アクアイル王国物語

ナムラケイ

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死刑執行人ルヴァスール、星降る夜に願う。1

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 毎月第1火曜日の朝。
 王宮都市アクアイルの外れにある「嘆きの広場」は、見物人で溢れかえる。
 広場中央の高台には木製の首吊り台。
 両手を革紐で繋がれた死刑囚が、看守に導かれて処刑台へ昇る。
 罪人を目にした民衆の声が広場を包む。
 揺れるような罵声、歓声、嬌声。

 死刑執行人ルヴァスールは、布袋に包まれた死刑囚の頭に布紐をかける。
 死刑囚の体重と身長を鑑みて慎重に長さを決めた、太い紐。
 死刑囚が命乞いをしたり暴れることはほとんどない。
 誰もが、いっそ清々しいまでの潔さで刑を受ける。
 ルヴァスールは懐中時計を確認した。
 その仕草は、広場に束の間の静寂をもたらす。

 秒針が動く。
 午前9時。
 ルヴァスールは処刑台の取っ手を引き、足台を落下させた。
 死刑囚の身体は勢いよく落下する。揺れはなかなか止まらない。
 立ち合いの医師がその死を確認すると、民衆はまた湧き上がる。
 処刑が行われる日の空はいつもどんよりと暗く重い。
 神が憂えているのだとルヴァスールは思う。
 毎月第1火曜日の午後、処刑への歓喜を恥じるかのように、その残酷さを思い出すかのように、重苦しい空気が街を支配する。

 
 ルヴァスールは、王宮の一角に研究室を与えられており、処刑が無い日は、そこで医学の研究に精を出す。
 王宮の医師達と共に、引き取り手のない死刑囚の遺体を用いて解剖実験を行うこともある。
 ルヴァスールが王宮の廊下を歩く時、すれ違う者は皆、視線を落とし頭を下げる。
 代々死刑執行人を務めるルヴァスール家は貴族であり、王宮都市の一等地に広大な屋敷を与えられている。身分は高い。財産もある。
 けれど、誰が好んで殺人者と親しくなりたいと考えるだろう。

 2年前、父親の死により17歳で死刑執行人を拝命したルヴァスールは、深くかぶったフードで顔を隠し、回廊を足早に歩く。

「あ、ごめんなさい!」
 曲がり角から飛び出してきた少女とぶつかりそうになり、ルヴァスールは歩みを止めた。
 少女が抱える大きな籠には、バゲットが詰め込まれている。
 香ばしい匂いがぷんと漂った。
「良い香りだ」
 思わず口走ると、少女は微笑んだ。
 15歳くらいの化粧っけのない小柄な娘だ。
「でしょう? 焼きたてなのよ。厨房のジュリエットさんって方にお届けしたいんだけど、場所が分からなくて」
 なるほど、少女の胸元には出入り業者を示す木札が揺れている。
「厨房なら、その角を曲がって、階段を下りた後、左手の廊下をまっすぐに進んで」
 ルヴァスールの説明に、少女は盛大に顔をしかめた。
「うーん、覚えられない、そんなの。案内してくれない?」
「え」
「あ、忙しい?」
 そうではないが。
「僕と歩いているのは良くない」
 それを聞いた少女はぷっと吹き出す。
「なにそれ。あなた、手を繋ぐだけで相手を妊娠させちゃうような人? いいから、早く行きましょう。折角のパンが冷めちゃう」
 何やら賑やかしい娘だ。
 仕方なく、ルヴァスールは弾むように歩く小柄な後ろ姿を追った。


 厨房付王宮女官のジュリエットは、死刑執行人とパン屋の娘というコンビに驚いたようだったが、すぐに笑顔でバゲットを受け取った。
「そっか、今日から新しい業者さんだったわね」
「はい、マリアと言います。ひと月ほど前に店を開いて、王宮にもお買い上げいただくことになりました」
「初めてなのに、門まで迎えにいかなくてごめんなさいね。迷わなかった?」
「こちらの方に案内していただきましたから」
 少女ははきはきと答える。
「お昼、まだでしょう?」
 マリアが頷くと、ジュリエットは受け取ったばかりのバゲットを一本取ると、ナイフで切り込みをいれ、たっぷりのバターを塗り、レタスとチーズとスライスオニオン、サーモンを挟み込んだ。
 手際が良い。
 出来上がったバゲットサンドを半分に切り、マリアとルヴァスールに差し出してくる。
「これは、お出迎えを忘れたお詫びと、マリアさんを案内してくれたお礼。どうぞ」
「美味しそう! ありがとうございます」
 マリアはぺこりと頭を下げ、勢いで受け取ってしまったもののどうしたものかと躊躇っているルヴァスールに言った。
「人の好意は素直に受け取るものよ!」
 注意され、ルヴァスールは慌てて頭を下げる。
「ありがとうございます。いただきます」


