戦闘機乗りの劣情

ナムラケイ

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その時、父は@プリンスパークタワー東京

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 羽田空港には近間家三男の行人ゆきとが迎えに来てくれていた。
 行人は、次男の近間とも末っ子の保ともタイプが違う。
 身長は近間と同じくらいだが、体つきは華奢で、細フレームの眼鏡がいかにも繊細そうだ。
 家族LINEではやりとりしていたが、直樹と行人が顔を合わせるのは初めてだ。
 ぎこちなく自己紹介を交わしてから、行人の愛車にスーツケースを乗せ込んだ。

 車はフォルクスワーゲンのビートルで、色はハバネロオレンジだ。
 カラフルな車が多い日本でもそれなりに目立つだろう。
 ビタミンカラーの車体の横に立つと、行人のクールな印象がぱっと華やぐ。
 自分のことをよく知っていないとできないチョイスだ。
 センスがいいなと直樹は感心する。


 男三人を乗せたビートルは芝方面へ向け滑り出した。
 外はじめじめとした雨模様だ。
「折角の休日に迎えにきていただいて、ありがとうございます」
 後部席から、直樹は声をかけた。
 行人は役所勤めだと聞いている。土曜日の今日は貴重な休みのはずだ。
 まだ午前7時前。一人暮らしのサラリーマンは普通寝ている時間ではないだろうか。

「気にしないでください。どうせ、この後出かける用事もあるので」
 行人は運転席から前方を見据えたまま答える。
 口調がどことなく固いのは、緊張しているのだろう。
 行人は31歳で、年齢的には近間と直樹の丁度中間だ。
 兄の同性の恋人にどう接していいのか戸惑っているのかもしれない。

「出かける用事って、デートか?」
 近間が楽しそうに尋ねた。行人は指先で頬を掻いてから、首を傾げた。
「どうなのかな」
「なんだよそれ」
 要領を得ない行人の答えに、近間が苦笑する。
「隣の部屋の子と出かけるんだけど、これってデートなのかな」
「二人がデートにしたいって思ってるなら、それはデートだよ」
「そういうもんなの?」
「そういうもんだよ」
「ふーん。でも俺、正直、あいつが何考えてんのか分からないんだよな」
 首を傾げる行人には、目下進展中の相手がいるのだろう。
 運転が上手いのは近間家の遺伝なのか。
 雑談をしながらも、行人は教習所の教官かと見紛うような安全さでハンドルを捌いている。


 まだ眠そうな近間と、同性の恋人の弟を前に緊張気味の直樹と、運転中の行人だ。
 会話はどうしても途切れがちだ。
 直樹はワイパーが動くフロントガラス越しに久方ぶりの東京の町並みを眺める。
 一見タイプが違うと思ったが、近間と行人が並んでいると、やはり兄弟だなと思う。
 後部席から見る頭部の形がそっくりだ。
 髪や肌の質感も同じだし、眼鏡であまり目立たないが、行人も端正な顔立ちをしている。

「長兄の陽一郎も会いに来るはずだったんですが、仕事が終わらないみたいで」
 直樹の視線に気づいたのか、行人がミラー越しに直樹を見た。
「羽田空港に勤務でしたよね」
「はい。羽田の検疫所に勤務してるんですが、ほろほろ鳥の大量輸入があって検査が長引いているようで」
「ほろほろ鳥」
 普段口にすることのない生物の名前を直樹は繰り返す。
 近間も、ほろほろ鳥かと繰り返した。
「はい、ほろほろ鳥だそうです」
 男3人でほろほろ鳥と口にすると、なんだかかおかしくなって、それで車内が和んだ。


 港区芝のザ・プリンスパークタワー東京に到着すると、出迎えたポーターがスーツケースを降ろしてくれる。
「恵兄、戻るの明々後日だよな。明日の夜、陽兄んとこで一緒にメシでもどう? もし、梶さんがよければですけど」
 運転席から窓越しに、行人がおずおずと切り出した。
「直樹、どうする?」
 近間に視線を向けられ、直樹は頷いた。
「是非。日曜の夜にご迷惑じゃなければ」
 直接的には言わないが、陽一郎も行人も直樹の父親のことを気にかけていてくれているのだろう。
「良かった」
 直樹の返事に、行人は心底胸を撫で下ろしているようだ。
「なに、おまえそんなに直樹とメシ食いたかったの? こいつ、俺のなんだけど」
 近間が冗談を飛ばす。
「そういうノロケやめろよな。みちるさんから絶対直樹君を連れてきてってお達しが出てるんだよ。連れてこなかったら出禁にするとか言っててさ」
「長男の嫁には誰も逆らえないからな」
 確かにLINEのやりとりでも強権を発動しているきらいはあったが、みちる嬢はそんなに怖い人なのだろうか。
 不安になる直樹の背を近間が撫でた。
「みちるさんの料理すっげー美味いよ」
「近間さんより?」
「俺より。でも俺はおまえの料理の方が好き」
「近間さん」
 見つめ合っていると、行人が呆れたように両手をぱんと打ち付けた。
「ほら、ポーターさんが困ってるだろ。さっさと行きなよ。また連絡するからさ」


 チェックインすると、簡単に荷解きをしてから、直樹はベッドに寝転んだ。
 近間はフロントでもらった読売新聞に目を通している。
 日本の新聞は久しぶりのせいか、妙に真剣に読んでいる。

「近間さん、疲れてないですか?」
「全然。飛行機で爆睡したしな」
「残業続きでずっと睡眠不足でしたもんね」
「観たい映画あったのに、惜しいことした」
「今度一緒に観に行きましょう」
「おう」
 外は雨がまだ止まない。
 灰色にけぶる景色の中、東京タワーの赤色が泣くように滲んでいる。
 近間は新聞を畳んで、窓の外を眺めた。

 近間の頭の重みを肩に感じながら、機内でずっと考えていた。
 父親とは何か。父親とはなんだったのか。
 直樹の母親は、直樹を出産すると同時に亡くなった。
 第二子と引き換えに妻を失った男は、その時、絶望の淵にいたのか。
 それとも、新たな生に僅かなりとも喜びを感じてくれていたのか。
 直樹には知り得ぬことだ。
 もし自分が近間を失ったらと考えると、怖くて堪らない。
 足場を失い、今は想像すらできないほどの絶望に突き落とされるのだろう。
 死にたいとさえ思うだろう。
 最愛の人を失って、なお生きなければならなかった。
 その時、父は。
 物心ついたことから、自分なんて生まれて来なければ良かったと思っていた。
 近間と出会って、初めて心から、生まれてきて良かったと思えた。
 生を与えてくれた父と母に感謝することができた。
 父さん。

 仰向けのまま泣きそうになった時、近間がカーテンを引いた。
 雨音が薄れ、部屋は夕暮れのように暗くなる。
 近間は寝転ぶ直樹の横に腰掛けると、指を絡めた。
「茗子さんとの約束、11時だろ。まだ時間あるから、少し眠れよ。俺はそばにいるから」
「はい」
 繋いだ手の温かさに安堵して頷くと、近間は小さな声でハミングを始めた。

 If the sky that we look upon should tumble and fall, or the mountains should crumble to the sea..

 どこか懐かしい音律。ゆったりと、優しく。
 そばにいて。そばにいて。
 耳慣れたフレーズが繰り返す。
 瞼を閉じるとすぐに眠りに引きずり込まれた。
 
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