ヤンキーDKの献身

ナムラケイ

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番外編

Sky Blue Earrings 1

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 東京大学駒場キャンパス生協食堂の「カフェテリア若葉」は昼食にありつく学生でにぎわっている。
 トレイを持ってサークル仲間の福井と席を探していると、「三沢ー、福井ー、ここ空いてるぞー」と手招きされた。
 呼ばれたテーブルは大教室のミクロ経済学で顔を合わせる連中が何人か集まっている。

「おつー」
「おう、おつかれ」
 適当に挨拶を交わしながら席につき、空乃は「いただきます」と手を合わせる。
 生協食堂のメニューは100種類以上あるので、トレイの上の料理はばらばらだ。
 空乃は料理が好きなので、人が何を食べているのか気になってしまう。
 今日の空乃のチョイスは、スタンダードにポークカレーとサラダだ。

「三沢ー、昨日の商法、ノートコピーさせてくれ」
 斜め向かいの佐藤がいきなり空乃を拝む仕草をする。空乃はつれなく言った。
「却下。おまえ、サボりだろ」  
「バイト入れちゃっててさ」
「学生の本分は学業だろ。講義優先しろよ」
「来月彼女の誕生日で物入りなんだよ。頼む!」
「俺が彼女だったら、講義さぼって稼いだ金で奢られたくねえな」
 コピーくらい減るものでもないし最初から貸してやる気ではあるが、佐藤の反応が面白いのと、何より本人のためにならないので一応渋ってみせる。
 佐藤の昼食は素うどんだけで、金を貯めているのは本当のようだ。
「三沢って、真面目だしガリ勉だよな。単位さえ取れればいいんだから、勉強なんて適当にやっときゃいいじゃん」
 他の誰かが茶々を入れる。
 害のない程度の悪意を含んだ戯言に、福井が静かに割り込んだ。
「何言ってる。世間様から見れば、東大生なんて全員ガリ勉だろ」
 その台詞に、全員が爆笑の渦に陥る。
 福井は、なんでもないような言葉を瞬発的に発して空気を変えることができる。
 空乃は感情が高ぶると押さえきれないタイプなので、福井のこういうところを尊敬している。  
 合気道サークルの練習でも福井と組むことが一番多い。

 学生の話題はピンポン玉が跳ねるようにどんどん変わっていく。
 誰かが語学の講義について話している。
「私、選択、スペイン語か中国チャイ語かで迷ったんだけどねー」
「そこは絶対チャイ語だろ。ライティングとリーディングだけなら、一番楽勝じゃん」

 スペイン語と聞いて、ふと、高校の時よくつるんでいた武部たけべみのりを思い出した。
 外交官を目指しているみのりは、東京外国語大学のスペイン語学科に進学し、数か国語の研鑽を積んでいる。
 先週ラインを送ったら、「1日100単語覚えろってシゴかれてる><」と愚痴っていたが、最後のメッセージは「しんどいけど、楽しいよー」だった。
 高校の時につるんでいたメンツは、卒業と同時にバラバラになった。東京に残ったのは空乃とみのりだけだ。
 宮内敦は父親の母校でもある京都大学に、泉田塔子は故郷であるマレーシアのマラヤ大学に進学した。変わり者でケンカ友達だった小倉弥彦は、進学はせずに世界一周の旅に出た。今はバングラデシュにいるようだ。

「大学に入れば、新しい世界が開ける」
 いつか行人がそう言っていたが、全くそのとおりだった。
 制服を脱いでから見るもの聞くもの全部が新しいし、人の輪がぐんと広がった。
 生活が変わって、あいつらと離れ離れになったのは別に悲しくはない。すこし、寂しいだけだ。
 楽しくて忙しい日々の中、ちょっとした時間の間隙なんかに、オレンジ色に染まる放課後の教室や、溜まり場だった校舎裏の涼しさや、チャイムの音色と一緒に、あいつらのたくさんの表情を懐かしく思い出す。
 それから、誰かに暴力をふるっていた時の拳の痛みと虚しさも。

 繰り広げられている、どのゼミがシビアか楽か談義を話半分に聞きながら、空乃はカレーを頬張る。
 行人がカレー好きなので、家のカレーはスパイスから作る本格派だが、食堂のカレーには食堂のカレー特有の美味さがある。

 腹が減っていたこともあり無心に食べていると、不意に視線を感じた。
 左横に座る中曽根亜子にチラ見されている。
 大教室で数回話した程度だが、印象的な苗字なのでフルネームで覚えている。かの政治家一族とは全く無縁らしいが。
「よく食べるね」
「朝飯食えなかったから」
 朝、行人を起こしに行ったら、寝ぼけた行人に布団に引きずり込まれ、ぬくもりに負けて二度寝してしまったのだ。
 寝ぼけ眼まなこでシャツの裾を握ってきた行人は30過ぎとは思えないほど愛らしかった。

「そうなんだ、一人暮らし?」
「そ。恵比寿のオンボロアパート」
「いいなあ、私は実家だから」
 日常会話の大抵は意味がないものだ。
 亜子は会話をつなぎながら、もそもそとロコモコ丼を食べている。
 空乃は、男でも女でもぱくぱく元気よく食べる人が好きなので、なんとなく目を逸らした。
 亜子は続ける。 
「そのピアス、綺麗だね」
 前振りなく褒められて、スプーンを止めた。カレーを飲み下してから、「さんきゅ」と答える。
「どこで買ったの?」
「さあ。贈りものだから」
 オパールが埋め込まれたピアスは、東大の合格祝いに行人がプレゼントしてくれたものだ。
 薄い雲が流れる青空を閉じ込めたような石は、光や時間の加減で、明るい空色になったり深い海の色になったりする。
 とても綺麗で、行人からの贈り物だということを差し引いても、一目で気に入った。
 大切なものだから、他人から褒められるのはくすぐったいけれど、あまり多くを語りたくもない。

 亜子が女性らしい仕草で小首を傾げた。
「あ、彼女から、でしょ?」
「ちげえよ」
 それを聞いて亜子が口角を上げた。
 小動物系のキュートな顔立ちで、大教室でも人気のある子だ。
 ピンク色に塗られたつやめく唇で微笑む様子は可愛いとは思うが、それだけだ。
 行人の唇以外、興味があるはずもない。
「えー、嘘だあ」
「嘘じゃねえって。ほら、メシ冷めるぞ」
「んー、もうお腹いっぱい。ね、私もこういうピアス欲しいな」
 ジェルネイルで飾られた指が耳に近づいてくるのが視界に入り、咄嗟に振り払った。
「触んなって」
 つい大きな声が出てしまった。
 亜子がびくりと手を引っ込めた。気まずい空気が流れる。
 向かいで隣の女子と話していた福井が、あーあという目で見てくる。
「悪い、ごめん」
「ううん、私こそごめんね」
 咄嗟に謝るが、亜子は青ざめている。
「いや、俺が悪かった。けど、あんま無防備に男に触んなよ」
 安心させようと少し笑ってみせると、亜子は今度は赤くなる。女子の反応はいちいち不可解だ。
「三沢、天然にタラすよな」
 福井がぼそりと言う。 
 面倒になった空乃はさっさとトレイを空にして席を立った。
 3限目は民法だ。少し早いが教室に行って予習でもしていよう。
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