戦闘機乗りの劣情

ナムラケイ

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もっと自覚してください@マハラジャ

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 ボートキーはシンガポール有数の人気スポットで、シンガポール・リバー沿いにレストランのテラス席がずらりと並んでいる。
 店舗とテラス席の間の道を進んでいくと、予約しておいた北インド料理店「マハラジャ」のテラス席には、既に近間が座っていた。
 直樹は歩みを止めて、遠目に近間を見つめた。
 近間は姿勢良く座って、川沿いの景色を眺めている。
 スーツ姿だが、タイは外して、ワイシャツのボタンを少し開けている。やわらかそうな黒髪が川風に揺れる。
 一緒に住んで毎日見ているが、やっぱり美しい人だ。
 ただ座っているだけなのに、映画のワンシーンのようだ。

『もうすぐ着きます』
 メッセージを送ると、近間はポケットからスマホを取り出した。
 液晶を見て、ふわりと微笑んだ。
『待ってる。気をつけて来いよ』
 返信が届く。
 既読をつけてから近間を見遣ると、ジャケットとワイシャツの襟を整え、風で乱れた髪を手櫛で撫で付けている。
 直樹は思わずにやけてしまった。
 俺のメッセージに微笑み、到着を待って、身だしなみを整えてくれている。
 可愛すぎだろ。

 柱の陰で悶えていると、ばしりと肩を叩かれた。
「自分の恋人をストーキングですか?」
 呆れたように直樹を見上げるのは、本日の主賓、三宅里奈である。
 出先帰りなのか、かっちりとしたスーツ姿にまとめ髪だ。
 恥ずかしいところを見られてしまった。
 直樹は頭を掻いて、お辞儀をした。

「三宅さん、お疲れ様です」
「お疲れ様です。ほんっと、近間さんのこと好きなんですねー」
 三宅は二人の関係を誠実に理解してくれて、ノロケ話も喜んで聞いてくれるので、直樹は遠慮せずに「はい、大好きです」と答えた。
「はいはい、ご馳走様です。行きますよ。あ、まだストーキングします?」
「もう十分です。こっそり見てたこと、近間さんには内緒でお願いします」
「どうしよっかなー」
 三宅はいたずらっぽく笑っている。
 日本大使館経済班でインフラ開発を担当する三宅里奈は、直樹の仕事相手だった。
 過去形なのは、新年度を前に五和商事では一部プロジェクトの担当替えがあり、直樹はインフラ関係のプロジェクトを後輩に譲り渡したからだ。三宅は、仕事相手から理解ある女友達となった。


 近間の横に直樹が、向かいに三宅が座った。
「ハッピーバースデイ、三宅さん」
 タイガービールで乾杯して、いつも通り三宅の仕切りで注文を済ませる。
 料理はすぐに運ばれてきた。
 赤いテーブルクロスの上に、カレー3種にナン、チキンケバブ、タンドリーチキン、ビリヤニ、サモサ、フィッシュティッカの皿が並ぶ。
 3人とも大食漢なので、注文もたっぷりだ。
 スパイシーな香りに食欲が刺激され、3人は「いただきます」をして、遠慮することなく手を付け始める。

「そういえば、三宅さんて何歳なの? 26だっけ」
 女性に歳を訊くのも、近間だと全く失礼に聞こえないから不思議だ。但しナントカに限ると言うやつか。
 三宅も躊躇いなく答える。
「明日で27歳です」
「じゃあ、俺と1コ違いですね」
「おまえも、もうすぐ誕生日だろ」
 近間に誕生日を教えたのは、付き合い始めの頃の一度だけだ。
 あれから半年経つが、覚えていてくれたらしい。
「梶さんの誕生日かあ。何するんですか?」
 三宅は興味津々だ。
「まだ内緒」
 近間はなんだか楽しそうだが、直樹は複雑な気分だ。
 直樹の誕生日は、母親の命日だ。
 家族に誕生日を祝われたことはない。祝ってはいけないような気がして、友達にも誕生日は教えないようにしていた。

「近間さん、俺、いいですよ。何もしなくて」
 声が深刻になってしまったのだろう。
 直樹の家庭事情を知らない三宅は、ナンをちぎる手を止めて、怪訝な表情をしている。
「俺はおまえが生まれた日を祝いたい。おまえが嫌がっても、めちゃめちゃ祝うからな。楽しみにしてろ」
 恋人に男らしい顔で宣言され、直樹は大人しく頷いた。
 近間と迎える初めての誕生日だけれど、プレゼントもケーキもワインも、自分には相応しくない。
 そんなものよりも、近間がただ側にいてくれればいい。
 三宅がいないところで、そう伝えようと思った。

