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26:ミルクプリンの思い出
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パジャマ姿で玄関に現れた有馬は、明らかに具合が悪そうだった。
頬も額も上気していて、目が潤んでいる。
「おかえり」
挨拶と共に吐かれた息が熱い。
航平は「ただいま」と短く答え、引き戸を閉めて施錠すると、有馬を引きずるように寝室に引っ張っていった。
藤井が置いていったものか、枕元の解熱剤とポカリがきちんと飲まれていることに少し安心する。
額に触れるとびっくりするくらい熱い。多分、38度は超えている。
色々言いたいことはあったが、聞くのも喋るのもしんどそうだ。
言葉は全部飲み込んで、藤井の額に冷却シートを貼った。
「なんか食うか?」
「いらない。航平、帰って大丈夫だから」
腹が立つほどの遠慮は無視して、夏布団から出た手を握ってやる。手も熱い。
有馬は少し笑ってから、すぐに眠ってしまった。
雑炊でも作っておいてやろうと台所で行平鍋を探していると、調理器具が並んだ棚の端に古い大学ノートが置かれている。
「料理帖」とあるので開いて見ると、雑誌の切り抜きやテレビからメモしたらしいレシピが並んでいる。おそらく緋沙子のものだろう。
スマホのクックパッドでしかレシピ検索をしない航平には手書きのメモは新鮮で、つい読み耽ってしまった。
青山の一等地にある有馬の家は、建蔽率が低いせいか外の雑音があまり入ってこない。
他方で、和風の家屋は家の中の音はよく響くので、有馬の眠りを妨げないようにテレビをつけるのはやめた。書棚は頭が痛くなりそうな本ばかりだ。
有馬用の食事のついでに自分の昼食も作って食べてしまうとすることがなくなったので、スーツケースから官用パソコンを引っ張り出し、出張報告書を作成することにする。
しんと静まり返った居間で作業をしていると、すぐに夕方だった。
ひたひたと板張りの床を歩く音がして、顔を上げると有馬だった。顔の赤みが治まっているのを見て安心する。
「おはよう」
有馬は航平がいることに驚いたようで、面映ゆそうに笑った。
「いてくれたんだ」
「ああ。熱、下がったか?」
「うん、だいぶ楽」
机の上を片付けて常温の水を出してやると、有馬は座布団の上に座り込みごくごくと喉を潤した。
「なんか、いい匂いがする」
「雑炊作ったんだ。食べられそうか?」
「食べる」
温めなおした雑炊に海苔と胡麻を振って出してやると、有馬は最初のろのろと匙を動かしていたが、次第に食欲が沸いてきたのか、食べるスピードを上げた。
「食べたら、薬飲んでまた寝ろよ」
「航平は?」
「後片付けをしたら帰るよ。明日は早朝出勤だから」
「うん。来てくれてありがとう」
言葉とは裏腹に、明らかに寂しそうな顔をしている。
こちらの意志などお構いなしに好意をぶつけてきて、強引にキスをしたり、あんなことやこんなことまでしてくるくせに、どうしてこんな場面では遠慮をするのだろう。
「あのさ、有馬」
「うん」
「あんた、アホだよな」
「……え?」
言われた意味が分からなかったのが、有馬がきょとんとする。
こいつ、人生でアホとか言われたことないんだろうな。
「体調悪い時は、遠慮せずにちゃんと頼れよ。曲がりなりにも付き合ってるんだから、さ」
「でも、航平だって疲れ…」
「でもじゃない。俺、あんたが体調悪いこと、あんたの友達から聞かされるとか、すげえ嫌だったんだけど」
そう言うと、有馬は殊勝に頭を下げた。
「それは、ごめん。藤井が君に連絡するなんて思わなかったから」
「良い友達じゃん。後でちゃんと御礼言えよ。あと、俺がいない時は、その藤井さんでも妹さんでも気にせずに頼れ。一人で我慢とか、する必要ないだろ」
「……はい」
「よし。んじゃ、熱に耐えたご褒美な」
冷蔵庫で冷やしておいたプリンをガラスカップのまま出してやる。
緋沙子さんのレシピブックで見つけた一番簡単なレシピ。カラメルソースのかかったカスタードプリンではない。真っ白な、牛乳と砂糖とゼラチンとくず粉だけのシンプルなプリンだ。
