーティアック。その外れにある花街の娼館「鹿鳴館」の炊事場で、セイラは水差しの水をごくごくと飲んでいた。
水差しは空になり、お腹もたぷたぷなのに、それでも、まだ足りない気がする。
炊事場の前を通りかかったレディ・アンが、セイラを見つけて怒鳴った。
「セイラ! あんた、また水ばっかり飲んで」
セイラは肩をすくめる。
「だって喉が渇くんだもの。それに、水は美容にいいのよ」
「水だってただじゃないんだよ。最中にもよおしたら、お客さんが萎えちまう。水分は控えめにっていつも言ってるだろ」
「レディ」なんて名乗っているのに、レディ・アンの言葉遣いはまるでスラム街の女将さんだ。
これ以上怒鳴られるのはまっぴらと、セイラは炊事場を飛び出した。
「こら、どこ行くんだい」
「波止場で客引きしてくるわ」
「だったら、みんなの昼ごはんにサバサンドを買ってきておくれ」
レディ・アンは、懐から3千ギルを取り出した。
「分かったわ。お昼までには帰る」
鹿鳴館を飛び出し、大通りを走っていると、上から声が降ってきた。
「セイラ」
見上げると、「黒薔薇の館」の二階の窓から、少年が顔を覗かせている。男娼のレイだ。
「相変わらずはしたないな、大股広げて」
女の子のような綺麗な顔をしているのに、レイは意地悪だ。
「うるさいわね、今から港に行くんだから」
「おてんばは、客引きしないと客がつかないのか」
レイは16歳で、男娼の中では一番の売れっ子だ。手足も腰もほっそりとして、くやしいが、セイラより色気がある。
「ほっといてよ」
「せいぜい励むんだな。ボクは昨夜も忙しかったから、もう少し寝るよ」
「商売繁盛で結構ね!」
「港に行くなら、お昼にサバサンド買ってきてくれ」
「自分とこの男衆に頼みなさいよね」
セイラはいーだをして、大通りを駆けだした。
港の町ポーティアックには、海の国マリノ最大の港湾がある。港にも沖合にも、商船、漁船、海軍艦船、遊覧船と無数の船が停泊している。
平日の午前中。港は船員や商人で活気に満ちていて、まさに海の国の繁栄ここにありという様相だ。
港の広場には屋台が並んでいてちょっとした市場になっている。
セイラは小間物を物色しながらゆったりと歩く。
時折、男たちの視線が自分を掠めていくのが分かる。
セイラは15歳で、美少女だ。ピンク色の髪はふわふわと長くて、童顔で、大きな瞳はマゼンダ色。中産階級の素人娘っぽく見えるように、上品なワンピースを来て、つばの広い帽子を被っている。
「ねえねえカノジョ、ひとり?」
正面から歩いてきた3人組の男が声をかけてきた。
子ザル、イマドキ男子、農民。
セイラは見た目で渾名をつけた。タイプが違う3人組だが、身なりからするとおそらく海賊だ。
まあ、店に来てくれるなら誰だって構わない。
セイラは戸惑ったような仕草で控えめに頷いた。
「ええ、ひとりですけど」
「良かったら、お茶でもどっすか? お茶」
と子ザルが言えば、イマドキ男子が、
「俺たち今日入港したばっかで、このへん知らないんだよね。美味しいカフェ、教えてくれたら嬉しいなー」
海賊とカフェもいいかもしれない。
お茶と軽食をご馳走になって、夜は店に来てもらう段取りをつけて、サバサンドを買って、店に戻ればちょうどお昼だ。
「美味しいラテを出す店を知っているので、案内しましょうか」
そう言おうとした時、頭上から怒鳴り声が降ってきた。
「サル! ヴィンチ! 素人とガキには手え出すなっつったろ」
振り向くと、眼光鋭い男が立っている。背が高く、胸板が厚い。アッシュグレーの髪は短くて、堅そうだ。
「うわ、ヴィート! いつの間に!」
子ザルとイマドキ男子が目に見えてびびっている。農民は突っ立ったままだ。
「いつの間にじゃねえよ。遊びたいなら店で遊べ」
ヴィートと呼ばれた男は、ミントグリーンの瞳で3人をじろりと睨む。
「ごめんっすー。可愛い子がいたんでつい声かけちゃったっす」
「1カ月ぶりのオカで舞い上がっちゃてさ」
「俺は何も言ってない」
それぞれ捨て台詞を残すと、一目散に逃げてしまった。
「ったく、ついじゃねえよ」
ぼやきながら立ち去ろうとするヴィートの袖口を、セイラは掴んだ。
「なんだ?」
大人びているし貫禄もあるけど、この人、きっとまだ十代だ。
「邪魔するなんんてひどいじゃない。お兄さんが代わりに遊んでくれるの?」
セイラは拗ねたような表情で上目遣いをする。男はこの表情に弱い。
が、ヴィートはまるで興味がなさそうにセイラの手を振り払った。
「ガキには興味ねえ」
はああ?
