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北村は世田谷区三軒茶屋の官舎を借りていたが、今は、神奈川県の実家に戻っていた。
茅ヶ崎市の外れにある北村家は、農家だけあって立派な平屋だった。チャイムを押すと、両親は農協に行っているとのことで、北村が自ら玄関に出てきた。
北村は、最後に市ヶ谷で会った時から随分痩せていたが、身なりは整えていた。きちんと髭を剃り、家にいるのに小ざっぱりしたシャツとパンツを身に着けている。
「よう。遠いとこ悪いな」
「バス停から結構迷った」
「あー、このへん初めてだと分かりにくいんだよな」
電車に揺られている間、開口一番何を言おうとかどんなことを話そうかと考え込んでいたが、北村の顔を見た瞬間にすべて吹き飛んだ。
同期同士だ。気の置けない会話が自然に溢れ出た。
「北村、思ったより元気そうだな」
「まあな。十波も、ちょっと痩せたか?」
「そうか? 最近、体重測ってないから分からん。あ、これ、土産な」
「お、悪いな、気い使わせて」
大ぶりの紙袋を差し出すと、受け取った北村は「重っ」と大げさに笑った。
「防衛課一同からだから。主に酒とか酒とか酒とかな」
「ははっ、有難く頂戴するよ。十波、これ、重かっただろ。有難うな」
こういう何でもない気遣いができる奴だったのに。
なんでこんなことになったんだ。
航平は苦い思いを飲み込んで、笑った。
「いや、マジで重かったからな。心して全部飲めよ」
北村の自室は、日当たりの良い和室だった。
仮住まいらしく、家具も装飾品もほとんどない。
北村は一度台所に引っ込んで、茶と菓子を出してくれた。お茶はティーバッグのほうじ茶だが、菓子が異様に洒落ている。
スティック状のミルフィーユにはカラフルかつ繊細なアイシングが施されていて、パッケージには読めない横文字が筆記体で書かれている。
海上自衛隊にはこんな洗練された菓子を手土産にする輩はいないから、母君のセンスだろうか。
「洒落た菓子だな。美味い」
「貰いものだよ。保釈してから、びっくりするくらい色んな人が会いに来てくれる。有難くて、申し訳ないよ」
そう言って自分も菓子を食べ、北村は続けた。
「しかし十波。今日、クリスマスイブだぞ。俺なんかに会いに来てていいのか」
「俺なんかとか言うなよ。心配するな、この後ちゃんと予定はある」
「へえ。デートか?」
「いや。…母親とクリスマスパーティだ」
一笑されるかと思いきや、北村は柔らかく目を細めた。
「そうか。それはいいな。親は大切にしないと。うちは、今は両親といるけど、祝い事なんてできる状況じゃないから」
伝える言葉が見つからなくて、航平は押し黙った。
北村は何かに憑りつかれたように話し続ける。
「彼女と付き合っている間中さ、東京カレンダーだのLEONだの買って、デートスポット調べたりしてたんだけどな。クリスマスだって、何か月も前から計画練っていたのに。まさか、こんな結末になるとは」
「北村」
「いや、嘘だな。本当は途中から、薄々気づいていたんだ。この子は、俺のことなんて全く好きじゃないんじゃないかって」
返す言葉のない航平に、北村は崩していた足を正座に戻す。
姿勢を正し、頭を下げた。
「申し訳なかった」
航平は、北村のつむじから目を逸らした。
同期のそんな姿は見たくなかった。
「なんで、俺に謝るんだよ」
謝ってほしくなんてない。謝ってすむことじゃない。
受け流そうとする航平に、北村は更に深くこうべを垂れ、声を張った。
「お前にだけじゃない。使命感を持って、真面目に働いている自衛官全員に、合わす顔がない。本当に、申し訳ない」
ここに来た上司や同僚、先輩後輩に、こうして同じように頭を下げているのだろうか。
航平は、震えている肩をそっと叩いた。
「もういいから、頭上げろよ。一番反省して、後悔してるのはおまえだろ」
北村はようやく顔をあげ、しかし足は崩さずに語った。
「前に偶然、鎌倉で会ったよな」
「ああ」
「可愛かっただろ? 彼女」
「ああ」
「可愛くて、優しかったんだ。…俺はさ、おまえとは違って、同期でも地味な部類だろ?」
「まあ、目立つタイプではないよな」
同期相手に世辞を言っても仕方がない。そう答えると、北村は少し笑った。
「おまえ、本当正直だよな。うん、そうなんだよ。自分の評価は自分で知っている。俺は仕事もぱっとしないし、昇任の順序も下の下だ。だけど、そんな俺の話を、彼女はちゃんと聞いてくれたんだ。凄いね、偉いね、なんでも知ってるんだねって。今思えば不自然だよな。普通の女の子が、護衛艦や潜水艦の整備に興味なんてあるはずないのに」
「好き、だったんだろ」
航平の問いかけに、北村はこくりと頷いた。膝の上の拳はきつく握りしめられたまま、震えている。
「辛かったな」
もう一度肩をたたくと、またこくりと頷いた。
いくら好きでも、組織を、国民を裏切ることは、やっちゃ駄目だろう。
