戦闘機乗りの劣情

ナムラケイ

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頭下げてなんぼだろ@TWG

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 言い訳をさせてほしい。
 その日は、余裕がなかったのだ。

 新規開拓した顧客向けの企画書の提出期限が迫る傍ら、サブリーダーを任されているシンガポール政府向け港湾監視システム・プロジェクトの入札が来週に控えていた。
 猫の手も借りたいほどの忙しさの中、追い打ちをかけるように、進行中の商業ビル開発プロジェクトではトラブルが発生。
 取引先に呼び出されて、先輩の金子文隆と一緒に説明に赴けば、言いがかりに近いクレームを延々2時間聞かされた。

 マリーナベイ・サンズにある取引先の事務所を後にし、直樹は大きく溜め息をついた。
 その背中を金子がばしりと叩いてくる。
「こんくらいでヘコむな」
「このクソ忙しいのに、散々嫌味言われればヘコみますって」
「俺らの商売、口八丁手八丁、頭下げてなんぼだろ。それで仕事が回って、給料貰えるならいくらでも頭下げるっつーの」
 へらへらと調子のいい金子であるが、頭の回転が早ければ、割り切りも切り替えも早い。
「俺は金子さんほどメンタル強くありませんから」

 プロジェクトの進行のトラブルは、五和商事が契約している現地ゼネコンとその下請けの連絡ミスが原因だった。
 連帯責任も契約責任も頭では理解しているが、自分のミスではないことで時間を取られるのはダメージが大きい。
 折角同棲を始めたのに、この忙しさのせいで近間ともすれ違いの日々だ。

「次のアポまで時間あるな。コーヒーでも飲んでくか」
 スタバ大好き人間の金子が、コーヒーでもと言いながら指さしたのは、紅茶専門店のTWGだった。
 直樹の紅茶好きは社内でも有名だから、金子なりに気を遣っていてくれるのだろう。
 店の前で店員の案内を待っていると、行きかう人々の中にふわふわの黒髪が見えた。
 日本大使館はここから随分離れている。
 幻を見るほど疲れているのかと目を瞬いたが、直樹があの人を見間違うはずもない。

「近間さん」
 呼びかけると、近間はすぐに振り返った。朝出かけた時と同じスーツ姿で、ビジネスバッグを下げている。
 直樹を認めると、にっこりと笑った。
「偶然だな。仕事中?」
「はい。近間さんは?」
「今度出張で来る偉いさんがベイサンズに泊まるから、下見に来てた」
「梶、順番来たぞ。そちら、知り合い?」
 直樹を呼びに来た金子は、驚いたような顔をした。
 近間は飛び抜けて整った容姿をしているので、初対面の人は大体こういう反応をする。
 近間はすぐに余所行きの笑みを浮かべ、お辞儀をした。
「はじめまして。近間と申します」
「五和商事の金子です。梶とは、仕事関係ですか?」
 直樹は慌てて間に割って入る。
「金子さん、近間さんは俺の」
 俺の。
 言葉を止めた直樹に、金子は不思議そうに首を傾げる。
 近間は穏やかな表情のまま続けた。
「約束がありますので、ここで失礼します。じゃあ、梶さん、また」
 直樹の答えを待たず、軽くお辞儀をして、去っていく。
「すげえ男前だな。モデルか何かか?」 
 浮ついている金子の横で、直樹は拳を握りしめた。


 崩しても崩してもテトリスのように落ちてくる仕事になんとか区切りをつけ、帰宅した時には日付が変わっていた。
 間接照明だけつけたリビングのソファの上で、近間は軍事雑誌を眺めていた。
「おかえり。おまえ、クマひどいぞ。風呂入ったら、すぐ寝ろよ。飯、ちゃんと食ったか?」
 甲斐甲斐しく聞いてくる近間の横に、スーツ姿のまま腰を下ろした。
「昼間はすみませんでした」
 とりあえず謝ると、近間は首を傾げた。
「なにが?」
「近間さんのこと、付き合ってる人だって、きちんと紹介したかったです」
 近間は雑誌を置くと、真面目な顔つきで直樹に向き直った。
「金子さんとやらは、おまえにとってそんなに大事な人なのか?」
「いえ、大学の先輩で、同僚ってだけで、大事というわけでは」
「だったらそもそも言う必要ないだろ」
「でも、近間さんは、ご家族も職場の人も知っているのに」
 俺だって、身近な人に知ってほしい。分かってほしい。この人は俺のものだと大声で言いたい。
 それは贅沢な望みだと分かっている。
 望んでいるくせに、そうする勇気がないことも。

「どっちの誰が知ってるとか、比べることじゃないだろ。おまえ、なに過剰反応してんだよ」
 頭が回っていないのか、うまく言葉が出てこない。
 押し黙る直樹に、近間はため息をついた。
「あのな。結婚してるならともかく、男女間でも、ああいう時に俺の彼女ですとか紹介しないだろ」
「近間さんが女の人だったら良かったのに。そしたら俺は速攻で紹介してます」
 口走ってしまってから、すぐに失敗したと気付いた。
 思わず口を手で押さえる。

 近間は、真顔で直樹を見ていた。
 表情を失った顔は人形のようで、直樹の心はすっと冷える。
 女性だったら。
 それは、絶対に言ってはいけないことだった。
 セックスにおいて、近間が受け入れる側だからこそ。
 近間が、男性にしかなれない戦闘機パイロットだからこそ。

「すみません、俺、つい」
 慌てて弁解しようとするが、ロクな言葉が出てこない。
「……つい、か。普段思ってることだから、つい、口に出たんだよな」
 近間は立ち上がると、直樹を見下ろした。
「違っ」
「違わないだろ。おまえ、疲れてんだよ。ちょっと頭冷やせ」
 近間は足早に玄関へ向かっていく。
 その背中は絶対的な拒絶を示していて、追いかけなければと思うのに、脚が動かなかった。
 真夜中の部屋に、ぱたんと扉の閉まる音が響いた。
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