「三宅さんは、誕生日はどう過ごすの?」
 近間が話題を変えた。
 ウィスキーソーダのグラス越しに、三宅がふふっと笑う。
「勿論、彼氏と過ごします」
 爆弾発言に、直樹と近間は顔を見合わせた。
「三宅さん、彼氏いたんだ?」
「最近できました。お二人の野次馬ばっかりしてると思わないでくださいね」
「おめでとう。どんな人か聞いていい?」
 近間がグラスを掲げ、3人で乾杯する。
「南洋理工大学に留学中の院生で、3つ下です」
 その後は、三宅のノロケ話で大盛り上がりだった。
 年齢以上に大人びていて、近間と直樹を温かく茶化している三宅だが、自分の恋の話をしている時は年相応に可愛らしい。


 いい感じに酒が入った近間と三宅は、年下男子との交際について意気投合している。
「カッコつけようとして空回りしてるとこが可愛い」とか「たまにオスっぽいとこがどきどきする」とか、聞いている直樹の方が耳を塞ぎたくなる。
 
 酔い覚ましに水を注文しようと店員を目で探していると、金髪の男が歩み寄ってきた。
 長身で、緑色の目が印象的なヨーロッパ人だ。
 男は直樹達のテーブルまで来ると、近間の肩を気安く叩いた。
「ケイスケ」
 近間はちょっと驚いた顔をしてから、立ち上がって英語で挨拶した。
「アルベール、偶然だな」
 あれ、アルベールってどっかで。
 直樹は記憶を探り、既視感にすぐに思い当たった。
 こいつ、鰻屋で近間さんにべたべた触ってた奴だ。
 確か、フランスの駐在武官だったか。
 もやもやと不快になる直樹の横で、アルベールは少し腰を屈めて、頬を差し出す仕草をした。
 近間が応じて、二人は両頬を交互に合わせる挨拶をする。
 アルベールの手が近間の腕に触れるのを見て、直樹は奥歯を噛んだ。
 口の中に砂が入ったようなざらりとした嫌悪感。
 ただの挨拶だと分かっているが、この男は嫌だと本能が訴える。
 
 ぜってー近間さんに下心あるだろ、こいつ。
 相手は外交官で、近間の仕事仲間だ。直樹は睨みつけたい衝動を必死に抑える。
 アルベールは、歯磨き粉のCMのような爽やかスマイルで近間と雑談していたが、やがて直樹と三宅に目を向けた。
「ケイスケのご友人かな?」
 アルベールは女性の三宅にまず挨拶をし、それから直樹に向き直った。
「梶直樹です」
「アルベール・シュバリィ空軍大佐です」
 握手をした手にぎゅっと力を込められたので、直樹も力強く握り返した。
 思い過ごしかもしれないが、品定めされている気がする。
「じゃあ、ケイスケ。また金曜日に」
 アルベールは軽くハグするように近間の背を叩くと、ウィンクして去って行った。


「金曜日、何があるんですか?」
 大人気ないと分かっているが、声が低くなってしまった。
 近間が直樹の顔を覗き込む。
「オランダ大使館のレセプションだよ。駐在武官は全員招待されてる。おまえ、なんか機嫌悪い?」
「悪くありません」
 言うなり、両頬を引っ張られた。
「アルベールは奥さんいるし、フランス男だからスキンシップが激しいだけだって言ったろ。おまえが心配することは何も無い」
「大いにあります。近間さんは、自分の魅力をもっと自覚してください」
「俺に欲情する男なんて、おまえくらいだよ」
 三杯目のウィスキーソーダを飲みながら傍観していた三宅が、はいっと挙手をした。
「はい、どうぞ。三宅さん」
 直樹が振ると、三宅は判定を下した。
「梶さんが正しい」
 酔ってはいるが、すごい目力だ。
「近間さんには老若男女を惑わす魅力があります」
「なにそれ、俺、傾国の美女かなんか?」
 肩をすくめる近間の鼻先で、三宅は人差し指を立てた。
「もっとタチ悪いです。あのフランス人、同性もいける人ですよ。腐女子の勘です。絶対近間さんのことそういう目で見てます。今夜、近間さんオカズにされてますよ」
「ちょ、ちょっと三宅さん。女性がそんなこと言わないで下さい」
 明け透けな発言に直樹は慌てるが、三宅は素知らぬ顔で続けた。
「心配して嫉妬してイラっとしてる梶さんの危機感が正しいです。近間さん、気をつけてくださいね」
 思わぬ加勢を得て、直樹も言い募る。
「近間さんが仕事相手の人と仲良くしてる姿は何度も見ていますけど、いつもはこんなふうには思いません。あの男だけは、なんか嫌です。つまらない嫉妬だってことは分かってます。でも、嫌なんです」
 面倒くさくなったのか諦めたのか、近間は降参を示すように両手を挙げた。
「分かったよ。仕事仲間だから付き合いをやめるのは無理だけど、おまえが嫌なら、ああいう挨拶はやめる。必要以上のスキンシップは取らない。それでいいだろ」
「すみません。束縛して」
 眉を下げる直樹に、近間は優しく言った。
「いいよ。恋人を不快にさせないっていうのは、最低限のマナーだからな」
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