戦闘機乗りの劣情

ナムラケイ

文字の大きさ
上 下
53 / 90

悪い、嘘をついた@全日空カウンター

しおりを挟む
 来週の月火って有給取れるかと近間に問われ、直樹はスマホのカレンダーを開いた。
 年度末だが、先週大型案件のプレゼンが終わったばかりで、仕事は比較的落ち着いている。
「大丈夫だと思いますよ」
 なんでもないように答えながら、うずうずが止まらない。
 だって、来週の月曜日、3月19日は直樹の誕生日だ。
「俺も休み取れるからさ、バリに行かないか?」
 近間からのサプライズな申し出に、直樹は両拳を握りしめた。
 
 バリ島。
 アジアの楽園。
 青い海、沈む夕日、影絵芝居にトロピカルフルーツ。
 海を望むリゾートホテル。プルメリアの花びらが散るベットで、近間さんと…。
 常夏のイメージが妄想へと暴走しそうになったので、頭を振って邪念を振り払う。

「いいですね、俺、バリ島ってまだ行ったことないです」
「3泊4日。誕生日プレゼントに奢ってやるよ」
 と言っていたのに。


 チャンギ国際空港で迷わず全日空のカウンターに向かう近間を、直樹は慌てて追いかけた。
「近間さん、ガルーダ航空はあっちですよ」
 近間は全日空カウンターにEチケットとパスポートを出すと、神妙な顔で手を合わせた。
「悪い。嘘をついた」
「え」
 嘘って。なんの。
 チケットをチェックした地上職員が二人に微笑みかけた。
「羽田経由、小松空港行きですね」
 は? 小松空港って。
 直樹はあんぐりと口を開ける。
「金沢? まさか、近間さんの実家ですか?」
「ご明察。ほら、早くパスポート出せよ」


「両親におまえを紹介したい」
 チェックインを済ませた後、空港ラウンジで朝食代わりのサンドイッチを摘みながら、近間は言った。
「いや、あの、でも、俺、スーツ持ってきてないです」
 狼狽して論点がずれる直樹に、近間は苦笑する。
「心配するとこそこかよ。スーツなら、お前が一番気に入ってる紺のやつ、俺のスーツケースに入れてきたから。小松空港で着替えればいい」
「どうりであのスーツがクローゼットにないと。クリーニングの取り忘れかと思ってました。じゃなくて!」
「なんだよ」
「心の準備が出来てないです」
 近間はぱくぱくとハムサンドイッチを平らげているが、直樹はもはや手をつける気にならない。
 緊張で胃がひっくり返りそうだ。
「必要ないだろ、そんなもの。こんにちは初めまして、息子さんとお付き合いをさせていただいてますって挨拶して、息子さんを僕にくださいってお願いすればいいだけだろ」
 すればいいだけって。
 直樹は頭を抱える。
「それ、めちゃめちゃハードル高いヤツじゃないですか」
「はは」
 近間は楽しそうに笑うと、直樹の背をぽんぽんと叩いた。
「騙したのは悪かったよ。でも、最初に行き先言ってたら、おまえごねそうだったし、当日まで気が気じゃなくなるだろ。前も言ったけど、父親も母親も、俺らのこと否定はしてないから大丈夫だよ。母親は寧ろ盛り上がってたし」
 気楽に言われるが、これは超ヘル級ミッションではないか。
 近間の父は豆腐職人だと聞いている。いくら反対はされていないと言っても。
 営業なのに、顔殴られたら困る……。


恵兄けいにい、直樹!」
「恵ちゃん、直樹君!」
 小松空港で出迎えてくれたのは、近間家4男のたもつと、その彼女の椿原市子つばはらいちこだった。
 1月に二人がシンガポールに観光に来て以来だが、二人とも元気そうだ。
 お揃いのパーカーを着て、にこにこ笑っている。
 緊張で機内食も手に付かなかった直樹だが、二人の笑顔を見ると、自然に顔が綻んだ。

