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薬師ニーナ、旅にあこがれる。
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薬の調合は錬金術だ。
量と重さを正確に測った材料が、鍋の中で一定の時間、一定の温度で混ざりあい、最大限に反応しあって、ひとつの薬に生まれ変わる。
ひいひいひいひいひいおばあちゃんから代々伝わっている薬のレシピはすべて頭に入っているけれど、ひいひいひいひいひいおばあちゃんの頃とは、気候も自然資源も人々の体質も変わってきているので、薬師ニーナは既存のレシピに日々改良を加えている。
カナキパ族の村へ向かうという旅の騎士から依頼された毒消薬の調合を終え、出来立てほやほやの薬を鍋からガラス瓶に移し入れると、コルクで蓋をする。
後片付けをしていると、店の扉が開いた。
閉店時間は過ぎているので、準備中の札はかけていたはずだ。
「ごめんなさい。今日はもうおしまい」
言いかけたニーナは、来訪者の顔を見て、途端に顔をほころばせた。
「マルタ!」
「久しぶりー、ニーナ」
ポニーテールがよく似合う弓使いのマルタはにっこり笑った。
「ね。これから飲みに行かない?」
ニーナとマルタは、ここ王宮都市アクアイルよりずっと南にある花の街リムールで生まれ育った幼なじみだ。
弓使いという職業を選んだマルタは一年中旅をしているので、二人が顔を合わせるのは、マルタが旅の途中でアクアイルに立ち寄る時だけだ。
「4か月ぶりね」
ロレンツォの酒場のカウンターで、二人は錫のワイングラスを合わせて乾杯する。
「もうそんなに経ったっけ?」
マルタはそう訊きながら、ワインは久しぶりだと言って一息でグラスの半分を開けてしまう。
「そうよ。前に会ったのは霧の月だったもの」
「そっかー。ずっと旅してると、時間の感覚おかしくなっちゃって」
そういうマルタの顔は、よく日に灼けていて生き生きしている。
チューブトップに肩当てと篭手、ミニスカートにニーハイブーツ。
胸元とへそを大胆に露出した装備だが、スレンダーな体型のせいか、いやらしさを感じさせずによく似合っている。
武器は紅玉の弓と呼ばれる品で、質も価格も中級レベルの弓使いであるマルタに相応しいものだ。
「はい、これ、お土産」
マルタは腰に下げていた革袋から、ソーダ色の液体が入ったガラス瓶を取り出し、テーブルに置いた。
それが何かはすぐに分かり、目を見張る。
「これ、虹の泉の雫じゃない」
北の砂漠の国デザイアの奥地にある泉で、明け方にだけ採取できると言われているものだ。
デザイアの奥地には凶暴な鉤爪類のモンスターが住み着いており、余程の冒険者でないと近づけないため、虹の泉の雫は希少価値がとんでもなく高い。
マルタは自慢げにへへっと笑い、指先で頬を掻いた。
「今月は資金稼ぎのためにサブクエストを中心にやってたんだ。虹の泉の雫の採取は、私たちにはちょっとレベルが高かったんだけど、報酬が良かったから頑張っちゃった」
「危ない思いしなかった?」
「大丈夫。あたしたちのパーティ、ひとりひとりのレベルは高くないんだけど、チームワークが良いから、戦闘になると強いんだ。採取量に制限があるから、少ししか持ってこれなくてごめんね」
ニーナは慌てて首を横に振る。
「ううん。こんな貴重なもの、どうもありがとう。ひいひいひいひいひいおばあさまのレシピに虹の泉の雫を使うものがあるんだけど、とうてい手に入らないと思って諦めていたの。あとで、いくらか払うわ」
「何言ってるの。お土産って言ったじゃない」
マルタは固辞するが、お金を受け取ってもらえなかったら、出発前に薬を沢山分けてあげようとニーナは考える。
どの国も地方自治体も、冒険者に危険なクエストを依頼する割に金銭は出し渋るのだ。
冒険者たちは殺した魔物から金銭を奪ったり、サブクエストをこなしながら、日銭を稼いでいるので常に金欠だ。
冒険にはアイテムが沢山いるし、マルタのような戦闘職種は、武器も防具も常に新しいものを買い揃えなければ命に関わる。
