ヤンキーDKの献身

ナムラケイ

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2008: 満開の桜、刹那のごとく

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 目黒川の夜桜に3人は息をのんだ。
 川の両側の桜並木は満開に咲き誇り、広がる枝は花の重みでその先を川へ向けている。
 薄ピンクの花びらはライトアップされて濃く妖艶に光り、その光が流れる川面に映り込む。
 見上げると、頭上にはナイフで削り取ったような細い三日月が冴え冴えと光っている。

「すげーな」
 誠二が感嘆のため息がかった声を漏らした。
 三人は川を渡す橋の欄干に並んでもたれ掛かった。
 花見には日本酒だろうと、誠二が買ってきたワンカップを舐める。
 一哉と誠二がいれば、どんな酒だって美味い。いくらでも呑める気がする。
 行人は酒の甘みと風に散りゆく桜に頬を緩ませた。
 花に、嵐。
 行人の情緒に気付いたのか、一哉が歌うように言った。
「この盃を受けてくれ。どうぞ並々注がしておくれ」
 どきりと胸が鳴った。
 横に立つ誠二が、川面に視線を落としたまま続ける。
「花に嵐のたとえもあるぞ」
 著名な漢詩のその先を、行人は舌に乗せた。
「サヨナラだけが人生だ」

 さあっと。春の風が吹き抜けた。
 周りには夜桜を見物する沢山の人々が行き交っている。なのに、自分達3人だけが世界から切り取られたような心もとなさを行人は感じる。
 この世のものではないような美しさ。やわらかな春の風にさえも耐え切れず、はらはらと散る桜。

 急に心細くなって、行人は隣に立つ一哉の手を握った。
「どうしたの?」
 一哉が不思議そうに行人を見る。
 いつもと変わらない優し気な表情が妙に儚く見えて、行人は一層強くその手を握った。
「なんか、怖い」
 繋いだ手を引き、一哉はふわりと行人を抱きしめた。すっかり馴染んだ大好きな男の匂いが鼻孔を掠め、行人は溜め息を漏らした。
「チカ、ずっと一緒にいよう」
 一哉が耳元で囁く。
「……本当に?」
「うん。ずっと一緒にいる。だから何も怖くないよ」 
 子供にするようにぽんぽんと背を叩かれる。
 行人のマフラーを持ち上げて口元を隠すようにし、一哉は行人に口づけた。
 夜風に晒された唇は冷たくて、でも熱くて、行人は夢中で貪った。
 俺の、初めての男。俺に、本当の意味での生きることと愛することを教えてくれた男。
「こーら、公衆の面前だぞ」
 咎める誠二の声さえ幸福に聞こえる。
 ずっと、一緒に。
 一哉の肩越しに広がる桜を瞼に焼き付けるように、行人は呟いた。
「時間よ止まれ。汝は美しい」



 実兄と同級生の熱いキスなんか見せられた身にもなってほしい。
 夜桜見物を終え、自宅へ戻る一哉と行人と別れ、誠二は女友達の家に転がり込んだ。
「ったく、あんたは都合の良い時しか連絡してこないわよね」
 そう言いながらも、女は寝床を提供してくれる。
 その見返りに与える、酒と飯と丁寧なセックスと甘い言葉。
 女を抱きながら、今頃、行人も一哉にこんな風に抱かれているんだろうなと不埒で無意味な想像を巡らせる。 
 そんな2晩を過ごし、市ヶ谷に戻ると、お堀沿いの桜はほとんど散っていた。そういえば、昨夜は嵐のように風が強かった。

 平日の11時。
 いつもならとっくに店を開けている時間なのに、懐古堂はシャッターが下りたままだ。臨時休業の張り紙を出しているわけでもない。
「なんだ?」
 一抹の不安が過ぎる。
「まさかヤりすぎて時間忘れてるとかじゃねえだろうな」
 ふざけた独り言を吐いてみるが、不安はより強くなるばかりだ。
 裏に回って勝手口から家に入る。

「ただいまー」
 声を張るが、返事はない。 
 異様に静かだ。
 何の音も匂いもしない。気配さえない。
「出かけてんのか?」
 普段、誠二は独り言なんて言わない。けれどこの時は、何か音を発していなければ不安だった。
 玄関側の階段を三階まで上がる。
 誠二の部屋。行人の部屋。一哉の部屋。空き部屋。
 並ぶ扉はどれも閉まっている。
 携帯を見るが、一哉からも行人からも連絡がない。家を空ける時は大抵連絡が来るのに。

「んだよ」
 立ち止まって一哉の部屋の扉を見る。
 その時、急に寒気が襲った。
 開けなければ、嫌、
 駄目だ。開けるな。開けない方がいい。でも、開けないと。
 木製の横開きの扉。その木目が目玉のように見えるので、子供の頃、兄弟はいつも怖がっていた。その扉。

「兄貴?」
 珍しく一哉のことをそう呼び、誠二は扉をすらりと開いた。
 カーテン越しに光が差し込み、部屋は薄暗い。その中央に敷かれた布団。
 半分めくれた掛け布団の下、二人の裸体。
 一哉と行人が抱き合うように眠っている。ように見えた。

 その後のことは、あまり覚えていない。
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