戦闘機乗りの劣情

ナムラケイ

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それ、犯罪だからな@二人の部屋

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 3月初旬。近間は直樹のアパートへ引っ越した。
 元々持ち物は少ないし、シンガポールのアパートは家具も電化製品も食器も備え付けなので、引越しは車で2往復するだけで完了した。

「近間さん、荷物少ないですよね」
「おまえみたいに服だの靴だのティーカップだの溜め込んでないからな」
「同棲記念に、ペアのティーカップ買いませんか?」
「売るほどあるだろ。まだ増やすのかよ」
「記念に何か買いたいんです」
「おまえ、発想が乙女だよな」

 喋りながら、ダンボールを乗せた台車を押していると、エレベーターホールで大西勇馬に出くわした。
 同じアパートに住む中学生だ。
「近間さん! 直樹! こんにちは」
 勇馬は二人の前に駆けてくると、元気よく頭を下げた。礼儀正しい子だ。
「こんにちは」
 近間が挨拶を返す横で、直樹は、
「なんで俺だけ呼び捨てなんだよ」
 と勇馬を小突く真似をする。
「直樹は直樹じゃん」
「直樹さんと呼べ」
「えー」
 直樹は、子供が苦手だと言う割に、子供によくなつかれる。
 勇馬のことも、最初はどう会話していいか分からないと言っていたが、今では友達同士のようだ。
 精神年齢が近いんだろうなと近間は密かに思っている。

「あら、お引越しですか?」
 勇馬の後ろから、女性がゆっくり歩いてきた。勇馬の母親だ。
 年が近いこともあり、直樹のアパートに出入りするうちに、近間も立ち話をする間柄になった。
「はい。梶さんと、ルームシェアをすることにしまして」
「え! 近間さん、直樹ん家に住むの?」
 勇馬が眼鏡の奥の目を輝かせる。
「おう。ご近所さんになるから、よろしくな」
「俺、遊びに行っていい?」
 近間が答える前に、直樹が駄目出しをする。
「子供は立入禁止」
「えー」
「こら勇馬、ご迷惑でしょ」
 勇馬母は、口を尖らせる息子をたしなめると、二人の運ぶダンボールに目をやった。
「お引越し、お手伝いできることがあったら言ってくださいね」
「母さん、重いもの持てないだろ」
 すかさず勇馬が言う。思いがけず強い口調だったので、近間が視線で問いかけると、勇馬ははにかんだ。
「妹が、できるんだ」
 すとんとしたワンピース姿だったので気づかなかったが、言われてみると下腹部がふっくらしている。勇馬母は右手でそっと腹を押さえ、幸福そうに微笑んだ。
「ちょうど安定期に入ったところなんです」
「おめでとうございます」
 近間と直樹の声が揃った。
「おまえ、兄ちゃんになるんだな」
 近間が頭をがしがし撫でてやると、勇馬は照れ臭そうに笑った。
「勇馬、行きましょうか。お父さん、下で待ちぼうけしてるわよ」
「うん。近間さん、直樹、またね」
 親子は並んでエレベーターホールへ歩いていく。
 直樹はその後ろ姿をやけに長い間見送っていた。


 部屋に運び入れた段ボールを開封し、直樹がきっちり半分空けてくれた収納スペースにしまっていく。
 クローゼットに衣服を並べ終えた近間がリビングに戻ると、直樹は潰したダンボールの前でぼんやり座っている。
 近間は背後から忍び寄り、直樹の頭頂部をぱこんと強めに叩いた。
「ったあっ!」
 両手で頭を押さえた直樹が振り向く。
「なにすんですか、いきなり!」
「おまえ、くだらないこと考えてるだろ?」
「え?」
「子孫繁栄とか種の保存とか」
 図星だったのだろう。
 直樹は唇を噛んだ。
「ほんと、分かりやすい奴だよな」
「だって、近間さん、絶対いいお父さんになります」
「かもな」
 軽く流して、近間はその場にしゃがみこんだ。
「俺、子供産めないです」
 そう言う直樹の顔を下から覗き込むと、泣きそうになっている。
 思考が負のスパイラルに陥っているようだ。
「当たり前だろ。てか、それ俺の台詞じゃないか?」
 近間は両手で直樹の頬を引っ張った。
「いひゃいれす」
「痛くしてるからな。なあ、おまえ、子供欲しいの?」
 手を放すと、直樹は両頬をさすりながら、首を振った。
「いいえ。子供、苦手ですし。俺は近間さんがいればいいです」
「だったらそれでいいだろ」
「でも、近間さんは、子供好きだし、子供に好かれるし。ご両親だってご兄弟だって、近間さんの孫の顔見たいって思っ」
「ストーップ!」
 壊れた機械のように言い募る直樹の脳天に、チョップを落とした。

