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2008: 夏の到来、終章のその先へ
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行人の連れには見覚えがあった。去年卒業した先輩で、あまり性質の良い男ではない。
「そいつはやめとけ」
誠二の忠告に行人は唇を噛んだ。
「…誠二には関係ない」
「関係なくねえだろ!」
かっとなって、左拳を横殴りに扉に打ち付けた。固い痛みに腕が痺れる。
「あー、俺、帰るわ。めんどいの勘弁だから」
誠二が藤森誠二だと知っているのだろう。連れの男は肩をすくめて階段を降りていく。
「鍵、開けろよ」
促すと、行人は無表情のまま「開いてる」と答えてノブを捻った。本当に鍵を掛けていなかったらしい。
「不用心すぎるだろ」
「盗られて困るものなんてない」
行人はそう言って、「もう、どうでもいいんだ」と付け加えた。
拒否はされなかったので、誠二は行人に続いて部屋に入った。
2DKの狭いアパートは家具らしい家具もなく殺風景だった。
小さな冷蔵庫、ちゃぶ台、布団、扇風機。それだけだ。黄色くなった畳の上に、教科書や公務員試験の問題集が直に積まれている。
「で、何しに来たの」
行人は億劫そうに言った。
「さっきの野郎と寝たのか?」
ストレートに訊くと、行人は身体を震わせた。
「おまえが邪魔しなければ寝てたよ」
自分から訊いておいて、でも聞きたくなかった答えに、血がぶわりと沸騰する。
「……んで。なんでだよ」
あんまりだ。
あんなに、愛して愛されているように見えたのに。死んじまったら、それで終わりなのか。
「おまえ、あいつのこと、もう忘れちまったのか。なあ!」
行人の両腕を掴み、その細さに慄く。
行人は俯いたまま、されるがままになっている。
「なあ、なんとか言えよ! そりゃ、おまえを置いて先に逝っちまったあいつが悪いよ。けど、こんなのは、あんまりだろ」
不覚にも目頭が熱くなった。
黙ったままの行人の頭を掴んで、前を向けさせる。眼鏡が落ちて、かしゃんと音を立てた。
見開かれた行人の瞳に、自分が映り込んでいる。兄によく似た自分の目が。
「……ちや、さん」
行人が呟いた。
その瞳にみるみる涙が溜まっていき、ぼろりとこぼれた。
「忘れるわけないじゃないか!」
行人は叫んで、振り払った両手を誠二の胸に打ち付けた。
「忘れるわけない! 忘れるわけない! 忘れられないんだ! でも、ひとりじゃ、眠れないんだ」
「チカ」
叩かれる胸が痛かったけれど、誠二は行人のやりたいようにさせた。
「一人だと眠れないんだ。一哉さんのことばかり考えて、悔しくて悲しくて寂しくて。だから、眠れるほど疲れさせてくれるなら誰でもいいんだ」
「…だから、適当な男と寝てるっていうのかよ」
「でも駄目なんだ。起きたらまた一哉さんのことばかり考えて、夜になるのが怖くて。眠れなくて」
縋りついたまま、行人は細い肩を震わせている。
その身体を、誠二は思いきり抱き締めた。
密着した胸から行人の鼓動が伝わってくる。こいつは、生きている。
生きていかなくてはならない。
「せい、じ?」
「誰でもいいんなら、俺でもいいよな」
「え? だって、おまえは」
多分行人は、ゲイじゃないだろとか言おうとしたんだろう。その唇を塞いだ。
初めて触れる行人の唇は柔らかくて、でもそこには恋も愛もなくて空しいだけで。
「おまえと、慰め合うみたいな真似はしたくないんだ」
キスを引き剥がして、行人が訴える。
「なんで」
慰め合えばいい。失った者同士で。
行人は真っ直ぐに誠二を見た。涙に濡れた目が優しく揺らぐ。
「だって、俺よりおまえの方が傷ついてる」
好きだとか、守りたいとか、大切にしたいとか。
そんな言葉付きの感情を超えた何かが襲って、誠二はより強く行人を抱きしめた。
ただ無条件に、この男が欲しいと思った。
「誠二?」
力の強さに驚いたのか、行人が瞬く。
その瞼を手で塞いだ。
「兄貴のこと考えてろ。泥みたいに眠れるほど、疲れさせてやる」