「直樹君、寒いでしょ」
「寒い。っていうか、俺、このスーツ以外夏服しかないんだけど」
「えー、なんで」
「近間さんに、バリ島に行くって騙されたんだよ」
 保と市子は盛大に噴き出した。
「ウケる。なに、じゃあこのスーツケース、水着とか入ってんの」
「水着どころか、フィンも入ってる。日焼け止めも虫よけスプレーも」
 保と市子は爆笑し、近間は笑いを堪えて肩を震わせている。
「近間さん、まさか自分だけ冬服持ってきてないでしょうね」
「持ってきてないけど、俺は実家に服あるからさ」
「裏切り者」
 直樹はじとりと近間を睨む。
「服は、陽兄ようにいの服があるからそれ着ればいいよ。身長同じくらいだし。新しく買うなら、いつでも車だすしさ」
 保はそう言ったあと、近間の方を振り返った。
「恵兄、夕食用に「さの」に寿司注文してるんだ。二人をドロップしたら、市子と受け取りに行くんだけど、恵兄達も一緒に来るか?」
 近間は少し難しい顔をしてから、首を横に振った。
「いや、俺はやめておくよ。注文のついでみたいにしたくないから、明日、改めて出向く」
「その方がいいよな。了解」
「さの」という名にはなんとなく覚えがあったが、家族の話のようだったので、直樹は黙ってやりとりを聞いていた。


「あと5分くらいだよ」
 高速を降りてしばらく走っていると、土地勘のない直樹に、市子が教えてくれた。
「すげえ緊張する」
「大丈夫だよ。おじさんもおばさんも凄く優しい人だから」
 市子は安心させるように言ってくれるが、手のひらも脇の下も汗ばんでいる。
 3月の夕暮れはまだ肌寒いのに、緊張で身体が火照る。
 その直樹の手に、近間の手が重ねられた。
 覗き込むように見てくる目は穏やかに澄んでいる。
「直樹。嫌なら無理はしなくていい。どこかホテルに泊まって、金沢観光だけして帰ろう」
 嫌だと言えば、近間は無理強いはしないだろう。
 でも、ここで逃げ帰っても何も進まない。
 直樹は、重なる手の指を絡めとった。
「大芝居打っておいて、今更何言ってるんですか。ちゃんとご挨拶します。怖いけど、近間さんのご両親には、会いたいって思ってます」
「いい子だな、サンキュ」
 近間は嬉しそうに微笑んで、直樹の頬に素早くキスをした。


 近間家は1階の表が店舗になっている、そう大きくはない家屋だった。
 掲げられた真白い看板に、「近間とうふ店」と黒い文字が品よく並んでいる。
 地方都市のこじんまりとした個人経営の店だ。
 夕飯前の店には何人かの買い物客がいて、ショーケースに並ぶ豆腐製品や総菜を見繕っている。湯気の立つ豆腐コロッケがうまそうだ。
 都心とロンドンで育った直樹は、ああ、こういうの、なんかいいなと素直に思う。

「じゃあ、絹を2丁とがんもどきをお願いね。あら、恵ちゃんじゃない!」
 買い物客の中年女性が、近間と直樹に気づき、派手な声を上げた。
「あら本当。今、どっか外国にいるんじゃなかったの?」
「ご無沙汰してます、上田さん、沢木さん。4日間だけ、里帰りです」
 近間はきちんと二人の名前を呼んで、丁寧に頭を下げた。
「あらー、それは近間さんも大喜びね。それにしても、恵ちゃん、相変わらず男前ねー」
 腕をばしばしと叩かれながらも、近間は笑みを崩さない。
 ひとりひとりが、近間とうふ店にとって大事なお客さんなのだ。営業職の直樹にはそれがよく分かる。
「もう30超えたでしょ? なんでそんな王子様みたいなの」
「馬鹿だね、あんた。イケメンは年取らないのよ」
「あ、私、ちょっと翔太にLINEするわ。あの子、恵ちゃんのこと大好きだから」
 買い物そっちのけで騒ぎだすおばさんたちに、店員のひとりが機敏に助け舟を出してくれた。
「恵介さん、旦那さんと女将さんががお待ちですよ。上田さん、こちらお品物。370円になります。沢木さん、お豆腐何丁にします?」
 その隙に、近間は軽く会釈をして、店の奥に入っていく。
 直樹は深呼吸をして、近間の後を追った。


 店の奥に土間兼玄関があり、居間に直接続いている。
 畳敷きの部屋の中央には大きなテーブルがあり、割烹着姿の女性が夕餉の支度の真っ最中であった。

「母さん、ただいま」
 近間が呼びかけると、女性は手ぬぐいで手を拭きながら、土間まで降りてきた。
「おかえり、恵介」
 近間の母親だとすぐに分かった。
 性別も年齢も違うが、顔の造作が同じなのだ。
 還暦を過ぎていると聞いていたが、髪は無造作にまとめただけで、化粧もほとんどしていないのに、全体の印象がとても綺麗だ。
 目元は近間よりもきりりと引き締まっていて、冷たい印象さえ受ける。
 近間母は視線を息子から直樹に移した。直樹は背筋を伸ばして、近間母と視線を合わせてから、頭を下げた。
「初めまして。梶直樹と申します。本日はお時間を割いてくださりありがとうございます」
「近間紹子と申します。恵介がいつもお世話になっております」
 丁寧に挨拶を受けてから、近間母はじっと直樹の顔を見つめた。
 顔立ちが整った人の真顔は怖い。
 射るような目で見られて、背筋に冷や汗が流れた。
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

Good day !