「……痛い。近間さん、今日なんだか暴力的です」
「おまえの言葉の方が暴力的だ」
 言い返すと、直樹ははっとしたような顔をした。
 その目を正面から捉える。
「俺、子供欲しいとか、父親になりたいなんて言ったことあったか?」
「……ありません」
「だろ? おまえに決めた時から、そんなこと考えたこともない。どっかの女と結婚して子供作るより、おまえと二人で生きることを選んだんだ。
 俺はその選択をした上で、幸せになると決めている。その俺の決断に、おまえががたがた言うな」
 言い切ると、直樹はがばりと抱き着いてきた。
「うわっ、おい、危ないだろ」
 虚をつかれて、近間は尻もちをつく。直樹は、近間の胸元に額を当てた。
「近間さん、好きです」
「おう」
「大好きです」
「知ってるって」
 近間は苦笑して、直樹の髪に指を突っ込んだ。
 引越し作業の途中だ。頭皮はしっとりしていて汗臭いが、不快なはずもない。
 すんと頭の匂いを嗅ぐと、直樹の肩がぴくりと揺れた。
 見上げてきた目からは、悲しみは消え失せ、欲望がちらついている。
「近間さん」
 甘い声で囁かれて、正直流されそうになったが、明日も仕事だし、ダンボールはまだ半分残っている。近間は心を鬼にして直樹の脇腹にジャブを入れた。 
「ほら、さっさと片付けるぞ」
「えー、今、愛を確かめ合う流れでしたよね」
「そんな流れはない」
「煽ったくせに」
「誰がだ」
「俺の匂い嗅ぎました」
 そんなことで欲情されても困る。
 呆れながらも、直樹の様子がいつもどおりに戻っていることに安心する。
「片付け終わるまで、メシもセックスもお預けだ」


「子供といえば」
 本棚に近間の書籍を並べながら、直樹がぽつりと言ったので、近間は身構える。
「おまえ、まだその話蒸し返すの?」
「違います違います。俺、可愛くない子供だったなあと思って」
「そうなのか?」
「そうです。頭でっかちでふてくされて、嫌な子供でした」
 作者順に几帳面に書架を整える直樹の後ろ姿を見る。
 長身に広い背中。腕にも脚にも固い筋肉がついている。その子供時代を想像する。
 今よりずっと小さくて細くて、幼い直樹。
 部屋でふてくされた顔をして、でも一生懸命勉強している姿を思い浮かべると、自然に笑みが漏れた。

「可愛かったと思うけどな」
「小憎らしいだけですよ。近間さんは、きっとすごく可愛かったですよね」
 俺に限らず、子供は誰でもみんな可愛いだろう。兄の陽一郎も弟の行人と保も、今思い返せばみんな可愛かった。
「写真、見るか?」
「見たいです!」
 直樹が勢いよく返事をする。
「確か、どっかにアルバムあったな」
「子供時代より、DKの近間さんが見たいです」
 直樹のリクエストに、ダンボールを漁る手を止めた。
「DK?」
「男子高校生」
「でたよ、制服フェチ。やっぱアルバム見せんのやめた」
「えー、なんでですか、見たいです。っていうか写真欲しいです」
「断る。おまえ、良からぬことに使うだろ」
 案の定、直樹は言葉に詰まっている。本当に単純な奴だ。
「だって、学ランの近間さんとか想像するだけで悶えます。俺が教師だったら誘拐します」
「それ、犯罪だからな。そもそもうちの高校ブレザーだし」
「ブレザーか……あ、防大は学ランですよね!」
 世紀の大発明でも思いついたように、直樹は手のひらに拳を打ち付けている。かと思えば、
「俺、近間さんの子供の頃も、十代の頃も、二十代の頃も知らないんですよね……なんか悔しい。保君が羨ましい」
 などとぶつぶつ言っている。

 こいつ、俺のこととなると途端に知能指数下がるよな。
 それを嬉しいと思っている俺も大概だけど。
 近間は直樹の前に立つと、背伸びをして、瞼の上にキスをした。
「俺はさ、おまえの子供時代も学生時代も知らないけど。だからこそ、今のおまえが心から愛おしいよ」
「近間さんっ!」
 抱き寄せられ、そのままソファに押し倒される。
「おい、片付けが先だって!」
 じたばた暴れるが、直樹はすっかりその気である。
「今のは近間さんが悪いです。そんな誘いかた反則です。片付けなら、後で俺がやっておきますから」
「そういう問題じゃ……んっ」
 Tシャツの中に侵入した手が脇腹を撫でる。子供のものではない、大きな手。近間を愛してくれる手だ。
 近間は抵抗を諦めて、大人の快楽に身を委ねることにした。

 なあ、直樹。
 おまえは、俺がおまえといる時に、どれほど満たされているか知らないだろう。
 子供なんてどうだっていいじゃないか。
 おまえが側で笑っていてくれるなら、俺は他には何もいらないんだから。
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