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声出すのは俺じゃなくて@男3人の台所
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紹子は直樹の顔をまじまじと見つめた後、ふわっと微笑んだ。
凛とした顔が、途端に花が開くように柔らかくなる。
あ、近間さんと同じだ。
直樹はほっと胸を撫で下ろす。
紹子はいたずらっぽい顔になると、人差し指で近間の脇腹をつついた。
「恵介、やるじゃない。こんなカッコいい子連れてくるなんて」
「だろ?」
近間は謙遜することもなく肯定して、父さんは?と居間を覗きこんだ。
「三階にいるわよ。もう、朝からそわそわしちゃって大変だったんだから。6時から晩ごはんにするから、それまでにお父さんに挨拶して、荷物片付けちゃいなさい。直樹君は恵介と同じ部屋でいいのよね? 恵介の布団だと二人には狭いから、念のため客用布団も出しておいたわよ」
紹子はてきぱきと話を進めているが、すごいことを言われている気がする。
一緒に寝るの前提か?
いや、そもそも。
「あの、俺、泊まっていいんでしょうか?」
それを聞くなり、紹子は吹き出した。
爆笑の仕方も近間そっくりだ。
「大事な息子が生涯の相手だって連れてきた相手を追い出すわけないじゃない。それが男の子でもね」
近間の父、藤次郎の自室は、南と東の壁に大きな窓がある開放的な部屋だった。
卓袱台に座椅子、仏壇とテレビがあり、本棚には時代小説と洋画のDVDが並んでいる。
「本当に男なんだな」
直樹を目にした藤次郎の第一声はそれだった。
「はい」
出された座布団の横に正座したまま、すみませんと言いかけて、直樹はその言葉を飲み込んだ。
無闇に謝るのは、近間にもご両親にも失礼だ。
ふう、と藤次郎は大きく息を吐いた。
よく働く職人らしく、痩せた体躯に皮の厚い手をしている。
鼻の形や口元が保とそっくりだ。
その背の向こうのテレビ台には、買ったばかりなのだろう、真新しいDVDが平積みになっている。
そのタイトルを見て、直樹はなんとも言えない気持ちになった。
ブエノスアイレス、バッドエデュケーション、フィラデルフィア、王の男、ブロークバック・マウンテン。
はっきり言って方向性が違っている。
けれど、理解しようとしてくれている気持ちは本物だ。
還暦を過ぎた父親の葛藤を思い、直樹は「ご不快なら途中で止めろと仰ってください」と前置いてから口火を切った。
「俺は、ホモでもゲイでもありませんでした。以前にお付き合いをしていた人は全員女性でした。恵介さんもそうだと聞いています」
藤次郎は視線を畳みに落としたまま、黙って話を聞いている。
声が震えないように、膝の上の両手を強く握りしめた。
「出会いは偶然でした。出会ってすぐ、男とか女とか関係なく、恵介さんをそういう意味で好きになりました。付き合い始めてからはもっと好きになっています。
こんなに男らしくて優しくて、潔い生き方をしている人を他に知らないし、そんな恵介さんに見合うような男になりたいと思っています。俺には、もうこの先、恵介さんしかいません。生涯大事にして、二人で幸せになると約束します」
直樹が言い終わっても、藤次郎は口を開かなかった。
それはそうだろうと思う。
話は聞いていたとはいえ、知らない男が突然やってきて息子への愛を告白しているのだ。言葉も出て来ないだろう。
直樹は辛抱強く待つことにした。
すかした窓から夜風と隣家の夕餉の匂いが入り込んでくる。
その中に馴染み深いスパイスの香りが混じった。
「あ、佐々木さん家、カレーだ」
近間が能天気に言った。それで、空気がほどけた。
「うちは、今夜はすき焼きだ」
藤次郎がようやく視線を上げた。
「寿司も頼んだんだろ」
「ああ。佐野さんとこにな」
親子の会話がなんとなく可笑しくて、強張っていた頬の筋肉が緩んだ。
藤次郎は咳払いをしてから、直樹を視線を合わせた。
「梶さん。君の気持ちはよく分かった。俺は古い人間だから、妻のように手放しで歓迎はできない。正月に恵介から打ち明けられた後は、こう、もやもやが止まらなかったし、いまでも困惑している」
「はい」
藤次郎の正直さに、直樹はただ頷いた。
「困惑しているし、うちの嫁と同じように受け入れるには時間がかかるだろうが、君を阻害するつもりがないことは分かってほしい。梶さんと恵介のことを理解したいと思っているし、理解する努力をすると約束する」