喜ぶかと思いきや、有馬はふるふるとした表面を見つめたまま微動だにしない。
あれ。緋沙子さんが「航平のお気に入り♪」ってメモしていたから、好きなのかと思ったけど。あ、大人になって味覚変わったとかなんかな。
心配になる航平の前で、有馬は何故か涙ぐんでいる。
「あ、有馬? どうした?」
「これ、なんで…」
「え、いや、台所で緋沙子さんのレシピ見つけて作ってみたんだけど。悪い、なんか、やっちゃいけない系だったか?」
有馬はスプーンを取ると、プリンを口に入れて、今度は笑った。
「美味しい。航平、ありがとう」
「どういたしまして」
「食べたかったんだ、これ。ずっと前から」
「そっか。6個作ったから、明日もまた食えよ」
「うん。ねえ、航平」
「なに」
「今日、泊まってってよ。明日、職場まで送るから」
ハリネズミのトゲが取れたような、甘えるような言い方だった。
航平は笑う。
急に素直になったな。緋沙子さん効果すげえ。
「泊まってくけど、運転は駄目。明日出勤できそうなら、俺が運転するから」
「航平。もうひとつお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
なんだか嫌な予感がしたので、「お願いの中身による」と予防線を張ると、有馬はちっと舌打ちした。
おい、何のお願いで言質取ろうとしたんだ。どうせエロい系だろ。
「あんた、熱下げるために一緒に汗をかこうとかおっさんみたいなこと言うつもりだったろ」
「え、なんで分かったの? 航平、童貞で魔法使いなの?」
「魔法使いじゃなくても分かるだろ。却下だ却下」
「折角二人きりなのに」
「ちょっと元気になったからって調子に乗ってたらぶり返すぞ。さっさと寝ろ。ほら、水と薬飲め」
「口移しがいい」
「駄目」
「なんで」
「ちゅーとかしたら止まらなくなるだろ!」
「なんだ、航平もエッチなことしたいんじゃない」
「そりゃあな」
「完治したらすごい攻め方してあげるから、楽しみにしてて」
「…さっさと寝ろ」
言い合いながら、有馬の額に触れる。
まだ熱いが、これだけ我が儘と口答えができるなら心配ないだろう。
海外出張帰りで明日も早朝出勤と深夜残業確定で明後日は当直勤務。正直身体はきついが、来て良かった。プリンも喜んでくれて良かった。
頬も額も上気していて、目が潤んでいる。
「おかえり」
挨拶と共に吐かれた息が熱い。
航平は「ただいま」と短く答え、引き戸を閉めて施錠すると、有馬を引きずるように寝室に引っ張っていった。
藤井が置いていったものか、枕元の解熱剤とポカリがきちんと飲まれていることに少し安心する。
額に触れるとびっくりするくらい熱い。多分、38度は超えている。
色々言いたいことはあったが、聞くのも喋るのもしんどそうだ。
言葉は全部飲み込んで、藤井の額に冷却シートを貼った。
「なんか食うか?」
「いらない。航平、帰って大丈夫だから」
腹が立つほどの遠慮は無視して、夏布団から出た手を握ってやる。手も熱い。
有馬は少し笑ってから、すぐに眠ってしまった。
雑炊でも作っておいてやろうと台所で行平鍋を探していると、調理器具が並んだ棚の端に古い大学ノートが置かれている。
「料理帖」とあるので開いて見ると、雑誌の切り抜きやテレビからメモしたらしいレシピが並んでいる。おそらく緋沙子のものだろう。
スマホのクックパッドでしかレシピ検索をしない航平には手書きのメモは新鮮で、つい読み耽ってしまった。
青山の一等地にある有馬の家は、建蔽率が低いせいか外の雑音があまり入ってこない。
他方で、和風の家屋は家の中の音はよく響くので、有馬の眠りを妨げないようにテレビをつけるのはやめた。書棚は頭が痛くなりそうな本ばかりだ。
有馬用の食事のついでに自分の昼食も作って食べてしまうとすることがなくなったので、スーツケースから官用パソコンを引っ張り出し、出張報告書を作成することにする。
しんと静まり返った居間で作業をしていると、すぐに夕方だった。
ひたひたと板張りの床を歩く音がして、顔を上げると有馬だった。顔の赤みが治まっているのを見て安心する。
「おはよう」
有馬は航平がいることに驚いたようで、面映ゆそうに笑った。
「いてくれたんだ」
