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嘘をつきたくなかったんだ@犀川神社
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「恵介君と行人君は、まだ彼女いないの?」
1ラウンド目が終わった鍋に野菜を投入しながら、みちるが訊いた。
肉も魚も苦手で、かっぱ巻きとかんぴょう巻きばかり食べていた行人がぼそりと答える。
「……いない。仕事、楽しいし」
「行兄、眼鏡はずすと結構な男前なのにな。合コンとか行かないの?」
茶化す保の取り皿は、肉がてんこ盛りで野菜の欠片もない。
「おまえじゃあるまいし行くかよ」
「結婚願望ないの?」
一人っ子のみちるは、義理の弟たちに彼女が出来るのを楽しみにしていて、「早く若草物語を地で行きたい」と常々口にしている。
奇しくも、そばかすでお転婆な市子がエイミーを連想させるところが、みちるの願望に拍車をかけている。
「ないよ。ベスは諦めてくれ。大体、結婚なら次男の恵兄の方が順番だろ」
「俺に振るなよな」
肩をすくめる近間に、市子がしみじみと言う。
「恵ちゃんって、昔からモテるのに女運ないものねえ」
「あらでも、恵介、彼女できたわよね?」
それまでのんびりとすき焼きをつついていた母がいきなり爆弾を落とした。
予期せぬ攻撃に、近間は2個目の生卵をかき混ぜていた箸を止める。
「えーと、母さん? それはどういう」
俺、何も言ってないよな。
実家到着時から今までの数時間の言動を振り返る近間に、母はにっこりと笑った。
「恵介、表情が前よりソフトになったもの。なんか幸せそう」
それを聞いた全員が近間に注目する。
好奇心からではなく、近間に幸せが訪れたのであれば、それを一緒に分かち合いたい。
どの目からもその思いが伝わってくる。
嘘をつきたくない。
そう、強く思った。
両親と兄弟だけじゃない。
みちる姉さんも航一郎も市子ちゃんも。
大事な家族だ。
俺には子供も孫も作ることはできない。
だから、俺の大好きなこの温かい場所に、あいつの居場所を作ってやりたい。
大切な人達に、大切な人のことで、嘘をつきたくない。
近間は箸を置いて、居住まいを正した。
「あのさ」
紅白歌合戦を見終わると、一家は身支度をして近所の犀川神社へ向かった。
神社でカウントダウンするのも近間家ルールのひとつだ。
地元の参拝客で混雑する神社の参道を離れ、近間は人気のない場所に移動した。
年明けすぐに電話しようと約束していたので、スマホを手元においていたのだろう。
直樹はすぐに電話に出た。
「近間さん。こんばんは」
「直樹」
静かに愛しい人の名を呼んだ。
空気は冷たく、息が白い。
空は驚くほど澄み渡っていて、星が輝いている。
「どうしたんですか? 近間さん、なんか声震えてますよ」
声も震えるはずだ。
だって、胸がいっぱいだ。
近間は深呼吸をした。
きれいなもので肺が満たされ、背筋が伸びる。
「俺、おまえのこと話したから」
「……え?」
直樹が言葉に詰まる。
「両親と兄弟と、兄嫁と甥っ子と弟の彼女と。今いる俺の家族全員に、おまえと付き合っていることを話した。まあ、甥っ子は耳塞がれてたけどな」
両耳をみちるに塞がれ、大きな目をきょろきょろさせていた6歳の航一郎は、子ザルのようで愛らしかった。
「なんで、そんなこと」
「嘘をつきたくなかったんだ。おまえのことを隠すのは嫌だった」
「それで、ご家族は、なんて」
海の向こうの直樹は、可哀想なくらい動揺している。
「なんともなかったよ」
安心させるように、近間は優しく告げた。
「女性陣は、そういうことは早く言いなさいよ、どうして連れて来なかったのよって大盛り上がり。末の弟も同じ反応で、彼女と手取り合って興奮してた。長男は絶句してたけど、奥さんが早々に受け入れるもんだから、最後は流されて、幸せにな、なんて言ってくれたよ。