「はい」
返事をするが、声が上手く出なかった。
目元と喉の奥が熱い。
背中に手を置かれたので横を見ると、近間が優しく微笑んでいた。
「俺は映画が好きで、LGBTに偏見はないつもりだが、これまでの人生で同性カップルに会ったことはないんだ。だから、どう接していいか分からないこともある。もし失礼な態度や発言をすることがあっても、そこは勘弁してほしい」
藤次郎は腰を上げると、拳を握りしめて目元を拭う直樹の肩を叩いた。
「さあ、話はこれで終わりだ。メシにしよう」
夕食はすき焼きと寿司と店の売れ残りの惣菜だった。
奮発したという上等の牛肉や握り寿司より、冷や奴が一番美味しかった。
大豆の香りと濃密な味、それでいて滑らかな舌触り。
媚びるつもりもなかったが、箸が止まらず一丁ぺろりと食べてしまった。
和やかな夕食のあと、近間と保、直樹の3人で後片付けをした。
紹子と市子はどうしても見たい海外ドラマがあるからと、テレビに釘付けになっている。
「保と市子ちゃんも泊まってくんだろ?」
渇いた布巾で大皿を拭きながら、近間が訊いた。
「んー、そうしたいけど、今夜は帰るわ。明日、消防署の後輩の引越手伝うことになってんだ」
「遅いから、気をつけて帰れよ」
「おう。オヤジがタクシー代くれたしな。あ、恵兄、その皿は右の棚の方」
保が洗う係、直樹がゆすぎ係、近間が拭く係である。
古い住宅の台所にでかい男3人が並ぶのは狭苦しいが、作業は速く進む。
「直樹は泊まってくんだろ?」
「うん。近間さんの部屋に、布団敷いてくれてた」
それを聞いた保は、水で濡れた指先で頬を掻き、声を潜めた。
「あんま声は出すなよ。この家、結構壁薄いんだ」
あんまりな忠告に直樹が答えないでいると、保は首を傾げた。
「あれ、二人って、そーゆーこともする仲なんだよな」
「そりゃしてるけど。声を出すのは、俺じゃなくて近間さんだから」
カチャン!
ビールグラスを拭いていた近間が手を滑らせた。
「近間さん、大丈夫ですか?」
手元を見るとケガはなさそうだ。
グラスにはヒビが入ってしまったが。
「お、ま、え、なああっ! 身内に何言ってくれてんだよ!」
赤面した近間が、膝裏に蹴りを繰り出してくる。
「別にいいじゃないですか、身内同士なんだし、男同士なんだし」
地酒を散々飲んだ後なので、3人とも適度に酔っ払っていて、ぽんぽん言葉が飛び出す。
「ふざけんな。おまえには恥じらいがないのか」
「恵兄、俺らの前で平気でいちゃついてんじゃん。今更だろ。恵兄と直樹なら、恵兄が下だって分かるし」
「下って……! そういう問題じゃねえ! 直樹、しばらくお預けだからな」
突然のお預け宣言に、今度は直樹が洗っていたグラスを取り落とす。
「いやいや、なんでそうなるんですか。大体、そんなこと言っておいて、どうせ我慢できなくなるの近間さんじゃないですか」
「おまえの辞書にデリカシーの文字はないのか」
言い合う近間と直樹に、保はこれ見よがしにため息をついた。
「はいはい、ご馳走さま。後は俺がやるから、部屋上がって好きなだけ乳繰り合ってろよ」
「保、あんた随分古典的な言い方するわね」
玉すだれをくぐって顔を覗かせたのは、紹子だ。
いつから聞いていたのだろうとバツを悪くする子供達に構わず、紹子は戸棚から日本酒の四合瓶を取り出す。
「私はもう寝るけど、まだ飲むならこれ開けていいわよ」
「お、秘蔵の古酒じゃん。残念ながら、俺と市子はもう帰んないと。直樹、遠慮せず飲んじまえよ」
ラベルを見た保が羨ましそうな顔をする。
紹子は、恐縮しながら日本酒を受け取る直樹を見る。
身長を測るように直樹の頭上に手を伸ばし、くすくすと笑った。
「5番目の息子が一番のっぽだわね」
凛とした顔が、途端に花が開くように柔らかくなる。
あ、近間さんと同じだ。
直樹はほっと胸を撫で下ろす。
紹子はいたずらっぽい顔になると、人差し指で近間の脇腹をつついた。
「恵介、やるじゃない。こんなカッコいい子連れてくるなんて」
「だろ?」
近間は謙遜することもなく肯定して、父さんは?と居間を覗きこんだ。
「三階にいるわよ。もう、朝からそわそわしちゃって大変だったんだから。6時から晩ごはんにするから、それまでにお父さんに挨拶して、荷物片付けちゃいなさい。直樹君は恵介と同じ部屋でいいのよね? 恵介の布団だと二人には狭いから、念のため客用布団も出しておいたわよ」
紹子はてきぱきと話を進めているが、すごいことを言われている気がする。
一緒に寝るの前提か?