薄い布団の上で誠二に抱かれている間、行人はずっと泣いていた。
繋がって揺さぶられながら、体中の水分が無くなるんじゃないかと心配になるくらい大泣きする行人の頭を、誠二は撫で続けた。
日が暮れるまで求めあって、けれど互いに達することはできないまま、疲れ果てて倒れ込んだ。
これまでで一番不毛で、心が痛いだけのセックスだった。
眩しさに目が覚めた。
目の前で眠る行人は、瞼が腫れて赤くなっている。痛々しくてそっと指先で触れると、行人は目を覚ました。
「よお」
「うん」
気まずいのはお互いさまだ。
ほぼ全裸で2人で寝ているというシチュエーションに耐えられず、誠二は起き出してTシャツをかぶった。
行人は身を起こすと、猫のように目元を擦った。まだ眠そうだが、憑き物が落ちたようにすっきりした顔をしている。
「一哉さんは、死んだんだ」
布団の中で、行人が確かめるようにゆっくりと言った。
「チカ?」
「死んじゃったんだ」
それは、誠二も行人も認めたくなかった事実。
あいつは、もういない。求めても焦がれても、二度と会うことはできない。
残ったのは、楽しかった思い出だけだ。それもきっと段々薄れていく。
「そうだな」
誠二は行人の頭をくしゃりと撫でた。
1限から逃すと卒業に響く授業があるので、誠二は手早く身支度を済ませた。もう少し眠ると言う行人に、別れ際に言う。
「おまえがまた誰かを好きになるまで、寝れない時はいつでも呼べ。兄の不始末の責任は取ってやる。だから、あんま変な男と関わんな」
布団に座ったまま、行人は寂しげに目を伏せた。
「俺は、もう誰も好きになれないかもしれない」
「そしたら、一生面倒見てやるよ」
行人はきょとんとして、それから笑った。
「おまえ、馬鹿じゃん」
久しぶりに見た行人の笑顔に、誠二は胸を突かれる。
一哉。おまえ、本当アホだよな。
こんないい男残して逝くなんて。
せいぜい悔しがれ。
アパートの外に出ると、外廊下を吹き抜ける風は熱を孕んで暑い。
音を立てて階段を降りながら、誠二は煙草のフィルムを外し、火を付けた。どこか遠くから蝉の声が聴こえる。
「もう夏か」
新しい季節が来たのだ。
「そいつはやめとけ」
誠二の忠告に行人は唇を噛んだ。
「…誠二には関係ない」
「関係なくねえだろ!」
かっとなって、左拳を横殴りに扉に打ち付けた。固い痛みに腕が痺れる。
「あー、俺、帰るわ。めんどいの勘弁だから」
誠二が藤森誠二だと知っているのだろう。連れの男は肩をすくめて階段を降りていく。
「鍵、開けろよ」
促すと、行人は無表情のまま「開いてる」と答えてノブを捻った。本当に鍵を掛けていなかったらしい。
「不用心すぎるだろ」
「盗られて困るものなんてない」
行人はそう言って、「もう、どうでもいいんだ」と付け加えた。
拒否はされなかったので、誠二は行人に続いて部屋に入った。
2DKの狭いアパートは家具らしい家具もなく殺風景だった。
小さな冷蔵庫、ちゃぶ台、布団、扇風機。それだけだ。黄色くなった畳の上に、教科書や公務員試験の問題集が直に積まれている。
「で、何しに来たの」
行人は億劫そうに言った。
「さっきの野郎と寝たのか?」
ストレートに訊くと、行人は身体を震わせた。
「おまえが邪魔しなければ寝てたよ」
自分から訊いておいて、でも聞きたくなかった答えに、血がぶわりと沸騰する。
「……んで。なんでだよ」
あんまりだ。
あんなに、愛して愛されているように見えたのに。死んじまったら、それで終わりなのか。
「おまえ、あいつのこと、もう忘れちまったのか。なあ!」
行人の両腕を掴み、その細さに慄く。
行人は俯いたまま、されるがままになっている。
「なあ、なんとか言えよ! そりゃ、おまえを置いて先に逝っちまったあいつが悪いよ。けど、こんなのは、あんまりだろ」
不覚にも目頭が熱くなった。
黙ったままの行人の頭を掴んで、前を向けさせる。眼鏡が落ちて、かしゃんと音を立てた。
見開かれた行人の瞳に、自分が映り込んでいる。兄によく似た自分の目が。
「……ちや、さん」
行人が呟いた。
その瞳にみるみる涙が溜まっていき、ぼろりとこぼれた。
「忘れるわけないじゃないか!」
