戦闘機乗りの劣情

ナムラケイ

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初めて聞きました@滝亭

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「うわ、まさにニッポンの旅館ですね」
 仲居に通された部屋を見回し、直樹は感嘆の声を上げた。
 広々とした和室の正面は大きく開かれた窓で、青々とした竹林が涼やかだ。
「すごい、部屋の中に露天風呂がある!  俺、こんなとこ泊まるの初めてです」
 外資の高級ホテルは慣れているが、純和風旅館は初めてだそうだ。
 子供のようにはしゃぐ直樹を見て、近間は奮発して良かったと微笑んだ。

 金沢旅行2日目の日曜日。
 明日、3月19日は直樹の誕生日なので、日付けが変わる瞬間を一緒に迎えたいと思い、老舗旅館を予約していたのだ。
 実家からほど近い犀川温泉にある湯宿、滝亭である。


 今日の午前中は別行動だった。
 近間は、29歳で殉職した同期パイロットのロク、本名、佐野隆也たかやの墓参りをした後、佐野の両親に挨拶に行った。ロクの両親は寿司屋を経営している。
 近間家の近所には他にも寿司屋はあるし、さの寿司までは車で30分以上かかるのだが、ロクの殉職後、近間家ではさの寿司以外の寿司を食べることはない。
 
 直樹は直樹で、ちかま豆腐店の売り子として活躍していたらしい。
 営業職の名は伊達ではない。
 口八丁手八丁で豆腐やら惣菜やらを売りまくったらしい。
 午前中だけで、売り上げがいつもの2倍だったと従業員一同ほくほくの様子だった。


「直樹、うろうろしてないで風呂行こうぜ」
「え、ここにお風呂ありますよ?」
「それは夜のお楽しみ。ここ、大浴場もすげえいいらしいからさ」
 お風呂セットを持っていそいそと浴場へ向かう。
 
 身体を流して、広い露天風呂に身を沈めると、解放感と共にじわんと身体が温まっていく。
 日本人で良かった。
「はあああ~っ」
 二人して声を出すと、先客のおじさんが可笑しそうに笑った。
「にいちゃん達、若いのにおっさんくせえよ」
「いやだって、気持ち良すぎですよ、温泉」
 直樹が愛想よく答える。
 近間は頭に乗せていた手拭いを取り、濡れて額に張り付いていた前髪を掻き上げた。
「こいつはともかく、俺はもうおっさんですよ」
 自虐的に言うと、初老のおじさんはまじまじと近間の顔を見てから、爆笑した。
「おっさんってのは、俺みたいなの言うんだよ。にいちゃん、そんな俳優みたいな顔して、おっさんを名乗るなんておこがましいわ」
 おじさんは、おっさんを強調するように、湯の中で出っ張った腹を叩いた。
 よく解らないお叱りに、近間は苦笑する。
 容姿はともかく、三十代は立派なおっさんだと思う。

「だからいつも言ってるじゃないですか。近間さんはおっさんじゃないって」
「んだんだ。そもそもおっさんと言うものは、ビールっ腹でなければならない」
 直樹とおじさんは何故か意気投合し、おっさんの定義について語り合っている。
 近間は聞くともなしに話を聞きながら、湯の心地良さを堪能する。

「ところで、にいちゃん達は会社の先輩後輩かなんかか?」
「違います。俺たち、恋人同士なんです」
「お、そうだったのか。最近はそういうの流行ってるって聞くしな。いや悪い悪い、俺、お邪魔だったな」
「いえいえ、大浴場なんですから、気にしないでください」
 は?
 近間は思わず湯から立ち上がった。
「直樹!  おまえ何べらべら喋ってんだ!」
 気の良さそうな人だし、二度と会うことはないかもしれないが、そんな無邪気にカミングアウトしてくれるな。
 おじさんも何あっさり流してるんだ。
 そもそも流行るとか流行らないとかじゃない。
 ぺしりと直樹の頭の手拭いをはたき落とすが、直樹もおじさんも無言のまま反応がない。
 四つの目の視線を辿ると、自分の下半身に向けられている。
 
 ここは温泉、すなわち全裸である。
 全裸で仁王立ち。
 近間は慌てて、湯の中にざぶりと腰を下ろした。
 おじさんは何故か真っ赤になっている。
「いやー、男前はちんちんまでキレイなんだな。眼福眼福」
 照れを隠すように早口で言うと、おじさんは、お邪魔虫は退散するわとそそくさと風呂を出て行ってしまった。
 なんだか申し訳ない。

他所よその男に簡単に見せないでください」
「そもそもお前のせいだろうが」
「近間さんの裸は俺だけのものなのに」
「温泉は仕方ないだろ」
 近間は怒ってみせ、直樹は拗ねてみせ、互いに可笑しくなって、同時に吹き出した。
 
 直樹の笑顔を見ていると、楽しくて嬉しい気分になる。
 男っぽい顔立ちは湯で上気していて、髪が濡れているのが艶っぽい。
 胸板や腕はしっかり筋肉がついて逞しい。
 おまえの裸だって、俺だけのものだ。
「あーこのままカピバラさんになりたい」
 エリート商社マンのくせに、こんな風に幼稚なことを言ったり、近間のこととなると途端にダメ男になるところ。
 それでも、いつだって近間の心の支えでいてくれるところ。

「近間さん?  どうしたんですか?  そんな見つめてると、襲いますよ」
 冗談めかしているが、近間を見る直樹の目はとんでもなく甘くて優しい。大切なものを見る目だ。
 ああ、好きだ。
「直樹」
 違う、好きなんかじゃ全然足らない。
「どうしたんですか?  真面目な顔して」
 直樹が手を伸ばしてきて、前髪をそっと払う。
 辞書にはあったけれど、これまで使ったことのないその言葉は、いとも自然に滑り出した。

「愛してるんだ」

 直樹はびっくりしたように目を見開いた。
「初めて聞きました」
「うん、俺も人生で初めて言った」
 直樹はくしゃりと顔を歪めた。その腕に抱きすくめられる。
「近間さん、俺も愛しています。どんなに言葉を尽くしても足らないくらい、近間さんのことを思っています」
 近間は直樹の背中に回した腕に力を込めた。
「なあ、部屋戻ろう」


 浴衣を着るのももどかしく部屋に戻り、扉を閉めるなりキスをしようとしたら、部屋食の支度が始まってしまい、悶々としながら豪勢な食事を平らげ、布団にダイブした。


 ふと目が覚めて、スマホを見ると午前3時過ぎだった。
 あー、失敗したと近間は苦笑する。
 激しく愛し合いすぎて、日付が変わる前に2人して寝落ちてしまったのだ。
 0時きっかりにハッピーバースデーを言う計画は叶わなかった。
 直樹は軽い寝息を立てながら、ぐっすり眠っている。
 浴衣の袷からのぞく胸元には、近間がつけた唇の跡が花弁のように散っている。
 
 近間はそっと立ち上がると、旅行鞄から白い小箱を取り出した。出発前にシンガポールの店でオーダーした誕生日プレゼントだ。
 蓋を開けると、障子の隙間から差し込む月光に、白銀のリングがきらりと光った。
 布団からはみ出している直樹の左手をそっと掴む。

「誕生日おめでとう、直樹。おまえが生まれてきてくれたことに、心から感謝している」
 耳元で囁くと、直樹は寝たままふわりと微笑んだ。
 起きたらもう一度伝えよう。
 そう思いながら、閉じられた瞼にキスを落とし、薬指に指輪を滑らせた。
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