何やってんだよ。可愛いからって、そんな女なんかに騙されてんじゃねえよ。
言いたい言葉は沢山あったけれど、責めることはできなかった。
茅ヶ崎市の外れにある北村家は、農家だけあって立派な平屋だった。チャイムを押すと、両親は農協に行っているとのことで、北村が自ら玄関に出てきた。
北村は、最後に市ヶ谷で会った時から随分痩せていたが、身なりは整えていた。きちんと髭を剃り、家にいるのに小ざっぱりしたシャツとパンツを身に着けている。
「よう。遠いとこ悪いな」
「バス停から結構迷った」
「あー、このへん初めてだと分かりにくいんだよな」
電車に揺られている間、開口一番何を言おうとかどんなことを話そうかと考え込んでいたが、北村の顔を見た瞬間にすべて吹き飛んだ。
同期同士だ。気の置けない会話が自然に溢れ出た。
「北村、思ったより元気そうだな」
「まあな。十波も、ちょっと痩せたか?」
「そうか? 最近、体重測ってないから分からん。あ、これ、土産な」
「お、悪いな、気い使わせて」
大ぶりの紙袋を差し出すと、受け取った北村は「重っ」と大げさに笑った。
「防衛課一同からだから。主に酒とか酒とか酒とかな」
「ははっ、有難く頂戴するよ。十波、これ、重かっただろ。有難うな」
こういう何でもない気遣いができる奴だったのに。
なんでこんなことになったんだ。
航平は苦い思いを飲み込んで、笑った。
「いや、マジで重かったからな。心して全部飲めよ」
北村の自室は、日当たりの良い和室だった。
仮住まいらしく、家具も装飾品もほとんどない。
北村は一度台所に引っ込んで、茶と菓子を出してくれた。お茶はティーバッグのほうじ茶だが、菓子が異様に洒落ている。
スティック状のミルフィーユにはカラフルかつ繊細なアイシングが施されていて、パッケージには読めない横文字が筆記体で書かれている。
海上自衛隊にはこんな洗練された菓子を手土産にする輩はいないから、母君のセンスだろうか。
「洒落た菓子だな。美味い」
「貰いものだよ。保釈してから、びっくりするくらい色んな人が会いに来てくれる。有難くて、申し訳ないよ」
そう言って自分も菓子を食べ、北村は続けた。
「しかし十波。今日、クリスマスイブだぞ。俺なんかに会いに来てていいのか」
「俺なんかとか言うなよ。心配するな、この後ちゃんと予定はある」
「へえ。デートか?」
「いや。…母親とクリスマスパーティだ」
一笑されるかと思いきや、北村は柔らかく目を細めた。
「そうか。それはいいな。親は大切にしないと。うちは、今は両親といるけど、祝い事なんてできる状況じゃないから」
伝える言葉が見つからなくて、航平は押し黙った。
北村は何かに憑りつかれたように話し続ける。
「彼女と付き合っている間中さ、東京カレンダーだのLEONだの買って、デートスポット調べたりしてたんだけどな。クリスマスだって、何か月も前から計画練っていたのに。まさか、こんな結末になるとは」
「北村」
「いや、嘘だな。本当は途中から、薄々気づいていたんだ。この子は、俺のことなんて全く好きじゃないんじゃないかって」
返す言葉のない航平に、北村は崩していた足を正座に戻す。
姿勢を正し、頭を下げた。
「申し訳なかった」
航平は、北村のつむじから目を逸らした。
同期のそんな姿は見たくなかった。
「なんで、俺に謝るんだよ」
謝ってほしくなんてない。謝ってすむことじゃない。
受け流そうとする航平に、北村は更に深くこうべを垂れ、声を張った。
「お前にだけじゃない。使命感を持って、真面目に働いている自衛官全員に、合わす顔がない。本当に、申し訳ない」
ここに来た上司や同僚、先輩後輩に、こうして同じように頭を下げているのだろうか。
航平は、震えている肩をそっと叩いた。
「もういいから、頭上げろよ。一番反省して、後悔してるのはおまえだろ」
北村はようやく顔をあげ、しかし足は崩さずに語った。
「前に偶然、鎌倉で会ったよな」
「ああ」
「可愛かっただろ? 彼女」
「ああ」
「可愛くて、優しかったんだ。…俺はさ、おまえとは違って、同期でも地味な部類だろ?」
「まあ、目立つタイプではないよな」
同期相手に世辞を言っても仕方がない。そう答えると、北村は少し笑った。
「おまえ、本当正直だよな。うん、そうなんだよ。自分の評価は自分で知っている。俺は仕事もぱっとしないし、昇任の順序も下の下だ。だけど、そんな俺の話を、彼女はちゃんと聞いてくれたんだ。凄いね、偉いね、なんでも知ってるんだねって。今思えば不自然だよな。普通の女の子が、護衛艦や潜水艦の整備に興味なんてあるはずないのに」
「好き、だったんだろ」
航平の問いかけに、北村はこくりと頷いた。膝の上の拳はきつく握りしめられたまま、震えている。
「辛かったな」
もう一度肩をたたくと、またこくりと頷いた。
いくら好きでも、組織を、国民を裏切ることは、やっちゃ駄目だろう。
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