アクアイル王国物語

ナムラケイ

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魔法学校用務員ジョン、青春を思い出す。

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 朝6時。
 アクアイル王立魔法学校の用務員ジョンは、ベッドから起き出すと、顔を洗って作業着に着替えた。
 玄関前にどさりと置かれた新聞を抱え上げ、男子寮、女子寮、校長室、教頭室、職員室、談話室へと配り歩き、校内食堂へ向かった。
 生徒の朝食は7時からなので、食堂の長いテーブルには早起きの教員がぱらぱらといるのみだ。
 食事はビュッフェスタイル。
 トマト味の食パンを焼いている間に、木皿に温野菜のサラダと半熟ゆで卵を乗せる。
 カウンターの大皿にはベーコンやソーセージ、ハッシュドポテトやベイクドビーンズも用意されているが、齢50歳を迎えようとしている老体には脂っこすぎる。

「絞り立てだよ」
 食堂のおばちゃんが、オレンジジュースがたっぷり入った壺を指さしてくれるが、冷たいものはお腹を冷やすのでやめておく。
 もそもそと食事をしている間、何人かの教員が出入りし、その度にジョンに軽く会釈をしていく。
 大きな声で挨拶をしたり、世間話をしたりはしない。


 食事を終えた後は、用務員室へ戻り今日の作業を確認する。
 魔法学校では掃除やゴミ集めは生徒による当番制なので、用務員の主な仕事は不具合箇所の修理だ。
 授業中、魔法に失敗した生徒が教室のあちらこちらを焦がしたり壊したり砂まみれにするので、毎日が破壊と補修のいたちごっこだ。
 修復箇所は昨晩のうちに確認しておいたので、授業の時間割と照らし合わせながら、大体のスケジュールを組んだ。
 修理道具を整えている間に、週1回の宅配便が来たので荷物を受け取る。台車に荷物を載せ、男子寮、女子寮、教員室へと配り歩かねばならない。

 男子寮の玄関の片隅で大量の荷物の仕分けをしていると、生徒たちがばたばたと降りてきた。
「腹減ったー」
「今日のメシってなんだっけ」
「火曜だからトマト食パンだろ」
「げ。苦手なやつだ。シリアルにすっかなー」
「てか。今日伝心魔法のテストだろ。食欲なくすわ」
 少年たちは賑やかに喋りながら玄関を飛び出していく。
 ジョンのことは見向きもせず挨拶もしないが、いつものことだ。
 ジョンが用務員だから軽んじられているのではない。
 自分は空気のような存在なのだとジョンは思っている。
 子供の頃も学生の頃も社会人になってからも、家族といても友達の輪の中にいても、ジョンは存在感が希薄な人間だった。
 好かれも疎まれもしない存在。
 ジョンはいつどこにいてもそういう立ち位置だった。
 
 しかし、今週は荷物が多いな。
 熱の月に入って急に暑くなったので、家族が夏用の衣料や涼菓を子供たちに送ってきたのだろう。
 腰を痛めないようにしないとな。
「あ、それ俺宛。持ってっていいですか」
 木箱のひとつを指さして訊いてきたのは、整った顔立ちをした利発そうな少年だった。
 成績優秀でいつも人の輪にいるその少年は、1年1組副委員長の召喚士のミスカだ。
 ジョンが返事をする前に、ミスカはその箱を脇へ除け、他の荷物送り状を手早く捲った。
「シリー、ねーちゃんから荷物届いてる。持ってけよ。サクゾー、おまえのもあるぞ。あ、同室のガリエルの分もついでに頼む」
 玄関を通り過ぎようとしていた生徒たちが、ミスカに呼び止められ、立ち止まる。
 荷物の各室への配達は用務員の仕事だし、朝食前の慌ただしい時間だというのに、生徒たちは嫌な顔もせずに、
「なんだミスカ、いつから配送屋になったんだよ」
 と軽口を叩きながら荷物を取っていく。
「ミスカ、俺のもあるか?」
「お、カジョ。おまえには、あったこれだな。あれ、女の子からじゃん」
「ふふん」
 嬉しそうに紙袋を受け取ったカジョはそれを腕にかけ、残りの荷物の中から重そうな木箱を持ち上げた。
「これ、隣のモリッキオのだからついでに持ってくな。あいつ昨日から熱出して寝込んでんだ」
 気づけば、台車には小ぶりな紙箱が5つ残るのみだ。
「ありがとう、助かったよ」
 ジョンが礼を述べると、ミスカは爽やかな笑顔を見せた。
「自分たちの荷物ですから」
 ミスカは、部屋に荷物を置いて再び駆け下りてきた生徒たちと一緒に、じゃれ合いながら、まばゆい朝の光の中へ飛び出していく。

