アクアイル王国物語

ナムラケイ

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盗賊エルピーディオ、非行に走る。2

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 ロキは柄杓を投げ捨てた。
 水しぶきが飛び散る。
「うるせえよ! あんたがあいつの話をするな!」
 二十代の男の怒声なんて怖くも何ともない。
 レベッカは腕を組んだまま続けた。
「置いていかれたから、怒っているの?」
「あいつは勝手に出ていった。俺らを裏切って、さっさと一人で脱退しやがって」
「一緒に行こうって誘ってもらえると思ってたの? 馬鹿らしい、仲良しごっこじゃないんだから」
「うるせえ! 大体あんたなんなんだよ。俺が他の女と遊んでんの知ってんだろ。あんたが働いた金で、他の女とメシ食って酒飲んでセックスしてんだぜ。なんで何も言わねーんだよ!」
 苛立ちをぶつけてくるエルに、レベッカは静かに言った。
「悪さをして叱ってもらえるのは子供だけよ」

 エルの顔がさっと赤くなった。
 それは、羞恥の色だ。

 可哀想で馬鹿な男。
 レベッカは薄く笑う。

 エルはレベッカの両手首を掴んでキッチンの壁に押し付けた。
 背中に痛みが走りレベッカは顔を歪める。
 気力や口で勝つのは容易くても、力では絶対に勝てない。
 男女の肉体の差は、どうやったって超えることなんてできない。
 月が月であり、太陽が太陽でしかないように。
 だからこそ、私たちは自分と違う肉体を持つものを愛しく思うのだ。
 
 力任せに深く口づけられる。
 レベッカはやるせない思いでエルを受け入れる。
 こんなことをしても何にもならないのに。
 本当に、馬鹿なんだから。

 顔は見えないが、きっと泣いているのだろう。
 痛みと快感のせめぎあいの中で、レベッカは、彼が私を抱いているのではなく、私が彼を抱いているのだと思った。



 翌日は大雨だった。
「お待たせしました。木の実のタルトとロイヤルジンジャーミルクティー、木苺のシャーベットとすみれの紅茶です」
 客足が少ない店内。
 薬師のニーナと道具屋のティトは、窓際の席で、降りしきる雨を見ながら楽しそうに談笑している。

 二人ともレベッカと同じアクアイル商工会のメンバーで、特にニーナは良くお酒を飲みに行く中だ。
 クールビューティと名高い友人が彼氏の前では幸せそうに微笑んでいるのを見ると、あたたかな気持ちになると同時に、自分とエルもいつかこんな風に穏やかに笑い合えるのだろうかとつらくなる。 

「これ、どうしたの?」
 ケーキ皿をサーブするレベッカの手首を、ニーナが目ざとく見つけた。
 昨夜、エルに強く握られたせいで、赤い輪のようなアザが出来ている。
 隠すように長袖を着ていたが、薬師の目は誤魔化せなかったらしい。
「ちょっと、激しいプレイをしただけよ」
 冗談めかしてウィンクをしたが、ニーナは固い表情で、バッグから小さな木製の容器を取り出した。
「内出血に効く軟膏よ。一日5~6回、擦り込むように塗るといいわ」
「・・ありがとう」
 レベッカは素直に受け取った。

「お節介を承知で聞くけど、エルピーディオは大丈夫なの?」
 平和なアクアイルでは噂は千里を走る。ロキとエルの脱退と「黒い蛙」没落の話は、今やアクアイルの住人なら誰でも知っている。
 レベッカは肩をすくめた。
「まだ荒れてる。彼が自分で解決するしかない問題だもの。その時が来るまで、私はそばにいるだけよ」

 人生は綺麗な場面ばかりじゃない。
 抜け出したくても抜け出せない蟻地獄に足を絡められてしまう時もある。
 そんな時、一本でも救いの糸があれば、希望はあると思うのだ。

「話ならいつでも聞くから」
「ありがと」

「えええっ! エルピーディオって「黒い蛙」脱退した盗賊のですよね。レベッカさんの彼氏ってエルピーディオだったんですか?」
 女性二人のやりとりを聞いていたティトが、突然素っ頓狂な声を上げた。
「ニーナ、ティトに私とエルの話してないの?」
「いくら彼氏だからって、親友の話をべらべら喋ったりしないわよ。だけど、あなたたたちのことはこの街では周知の事実だから、てっきり知ってるとばかり」
「いや、俺は全然知らなかったです」
「商売には情報収集も大事だって常日頃から言ってるじゃない。だから私のお店にお客様取られるのよ」
 ニーナは呆れ顔だ。
「その言いぐさはひどいだろ、ニーナ。じゃなくて! そんな話は今はどうでもよくて。レベッカさん、先週うちに買い物に来てくれましたよね。レベッカさんが帰ったすぐ後くらいにロキさんが来たんです」