「それより。ものすごく綺麗な場所だったよー、虹の泉」
三杯目のワインをすすりながら、マルタはうっとりとした表情で語り出した。
「水がね、もうなんて言えばいいのか、言葉で表せないくらい不思議な色をしてるの。風で水面が波打つたびに、水の色がそれこそ虹色に変化して。そこに朝日がきらきら反射して眩しくって、今にもここに神様が下りてくるんじゃないかって思っちゃった」
その情景を思い出すように瞼を閉じるマルタを、心底羨ましいと思う。
リムールの街で母親から店を相続し、3年前にその店をアクアイルに移して以来、ニーナは街の外へ出たことがない。
自分で設計したこだわりの店で日がな一日薬と向き合う生活は気に入っているが、冒険者たちが口にする大海原や砂漠、森や草原や廃墟、火山に洞窟といった景色を一度も見たことがない自分は、貧しい人生を送っているのかもしれないと時々思ってしまう。
マルタは、パーティの勇者がめんどくさがりやでレベル上げを嫌がるので困るとか、探検中に魔術師のMPがゼロになってしまい1週間も洞窟をさ迷い歩いたとか、どこどこの教会の神父はケチで呪い解くのに代金をふっかけてきたとか、冒険のエピソードを面白おかしく語ってくれた。
「いいなあ。マルタは色んなとこに行かれて」
ついほろりと漏らしてしまった。
「なに言ってるの」
ロレンツォおすすめのひな鳥のソテーを切り分けていたマルタは、肉を突き刺したフォークをニーナの方へ向けた。
「本当に行きたければ、行けばいいのよ。旅は冒険者だけのものじゃないわ」
「無理よ、私には」
肩をすくめ、マルタが差し出した肉を口に入れた。
肉汁がじゅわりと口に広がる。
ワインを口に含むとさらに美味しい。
「戦闘能力ゼロだし。人付き合いは苦手だからパーティを組むのなんて無理だし。怖がりだから、スライムに会っただけで腰を抜かすわ」
そう言うと、マルタは可笑しそうにけらけらと笑った。
「ニーナってホント面白いよね。クールビューティで澄ましてて、怖いものなんてありませんって顔してるのに、スライムって」
ひとしきり笑ったあと、マルタは良いこと思いついたとばかりに、右の拳の底を左の手のひらに当てた。
「ほら、あの道具屋のちょっと可愛い子いるじゃない」
「道具屋って、ティトのこと?」
可愛いかどうかはともかく、この街に道具屋は一軒しかない。
「カレ、仕入れのために結構遠くまで自分で旅してるって言ってたわよ」
「ティトの店に行ったの?」
「うん。ここに来る前。矢じりを巻く糸が欲しくて。品揃えが豊富でびっくりしたから、聞いてみたら自分で仕入れに出向いてるって」
それを聞いて、少しティトを見直す。
売上不振を人のせいにしているだけで何の努力もしていないと思っていたけど、そうでもないようだ。
「だから、彼に連れて言ってもらえばいいじゃない」
「は?」
言われた意味が分からず、ニーナはきょとんとする。
「どこに?」
「どこだっていいけど、仕入れに連れていってもらえば、こことは違う風景も見られるし、薬の材料だって高いお金出して採集を依頼しなくてもよくなるじゃない。用心棒なら、ここで紹介してもらえるんでしょ?」
マルタがカウンターの中のロレンツォに話を振ると、ロレンツォはウィンクをして、
「勿論よ」
と頷いた。
「どんなお仲間だって探してあげられるわよ。それよりお嬢さんがた、ワインが空みたいだけど、どうなさる?」
カマーベストに蝶ネクタイを締めたロレンツォは、オールバックが似合う美青年だが、筋金入りのオネエである。
ニーナは赤ワインをもう一本とピクルスを注文した。
確かに、材料を自分で調達できれば商品の価格をもっと下げられるけれど。
それ以前に。
「ティトは私のこと目の敵にしてるもの。一緒に旅なんて無理な話よ」
道具屋ティトのニーナへの接し方は、睨むか素っ気なくするか無視するかのどれかだ。
あ、でも、この前風邪ひいてた時は子供みたいに素直だったわね。
熱でダウンしていたティトを思い出し、くすりと笑った。
「やらしいわねー。思い出し笑いなんかして」
カウンター越しにピクルスの皿を差し出しながら、ロレンツォがからかってくる。