 その少年たちの後ろ姿が、ジョンの目にはとても眩しい。
 友達と肩を叩き合いながら、教室へ向かう。
 その何気ない一瞬こそが青春なのだと、気づくことができるのは大人になってからだ。 


 荷物を配達し終わり、ピロティーの掲示物を張り替え、魔法薬学教室の焦げた壁紙を修復し、裏庭のベンチのペンキを塗り替えると、午後1時近くになっていた。
 魔法学校には天文塔と呼ばれる高い塔がある。
 ジョンは用務員用のマスターキーを塔の扉の鍵穴に差し込み、首を傾げた。
 開いている。
 昨日、締め忘れたのかもしれないな、生徒が昇ると危険だから気を付けないと、などと思いながら螺旋上の階段をゆっくり昇っていく。
 天文塔の上から魔法学校の敷地を眺めながら、食堂のおばちゃんが余り物で作ってくれるサンドイッチを食べるのが日課なのだ。
 毎日昇っているというのに、半分を過ぎたところで、息が切れ出し、膝が痛んでくる。
 ようやく上まで登り切ると、円柱に囲まれた円形のフロアに、先客がいた。

 ほっそりとした女性が、床に座って食事をしていた。
 陽光を避けてか、影を作る円柱にもたれている。
 白銀の賢者服の上で、ゆるいウェーブの髪が風を受けて揺れている。
 穢れのない女神のような印象なのに、咀嚼する口元にはどこか色気がある。
 新任の女性教師だ。名前は、キリエ先生、だったか。
 
 突っ立っているジョンにキリエは微笑んだ。
「ジョンさんもお昼ですか?」
 ジョンはどきりとして、すぐに嬉しくなった。
 普段は教職員からも生徒からも「用務員さん」と呼ばれているので、名前を呼ばれることなど滅多にないのだ。
 にやけそうになった顔を慌てて戻した。
「昨日は鍵をかけ忘れたのですが、ここは立入禁止ですよ」
「かけ忘れていませんでしたよ」
 キリエは悪戯っぽく笑った。
 天文塔の鍵は天文学の担当教師と警備員、用務員のジョンしか持っていない。
 おそらく、魔法で開錠したのだろう。
「それに、ジョンさんだってここでお昼を食べているんでしょう?」
 キリエがあまりにも悪びれずに笑っているので、ジョンはそれ以上は責めるのをやめた。
「登りたい時は、勝手に開けずに私に教えてください」
 

 ジョンはキリエからやや距離を置いた位置に座り、紙袋を開いた。
 バターを塗ったバゲットにチーズとハムを挟んだだけの簡素なものだが、これで十分だ。紙袋には、バゲットの他にナツメヤシも入っている。
 キリエの膝の上には、食パンを使ったサンドイッチがある。卵、サーモン、キュウリ、トマト、レタス、ポテトサラダ、サーモンと一切れ毎に具材が違っていて、その彩りがいかにも美味しそうだ。
「どうぞ」
 キリエのほっそりした指が、キュウリとトマトのサンドイッチを一切れ差し出してきた。
「え、いや。結構です」
 突然のことに、ジョンは慌てて遠慮する。
「そうおっしゃらず。野菜も採った方がいいですよ」
 キリエが更に勧めてくるので、ジョンは頭に手をやりながら、礼を言って受け取った。
 食堂のおばちゃんは別として、女性の手作りの弁当を食べるなど何年振り、いや何十年ぶりだろう。
 そっと噛んだサンドイッチはやわらかく、新鮮な野菜の栄養が体中に行き渡るようだった。
「うまい、です」
 ジョンの言葉にキリエはにっこりとし、上を振り仰いだ。
 