いや、そもそも。
「あの、俺、泊まっていいんでしょうか?」
それを聞くなり、紹子は吹き出した。
爆笑の仕方も近間そっくりだ。
「大事な息子が生涯の相手だって連れてきた相手を追い出すわけないじゃない。それが男の子でもね」
近間の父、藤次郎の自室は、南と東の壁に大きな窓がある開放的な部屋だった。
卓袱台に座椅子、仏壇とテレビがあり、本棚には時代小説と洋画のDVDが並んでいる。
「本当に男なんだな」
直樹を目にした藤次郎の第一声はそれだった。
「はい」
出された座布団の横に正座したまま、すみませんと言いかけて、直樹はその言葉を飲み込んだ。
無闇に謝るのは、近間にもご両親にも失礼だ。
ふう、と藤次郎は大きく息を吐いた。
よく働く職人らしく、痩せた体躯に皮の厚い手をしている。
鼻の形や口元が保とそっくりだ。
その背の向こうのテレビ台には、買ったばかりなのだろう、真新しいDVDが平積みになっている。
そのタイトルを見て、直樹はなんとも言えない気持ちになった。
ブエノスアイレス、バッドエデュケーション、フィラデルフィア、王の男、ブロークバック・マウンテン。
はっきり言って方向性が違っている。
けれど、理解しようとしてくれている気持ちは本物だ。
還暦を過ぎた父親の葛藤を思い、直樹は「ご不快なら途中で止めろと仰ってください」と前置いてから口火を切った。
「俺は、ホモでもゲイでもありませんでした。以前にお付き合いをしていた人は全員女性でした。恵介さんもそうだと聞いています」
藤次郎は視線を畳みに落としたまま、黙って話を聞いている。
声が震えないように、膝の上の両手を強く握りしめた。
「出会いは偶然でした。出会ってすぐ、男とか女とか関係なく、恵介さんをそういう意味で好きになりました。付き合い始めてからはもっと好きになっています。
こんなに男らしくて優しくて、潔い生き方をしている人を他に知らないし、そんな恵介さんに見合うような男になりたいと思っています。俺には、もうこの先、恵介さんしかいません。生涯大事にして、二人で幸せになると約束します」
直樹が言い終わっても、藤次郎は口を開かなかった。
それはそうだろうと思う。
話は聞いていたとはいえ、知らない男が突然やってきて息子への愛を告白しているのだ。言葉も出て来ないだろう。
直樹は辛抱強く待つことにした。
すかした窓から夜風と隣家の夕餉の匂いが入り込んでくる。
その中に馴染み深いスパイスの香りが混じった。
「あ、佐々木さん家、カレーだ」
近間が能天気に言った。それで、空気がほどけた。
「うちは、今夜はすき焼きだ」
藤次郎がようやく視線を上げた。
「寿司も頼んだんだろ」
「ああ。佐野さんとこにな」
親子の会話がなんとなく可笑しくて、強張っていた頬の筋肉が緩んだ。
藤次郎は咳払いをしてから、直樹を視線を合わせた。
「梶さん。君の気持ちはよく分かった。俺は古い人間だから、妻のように手放しで歓迎はできない。正月に恵介から打ち明けられた後は、こう、もやもやが止まらなかったし、いまでも困惑している」
「はい」
藤次郎の正直さに、直樹はただ頷いた。
「困惑しているし、うちの嫁と同じように受け入れるには時間がかかるだろうが、君を阻害するつもりがないことは分かってほしい。梶さんと恵介のことを理解したいと思っているし、理解する努力をすると約束する」
「はい」
返事をするが、声が上手く出なかった。
目元と喉の奥が熱い。
背中に手を置かれたので横を見ると、近間が優しく微笑んでいた。