葉月 まい
恋愛
『Good day !』シリーズ Vol.1 人一倍真面目で努力家のコーパイと イケメンのエリートキャプテン そんな二人の 恋と仕事と、飛行機の物語… ꙳⋆ ˖𓂃܀✈* 登場人物 *☆܀𓂃˖ ⋆꙳ 日本ウイング航空(Japan Wing Airline) 副操縦士 藤崎 恵真(27歳) Fujisaki Ema 機長 佐倉 大和(35歳) Sakura Yamato

【完結】嘘はBLの始まり

紫紺(紗子)
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。 突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった! 衝撃のBLドラマと現実が同時進行! 俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡ ※番外編を追加しました!(1/3)  4話追加しますのでよろしくお願いします。

初体験

nano ひにゃ
BL
23才性体験ゼロの好一朗が、友人のすすめで年上で優しい男と付き合い始める。

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

もつれた心、ほどいてあげる~カリスマ美容師御曹司の甘美な溺愛レッスン~

泉南佳那
恋愛
 イケメンカリスマ美容師と内気で地味な書店員との、甘々溺愛ストーリーです!  どうぞお楽しみいただけますように。 〈あらすじ〉  加藤優紀は、現在、25歳の書店員。  東京の中心部ながら、昭和味たっぷりの裏町に位置する「高木書店」という名の本屋を、祖母とふたりで切り盛りしている。  彼女が高木書店で働きはじめたのは、3年ほど前から。  短大卒業後、不動産会社で営業事務をしていたが、同期の、親会社の重役令嬢からいじめに近い嫌がらせを受け、逃げるように会社を辞めた過去があった。  そのことは優紀の心に小さいながらも深い傷をつけた。  人付き合いを恐れるようになった優紀は、それ以来、つぶれかけの本屋で人の目につかない質素な生活に安んじていた。  一方、高木書店の目と鼻の先に、優紀の兄の幼なじみで、大企業の社長令息にしてカリスマ美容師の香坂玲伊が〈リインカネーション〉という総合ビューティーサロンを経営していた。  玲伊は優紀より4歳年上の29歳。  優紀も、兄とともに玲伊と一緒に遊んだ幼なじみであった。  店が近いこともあり、玲伊はしょっちゅう、優紀の本屋に顔を出していた。    子供のころから、かっこよくて優しかった玲伊は、優紀の初恋の人。  その気持ちは今もまったく変わっていなかったが、しがない書店員の自分が、カリスマ美容師にして御曹司の彼に釣り合うはずがないと、その恋心に蓋をしていた。  そんなある日、優紀は玲伊に「自分の店に来て」言われる。  優紀が〈リインカネーション〉を訪れると、人気のファッション誌『KALEN』の編集者が待っていた。  そして「シンデレラ・プロジェクト」のモデルをしてほしいと依頼される。 「シンデレラ・プロジェクト」とは、玲伊の店の1周年記念の企画で、〈リインカネーション〉のすべての施設を使い、2~3カ月でモデルの女性を美しく変身させ、それを雑誌の連載記事として掲載するというもの。  優紀は固辞したが、玲伊の熱心な誘いに負け、最終的に引き受けることとなる。  はじめての経験に戸惑いながらも、超一流の施術に心が満たされていく優紀。  そして、玲伊への恋心はいっそう募ってゆく。  玲伊はとても優しいが、それは親友の妹だから。  そんな切ない気持ちを抱えていた。  プロジェクトがはじまり、ひと月が過ぎた。  書店の仕事と〈リインカネーション〉の施術という二重生活に慣れてきた矢先、大問題が発生する。  突然、編集部に上層部から横やりが入り、優紀は「シンデレラ・プロジェクト」のモデルを下ろされることになった。  残念に思いながらも、やはり夢でしかなかったのだとあきらめる優紀だったが、そんなとき、玲伊から呼び出しを受けて……

処理中です...