行人は叫んで、振り払った両手を誠二の胸に打ち付けた。
「忘れるわけない! 忘れるわけない! 忘れられないんだ! でも、ひとりじゃ、眠れないんだ」
「チカ」
叩かれる胸が痛かったけれど、誠二は行人のやりたいようにさせた。
「一人だと眠れないんだ。一哉さんのことばかり考えて、悔しくて悲しくて寂しくて。だから、眠れるほど疲れさせてくれるなら誰でもいいんだ」
「…だから、適当な男と寝てるっていうのかよ」
「でも駄目なんだ。起きたらまた一哉さんのことばかり考えて、夜になるのが怖くて。眠れなくて」
縋りついたまま、行人は細い肩を震わせている。
その身体を、誠二は思いきり抱き締めた。
密着した胸から行人の鼓動が伝わってくる。こいつは、生きている。
生きていかなくてはならない。
「せい、じ?」
「誰でもいいんなら、俺でもいいよな」
「え? だって、おまえは」
多分行人は、ゲイじゃないだろとか言おうとしたんだろう。その唇を塞いだ。
初めて触れる行人の唇は柔らかくて、でもそこには恋も愛もなくて空しいだけで。
「おまえと、慰め合うみたいな真似はしたくないんだ」
キスを引き剥がして、行人が訴える。
「なんで」
慰め合えばいい。失った者同士で。
行人は真っ直ぐに誠二を見た。涙に濡れた目が優しく揺らぐ。
「だって、俺よりおまえの方が傷ついてる」
好きだとか、守りたいとか、大切にしたいとか。
そんな言葉付きの感情を超えた何かが襲って、誠二はより強く行人を抱きしめた。
ただ無条件に、この男が欲しいと思った。
「誠二?」
力の強さに驚いたのか、行人が瞬く。
その瞼を手で塞いだ。
「兄貴のこと考えてろ。泥みたいに眠れるほど、疲れさせてやる」
薄い布団の上で誠二に抱かれている間、行人はずっと泣いていた。
繋がって揺さぶられながら、体中の水分が無くなるんじゃないかと心配になるくらい大泣きする行人の頭を、誠二は撫で続けた。
日が暮れるまで求めあって、けれど互いに達することはできないまま、疲れ果てて倒れ込んだ。
これまでで一番不毛で、心が痛いだけのセックスだった。
眩しさに目が覚めた。
目の前で眠る行人は、瞼が腫れて赤くなっている。痛々しくてそっと指先で触れると、行人は目を覚ました。
「よお」
「うん」
気まずいのはお互いさまだ。
ほぼ全裸で2人で寝ているというシチュエーションに耐えられず、誠二は起き出してTシャツをかぶった。
行人は身を起こすと、猫のように目元を擦った。まだ眠そうだが、憑き物が落ちたようにすっきりした顔をしている。
「一哉さんは、死んだんだ」
布団の中で、行人が確かめるようにゆっくりと言った。
「チカ?」
「死んじゃったんだ」
それは、誠二も行人も認めたくなかった事実。
あいつは、もういない。求めても焦がれても、二度と会うことはできない。
残ったのは、楽しかった思い出だけだ。それもきっと段々薄れていく。
「そうだな」
誠二は行人の頭をくしゃりと撫でた。
1限から逃すと卒業に響く授業があるので、誠二は手早く身支度を済ませた。もう少し眠ると言う行人に、別れ際に言う。
「おまえがまた誰かを好きになるまで、寝れない時はいつでも呼べ。兄の不始末の責任は取ってやる。だから、あんま変な男と関わんな」
布団に座ったまま、行人は寂しげに目を伏せた。
「俺は、もう誰も好きになれないかもしれない」
「そしたら、一生面倒見てやるよ」
行人はきょとんとして、それから笑った。
「おまえ、馬鹿じゃん」
久しぶりに見た行人の笑顔に、誠二は胸を突かれる。
一哉。おまえ、本当アホだよな。
こんないい男残して逝くなんて。
せいぜい悔しがれ。
アパートの外に出ると、外廊下を吹き抜ける風は熱を孕んで暑い。
音を立てて階段を降りながら、誠二は煙草のフィルムを外し、火を付けた。どこか遠くから蝉の声が聴こえる。
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新しい季節が来たのだ。
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