三男は、ははっ、あいついつもクールなんだけどさ。俺、あいつの驚いた顔初めてみたわ。まあでも、仏頂面のまま、恵兄の好きにすればなんて言ってたし」
一人ひとりの顔を思い出しながら話す。
気分が高揚しているのか、饒舌になっているなと自分でも思う。
「お父さんは」
直樹の声はまだ固い。
父親の反応は一番気がかりなところだろう。
「うん。父さんには、後で部屋に呼ばれた。おまえとのこと根掘り葉掘り聞かれたから、ありのまま答えた。
全部を受け入れているわけじゃないだろうけど、理解しようとしてくれているよ。おまえのこと、なるべく早く連れてこいだってさ」
そこまで聞くと、直樹は安堵したように息を吐いた。
「良かった。職人さんって聞いてたから、俺、近間さんが殴られたんじゃないかと」
「はは。うちの親は、余程のことがないと手は出さない人だよ」
近間の父は生まれも育ちも金沢の生粋の職人だが、存外頭は柔らかい方だ。
それにしても、息子のカミングアウトは衝撃だったのだろう。
息子を自室に呼び出した父の第一声は、「おまえはオカマだったのか」だった。
「俺はオカマでもゲイでもホモでもないし、女装趣味もないよ。初めて心の底から好きになった人が、男だっただけだ」
父の顔がクエスチョンマークだらけだったので、近間は訊かれるがままに、直樹自身のこと、自分自身のこと、直樹と自分のことを丁寧に説明した。
父の理解を得るためなら、どれほど多くの時間をかけることも、同じことを何度も説明することも厭わなかった。
近間の話を聞き終わった父親は、綿入れ半纏に包まれた腕を組み、しばらく黙っていたが、やがてぼそりと言った。
「3か月しか付き合っていないんだろう。よくそこまで思えるな」
「俺、誰かと3か月以上付き合ったことないだろ。あいつは俺の運命だ。そう確信してる」
息子の言葉に父は苦笑した。
「親に向かって、よくそんな恥ずかしい台詞を言えるもんだ」
「確かに」
近間も苦笑いする。
気恥ずかしい愛の言葉を臆面もなく口にする直樹に、影響されているのかもしれない。
近間は笑みを消し、父と視線を合わせた。
父親であり、自分の倍近く生きてきた人生の先輩だ。
「俺はあいつと家族になりたい。みちる姉さんや市子ちゃんとは訳が違うのは分かってる。それでも俺は、この場所に、あいつの居場所を作ってやりたい。どうか、直樹を、俺の恋人を受け入れてください」
座椅子の上で正座し、深々と頭を下げた。
頭上から父親の声が降ってくる。
「同性愛など認めん。別れないなら勘当する。俺がそう言ったら、どうする」
近間は息を呑む。
胸が痛む。
想像もしたくない。選びたくもない。
けれど、この先の人生を誰と一緒に歩みたいかと問われたら、答えはひとつだ。
「……もう、ここには帰ってこない」
搾り出すように結論を口にすると、父は薄く笑った。
「そんなことしたら、俺が母さんに追い出されるな」
父の手が肩に触れる。
「恵介、頭を上げなさい」
顔を上げると、父は存外優しい表情をしていた。
「打ち明けたお前の勇気を誇りに思う。なるべく早く、梶君を連れてきなさい。
俺は、母さんやおまえたちのように柔らかい頭を持っていないから、すぐに全部を受け入れるのは難しいだろう。それでも、受け入れる努力をすると約束する」
近間は物心ついてから初めて、父親の前で涙を溢した。
除夜の鐘が聞こえる。
腕時計を見ると、短針と長針が丁度重なっていた。
境内の方から歓声が上がる。
「直樹。明けましておめでとう」
心を込めて言うと、直樹は電話の向こうで笑った。
「おめでとうございます。でも、こっちはまだ11時ですよ」
「あ」
そうだ、時差のことを忘れていた。近間は頭を掻く。
電話越しに、二人はくすくすと笑い合う。
「近間さんの新年が、俺の声で始まって嬉しいです」
「じゃあ、新年がシンガポールに届くまで、あと1時間喋ってようぜ。おまえの新年が、俺の声で始まるように」
