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泣かせるなよ@インフィニティ・プール
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高級ホテルのような絨毯敷きの内廊下を通り、案内されたのは、カウンターと椅子が2脚だけの個室だった。
木目調の内装が落ち着いた空間を演出していて、居心地が良い。
「いらっしゃいませ」
カウンターの前で出迎えたシェフに、近間は愛想良く「こんばんは。お世話になります」と返している。
近間は、ハイソな雰囲気は苦手だと言う割に、どんな場所でも気後れしないし、礼儀正しく振る舞える男だ。
直樹も同じように挨拶をして、席に着いた。
誕生日の記念ディナーに選んだのは、シンガポールの象徴、マリーナベイサンズにある星付きレストラン「Waku Ghin」だ。
直樹は、姿勢良く席に座ってワインリストを眺めている近間を眺める。
普段は向かい合って食事をすることが多いので、なんだか新鮮なアングルだ。
毎日見ていても、やっぱり綺麗な人だと思う。
土曜日だが、記念日なので二人ともジャケットスタイルだ。
近間はインナーに黒のサマーニットを着ていて、深めのVネックから覗く白い胸元が眩しい。
「おまえ、俺を見てないでメニューを見ろよ」
直樹の視線に気づいたのか、近間が睨んでくる。
「近間さん、そのニット、俺がいない時に着ないでください」
「なんで。おまえが似合うって言ったから買ったんだろうが」
「めちゃくちゃ似合ってますけど、色っぽすぎです。そんなの着て1人で歩いてたら、襲われそうで不安です」
「おまえなあ、ここ、公共の場だぞ」
近間は呆れ顔で苦情を呈しているが、心得ているシェフは、二人の会話など全く聞こえないように、調理に没頭している雰囲気を出してくれている。
この後運動をするので、シャンパンはグラスで注文した。
「近間さん、お誕生日おめでとうございます」
直樹は繊細にきらめくグラスを掲げて、近間と視線を合わせる。
「サンキュ。じゃ、乾杯」
口に含んだシャンパンは、冷たくて、花が咲いたように華やかな香りだ。
近間は一口飲んで「うまい」と言い、それだけのことに嬉しくなる。
「お口にあって良かったです」
料理はすぐに運ばれてきた。
クラッシュアイスの上にウニが殻ごと、更にその上にエビとキャビアが乗っている。
「お大尽のような料理だな」
「今日ばかりはお大尽でいてください」
「うむ。今日ばかりは散財を許そう」
時代劇調で乗ってくる近間に、直樹は肩をすくめてみせた。
「近間さんのためだったら、全財産投げ出したって惜しくありません」
冗談ではなく、本心だ。
あんたのためなら何だってしたいって、いつだって思っている。
「老後のために取っとけよ。俺ら、面倒見てくれる子供もいないんだから」
意識せずに言ったのだろうが、俺ら、と言ってくれたことに胸が温かくなった。
料理はどれもとろけるような美味さで、近間が一皿ごとに感激しながら美味そうに食べるので、シェフも顔が綻んでいた。
食事の後は、予めチェックインしていたマリーナベイサンズホテルの部屋で水着に着替え、屋上に昇った。
「うおっ、想像以上にすげーな」
きらめく水面の向こうに広がる夜景に、近間が歓声を上げる。
「もしホテル取ってくれるんなら、マリーナベイサンズでもいいか? 我が儘言うみたいで悪いけど」
誕生日のプランを練っていた直樹に、そうリクエストしてきたのは近間だった。
「近間さんの我が儘なんて俺にとっては睦言ですよ。でも、珍しいですね、ホテルのリクエストなんて」
しかも定番中の定番ホテルだ。
「ホテルって言うより、あのプール、一度行ってみたくて」
「ああ、インフィニティ・プール。そういえば俺も行ったことないです」
マリーナベイサンズの屋上にある世界一有名なこのプールは、ホテルの宿泊者しか利用できない。
夜10時のプールで泳ぐ客は数えるほどだった。
水泳好きの二人だが、さすがにこのプールでクロールやバタフライの真剣勝負をするわけもなく、水に浸かってゆらゆらと揺れる。
夜の闇にライトアップされたプールはひんやりと涼しく、幻想的だ。
近間はしなやかに身体を動かして、漂ったり潜ったり楽しそうに遊んでいるが、直樹はそれどころではない。
自分でも驚くほど緊張している。
「なあ、端まで行こうぜ」
直樹の心持ちなど知らずに、近間は無邪気に直樹の腕を掴んで、プールの端まで導いた。
宙に面するプールの縁からは、水が絶え間なく流れ落ちていて、水と一緒に夜のきらめきに吸い込まれてしまいそうだ。
2人で並んで、しばらくシンガポールの夜景を眺めた。
暗闇に浮かび上がる大都会は星屑の塊のようだ。
近間を見遣ると、その瞳は、揺れる水面を反射して輝いている。