「嫌ってなんかないと思うわよー。店に行ったときも、あんたの幼なじみだって言ったら、色々訊いてきたもの」
便乗してからかってくるマルタを遮るように、
「もうこの話はおしまい」
と、マルタのグラスに新しいワインを注ぎいれた。
「私の話よりも、マルタはいい人いないの? パーティの男の人とか」
マルタはセロリのピクルスをぽりぽりと噛みながら、顔の前で手を振った。
「あー、それはないない。5人しかいないパーティでそんなことになったらやりづらいったらありゃしないし。そもそも、こんなまっ黒に灼けてる戦闘職種の女を好きになる物好きなんていないわよ」
なにを言ってるんだろうと心底不思議になる。
確かに灼けてはいるけれど、ポニーテールがよく似合って、目が大きくて表情がくるくると変わるマルタは、同性のニーナから見ても魅力的だ。
性格だって、前向きで、かーんと照るお日さまのように明るい。
「私が男だったら、マルタのこと好きになるわよ」
そう言うと、酔いが回ってきたのか、マルタはさっきよりも軽快にけらけらと笑い出し、女二人は夜が更けるまで、話に花を咲かせた。
家まで送ってくれたマルタに、うちに泊まっていってよと勧めたが、明日は朝一で王宮に行く予定があるので仲間と一緒にいた方が都合がいいと言って、マルタは宿屋に戻って行った。
午前1時。
ニーナは湯船に浸かり、天窓から覗く夜空を眺めた。
立ち上る蒸気とお湯に溶かしたカミツレのエキスが心も身体もほぐしていく。
湯を沸かしてバスタブを満たすのは一仕事だが、入浴はニーナにとって至福の時だ。
夜空には星屑がきらめき、上弦の月の光が浴室を青白く照らす。
ターコイズ―ブルーのタイル張りの床に猫脚のバスタブを置いたこの浴室は、お気に入りの場所だ。
この空は、私が見たこともない場所までずっとつながっている。
いつかは行ってみたいと思うし、いつの日かティトと旅するのも悪くないのかもしれない。
けれど、今はまだ。
今はまだもうすこしこの居心地の良い場所に留まっていよう。
鼻先まで湯につかりながら、明日は、親友のために良く効く日焼け止めを調合しようと薬師ニーナは考える。(了)
量と重さを正確に測った材料が、鍋の中で一定の時間、一定の温度で混ざりあい、最大限に反応しあって、ひとつの薬に生まれ変わる。
ひいひいひいひいひいおばあちゃんから代々伝わっている薬のレシピはすべて頭に入っているけれど、ひいひいひいひいひいおばあちゃんの頃とは、気候も自然資源も人々の体質も変わってきているので、薬師ニーナは既存のレシピに日々改良を加えている。
カナキパ族の村へ向かうという旅の騎士から依頼された毒消薬の調合を終え、出来立てほやほやの薬を鍋からガラス瓶に移し入れると、コルクで蓋をする。
後片付けをしていると、店の扉が開いた。
閉店時間は過ぎているので、準備中の札はかけていたはずだ。
「ごめんなさい。今日はもうおしまい」
言いかけたニーナは、来訪者の顔を見て、途端に顔をほころばせた。
「マルタ!」
「久しぶりー、ニーナ」
ポニーテールがよく似合う弓使いのマルタはにっこり笑った。
「ね。これから飲みに行かない?」
ニーナとマルタは、ここ王宮都市アクアイルよりずっと南にある花の街リムールで生まれ育った幼なじみだ。
弓使いという職業を選んだマルタは一年中旅をしているので、二人が顔を合わせるのは、マルタが旅の途中でアクアイルに立ち寄る時だけだ。
「4か月ぶりね」
ロレンツォの酒場のカウンターで、二人は錫のワイングラスを合わせて乾杯する。
「もうそんなに経ったっけ?」
マルタはそう訊きながら、ワインは久しぶりだと言って一息でグラスの半分を開けてしまう。
「そうよ。前に会ったのは霧の月だったもの」
「そっかー。ずっと旅してると、時間の感覚おかしくなっちゃって」
そういうマルタの顔は、よく日に灼けていて生き生きしている。
チューブトップに肩当てと篭手、ミニスカートにニーハイブーツ。
胸元とへそを大胆に露出した装備だが、スレンダーな体型のせいか、いやらしさを感じさせずによく似合っている。