地球が15度動く間、5千キロの距離と30度の温度差を越えて、話をしよう。
1ラウンド目が終わった鍋に野菜を投入しながら、みちるが訊いた。
肉も魚も苦手で、かっぱ巻きとかんぴょう巻きばかり食べていた行人がぼそりと答える。
「……いない。仕事、楽しいし」
「行兄、眼鏡はずすと結構な男前なのにな。合コンとか行かないの?」
茶化す保の取り皿は、肉がてんこ盛りで野菜の欠片もない。
「おまえじゃあるまいし行くかよ」
「結婚願望ないの?」
一人っ子のみちるは、義理の弟たちに彼女が出来るのを楽しみにしていて、「早く若草物語を地で行きたい」と常々口にしている。
奇しくも、そばかすでお転婆な市子がエイミーを連想させるところが、みちるの願望に拍車をかけている。
「ないよ。ベスは諦めてくれ。大体、結婚なら次男の恵兄の方が順番だろ」
「俺に振るなよな」
肩をすくめる近間に、市子がしみじみと言う。
「恵ちゃんって、昔からモテるのに女運ないものねえ」
「あらでも、恵介、彼女できたわよね?」
それまでのんびりとすき焼きをつついていた母がいきなり爆弾を落とした。
予期せぬ攻撃に、近間は2個目の生卵をかき混ぜていた箸を止める。
「えーと、母さん? それはどういう」
俺、何も言ってないよな。
実家到着時から今までの数時間の言動を振り返る近間に、母はにっこりと笑った。
「恵介、表情が前よりソフトになったもの。なんか幸せそう」
それを聞いた全員が近間に注目する。
好奇心からではなく、近間に幸せが訪れたのであれば、それを一緒に分かち合いたい。
どの目からもその思いが伝わってくる。
嘘をつきたくない。
そう、強く思った。
両親と兄弟だけじゃない。
みちる姉さんも航一郎も市子ちゃんも。
大事な家族だ。
俺には子供も孫も作ることはできない。
だから、俺の大好きなこの温かい場所に、あいつの居場所を作ってやりたい。
大切な人達に、大切な人のことで、嘘をつきたくない。
近間は箸を置いて、居住まいを正した。
「あのさ」
紅白歌合戦を見終わると、一家は身支度をして近所の犀川神社へ向かった。
神社でカウントダウンするのも近間家ルールのひとつだ。
地元の参拝客で混雑する神社の参道を離れ、近間は人気のない場所に移動した。
年明けすぐに電話しようと約束していたので、スマホを手元においていたのだろう。
直樹はすぐに電話に出た。
「近間さん。こんばんは」
「直樹」
静かに愛しい人の名を呼んだ。
空気は冷たく、息が白い。
空は驚くほど澄み渡っていて、星が輝いている。
「どうしたんですか? 近間さん、なんか声震えてますよ」
声も震えるはずだ。
だって、胸がいっぱいだ。
近間は深呼吸をした。
きれいなもので肺が満たされ、背筋が伸びる。
「俺、おまえのこと話したから」
「……え?」
直樹が言葉に詰まる。
「両親と兄弟と、兄嫁と甥っ子と弟の彼女と。今いる俺の家族全員に、おまえと付き合っていることを話した。まあ、甥っ子は耳塞がれてたけどな」
両耳をみちるに塞がれ、大きな目をきょろきょろさせていた6歳の航一郎は、子ザルのようで愛らしかった。
「なんで、そんなこと」
「嘘をつきたくなかったんだ。おまえのことを隠すのは嫌だった」
「それで、ご家族は、なんて」
海の向こうの直樹は、可哀想なくらい動揺している。
「なんともなかったよ」
安心させるように、近間は優しく告げた。
「女性陣は、そういうことは早く言いなさいよ、どうして連れて来なかったのよって大盛り上がり。末の弟も同じ反応で、彼女と手取り合って興奮してた。長男は絶句してたけど、奥さんが早々に受け入れるもんだから、最後は流されて、幸せにな、なんて言ってくれたよ。
三男は、ははっ、あいついつもクールなんだけどさ。俺、あいつの驚いた顔初めてみたわ。まあでも、仏頂面のまま、恵兄の好きにすればなんて言ってたし」
一人ひとりの顔を思い出しながら話す。