この人が好きだ。
どうしようかってくらい、愛おしくて仕方がない。
もうどうにかなるんじゃないかってくらい愛し抜いて、同じように愛されたい。
直樹は深呼吸をしてから、落ちないように気をつけてポケットに入れていた指輪を取り出した。
水の中で近間の手を取り、そっと薬指に嵌める。
見なくても感触で分かったのだろう。
近間は驚いたように手を水中から出すと、顔の前にかざした。
濡れて光る白銀のリングを見つめて、微笑む。
「すげえ、綺麗」
好きだとか、愛しているとか、あんただけだとか。
毎日のように、これまで星の数ほど口にしてきた言葉なのに。
心臓が爆発しそうなほどにうるさい。
水の中なのに、喉が渇いて干からびそうだ。
黙りこくる直樹に、近間が首を傾げた。
「直樹、どうした?」
「近間さん」
胸が、苦しい。
愛が、溢れる。
「近間さん、愛しています。俺の生涯をかけて、あんたのことを愛し抜きます。だから、俺と一緒に生きてください」
渾身の思いで言い切ると、それまで直樹を見上げていた近間は数度瞬きをしてから、顔を伏せた。
「近間さん?」
「……だろ」
ぼそりと近間が呟いた。
「え?」
「笑えないだろ。おまえ、絶対こっぱずかしいプロポーズしてくるだろうから、そしたら笑おうと思ってたのに。……こんなの、全然笑えない」
声が湿っている。
近間の肩がしゃくりあげるように震えた。
膝を曲げて覗き込むと、近間のまぶたは雫で光っていた。
ぱたぱたと、大粒の涙がプールに溶けてゆく。
「近間さん。嬉しくて、泣いてくれてるんですよね」
「…ったりまえだろ、馬鹿」
近間は顔を伏せたまま、直樹の胸板をどんと叩いた。
「泣かせるなよ。なんでこんな嬉しいんだよ」
その言葉に直樹は破顔する。急に俯いて泣き出すから、どうしようかと焦った。
「泣かせてごめんね。近間さん」
「謝るなよ」
「うん。ね、近間さん。返事は?」
近間の頬を両手で挟んで上を向かせる。
涙に濡れた顔からは幸せが溢れていて、このまま抱きしめて閉じ込めたいくらい綺麗で可愛い。
「返事は」
そう言うなり、近間は直樹の腕を引いた。
飛沫が跳ね、水の中に引きずり込まれる。
きらきら光る青いプールの中で、2人は顔を見合わせて笑った。
両手の指を絡め、それから磁石のように引き寄せ合って、キスをした。
冷たくて熱いキスを何度も交わしてから、近間が囁く。
水の中で聞こえるはずもないのに、その声は直樹の心に真っ直ぐに届いた。
「俺も、おまえを生涯愛し抜くよ」
木目調の内装が落ち着いた空間を演出していて、居心地が良い。
「いらっしゃいませ」
カウンターの前で出迎えたシェフに、近間は愛想良く「こんばんは。お世話になります」と返している。
近間は、ハイソな雰囲気は苦手だと言う割に、どんな場所でも気後れしないし、礼儀正しく振る舞える男だ。
直樹も同じように挨拶をして、席に着いた。
誕生日の記念ディナーに選んだのは、シンガポールの象徴、マリーナベイサンズにある星付きレストラン「Waku Ghin」だ。
直樹は、姿勢良く席に座ってワインリストを眺めている近間を眺める。
普段は向かい合って食事をすることが多いので、なんだか新鮮なアングルだ。
毎日見ていても、やっぱり綺麗な人だと思う。
土曜日だが、記念日なので二人ともジャケットスタイルだ。
近間はインナーに黒のサマーニットを着ていて、深めのVネックから覗く白い胸元が眩しい。
「おまえ、俺を見てないでメニューを見ろよ」
直樹の視線に気づいたのか、近間が睨んでくる。
「近間さん、そのニット、俺がいない時に着ないでください」
「なんで。おまえが似合うって言ったから買ったんだろうが」
「めちゃくちゃ似合ってますけど、色っぽすぎです。そんなの着て1人で歩いてたら、襲われそうで不安です」
「おまえなあ、ここ、公共の場だぞ」
近間は呆れ顔で苦情を呈しているが、心得ているシェフは、二人の会話など全く聞こえないように、調理に没頭している雰囲気を出してくれている。
この後運動をするので、シャンパンはグラスで注文した。
「近間さん、お誕生日おめでとうございます」
直樹は繊細にきらめくグラスを掲げて、近間と視線を合わせる。
「サンキュ。じゃ、乾杯」
口に含んだシャンパンは、冷たくて、花が咲いたように華やかな香りだ。
近間は一口飲んで「うまい」と言い、それだけのことに嬉しくなる。
「お口にあって良かったです」
料理はすぐに運ばれてきた。
クラッシュアイスの上にウニが殻ごと、更にその上にエビとキャビアが乗っている。
「お大尽のような料理だな」
「今日ばかりはお大尽でいてください」
「うむ。今日ばかりは散財を許そう」
時代劇調で乗ってくる近間に、直樹は肩をすくめてみせた。
「近間さんのためだったら、全財産投げ出したって惜しくありません」