武器は紅玉の弓と呼ばれる品で、質も価格も中級レベルの弓使いであるマルタに相応しいものだ。
「はい、これ、お土産」
マルタは腰に下げていた革袋から、ソーダ色の液体が入ったガラス瓶を取り出し、テーブルに置いた。
それが何かはすぐに分かり、目を見張る。
「これ、虹の泉の雫じゃない」
北の砂漠の国デザイアの奥地にある泉で、明け方にだけ採取できると言われているものだ。
デザイアの奥地には凶暴な鉤爪類のモンスターが住み着いており、余程の冒険者でないと近づけないため、虹の泉の雫は希少価値がとんでもなく高い。
マルタは自慢げにへへっと笑い、指先で頬を掻いた。
「今月は資金稼ぎのためにサブクエストを中心にやってたんだ。虹の泉の雫の採取は、私たちにはちょっとレベルが高かったんだけど、報酬が良かったから頑張っちゃった」
「危ない思いしなかった?」
「大丈夫。あたしたちのパーティ、ひとりひとりのレベルは高くないんだけど、チームワークが良いから、戦闘になると強いんだ。採取量に制限があるから、少ししか持ってこれなくてごめんね」
ニーナは慌てて首を横に振る。
「ううん。こんな貴重なもの、どうもありがとう。ひいひいひいひいひいおばあさまのレシピに虹の泉の雫を使うものがあるんだけど、とうてい手に入らないと思って諦めていたの。あとで、いくらか払うわ」
「何言ってるの。お土産って言ったじゃない」
マルタは固辞するが、お金を受け取ってもらえなかったら、出発前に薬を沢山分けてあげようとニーナは考える。
どの国も地方自治体も、冒険者に危険なクエストを依頼する割に金銭は出し渋るのだ。
冒険者たちは殺した魔物から金銭を奪ったり、サブクエストをこなしながら、日銭を稼いでいるので常に金欠だ。
冒険にはアイテムが沢山いるし、マルタのような戦闘職種は、武器も防具も常に新しいものを買い揃えなければ命に関わる。
「それより。ものすごく綺麗な場所だったよー、虹の泉」
三杯目のワインをすすりながら、マルタはうっとりとした表情で語り出した。
「水がね、もうなんて言えばいいのか、言葉で表せないくらい不思議な色をしてるの。風で水面が波打つたびに、水の色がそれこそ虹色に変化して。そこに朝日がきらきら反射して眩しくって、今にもここに神様が下りてくるんじゃないかって思っちゃった」
その情景を思い出すように瞼を閉じるマルタを、心底羨ましいと思う。
リムールの街で母親から店を相続し、3年前にその店をアクアイルに移して以来、ニーナは街の外へ出たことがない。
自分で設計したこだわりの店で日がな一日薬と向き合う生活は気に入っているが、冒険者たちが口にする大海原や砂漠、森や草原や廃墟、火山に洞窟といった景色を一度も見たことがない自分は、貧しい人生を送っているのかもしれないと時々思ってしまう。
マルタは、パーティの勇者がめんどくさがりやでレベル上げを嫌がるので困るとか、探検中に魔術師のMPがゼロになってしまい1週間も洞窟をさ迷い歩いたとか、どこどこの教会の神父はケチで呪い解くのに代金をふっかけてきたとか、冒険のエピソードを面白おかしく語ってくれた。
「いいなあ。マルタは色んなとこに行かれて」
ついほろりと漏らしてしまった。
「なに言ってるの」
ロレンツォおすすめのひな鳥のソテーを切り分けていたマルタは、肉を突き刺したフォークをニーナの方へ向けた。
「本当に行きたければ、行けばいいのよ。旅は冒険者だけのものじゃないわ」
「無理よ、私には」
肩をすくめ、マルタが差し出した肉を口に入れた。
肉汁がじゅわりと口に広がる。
ワインを口に含むとさらに美味しい。
「戦闘能力ゼロだし。人付き合いは苦手だからパーティを組むのなんて無理だし。怖がりだから、スライムに会っただけで腰を抜かすわ」
そう言うと、マルタは可笑しそうにけらけらと笑った。
「ニーナってホント面白いよね。クールビューティで澄ましてて、怖いものなんてありませんって顔してるのに、スライムって」
ひとしきり笑ったあと、マルタは良いこと思いついたとばかりに、右の拳の底を左の手のひらに当てた。
「ほら、あの道具屋のちょっと可愛い子いるじゃない」
「道具屋って、ティトのこと?」