「本当?」
 レベッカは仕事中なのを忘れて身を乗り出す。
「足を引きずってるみたいだったんで、ニーナの店で薬を調合してもらうよう勧めたんですけど」
「うちには来なかったわ。ティト、どうしてもっと早く言わないのよ」
「だから、ロキの相棒がレベッカさんの彼氏さんだなんて知らなかったんだって」

「ロキは、ニーナが私と仲良いの知ってるから。ニーナの店に行ったことがエルに伝わると思ったのかも。ティト、ロキは、今どこに住んでるとか言ってなかった?」
「そんなプライベートな話しませんよ。あ、ただ、寒冷地用のさらし布とか保温玉とか買ってったんで、どこか寒いとこに行くんだと思います」
 今は収穫の月。初夏だ。
 光の大陸でこの時期に寒いところといったら、南方の氷の国、フロストベルクしかない。


 レベッカは、各テーブルのカスターセットを補充していたいがぐり頭のバイト君を見た。
 3人の話を聞いていたのだろう。バイト君は幼い顔に不服そうな表情を浮かべていたが、すぐに大きくため息をついた。
「ドアにクローズドの札かけて行ってくださいね。僕はサンドイッチしか作れませんから」
「ありがとう」
 エプロンを外すと、レベッカは傘も差さずに雨の中へ飛び出した。
 

 ロキはフロストベルクへ向かったらしい。
 レベッカがそう告げると、エルは何も言わずに部屋を出て行った。


 ロキを追いかけて行ったのだろう。
 きっともう戻っては来ない。

 そう思っていたが、3日後にエルはレベッカのカフェに現れた。
 その姿を見て、レベッカは目を見張った。

 コールブラック・メイルに黒革のブーツ、指には金の指輪。頭にはターバンを巻き、腰には蒼玉のダガーを差している。
 盗賊のフル装備だ。
 ぎりぎりまで研いだナイフのような細身の身体に、漆黒の衣装はとてもよく似合う。
 
 レベッカの胸が高鳴る。涙が出そうだった。

 エルは懐から紙片を取り出すと、レベッカに手渡した。
 紙にはいくつもの数字が並んでいる。
「俺がいままで借りた金と返済計画。抜けがあったら教えてほしい」
 レベッカは驚いてエルを見る。
 真剣な表情。一皮剥けたような精悍な顔立ちだ。眼差しに透徹な鋭さが宿っている。

 ぞくりとした。
 やっぱり、私の男は世界一いい男だ。

「それは、またここに帰ってくるということ?」
「必ず帰ってくる。あんたが俺を待っていなくても、許してくれなくても」
 
 レベッカは口元を覆った。

 その言葉だけで、私は彼がいない時間も幸福に過ごすことができる。
 
「おい、泣くなよ。店ん中だぞ」
 涙が止まらなかった。
 エルが慌てているのがおかしくて、泣きながら笑ってしまった。

「金利が入ってないわよ」
 涙をぬぐいながらレベッカが揶揄うと、エルは困ったように笑った。
 久しぶりに見る彼の笑顔だった。

 ごほん!
 咳払いをしたのはバイト君だ。

「レベッカさん、お客様の前でラブシーンは止めてください。続きは二階か外でどうぞ」
 それから、バイト君は、手に持っていた紙袋をエルに向かって突き出した。
「餞別!」
 エルが受け取った紙袋を二人で覗き込むと、たまごサンドがどっさりと入っている。
 彼が作れる唯一の料理だ。
 バターとマヨネーズ、パンの匂いがふんわりと漂う。幸せの匂いだ。

「サンキューな、坊主」
 エルがいがくり頭をぐりぐりと撫でると、
「坊主って言うな!」
 バイト君は顔を真っ赤にしてフロアに戻っていった。


「ロキによろしく伝えてね」
 カフェの外で別れのキスをした後、レベッカがそう言うと、エルは楽しそうに笑った。
「言わねーよ、よろしくなんて。あいつ、俺を置いて勝手に出ていきやがって。見つけたらフルボッコにしてやる!」

(了)
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