その言いぐさに、セイラはアタマに来た。
往来なのも構わず、ワンピースの裾を膝上まで引き上げる。刺激的な色とデザインのガーターベルトと絶対領域が丸見えになった。
「アタシはガキでも素人でもないわよ!」
屋台のお兄さんたちがぴゅーっと口笛を吹いている。セイラはそちらにウィンクを送る。
唖然としたようにセイラを見ていたヴィートだが、突然笑い出した。
強面なのに、笑うと子供みたいだ。
「おまえ、面白いな」
ひとしきり笑うと、ヴィートは、セイラの頭をぽんぽんと叩いた。
「俺はヴィート。そこに泊まってる「ラトゥ・ブラン号」って船の船員だ」
「船員って、海賊でしょ」
「そうとも言うな」
カマをかけると、ヴィートはあっさりと認めた。
「あたしはセイラ。街の外れの花街で働いてる」
「自己紹介の前に、スカートおろせよ」
日が落ちると、花街には桃色のランプが灯り、昼間とは別世界になる。
水が打たれた石畳の上を大勢の男たちが行き交い、両側に立ち並ぶ娼館を物色していく。
花街の娼館はそれぞれに趣向を凝らしている。年増、ロリコン、SM、男娼、何でもありだ。
セイラの店は、「鹿鳴館」の名の通り、淑女「風」を売り物にしている。セイラたち娼婦は、貴族が着るようなフリルとレース満載のドレスを着させられているが、生地の質が悪いのでいかんせん安っぽい。
店主のレディ・アンは、「そのニセモノっぽさがまたエッチなのよ」などと言っているが。
夜の早い時間は、まだ客足が少ない。
セイラは、既に客がついたお姉さん達のヘルプとして、各部屋でお酌をして回っていたが、小一時間経ったところでレディ・アンが呼びに来た。
「セイラ、ご指名だ。上客だからよろしくね。ダリアだよ」
「はあい」
身なりを整えてから、ダリアの間の扉を開いたセイラは、ぎょっとした。
「ヴィート!?」
「よう」
貴族風偽物アール・デコ調の部屋で、ソファに座っていたヴィートが片手を挙げた。
「座れよ」
相手は客である。セイラは大人しくヴィートの向かいに座った。
昼間と同じ、こげ茶の皮のズボンにブーツ、袖がふわりとした白シャツを着ている。腰には、繊細な装飾がなされた短剣が下がっている。
「女、買うのね」
セイラは言った。
「男だからな」
「ガキは興味ないんじゃないの」
「興味ないな。まあ、食え」
ヴィートは、コーヒーテーブルにずらりと並んだ料理を差した。
ハーブサラダ、レンズ豆のスープ、ひな鳥のソテー、海老のカクテル、チーズとサラミの盛り合わせ、イチゴのケーキ。それにどっさりのパンとワイン。
売春が目的の娼館で、こんなに料理を注文してくれる人は珍しい。食事と酒は利ざやが大きいので、レディ・アンが「上客」と言うのも頷けた。
ヴィートは手づかみで海老のカクテルを摘み、さらにひな鳥のソテーにかぶりつく。バターをたっぷり乗せたパンを頬張り、ワインをするすると流し込む。
「食えって」
気持ちよいほどの食べっぷりを呆然と見ていたセイラの口元に、ヴィートが海老を差し出した。
思わず口を開けると、海老が差し込まれる。
「あ、おい、尻尾は食うなよ」
なんだか恥ずかしかったが、ヴィートの指先の前で、海老を噛み切った。
白ワインとレモンの香りが口いっぱいに広がる。。
「美味しい」
「港町だけあって、魚介はうまいな」
ヴィートがにっと笑う。
そうやって笑うと、大人びた表情が消えて、子供のようだ。
「一番の名物は、サバサンドだけど」
「サバサンド? サバにパンって、冗談だろ」
心底嫌そうな顔をするのが面白くて、セイラはひとしきりサバサンドの魅力について語った。
「本当に美味しいのよ。うちのお姉さん達だってみんな大好物なんだから」
「まあ、そんなに言うなら、今度試してみるかな」
たわいもない会話をしているうちに、料理は空になっていた。
食欲が満たされたら、次は性欲だ。
どんなに楽しくても、これは仕事だから。
セイラは手を拭き、口を清めると、ベッドの前に立った。
「そろそろ、する?」
小首を傾げて問うと、ヴィートは苦笑した。
