戦闘機乗りの劣情

ナムラケイ

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オムライスがいい@日本大使館会議室

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 2月6日から11日の間、シンガポール北部にあるチャンギ・エキシビジョン・センターでは、シンガポール・エアショー2018が開催される。
 シンガポール政府が隔年開催する航空ショーだ。
 世界中から集まる顧客が数十億ドルの取引をしていくビジネスの場であると同時に、各国の軍関係者が集結する国際交流の場でもある。

 日本からは防衛大臣と空軍参謀長が招待されており、お付きやプレスを含めると、一行は総勢50人を超える。
 VIPの受け入れは大使館の手腕を試される機会だ。
 訪問地の大使館では、通称「全館体制」が敷かれ、大使館員全員が普段の業務と関係なく対応要員に組み込まれる。
 振られる役割は、総括班、行事日程班、空港班、車両班、通信班、医療班、警備班、通訳班等、多種多彩。
 今回は防衛大臣がヘッドなので、防衛駐在官の岩崎と近間が館内総括として全体を取り仕切っている。
 サブロジを把握しつつ、各班の動きを統制する司令塔の役割だ。
 一行の到着日を4日後に控えた金曜日の午後、岩崎と近間は執務室で鳴り響く電話に対応していた。


「車両班です。近間さん、一行の荷物量って事前に分かりますかね? 荷物車両3台キープしてますけど、足りなければ追加するんで」
「空幕防衛班です。空幕長の発言要領セットされたので、シンガポール側に事前にポイントを打ち込んでおいてください」
「防衛省報道室です。防衛大臣出張のプレスリリース案をメールで送付したので、至急合議お願いします」
「行事日程班です。7日の防衛大臣と大使の夕食会なんですけれど、公邸料理人からメニューと席次が来たので、プロトコルオーダー確認してもらえますか?」
「近間さん、防衛大臣会談は7日午後でセットと連絡ありました。先方は日本語通訳はいないそうなんで、日本側で双方向お願いしたいそうです。あと、ギフト交換の件なんですが……」

「あー、もう! 早く終わって飲みに行きてえ!」
 隣の席で、一連の調整を捌き終わった岩崎ががしがしと頭を掻きむしっている。
「あと1週間の我慢ですよ。これ、どうぞ」
 近間が個包装のクッキーを投げると、岩崎はパソコンの画面から目を外さないまま、片手でキャッチする。
「あ、くっそ。今のメール見たか? また一行の人数変わるとか言ってやがる」
「課長級がプラス1ですか。そうなると、会談の席次も変更しないと」
「何度目だよ、いい加減にしろよなあ」
 怒りに任せたようにぱしぱしと返信を打つ岩崎である。
 自衛官同士なこともあり、近間と二人の時は荒っぽい態度を取る岩崎であるが、一歩部屋を出れば、理不尽な要求にも凡ミスにも苛立ちを見せることはない。
 今も、自分が悪いわけではないのに何度も詫びの言葉を口にしながら、宿舎班にホテル予約の追加を頼んでいる。
 全員に気持ちよく働いてもらうために、司令塔はどうあるべきか。岩崎からは学ぶことが多い。


 翌日、休日出勤して通常業務を片付けていると、給湯室で経済班の三宅里奈みやけりなに出くわした。
「お疲れ様です。近間さん、私服可愛いですね」
 三宅は開口一番そう言った。
 休日は私服勤務が許されているので、近間はポロシャツにチノパン姿である。三宅の方も、タンクトップにパーカー、ジーンズという軽装だ。
「お疲れ様。三宅さんも雰囲気違うね」
「休日までスーツ着たくないですからねー」
「経済班も結構出勤してる?」
「4人くらいですね。大型ロジ入ってると、通常業務溜まっちゃいますよね」
 近間がドリップバッグのコーヒーにお湯を注ぐ横で、冷蔵庫に貼られた出前メニューを物色していた三宅が言った。
「お昼、まだならご一緒しませんか? 宅配ピザ食べたくなったんですけど、1人だと多いので」

 
 三宅一押しだと言うSarpino's  Pizzeriaのピザは30分で配達されてきた。
 相手が女性なので、会議室のドアは開け放したままにしている。
 香ばしい匂いが廊下まで流れていることだろう。
「あ、美味い」
 一口食べて思わず声が漏れた。
 生地はもっちり、具材の野菜は新鮮でしゃっきりしている。チーズたっぷりなのに脂っこくなくて、ぺろりといけそうだ。
「でしょ。宅配ではここのピザが一番なんですよ」
「三宅さん、レストランとかカフェよく知ってるよね」
「女子ですから。でも、梶さんも相当詳しいですよね」
 さらっと直樹の名を出してきたので、近間もさらっと返す。
「だな。洒落た店とか行きたがって困る」
「全然困ってる顔じゃないですよ」
 ピザをぱくつきながら、三宅はにやにやしている。
 彼女は、近間と直樹の関係を知っている唯一の館員だ。
 萌えの供給などと言っているが、真面目に理解してくれているし、何より口が堅い。
 8歳年下だが信頼できる女性なので、近間も遠慮なく直樹の話をしている。
「慣れないんだよな、気取った店って。地方部隊の自衛官の宴会って、安くて飲み放題付きっていう居酒屋ばっかりだから」
 あっという間にピザを2切れ平らげてから、三宅はごくごくとコーラを飲む。
「三宅さん、細いのによく食うよね」
 三宅がチョイスしたのは、「肉屋ブッチャー」という牛肉やソーセージがてんこもりになった肉々しいピザだ。
「20代だし。頭脳労働はエネルギー使うんです。あ、引いてます?」
「全然」
 女性が旺盛な食欲を見せている姿は、むしろ好ましい。
「近間さんも、がっつり派ですよね」
「自衛官だからね。毎日ハードに運動してるから、食べないとすぐ筋力落ちる」
「薔薇のジャムとか食べてそうなのに」
「食ったことないし」