 ドーム型の天井は中央部に円形の穴があり、青空が丸く切り取られている。
 真夏を間近に控えた濃く青い空だ。
「いいお天気ですね」
「はい」
 気の利いた答えを見つけることができず、ジョンはただ短く同意した。
 横を見遣ると、キリエは気持ちよさそうに目を細めながらサンドイッチを口に運んでいる。

 ジョンは、心臓の鼓動が普段の何倍も速くなっていることを感じる。
 48にもなって、こんな若い女性相手に何を緊張してるんだ、俺は。
 そう諫めてはみるものの、どきどきが止まることはない。
 学生時代に、当時好きだった女の子と初めて食事をした時のことを不意に思い出した。
 あの時も、緊張して上手く会話ができず、結局2度目の食事をする機会は訪れなかった。

「あ、あの、すみません。なんか、面白い話もできなくて」
 ジョンが口ごもりながら詫びると、キリエはきょとんとして、それから相好を崩した。
「話なんてしなくていいですよ。風は気持ちいいし、ごはんは美味しいし、一緒に食べる相手はいるし。それだけで十分です」
 その言葉が真実のものかは分からなかったが、ジョンの心は軽くなる。
 二人はゆっくりと流れる上空の風を受けながら、それぞれの食事を終えた。


 昼食のあとは、用務員室で休憩をしつつ、日誌を付けたり、書類仕事をしたり、修繕要望書に目を通す。
 最後の授業の終了を知らせる鐘が鳴ってからしばらくの後、二人の女子生徒が用務員室の扉を開いた。
「用務員さん、ごめんなさい、さっきの授業で床のタイル割っちゃったんです」
 ぺこりと頭を下げたのは、黒魔術師見習いのルチアだ。
 金髪ロングヘアに、ばっちりと化粧をした大人っぽい女子生徒だ。
 いつも、彼女を真似た髪型と化粧の女子を引き連れていて、いわゆるスクールカーストの上位にいるような子だ。
 が、今日ルチアの隣にいるのは、赤毛のおさげに眼鏡の大人しそうな女の子だった。
「私からもごめんなさい。ルチアが呪文を唱えている時に、私が横で別の呪文を唱えてしまったので、ルチアが唱え間違えてしまったんです」
 詫びる女の子の横で、ルチアは、
「別にアガサのせいじゃないわよ」
 と言い、アガサの肩をぽんと叩いている。
 全く雰囲気が違うのに、二人は仲が良さそうだ。

 ジョンは、引出しから修理申請書を出して渡した。
「これに記入して、先生の署名を貰ってくるように。先生は誰だったの?」
「キリエ先生です」
 ルチアの答えに、ジョンの胸がどくんと弾む。
「用務員さん、顔、赤いですよ?」
 アガサが心配そうに見てくる。
「あ、もしかして、キリエ先生のこと?」
 なんでも恋愛沙汰にしたがる十代の女の子の特権とばかりに、ルチアがストレートに訊いてくる。
「何を言ってるんだ。ほら、早く行きなさい」
 ジョンは、自分でも熱くなっていると分かる顔をこれ以上見られたくなくて、二人を追い出した。
 
 再び一人きりになった用務員室で、ジョンは頬杖をついた。
 恋とか一目惚れとかじゃない。
 ただ、久しぶりに魅力的な女性と優しい時間を過ごして、ときめいてしまっただけだ。
「いいじゃないか」
 ジョンは書きかけの日誌にむかって呟く。
 何歳になっても、オヤジになっても、ときめいたっていいじゃないか。(了)

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