「ああ。熱、下がったか?」
「うん、だいぶ楽」
机の上を片付けて常温の水を出してやると、有馬は座布団の上に座り込みごくごくと喉を潤した。
「なんか、いい匂いがする」
「雑炊作ったんだ。食べられそうか?」
「食べる」
温めなおした雑炊に海苔と胡麻を振って出してやると、有馬は最初のろのろと匙を動かしていたが、次第に食欲が沸いてきたのか、食べるスピードを上げた。
「食べたら、薬飲んでまた寝ろよ」
「航平は?」
「後片付けをしたら帰るよ。明日は早朝出勤だから」
「うん。来てくれてありがとう」
言葉とは裏腹に、明らかに寂しそうな顔をしている。
こちらの意志などお構いなしに好意をぶつけてきて、強引にキスをしたり、あんなことやこんなことまでしてくるくせに、どうしてこんな場面では遠慮をするのだろう。
「あのさ、有馬」
「うん」
「あんた、アホだよな」
「……え?」
言われた意味が分からなかったのが、有馬がきょとんとする。
こいつ、人生でアホとか言われたことないんだろうな。
「体調悪い時は、遠慮せずにちゃんと頼れよ。曲がりなりにも付き合ってるんだから、さ」
「でも、航平だって疲れ…」
「でもじゃない。俺、あんたが体調悪いこと、あんたの友達から聞かされるとか、すげえ嫌だったんだけど」
そう言うと、有馬は殊勝に頭を下げた。
「それは、ごめん。藤井が君に連絡するなんて思わなかったから」
「良い友達じゃん。後でちゃんと御礼言えよ。あと、俺がいない時は、その藤井さんでも妹さんでも気にせずに頼れ。一人で我慢とか、する必要ないだろ」
「……はい」
「よし。んじゃ、熱に耐えたご褒美な」
冷蔵庫で冷やしておいたプリンをガラスカップのまま出してやる。
緋沙子さんのレシピブックで見つけた一番簡単なレシピ。カラメルソースのかかったカスタードプリンではない。真っ白な、牛乳と砂糖とゼラチンとくず粉だけのシンプルなプリンだ。
喜ぶかと思いきや、有馬はふるふるとした表面を見つめたまま微動だにしない。
あれ。緋沙子さんが「航平のお気に入り♪」ってメモしていたから、好きなのかと思ったけど。あ、大人になって味覚変わったとかなんかな。
心配になる航平の前で、有馬は何故か涙ぐんでいる。
「あ、有馬? どうした?」
「これ、なんで…」
「え、いや、台所で緋沙子さんのレシピ見つけて作ってみたんだけど。悪い、なんか、やっちゃいけない系だったか?」
有馬はスプーンを取ると、プリンを口に入れて、今度は笑った。
「美味しい。航平、ありがとう」
「どういたしまして」
「食べたかったんだ、これ。ずっと前から」
「そっか。6個作ったから、明日もまた食えよ」
「うん。ねえ、航平」
「なに」
「今日、泊まってってよ。明日、職場まで送るから」
ハリネズミのトゲが取れたような、甘えるような言い方だった。
航平は笑う。
急に素直になったな。緋沙子さん効果すげえ。
「泊まってくけど、運転は駄目。明日出勤できそうなら、俺が運転するから」
「航平。もうひとつお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
なんだか嫌な予感がしたので、「お願いの中身による」と予防線を張ると、有馬はちっと舌打ちした。
おい、何のお願いで言質取ろうとしたんだ。どうせエロい系だろ。
「あんた、熱下げるために一緒に汗をかこうとかおっさんみたいなこと言うつもりだったろ」
「え、なんで分かったの? 航平、童貞で魔法使いなの?」
「魔法使いじゃなくても分かるだろ。却下だ却下」
「折角二人きりなのに」
「ちょっと元気になったからって調子に乗ってたらぶり返すぞ。さっさと寝ろ。ほら、水と薬飲め」
「口移しがいい」
「駄目」
「なんで」
「ちゅーとかしたら止まらなくなるだろ!」
「なんだ、航平もエッチなことしたいんじゃない」
「そりゃあな」
「完治したらすごい攻め方してあげるから、楽しみにしてて」
「…さっさと寝ろ」
言い合いながら、有馬の額に触れる。
まだ熱いが、これだけ我が儘と口答えができるなら心配ないだろう。
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