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「有馬は、俺に何も言いませんでした。あの日の中継の直前、二人で話しましたけど、どんなニュースなのかは教えてくれませんでした」
「そう。見当違いのことを聞いて悪かったわ」
武井の声に優しさが滲んだ。それですこし、本音が漏れてしまった。
「一言くらい、言ってくれてもよかったのに」
「…言ってくれてたら、どうしたの?」
有馬のスクープを守るのか、組織や北村を守るのか。
悩んで悩んで、そのあと、俺はどうしていただろうか。
答えはなかった。
武井と別れて、横須賀の街を少し歩いた。
ビールは苦いばかりで、ちっとも酔いをもたらさなかった。身体も吐く息も冷たい。
TTVイヴニングニュースでの有馬の中継以来、航平は事件に関する報道は見ないようにしていた。事件のニュースが流れればチャンネルを変えたし、新聞も雑誌も関連記事は飛ばして読んだ。
それでも情報は自然に耳や目に入ってくる。
ハニートラップだの中国美女の手練手管がどうだの、国家間の情報戦や情報漏洩の再発防止などには触れずに、ただ面白おかしく報じているものも多かった。
父親が商船の船員だった影響で、航平の子供時代はいつも海と共にあった。
家族で遊びに行く時は、海水浴か海浜公園が鉄板だった。父を見送り、出迎えるために港に行った回数は数えきれない。
父の遺体を迎えたのも港だった。父を失ってからも、母子で連れ立ってよく海を見に行った。
横須賀のヴェルニー公園は、米海軍や海上自衛隊の艦艇を望むスポットとして人気がある。
晩秋の横須賀は潮風が肌寒く、日も暮れた公園には地元の人が数人いるだけだった。
大きく息を吸うと、冷気に肺が痛んだ。
クリスマスだの正月だのと浮かれていた自分が恨めしい。
有馬は何も悪くない。有馬は有馬の仕事をしただけだ。
悪いのは、女に騙されて情報を漏洩した北村だ。
頭では分かっている。でも、気持ちが全然ついていかない。
ポケットに手を入れ、いつも持ち歩いているコンパスを握った。手のひらに収まるサイズの円形のコンパス。つるりとした金属の面を指先で撫でる。
有馬のことが好きだ。あんなに馬が合って、いい男はいない。
けれどもう、有馬と会っても、前みたいに無邪気に遊んだりはできない。こんな気持ちのまま、キスやセックスができるとも思えない。
航平は有馬を見るたびに、北村を思い出す。
そして有馬は、報道の仕事をやめることはない。
忘れよう。
元々、無理だったのだ。ゲイでもバイでもない自分が、男と付き合うなんて。
自衛隊は、特に部隊はまだまだ男社会だ。記者の男と付き合っていることが知れたら、自衛隊での立場も難しくなるだろう。
深入りする前で良かった。
もう一度大きく息を吸ってから、スマホを取り出した。
ずっとスマホを手元に置いていたのだろう。有馬はワンコールで電話に出た。
「航平」
名を呼ぶ声に息がつまる。指先が冷たい。
海の沖で、星のようにきらめく艦船の灯火がにじんだ。
「航平。電話をくれてありがとう。それから、ごめん」
「悪いと思ってないのに謝るな」
電話の向こう、有馬はどんな顔をしているんだろう。
「あんたは自分の仕事をしただけだ。悪いのは、女に騙されて情報を漏らした北村だ」
こんなことを言いたいんじゃないのに。言葉が止まらない。
本当はちゃんと、言葉を尽くして話し合わなければならないのに。
「航平、それは違う。何を言ったって言い訳にしかならないけど、僕が考えていることをちゃんと話させてほしい」
有馬の声が遠い。
左腕を乗せた欄干が冷たい。目元が熱い。喉が詰まりそうだ。
「何も違わない。これがあんたの仕事だって、頭では分かってる。だけど、今は会いたくない」
「それは、距離を置きたいってこと?」
艦艇を追っていた目を足元に落とす。
こんなこと言いたくない。だけど、こんなふうに苦しいのは、もう嫌だ。
航平は声を絞り出した。
「別れたいってことだ」
ひゅっと有馬が息を飲む音をした。
「あんたは悪くない。俺がガキなだけだ。ごめん」
