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09:二度目のキス
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片づけをして身支度を整え、靴ベラを交互に使って靴を履いた。鍵皿のキーとコンパスを掴んだ航平の手元を、有馬が後ろから覗き込んだ。
「あれ、これ」
有馬の指先が、鍵皿に置いたままだった紙の切れ端を取り上げた。
「あ、ちょっ!」
取り返そうとするが及ばず、手を高々と上げられてしまう。
「違う!」
「なにが違うの」
「たまたま、捨て忘れてただけだ」
「へええ。ふうん」
有馬は自分が書いたメモを手ににやにやしている。
オーストラリアで、有馬が残していったメモ。
連絡先くらい書いていけよと思いながら、日本まで持って帰ってきてしまった。
なんとなく捨てづらくてそのままにしていた自分が恨めしい。
「もういいだろ、行くぞ。それは、あんたが処分しといてくれればいいから」
「嫌だよ。君が持っておいて」
有馬はメモを綺麗に折りたたむと、航平の胸ポケットに入れた。
「こら、勝手に」
有馬はポケットを上からぽんぽんと叩くと、航平と距離を詰めた。
顔が近い。
「キスは君の部屋でね」
会議室で言われて、ずっと頭にこびりついていた言葉。
マジでする気か。
「おい、やめろって」
「やめない」
有馬が囁く。ふわんとコーヒーが香る。
思わず顔を背けると、ちゅっと音を立てて、頬にキスをされた。
「ごちそうさま。じゃ、行こうか」
有馬はさっさと玄関を出ていく。航平は慌てて鍵を閉めてその後を追った。
なんか拍子抜けだ。緊張して損した。
愛車のエンジンをかけると、有馬は意地悪く笑った。
「唇にされると思った?」
「思ってない!」
「そう? 子ウサギみたいに緊張してたけど」
「誰がだ。あんた、本当性格悪いな」
「好きな子はいじめたくなるタイプだから」
「黙れ」
言い合いは、市ヶ谷の防衛省に着くまで続いた。
航平が出演した、帝都テレビの朝の情報番組「はぴはぴモーニング☆」の5分間コーナー「働くメンズの朝ごはん」は、本人の予想を裏切り、大好評だった。
放送日当日は上司と同僚からベタ褒めされ、広報室の武井3佐も、
「男前に映ってたじゃない! 自衛艦の映像も流してもらえたし、上出来上出来。助かったわ、ありがとう」
と珍しく労をねぎらってくれた。
「よう、お疲れ。テレビ見たぞー。おまえ、朝からカレーとか嘘だろ」
昼休み、食堂に向かう途中で出くわした同期の北村昌人3佐はすぐにヤラセを見破ってきた。
防衛大学校と幹部候補生学校で同じ釜の飯を食った仲なので、互いの生活スタイルは知り尽くしている。
「広報からメニュー指定されたんだよ」
「ああ、武井3佐か。それは断れないな」
北村は納得したように頷いた。
北村は海幕の艦船武器課勤務だ。
同じ海幕でもフロアが違うと会う機会も少ない。久しぶりに昼飯を一緒に食おうと誘ったが、北村はかぶりを振った。
「あー、悪い。今日、弁当なんだ」
「いつから弁当男子になったんだよ」
「いや、作ってくれて。その、彼女が、さ」
照れているのか、語尾が消え入るようだ。
独身同士で不定期に飲みに行く仲だが、最近は出張続きでその余裕もなかった。
浮いた話の少ない真面目な男だが、いつの間にか先を越されていたらしい。
航平はばしりと北村の肩を叩いた。
「彼女出来たんならもっと早く教えろよ」
「つい最近なんだよ」
「どんな子?」
尋ねると、北村は彼女のことを思い浮かべたのか、優しい笑みを湛えた。
「いい子だよ。また、今度話すよ」
「ああ。落ち着いたら飲みに行こうな」
「おう」
そのほか、疎遠になっていた同期や先輩からもメールやメッセージが届き、久しぶりに彼らの近況を聞く機会にもなった。
鎌倉で一人暮らしをしている母からは、叱られた。
お茶の間に露出したことにではなく、事前に教えなかったことに。
「ちょっと航平! テレビに出るんなら前もって教えてくれないと困るじゃないの。お隣の佐々木さんがわざわざ家まで来て、お宅の航平君大活躍ですわね、なんて言うから何事かと思ったわ。私、朝はNHK派だから帝都テレビは見てないのよ。今度来る時、ビデオ持ってきなさいよ。じゃあね、しっかり食べて、仕事頑張るのよ」
相変わらず元気な母は、言いたいことだけ言うと電話を切ってしまった。
有馬からも連絡があった。
「御礼に食事でもどうかな。経費を使えるし、なんでも好きなものご馳走するよ」