「俺は映画が好きで、LGBTに偏見はないつもりだが、これまでの人生で同性カップルに会ったことはないんだ。だから、どう接していいか分からないこともある。もし失礼な態度や発言をすることがあっても、そこは勘弁してほしい」
藤次郎は腰を上げると、拳を握りしめて目元を拭う直樹の肩を叩いた。
「さあ、話はこれで終わりだ。メシにしよう」
夕食はすき焼きと寿司と店の売れ残りの惣菜だった。
奮発したという上等の牛肉や握り寿司より、冷や奴が一番美味しかった。
大豆の香りと濃密な味、それでいて滑らかな舌触り。
媚びるつもりもなかったが、箸が止まらず一丁ぺろりと食べてしまった。
和やかな夕食のあと、近間と保、直樹の3人で後片付けをした。
紹子と市子はどうしても見たい海外ドラマがあるからと、テレビに釘付けになっている。
「保と市子ちゃんも泊まってくんだろ?」
渇いた布巾で大皿を拭きながら、近間が訊いた。
「んー、そうしたいけど、今夜は帰るわ。明日、消防署の後輩の引越手伝うことになってんだ」
「遅いから、気をつけて帰れよ」
「おう。オヤジがタクシー代くれたしな。あ、恵兄、その皿は右の棚の方」
保が洗う係、直樹がゆすぎ係、近間が拭く係である。
古い住宅の台所にでかい男3人が並ぶのは狭苦しいが、作業は速く進む。
「直樹は泊まってくんだろ?」
「うん。近間さんの部屋に、布団敷いてくれてた」
それを聞いた保は、水で濡れた指先で頬を掻き、声を潜めた。
「あんま声は出すなよ。この家、結構壁薄いんだ」
あんまりな忠告に直樹が答えないでいると、保は首を傾げた。
「あれ、二人って、そーゆーこともする仲なんだよな」
「そりゃしてるけど。声を出すのは、俺じゃなくて近間さんだから」
カチャン!
ビールグラスを拭いていた近間が手を滑らせた。
「近間さん、大丈夫ですか?」
手元を見るとケガはなさそうだ。
グラスにはヒビが入ってしまったが。
「お、ま、え、なああっ! 身内に何言ってくれてんだよ!」
赤面した近間が、膝裏に蹴りを繰り出してくる。
「別にいいじゃないですか、身内同士なんだし、男同士なんだし」
地酒を散々飲んだ後なので、3人とも適度に酔っ払っていて、ぽんぽん言葉が飛び出す。
「ふざけんな。おまえには恥じらいがないのか」
「恵兄、俺らの前で平気でいちゃついてんじゃん。今更だろ。恵兄と直樹なら、恵兄が下だって分かるし」
「下って……! そういう問題じゃねえ! 直樹、しばらくお預けだからな」
突然のお預け宣言に、今度は直樹が洗っていたグラスを取り落とす。
「いやいや、なんでそうなるんですか。大体、そんなこと言っておいて、どうせ我慢できなくなるの近間さんじゃないですか」
「おまえの辞書にデリカシーの文字はないのか」
言い合う近間と直樹に、保はこれ見よがしにため息をついた。
「はいはい、ご馳走さま。後は俺がやるから、部屋上がって好きなだけ乳繰り合ってろよ」
「保、あんた随分古典的な言い方するわね」
玉すだれをくぐって顔を覗かせたのは、紹子だ。
いつから聞いていたのだろうとバツを悪くする子供達に構わず、紹子は戸棚から日本酒の四合瓶を取り出す。
「私はもう寝るけど、まだ飲むならこれ開けていいわよ」
「お、秘蔵の古酒じゃん。残念ながら、俺と市子はもう帰んないと。直樹、遠慮せず飲んじまえよ」
ラベルを見た保が羨ましそうな顔をする。
紹子は、恐縮しながら日本酒を受け取る直樹を見る。
身長を測るように直樹の頭上に手を伸ばし、くすくすと笑った。
「5番目の息子が一番のっぽだわね」
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