 王宮の裏庭のベンチに腰を下ろし―ルヴァスールは自室で食べるつもりだったが、外で食べた方が美味しいと言い張るマリアの押しに負けた―、二人はバゲットにかぶりついた。
「美味しい」
 声が重なり、ルヴァスールは苦笑する。
 家族以外の誰かと食事をするのはいつぶりだろうか。
「私はマリア。あんたは?」
「・・・メル」
 咄嗟に、普段は使うことのないファーストネームを名乗った。
 ルヴァスールの名は、それ自体が死刑執行人を意味する。
 家業を恥じているわけではないが、何故だかこの少女には知られたくなかった。
「なんだか可愛い名前ね」
 マリアはそう言って、バゲットを口いっぱいに頬張る。
 どこか田舎の出身なのだろう。
 食べ方も、言葉遣いやアクセントも、王宮都市で生まれ育った娘たちとは違う。
 上品さに欠ける分、体中から溌剌としたエネルギーが漲っているようだ。

「あ、月」
 食べ終えたマリアが不意に空を指さした。
 見上げると、薄いブルーの空に白い三日月が浮かんでいる。
「真昼の月だ」
「お昼に月が見えるなんて不思議」
「不思議でも何でもないよ。太陽の光を反射して輝いているだけだ」
「詳しいのね。あ、もしかして天文学者さん?」
「なりたかったけどね」
 会ったばかりのよく知らない相手に、自分の心の内をあっさり見せてしまった自分に、ルヴァスールは驚く。
 こんなことを誰かに言ったのは初めてだった。
「月や星が好きなの?」
「毎晩、星を見るよ」
 ルヴァスールは王宮の塔の向こうに広がる青空を見上げる。
 昼間は見えなくとも、星々はいつだって空の向こうにある。
「どこで? 王宮都市は夜も明るいから、そんなに見えないんじゃない?」
「魔法学校の天文台。特別に使わせてもらっているんだ」
「いいなあ、王宮の偉い方は特別扱いで」
「違うよ。用務員がたまたま知り合いなだけさ。僕が偉いからではないよ」
「じゃあ、今度私も連れていってくれる?」
「いいよ」
 その申し出を社交辞令と捉え、ルヴァスールは請け負った。


 翌日の夕方。
 仕事を終えて帰り支度をしていたルヴァスールの部屋に、マリアがやってきた。
「どうしたんだい? また道に迷ったわけじゃないだろう」
「今日は配達はないわよ。天文台、連れて行ってくれるんでしょう?」
「本気だったの?」
「どういう意味?」
 マリアの逆質問に、ルヴァスールは返答に困る。
「ほら、仕事は終わりでしょ。早く行きましょう」
 マリアは、コート掛けからマントを取ると、背伸びをしてルヴァスールの肩にかぶせた。


「こんばんは。可愛いお嬢さんですね」
 アクアイル王立魔法学校の用務員ジョンはマリアに笑いかけると、それ以上は何も問いたださず、いつものように天文台の鍵を開けてくれた。
 ジョンは元来物静かで地味な男だが、何か良いことでもあったのだろうか、最近は笑うことが多くなった。

「うっわああ!」
 魔法学校が誇る高性能の望遠鏡を覗き込んだマリアは、大きな歓声を上げ、その後は夢中でレンズを覗き込んだ。
「北の方角に、ひときわ明るい大きな星があるだろう。その星と、その右下の赤い星、その更に右下の青い星を結ぶ線が、暁の女神座。そのすぐ横にあるのが、ぶどう座」
 ルヴァスールは横で星座の解説をしてやる。
「バゲット座とか、白パン座はないの?」
「残念ながら。あ、でも、小麦座はあるよ」
「え、どれどれ?」
 マリアは飽きることを知らずに望遠鏡を動かし、ルヴァスールは得意になって、古代から伝わる月や星の物語を紡ぐ。


 その日から、二人は度々天文台で夜のひとときを過ごすようになった。
 天文台に行く日は、マリアはパンの配達を終えた後、王宮内の図書館でルヴァスールの仕事が終わるのを待っている。
 王宮図書館は部外者には開放されていないが、図書館長のシモンが特別に取り計らってくれたようだ。
 シモンは金髪碧眼の絵に描いたような美形の男だが、滅多に笑わず仕事ぶりが厳しいことで有名である。
 人懐っこいマリアは、そんなシモンともすぐに打ち解けたらしい。
 仕事を終えてルヴァスールが図書館にマリアを迎えに行くと、二人が談笑していることも多い。
 それが、何となく面白くない今日この頃のルヴァスールである。
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