それ以上有馬の声を聞いていられなくて、電話を切った。折り返しはかかってこなかった。
「そう。見当違いのことを聞いて悪かったわ」
武井の声に優しさが滲んだ。それですこし、本音が漏れてしまった。
「一言くらい、言ってくれてもよかったのに」
「…言ってくれてたら、どうしたの?」
有馬のスクープを守るのか、組織や北村を守るのか。
悩んで悩んで、そのあと、俺はどうしていただろうか。
答えはなかった。
武井と別れて、横須賀の街を少し歩いた。
ビールは苦いばかりで、ちっとも酔いをもたらさなかった。身体も吐く息も冷たい。
TTVイヴニングニュースでの有馬の中継以来、航平は事件に関する報道は見ないようにしていた。事件のニュースが流れればチャンネルを変えたし、新聞も雑誌も関連記事は飛ばして読んだ。
それでも情報は自然に耳や目に入ってくる。
ハニートラップだの中国美女の手練手管がどうだの、国家間の情報戦や情報漏洩の再発防止などには触れずに、ただ面白おかしく報じているものも多かった。
父親が商船の船員だった影響で、航平の子供時代はいつも海と共にあった。
家族で遊びに行く時は、海水浴か海浜公園が鉄板だった。父を見送り、出迎えるために港に行った回数は数えきれない。
父の遺体を迎えたのも港だった。父を失ってからも、母子で連れ立ってよく海を見に行った。
横須賀のヴェルニー公園は、米海軍や海上自衛隊の艦艇を望むスポットとして人気がある。
晩秋の横須賀は潮風が肌寒く、日も暮れた公園には地元の人が数人いるだけだった。
大きく息を吸うと、冷気に肺が痛んだ。
クリスマスだの正月だのと浮かれていた自分が恨めしい。
有馬は何も悪くない。有馬は有馬の仕事をしただけだ。
悪いのは、女に騙されて情報を漏洩した北村だ。
頭では分かっている。でも、気持ちが全然ついていかない。
ポケットに手を入れ、いつも持ち歩いているコンパスを握った。手のひらに収まるサイズの円形のコンパス。つるりとした金属の面を指先で撫でる。
有馬のことが好きだ。あんなに馬が合って、いい男はいない。
けれどもう、有馬と会っても、前みたいに無邪気に遊んだりはできない。こんな気持ちのまま、キスやセックスができるとも思えない。
航平は有馬を見るたびに、北村を思い出す。
そして有馬は、報道の仕事をやめることはない。
忘れよう。
元々、無理だったのだ。ゲイでもバイでもない自分が、男と付き合うなんて。
自衛隊は、特に部隊はまだまだ男社会だ。記者の男と付き合っていることが知れたら、自衛隊での立場も難しくなるだろう。
深入りする前で良かった。
もう一度大きく息を吸ってから、スマホを取り出した。
ずっとスマホを手元に置いていたのだろう。有馬はワンコールで電話に出た。
「航平」
名を呼ぶ声に息がつまる。指先が冷たい。
海の沖で、星のようにきらめく艦船の灯火がにじんだ。
「航平。電話をくれてありがとう。それから、ごめん」
「悪いと思ってないのに謝るな」
電話の向こう、有馬はどんな顔をしているんだろう。
「あんたは自分の仕事をしただけだ。悪いのは、女に騙されて情報を漏らした北村だ」
こんなことを言いたいんじゃないのに。言葉が止まらない。
本当はちゃんと、言葉を尽くして話し合わなければならないのに。
「航平、それは違う。何を言ったって言い訳にしかならないけど、僕が考えていることをちゃんと話させてほしい」
有馬の声が遠い。
左腕を乗せた欄干が冷たい。目元が熱い。喉が詰まりそうだ。
「何も違わない。これがあんたの仕事だって、頭では分かってる。だけど、今は会いたくない」
「それは、距離を置きたいってこと?」
艦艇を追っていた目を足元に落とす。
こんなこと言いたくない。だけど、こんなふうに苦しいのは、もう嫌だ。
航平は声を絞り出した。
「別れたいってことだ」
ひゅっと有馬が息を飲む音をした。
「あんたは悪くない。俺がガキなだけだ。ごめん」
それ以上有馬の声を聞いていられなくて、電話を切った。折り返しはかかってこなかった。
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