 ピザとサイドメニューのチキンウィングを黙々と食べていると、ポケットの中のスマホが震えた。
 手を拭いてパスコードを解除すると、直樹からだ。
「休日出勤お疲れ様です。ちゃんとお昼食べてくださいね」
 メッセージに続いて、にかっと笑った自撮り画像が添付されている。
 思わず顔がほころんだ。
「梶さんですか?」
「三宅さん、やっぱりエスパー?」
「そんな嬉しそうな顔してたら誰でも分かりますって」
 指摘されて、意識的に口元を引き締めた。
「返信していいかな?」
「どうぞ。っていうか、電話してください」
「え。ここで?」
「ここで。梶さんの声、聞きたくないですか?」
「いやそれは聞きたいけど」

 直樹とは10日間会えていない。
 直樹の方も、マレーシア出張を控えているとかで残業と休日出勤続きなのだ。
 メッセージのやりとりは毎日しているが、仕事の邪魔をしてはいけないと、なんとなく電話は控えていた。
「近間さん。どんなに忙しくても、コミュニケーションをサボってはいけません」
 教師口調で言うと、三宅は自分のスマホを取り出した。タップして、耳に当てている。
「もしもし。大使館の三宅です。お世話になっております。今、お電話しても大丈夫ですか? はい、では少しお待ちください」
 はい、と手渡されたピンクのスマホの液晶には、「五和商事 梶直樹氏」と表示されている。
 恨みがましく三宅を見つつ、スマホを耳に当てた。

「もしもし」
「あれ、近間さん?」
 名前を呼ばれただけで、ふわんと心が緩んだ。
「おう。今、職場で三宅さんと昼飯食べてたとこ。おまえに電話しろってうるさくて」
 向かいで三宅が、うるさいなんて失礼なと頬を膨らませている。
「そうだったんですね。びっくりしました」
「おまえ、今、家?」
 受話器越しに、クラシックが流れている。直樹がよく作業用に流しているBGMだ。
「はい。持ち帰った仕事してます」
「そか。頑張れよ」
「ありがとうございます。……近間さん、今夜、行ってもいいですか?」
「いいけど、何時に帰れるか分かんねえぞ」
「迷惑ですか?」
 切羽詰まったような声に、近間は眉をひそめた。

 近間の表情を見て取ったのだろう。
 ピザを食べていた三宅が、席を外しましょうかとジェスチャーで聞いてくる。近間は通話口を押さえ、「いていいよ」と伝えた。
 三宅が仕掛けたこととはいえ、食事中のスマホの持ち主を追い出すのは気が引ける。

「迷惑ではないけど、おまえ、どうしたの?」
 直樹は、近間が忙しい時はかなり遠慮をする奴だ。
 自分より仕事を優先してほしいと言ってくれるし、状況が逆の時は近間も同じことを言う。
「その、あんまり時間無いんだなと思って」
「時間?」
 なんの話だ。
「いえ、いいんです。すみません、またにします」
 ここで引き下がらせては駄目なことは分かる。
「終わったら連絡するから、うちで集合な」
「はい!」
 途端に声がはじけた。笑顔になったのが伝わってくるようで、ほっとする。
「あ、でも、先にアパートで待っててもいいですか?」
「いいけど。本当、どうしたのおまえ」
「ごはん作って待ってます」
「嫁かよ。てか、おまえ、料理そんな好きじゃないだろ」
 直樹は基礎的な調理はこなすが、手間と時間をかけるくらいなら外食を選ぶ派だ。
「近間さんのために作るのは好きです」
「ああそう」
 相変わらず恥ずかしい台詞を平気で言う奴だ。
「何食べたいですか?」
 訊かれて、数少ない直樹のレパートリーを脳内で検索する。
「オムライスがいい」
 三宅が「なにその可愛いチョイス」とにやけているが、無視する。
「了解です。卵、ふわふわととろとろとどっちがいいですか?」
「……とろとろで」
 ぶほっと噴き出した三宅が、なにやら手足をばたばたさせている。なんのダンスだ。

「じゃあ、頑張ってください」
「おう」
「近間さん」
 トーンを落とした声が耳をくすぐった。睦言を囁く時と同じ声音にぞくりとする。
 早く夜になればいいのに。
「なんだよ」
「好きです。大好きです」
「知ってるよ」
「近間さんは?」
 三宅のスマホだということを忘れているのだろう。
 これは言うまで切りそうにない。
 ちらりと三宅を見ると、素知らぬ顔で最後の一切れを咀嚼している。
 場所を移動することも考えたが、今更だろう。
 やけ気味に思い切り甘い声を作って、囁いた。
「俺も大好きだよ」
 んぐっ!と変な音をさせて、三宅がピザを喉に詰まらせた。
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