冗談ではなく、本心だ。
あんたのためなら何だってしたいって、いつだって思っている。
「老後のために取っとけよ。俺ら、面倒見てくれる子供もいないんだから」
意識せずに言ったのだろうが、俺ら、と言ってくれたことに胸が温かくなった。
料理はどれもとろけるような美味さで、近間が一皿ごとに感激しながら美味そうに食べるので、シェフも顔が綻んでいた。
食事の後は、予めチェックインしていたマリーナベイサンズホテルの部屋で水着に着替え、屋上に昇った。
「うおっ、想像以上にすげーな」
きらめく水面の向こうに広がる夜景に、近間が歓声を上げる。
「もしホテル取ってくれるんなら、マリーナベイサンズでもいいか? 我が儘言うみたいで悪いけど」
誕生日のプランを練っていた直樹に、そうリクエストしてきたのは近間だった。
「近間さんの我が儘なんて俺にとっては睦言ですよ。でも、珍しいですね、ホテルのリクエストなんて」
しかも定番中の定番ホテルだ。
「ホテルって言うより、あのプール、一度行ってみたくて」
「ああ、インフィニティ・プール。そういえば俺も行ったことないです」
マリーナベイサンズの屋上にある世界一有名なこのプールは、ホテルの宿泊者しか利用できない。
夜10時のプールで泳ぐ客は数えるほどだった。
水泳好きの二人だが、さすがにこのプールでクロールやバタフライの真剣勝負をするわけもなく、水に浸かってゆらゆらと揺れる。
夜の闇にライトアップされたプールはひんやりと涼しく、幻想的だ。
近間はしなやかに身体を動かして、漂ったり潜ったり楽しそうに遊んでいるが、直樹はそれどころではない。
自分でも驚くほど緊張している。
「なあ、端まで行こうぜ」
直樹の心持ちなど知らずに、近間は無邪気に直樹の腕を掴んで、プールの端まで導いた。
宙に面するプールの縁からは、水が絶え間なく流れ落ちていて、水と一緒に夜のきらめきに吸い込まれてしまいそうだ。
2人で並んで、しばらくシンガポールの夜景を眺めた。
暗闇に浮かび上がる大都会は星屑の塊のようだ。
近間を見遣ると、その瞳は、揺れる水面を反射して輝いている。
この人が好きだ。
どうしようかってくらい、愛おしくて仕方がない。
もうどうにかなるんじゃないかってくらい愛し抜いて、同じように愛されたい。
直樹は深呼吸をしてから、落ちないように気をつけてポケットに入れていた指輪を取り出した。
水の中で近間の手を取り、そっと薬指に嵌める。
見なくても感触で分かったのだろう。
近間は驚いたように手を水中から出すと、顔の前にかざした。
濡れて光る白銀のリングを見つめて、微笑む。
「すげえ、綺麗」
好きだとか、愛しているとか、あんただけだとか。
毎日のように、これまで星の数ほど口にしてきた言葉なのに。
心臓が爆発しそうなほどにうるさい。
水の中なのに、喉が渇いて干からびそうだ。
黙りこくる直樹に、近間が首を傾げた。
「直樹、どうした?」
「近間さん」
胸が、苦しい。
愛が、溢れる。
「近間さん、愛しています。俺の生涯をかけて、あんたのことを愛し抜きます。だから、俺と一緒に生きてください」
渾身の思いで言い切ると、それまで直樹を見上げていた近間は数度瞬きをしてから、顔を伏せた。
「近間さん?」
「……だろ」
ぼそりと近間が呟いた。
「え?」
「笑えないだろ。おまえ、絶対こっぱずかしいプロポーズしてくるだろうから、そしたら笑おうと思ってたのに。……こんなの、全然笑えない」
声が湿っている。
近間の肩がしゃくりあげるように震えた。
膝を曲げて覗き込むと、近間のまぶたは雫で光っていた。
ぱたぱたと、大粒の涙がプールに溶けてゆく。
「近間さん。嬉しくて、泣いてくれてるんですよね」
「…ったりまえだろ、馬鹿」
近間は顔を伏せたまま、直樹の胸板をどんと叩いた。
「泣かせるなよ。なんでこんな嬉しいんだよ」
その言葉に直樹は破顔する。急に俯いて泣き出すから、どうしようかと焦った。
「泣かせてごめんね。近間さん」
「謝るなよ」
「うん。ね、近間さん。返事は?」
近間の頬を両手で挟んで上を向かせる。
涙に濡れた顔からは幸せが溢れていて、このまま抱きしめて閉じ込めたいくらい綺麗で可愛い。
「返事は」
そう言うなり、近間は直樹の腕を引いた。
飛沫が跳ね、水の中に引きずり込まれる。
きらきら光る青いプールの中で、2人は顔を見合わせて笑った。
両手の指を絡め、それから磁石のように引き寄せ合って、キスをした。
冷たくて熱いキスを何度も交わしてから、近間が囁く。
水の中で聞こえるはずもないのに、その声は直樹の心に真っ直ぐに届いた。
「俺も、おまえを生涯愛し抜くよ」
応援ありがとうございます!
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