可愛いかどうかはともかく、この街に道具屋は一軒しかない。
「カレ、仕入れのために結構遠くまで自分で旅してるって言ってたわよ」
「ティトの店に行ったの?」
「うん。ここに来る前。矢じりを巻く糸が欲しくて。品揃えが豊富でびっくりしたから、聞いてみたら自分で仕入れに出向いてるって」
それを聞いて、少しティトを見直す。
売上不振を人のせいにしているだけで何の努力もしていないと思っていたけど、そうでもないようだ。
「だから、彼に連れて言ってもらえばいいじゃない」
「は?」
言われた意味が分からず、ニーナはきょとんとする。
「どこに?」
「どこだっていいけど、仕入れに連れていってもらえば、こことは違う風景も見られるし、薬の材料だって高いお金出して採集を依頼しなくてもよくなるじゃない。用心棒なら、ここで紹介してもらえるんでしょ?」
マルタがカウンターの中のロレンツォに話を振ると、ロレンツォはウィンクをして、
「勿論よ」
と頷いた。
「どんなお仲間だって探してあげられるわよ。それよりお嬢さんがた、ワインが空みたいだけど、どうなさる?」
カマーベストに蝶ネクタイを締めたロレンツォは、オールバックが似合う美青年だが、筋金入りのオネエである。
ニーナは赤ワインをもう一本とピクルスを注文した。
確かに、材料を自分で調達できれば商品の価格をもっと下げられるけれど。
それ以前に。
「ティトは私のこと目の敵にしてるもの。一緒に旅なんて無理な話よ」
道具屋ティトのニーナへの接し方は、睨むか素っ気なくするか無視するかのどれかだ。
あ、でも、この前風邪ひいてた時は子供みたいに素直だったわね。
熱でダウンしていたティトを思い出し、くすりと笑った。
「やらしいわねー。思い出し笑いなんかして」
カウンター越しにピクルスの皿を差し出しながら、ロレンツォがからかってくる。
「嫌ってなんかないと思うわよー。店に行ったときも、あんたの幼なじみだって言ったら、色々訊いてきたもの」
便乗してからかってくるマルタを遮るように、
「もうこの話はおしまい」
と、マルタのグラスに新しいワインを注ぎいれた。
「私の話よりも、マルタはいい人いないの? パーティの男の人とか」
マルタはセロリのピクルスをぽりぽりと噛みながら、顔の前で手を振った。
「あー、それはないない。5人しかいないパーティでそんなことになったらやりづらいったらありゃしないし。そもそも、こんなまっ黒に灼けてる戦闘職種の女を好きになる物好きなんていないわよ」
なにを言ってるんだろうと心底不思議になる。
確かに灼けてはいるけれど、ポニーテールがよく似合って、目が大きくて表情がくるくると変わるマルタは、同性のニーナから見ても魅力的だ。
性格だって、前向きで、かーんと照るお日さまのように明るい。
「私が男だったら、マルタのこと好きになるわよ」
そう言うと、酔いが回ってきたのか、マルタはさっきよりも軽快にけらけらと笑い出し、女二人は夜が更けるまで、話に花を咲かせた。
家まで送ってくれたマルタに、うちに泊まっていってよと勧めたが、明日は朝一で王宮に行く予定があるので仲間と一緒にいた方が都合がいいと言って、マルタは宿屋に戻って行った。
午前1時。
ニーナは湯船に浸かり、天窓から覗く夜空を眺めた。
立ち上る蒸気とお湯に溶かしたカミツレのエキスが心も身体もほぐしていく。
湯を沸かしてバスタブを満たすのは一仕事だが、入浴はニーナにとって至福の時だ。
夜空には星屑がきらめき、上弦の月の光が浴室を青白く照らす。
ターコイズ―ブルーのタイル張りの床に猫脚のバスタブを置いたこの浴室は、お気に入りの場所だ。
この空は、私が見たこともない場所までずっとつながっている。
いつかは行ってみたいと思うし、いつの日かティトと旅するのも悪くないのかもしれない。
けれど、今はまだ。
今はまだもうすこしこの居心地の良い場所に留まっていよう。
鼻先まで湯につかりながら、明日は、親友のために良く効く日焼け止めを調合しようと薬師ニーナは考える。(了)
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