「言っただろ、ガキには興味ねえって」
セイラはむっとする。
「だったらなんで指名したのよ。こっちだって商売なのよ。指名したからには、することして、お金払ってもらわなきゃ困るわ」
「心配しなくても、金ならちゃんと払うよ」
「意味わかんない。しないなら、なんで花街に来たのよ」
ヴィートは答えづらそうに頭を掻いた。
「あー。サル達の付き合い、かな。それに、おまえ、なんか面白そうだったし」
「ナニソレ」
「公衆の面前でパンツ見せるとか、面白すぎだろ」
ヴィートが思い出し笑いをする。
「パンツはぎりぎり出してないわ!」
セイラが膨れると、ヴィートはますます笑う。
強面なのに笑い上戸らしい。
「まあとにかく、セイラにもう一度会って、喋りたいと思ったんだよ。なんか、いいダチになれそうだと思ったんだ」
ダチ。友達。
セイラの辞書にはない言葉だ。
「サバサンド、波止場に街一番の屋台があるの」
突然サバの話をし始めたセイラに、ヴィートは首を傾げる。
「そこが一番美味しいの。サバが苦手な人でも食べられるくらい。だから、今度、連れていってあげても、いいけど」
友達なんていたことがないし、誰かをごはんに誘ったこともないので、めちゃめちゃ緊張した。
言い切ってそっぽを向くセイラに、ヴィートは優しく答えた。
「本当か? じゃあ連れてってくれ。でも、そんだけ言っといて美味くなかったら覚えてろよ」
冗談めかして言うヴィートに、言い返した。
「そっちこそ、美味しさにひれ伏さないようにね」
ヴィートからたんまりと支払いを受け取ったレディ・アンは上機嫌だった。
「あんた、いい客捕まえたじゃないか。若いしイケメンだし、金払いはいいし。あんないい男だったら、海賊でも大歓迎さ」
「レディ・アン、海賊ってどんな仕事をしてるの」
店を閉めた後の帳場である。レディ・アンは金勘定をする指を止めた。
「どんなって、そりゃあ色々さ。商船を襲って金と積荷を奪ったり、身代金目当てに船員を誘拐したり、小国の離島や街を襲って金品強奪したり、密輸に人身売買に、平気で人だって殺す。まあどっちにしろ、ロクな奴らじゃないよ」
セイラは表情を曇らせた。
ヴィートが、そんなことをしているとはとても思えない。想像できない。
「犯罪者ってこと?」
「難しい質問だね。国際的には海賊活動は認められてないけど、裏では海賊に金渡して、他国の商船襲わせてる国もあるからね。マリノもそうだよ」
レディ・アンは政治や経済にも明るい。お客さんから色々な話を聞き齧っているからだろう。
うつむくセイラの背を、レディ・アンは元気づけるように叩いた。
「なに暗い顔してんだよ。船乗りも束の間の休息だ、せいぜい楽しませてやらないと。またあのお客さんに来てもらって、たんまり稼ぐんだよ。今日は好きなだけ水を飲んでいいからさ」
「水?」
「いつもがぶ飲みしてるじゃないか」
セイラは喉を押さえた。
そういえば、今日は喉の渇きを覚えていない。
ヴィートと話すのに夢中で、食事の時もワインを1杯飲んだだけだ。
仕事の後は、いつも何か満たされない感じがして、身体にぽっかり穴が開いたみたいなのに。
今は、喉は潤っているし、心がほっこりと温かい。
なんだろう、これ。
セイラは首を傾げながら、帳場を出た。(続く)
あてどなく、どうしようもなく喉が渇いて。
渇いて、渇いて、仕方なかった。
その渇きを満たすものが何なのか。
それはまだ、知らなかった。
時は、本編の17年前にさかのぼる。
海の国マリノにある港町ポーティアック。その外れにある花街の娼館「鹿鳴館」の炊事場で、セイラは水差しの水をごくごくと飲んでいた。
水差しは空になり、お腹もたぷたぷなのに、それでも、まだ足りない気がする。
炊事場の前を通りかかったレディ・アンが、セイラを見つけて怒鳴った。
「セイラ! あんた、また水ばっかり飲んで」
セイラは肩をすくめる。
「だって喉が渇くんだもの。それに、水は美容にいいのよ」