ちょっと考えてから、「肉」とだけ返信する。
返ってきたハートマークのスタンプは既読スルーした。
「あれ、これ」
有馬の指先が、鍵皿に置いたままだった紙の切れ端を取り上げた。
「あ、ちょっ!」
取り返そうとするが及ばず、手を高々と上げられてしまう。
「違う!」
「なにが違うの」
「たまたま、捨て忘れてただけだ」
「へええ。ふうん」
有馬は自分が書いたメモを手ににやにやしている。
オーストラリアで、有馬が残していったメモ。
連絡先くらい書いていけよと思いながら、日本まで持って帰ってきてしまった。
なんとなく捨てづらくてそのままにしていた自分が恨めしい。
「もういいだろ、行くぞ。それは、あんたが処分しといてくれればいいから」
「嫌だよ。君が持っておいて」
有馬はメモを綺麗に折りたたむと、航平の胸ポケットに入れた。
「こら、勝手に」
有馬はポケットを上からぽんぽんと叩くと、航平と距離を詰めた。
顔が近い。
「キスは君の部屋でね」
会議室で言われて、ずっと頭にこびりついていた言葉。
マジでする気か。
「おい、やめろって」
「やめない」
有馬が囁く。ふわんとコーヒーが香る。
思わず顔を背けると、ちゅっと音を立てて、頬にキスをされた。
「ごちそうさま。じゃ、行こうか」
有馬はさっさと玄関を出ていく。航平は慌てて鍵を閉めてその後を追った。
なんか拍子抜けだ。緊張して損した。
愛車のエンジンをかけると、有馬は意地悪く笑った。
「唇にされると思った?」
「思ってない!」
「そう? 子ウサギみたいに緊張してたけど」
「誰がだ。あんた、本当性格悪いな」
「好きな子はいじめたくなるタイプだから」
「黙れ」
言い合いは、市ヶ谷の防衛省に着くまで続いた。
航平が出演した、帝都テレビの朝の情報番組「はぴはぴモーニング☆」の5分間コーナー「働くメンズの朝ごはん」は、本人の予想を裏切り、大好評だった。
放送日当日は上司と同僚からベタ褒めされ、広報室の武井3佐も、
「男前に映ってたじゃない! 自衛艦の映像も流してもらえたし、上出来上出来。助かったわ、ありがとう」
と珍しく労をねぎらってくれた。
「よう、お疲れ。テレビ見たぞー。おまえ、朝からカレーとか嘘だろ」
昼休み、食堂に向かう途中で出くわした同期の北村昌人3佐はすぐにヤラセを見破ってきた。
防衛大学校と幹部候補生学校で同じ釜の飯を食った仲なので、互いの生活スタイルは知り尽くしている。
「広報からメニュー指定されたんだよ」
「ああ、武井3佐か。それは断れないな」
北村は納得したように頷いた。
北村は海幕の艦船武器課勤務だ。
同じ海幕でもフロアが違うと会う機会も少ない。久しぶりに昼飯を一緒に食おうと誘ったが、北村はかぶりを振った。
「あー、悪い。今日、弁当なんだ」
「いつから弁当男子になったんだよ」
「いや、作ってくれて。その、彼女が、さ」
照れているのか、語尾が消え入るようだ。
独身同士で不定期に飲みに行く仲だが、最近は出張続きでその余裕もなかった。
浮いた話の少ない真面目な男だが、いつの間にか先を越されていたらしい。
航平はばしりと北村の肩を叩いた。
「彼女出来たんならもっと早く教えろよ」
「つい最近なんだよ」
「どんな子?」
尋ねると、北村は彼女のことを思い浮かべたのか、優しい笑みを湛えた。
「いい子だよ。また、今度話すよ」
「ああ。落ち着いたら飲みに行こうな」
「おう」
そのほか、疎遠になっていた同期や先輩からもメールやメッセージが届き、久しぶりに彼らの近況を聞く機会にもなった。
鎌倉で一人暮らしをしている母からは、叱られた。
お茶の間に露出したことにではなく、事前に教えなかったことに。
「ちょっと航平! テレビに出るんなら前もって教えてくれないと困るじゃないの。お隣の佐々木さんがわざわざ家まで来て、お宅の航平君大活躍ですわね、なんて言うから何事かと思ったわ。私、朝はNHK派だから帝都テレビは見てないのよ。今度来る時、ビデオ持ってきなさいよ。じゃあね、しっかり食べて、仕事頑張るのよ」
相変わらず元気な母は、言いたいことだけ言うと電話を切ってしまった。
有馬からも連絡があった。
「御礼に食事でもどうかな。経費を使えるし、なんでも好きなものご馳走するよ」
ちょっと考えてから、「肉」とだけ返信する。
返ってきたハートマークのスタンプは既読スルーした。
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