気分が高揚しているのか、饒舌になっているなと自分でも思う。
「お父さんは」
直樹の声はまだ固い。
父親の反応は一番気がかりなところだろう。
「うん。父さんには、後で部屋に呼ばれた。おまえとのこと根掘り葉掘り聞かれたから、ありのまま答えた。
全部を受け入れているわけじゃないだろうけど、理解しようとしてくれているよ。おまえのこと、なるべく早く連れてこいだってさ」
そこまで聞くと、直樹は安堵したように息を吐いた。
「良かった。職人さんって聞いてたから、俺、近間さんが殴られたんじゃないかと」
「はは。うちの親は、余程のことがないと手は出さない人だよ」
近間の父は生まれも育ちも金沢の生粋の職人だが、存外頭は柔らかい方だ。
それにしても、息子のカミングアウトは衝撃だったのだろう。
息子を自室に呼び出した父の第一声は、「おまえはオカマだったのか」だった。
「俺はオカマでもゲイでもホモでもないし、女装趣味もないよ。初めて心の底から好きになった人が、男だっただけだ」
父の顔がクエスチョンマークだらけだったので、近間は訊かれるがままに、直樹自身のこと、自分自身のこと、直樹と自分のことを丁寧に説明した。
父の理解を得るためなら、どれほど多くの時間をかけることも、同じことを何度も説明することも厭わなかった。
近間の話を聞き終わった父親は、綿入れ半纏に包まれた腕を組み、しばらく黙っていたが、やがてぼそりと言った。
「3か月しか付き合っていないんだろう。よくそこまで思えるな」
「俺、誰かと3か月以上付き合ったことないだろ。あいつは俺の運命だ。そう確信してる」
息子の言葉に父は苦笑した。
「親に向かって、よくそんな恥ずかしい台詞を言えるもんだ」
「確かに」
近間も苦笑いする。
気恥ずかしい愛の言葉を臆面もなく口にする直樹に、影響されているのかもしれない。
近間は笑みを消し、父と視線を合わせた。
父親であり、自分の倍近く生きてきた人生の先輩だ。
「俺はあいつと家族になりたい。みちる姉さんや市子ちゃんとは訳が違うのは分かってる。それでも俺は、この場所に、あいつの居場所を作ってやりたい。どうか、直樹を、俺の恋人を受け入れてください」
座椅子の上で正座し、深々と頭を下げた。
頭上から父親の声が降ってくる。
「同性愛など認めん。別れないなら勘当する。俺がそう言ったら、どうする」
近間は息を呑む。
胸が痛む。
想像もしたくない。選びたくもない。
けれど、この先の人生を誰と一緒に歩みたいかと問われたら、答えはひとつだ。
「……もう、ここには帰ってこない」
搾り出すように結論を口にすると、父は薄く笑った。
「そんなことしたら、俺が母さんに追い出されるな」
父の手が肩に触れる。
「恵介、頭を上げなさい」
顔を上げると、父は存外優しい表情をしていた。
「打ち明けたお前の勇気を誇りに思う。なるべく早く、梶君を連れてきなさい。
俺は、母さんやおまえたちのように柔らかい頭を持っていないから、すぐに全部を受け入れるのは難しいだろう。それでも、受け入れる努力をすると約束する」
近間は物心ついてから初めて、父親の前で涙を溢した。
除夜の鐘が聞こえる。
腕時計を見ると、短針と長針が丁度重なっていた。
境内の方から歓声が上がる。
「直樹。明けましておめでとう」
心を込めて言うと、直樹は電話の向こうで笑った。
「おめでとうございます。でも、こっちはまだ11時ですよ」
「あ」
そうだ、時差のことを忘れていた。近間は頭を掻く。
電話越しに、二人はくすくすと笑い合う。
「近間さんの新年が、俺の声で始まって嬉しいです」
「じゃあ、新年がシンガポールに届くまで、あと1時間喋ってようぜ。おまえの新年が、俺の声で始まるように」
地球が15度動く間、5千キロの距離と30度の温度差を越えて、話をしよう。
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