「水だってただじゃないんだよ。最中にもよおしたら、お客さんが萎えちまう。水分は控えめにっていつも言ってるだろ」
「レディ」なんて名乗っているのに、レディ・アンの言葉遣いはまるでスラム街の女将さんだ。
これ以上怒鳴られるのはまっぴらと、セイラは炊事場を飛び出した。
「こら、どこ行くんだい」
「波止場で客引きしてくるわ」
「だったら、みんなの昼ごはんにサバサンドを買ってきておくれ」
レディ・アンは、懐から3千ギルを取り出した。
「分かったわ。お昼までには帰る」
鹿鳴館を飛び出し、大通りを走っていると、上から声が降ってきた。
「セイラ」
見上げると、「黒薔薇の館」の二階の窓から、少年が顔を覗かせている。男娼のレイだ。
「相変わらずはしたないな、大股広げて」
女の子のような綺麗な顔をしているのに、レイは意地悪だ。
「うるさいわね、今から港に行くんだから」
「おてんばは、客引きしないと客がつかないのか」
レイは16歳で、男娼の中では一番の売れっ子だ。手足も腰もほっそりとして、くやしいが、セイラより色気がある。
「ほっといてよ」
「せいぜい励むんだな。ボクは昨夜も忙しかったから、もう少し寝るよ」
「商売繁盛で結構ね!」
「港に行くなら、お昼にサバサンド買ってきてくれ」
「自分とこの男衆に頼みなさいよね」
セイラはいーだをして、大通りを駆けだした。
港の町ポーティアックには、海の国マリノ最大の港湾がある。港にも沖合にも、商船、漁船、海軍艦船、遊覧船と無数の船が停泊している。
平日の午前中。港は船員や商人で活気に満ちていて、まさに海の国の繁栄ここにありという様相だ。
港の広場には屋台が並んでいてちょっとした市場になっている。
セイラは小間物を物色しながらゆったりと歩く。
時折、男たちの視線が自分を掠めていくのが分かる。
セイラは15歳で、美少女だ。ピンク色の髪はふわふわと長くて、童顔で、大きな瞳はマゼンダ色。中産階級の素人娘っぽく見えるように、上品なワンピースを来て、つばの広い帽子を被っている。
「ねえねえカノジョ、ひとり?」
正面から歩いてきた3人組の男が声をかけてきた。
子ザル、イマドキ男子、農民。
セイラは見た目で渾名をつけた。タイプが違う3人組だが、身なりからするとおそらく海賊だ。
まあ、店に来てくれるなら誰だって構わない。
セイラは戸惑ったような仕草で控えめに頷いた。
「ええ、ひとりですけど」
「良かったら、お茶でもどっすか? お茶」
と子ザルが言えば、イマドキ男子が、
「俺たち今日入港したばっかで、このへん知らないんだよね。美味しいカフェ、教えてくれたら嬉しいなー」
海賊とカフェもいいかもしれない。
お茶と軽食をご馳走になって、夜は店に来てもらう段取りをつけて、サバサンドを買って、店に戻ればちょうどお昼だ。
「美味しいラテを出す店を知っているので、案内しましょうか」
そう言おうとした時、頭上から怒鳴り声が降ってきた。
「サル! ヴィンチ! 素人とガキには手え出すなっつったろ」
振り向くと、眼光鋭い男が立っている。背が高く、胸板が厚い。アッシュグレーの髪は短くて、堅そうだ。
「うわ、ヴィート! いつの間に!」
子ザルとイマドキ男子が目に見えてびびっている。農民は突っ立ったままだ。
「いつの間にじゃねえよ。遊びたいなら店で遊べ」
ヴィートと呼ばれた男は、ミントグリーンの瞳で3人をじろりと睨む。
「ごめんっすー。可愛い子がいたんでつい声かけちゃったっす」
「1カ月ぶりのオカで舞い上がっちゃてさ」
「俺は何も言ってない」
それぞれ捨て台詞を残すと、一目散に逃げてしまった。
「ったく、ついじゃねえよ」
ぼやきながら立ち去ろうとするヴィートの袖口を、セイラは掴んだ。
「なんだ?」
大人びているし貫禄もあるけど、この人、きっとまだ十代だ。
「邪魔するなんんてひどいじゃない。お兄さんが代わりに遊んでくれるの?」
セイラは拗ねたような表情で上目遣いをする。男はこの表情に弱い。
が、ヴィートはまるで興味がなさそうにセイラの手を振り払った。
「ガキには興味ねえ」
はああ?
その言いぐさに、セイラはアタマに来た。
往来なのも構わず、ワンピースの裾を膝上まで引き上げる。刺激的な色とデザインのガーターベルトと絶対領域が丸見えになった。
「アタシはガキでも素人でもないわよ!」
屋台のお兄さんたちがぴゅーっと口笛を吹いている。セイラはそちらにウィンクを送る。
唖然としたようにセイラを見ていたヴィートだが、突然笑い出した。
強面なのに、笑うと子供みたいだ。
「おまえ、面白いな」
ひとしきり笑うと、ヴィートは、セイラの頭をぽんぽんと叩いた。
「俺はヴィート。そこに泊まってる「ラトゥ・ブラン号」って船の船員だ」
「船員って、海賊でしょ」
「そうとも言うな」
カマをかけると、ヴィートはあっさりと認めた。
「あたしはセイラ。街の外れの花街で働いてる」
「自己紹介の前に、スカートおろせよ」
日が落ちると、花街には桃色のランプが灯り、昼間とは別世界になる。
水が打たれた石畳の上を大勢の男たちが行き交い、両側に立ち並ぶ娼館を物色していく。
花街の娼館はそれぞれに趣向を凝らしている。年増、ロリコン、SM、男娼、何でもありだ。
セイラの店は、「鹿鳴館」の名の通り、淑女「風」を売り物にしている。セイラたち娼婦は、貴族が着るようなフリルとレース満載のドレスを着させられているが、生地の質が悪いのでいかんせん安っぽい。
店主のレディ・アンは、「そのニセモノっぽさがまたエッチなのよ」などと言っているが。
夜の早い時間は、まだ客足が少ない。
セイラは、既に客がついたお姉さん達のヘルプとして、各部屋でお酌をして回っていたが、小一時間経ったところでレディ・アンが呼びに来た。
「セイラ、ご指名だ。上客だからよろしくね。ダリアだよ」
「はあい」
身なりを整えてから、ダリアの間の扉を開いたセイラは、ぎょっとした。
「ヴィート!?」
「よう」
貴族風偽物アール・デコ調の部屋で、ソファに座っていたヴィートが片手を挙げた。
「座れよ」
相手は客である。セイラは大人しくヴィートの向かいに座った。
昼間と同じ、こげ茶の皮のズボンにブーツ、袖がふわりとした白シャツを着ている。腰には、繊細な装飾がなされた短剣が下がっている。
「女、買うのね」
セイラは言った。
「男だからな」
「ガキは興味ないんじゃないの」
「興味ないな。まあ、食え」
ヴィートは、コーヒーテーブルにずらりと並んだ料理を差した。
ハーブサラダ、レンズ豆のスープ、ひな鳥のソテー、海老のカクテル、チーズとサラミの盛り合わせ、イチゴのケーキ。それにどっさりのパンとワイン。
売春が目的の娼館で、こんなに料理を注文してくれる人は珍しい。食事と酒は利ざやが大きいので、レディ・アンが「上客」と言うのも頷けた。
ヴィートは手づかみで海老のカクテルを摘み、さらにひな鳥のソテーにかぶりつく。バターをたっぷり乗せたパンを頬張り、ワインをするすると流し込む。
「食えって」
気持ちよいほどの食べっぷりを呆然と見ていたセイラの口元に、ヴィートが海老を差し出した。
思わず口を開けると、海老が差し込まれる。
「あ、おい、尻尾は食うなよ」
なんだか恥ずかしかったが、ヴィートの指先の前で、海老を噛み切った。
白ワインとレモンの香りが口いっぱいに広がる。。
「美味しい」
「港町だけあって、魚介はうまいな」
ヴィートがにっと笑う。
そうやって笑うと、大人びた表情が消えて、子供のようだ。
「一番の名物は、サバサンドだけど」
「サバサンド? サバにパンって、冗談だろ」
心底嫌そうな顔をするのが面白くて、セイラはひとしきりサバサンドの魅力について語った。
「本当に美味しいのよ。うちのお姉さん達だってみんな大好物なんだから」
「まあ、そんなに言うなら、今度試してみるかな」
たわいもない会話をしているうちに、料理は空になっていた。
食欲が満たされたら、次は性欲だ。
どんなに楽しくても、これは仕事だから。
セイラは手を拭き、口を清めると、ベッドの前に立った。
「そろそろ、する?」
小首を傾げて問うと、ヴィートは苦笑した。
「言っただろ、ガキには興味ねえって」
セイラはむっとする。
「だったらなんで指名したのよ。こっちだって商売なのよ。指名したからには、することして、お金払ってもらわなきゃ困るわ」
「心配しなくても、金ならちゃんと払うよ」
「意味わかんない。しないなら、なんで花街に来たのよ」
ヴィートは答えづらそうに頭を掻いた。
「あー。サル達の付き合い、かな。それに、おまえ、なんか面白そうだったし」
「ナニソレ」
「公衆の面前でパンツ見せるとか、面白すぎだろ」
ヴィートが思い出し笑いをする。
「パンツはぎりぎり出してないわ!」
セイラが膨れると、ヴィートはますます笑う。
強面なのに笑い上戸らしい。
「まあとにかく、セイラにもう一度会って、喋りたいと思ったんだよ。なんか、いいダチになれそうだと思ったんだ」
ダチ。友達。
セイラの辞書にはない言葉だ。
「サバサンド、波止場に街一番の屋台があるの」
突然サバの話をし始めたセイラに、ヴィートは首を傾げる。
「そこが一番美味しいの。サバが苦手な人でも食べられるくらい。だから、今度、連れていってあげても、いいけど」
友達なんていたことがないし、誰かをごはんに誘ったこともないので、めちゃめちゃ緊張した。
言い切ってそっぽを向くセイラに、ヴィートは優しく答えた。
「本当か? じゃあ連れてってくれ。でも、そんだけ言っといて美味くなかったら覚えてろよ」
冗談めかして言うヴィートに、言い返した。
「そっちこそ、美味しさにひれ伏さないようにね」
ヴィートからたんまりと支払いを受け取ったレディ・アンは上機嫌だった。
「あんた、いい客捕まえたじゃないか。若いしイケメンだし、金払いはいいし。あんないい男だったら、海賊でも大歓迎さ」
「レディ・アン、海賊ってどんな仕事をしてるの」
店を閉めた後の帳場である。レディ・アンは金勘定をする指を止めた。
「どんなって、そりゃあ色々さ。商船を襲って金と積荷を奪ったり、身代金目当てに船員を誘拐したり、小国の離島や街を襲って金品強奪したり、密輸に人身売買に、平気で人だって殺す。まあどっちにしろ、ロクな奴らじゃないよ」
セイラは表情を曇らせた。
ヴィートが、そんなことをしているとはとても思えない。想像できない。
「犯罪者ってこと?」
「難しい質問だね。国際的には海賊活動は認められてないけど、裏では海賊に金渡して、他国の商船襲わせてる国もあるからね。マリノもそうだよ」
レディ・アンは政治や経済にも明るい。お客さんから色々な話を聞き齧っているからだろう。
うつむくセイラの背を、レディ・アンは元気づけるように叩いた。
「なに暗い顔してんだよ。船乗りも束の間の休息だ、せいぜい楽しませてやらないと。またあのお客さんに来てもらって、たんまり稼ぐんだよ。今日は好きなだけ水を飲んでいいからさ」
「水?」
「いつもがぶ飲みしてるじゃないか」
セイラは喉を押さえた。
そういえば、今日は喉の渇きを覚えていない。
ヴィートと話すのに夢中で、食事の時もワインを1杯飲んだだけだ。
仕事の後は、いつも何か満たされない感じがして、身体にぽっかり穴が開いたみたいなのに。
今は、喉は潤っているし、心がほっこりと温かい。
なんだろう、これ。
セイラは首を傾げながら、帳場を出た。(続く)
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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