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他には何もいらない@近間とうふ店
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「さぶっ!」
石川県小松空港の外に出た近間は、身を切り裂くような寒さに身を震わせた。
雪こそ降っていないが、寒い。めちゃめちゃ寒い。
「恵兄!」
張りのある大きな声が近間を呼ぶ。
道路の方から、ダウンジャケットにロングブーツ、ニット帽姿の男が手を振りながら駆け寄ってきた。
近間4兄弟の末っ子、保である。もう25歳なのだが、末っ子気質が抜けないのか、いまだに仕草が子供っぽい。
元気そうな弟の姿に、近間は相好を崩した。
「保! 久しぶり。出迎え、サンキューな」
兄弟はぱんっと手を打ち合わせる。
「運転してんのは市子だけどな」
駐車スペースには、「近間とうふ店」と商標の入った業務用白ワゴンが停車しており、運転席から保の彼女が手を振ってきた。
ソバカスの散った愛嬌ある顔立ちに、ポニーテールが揺れている。
保は近間のスーツケースを取ると、トランクに積み込んだ。
「恵ちゃん、久しぶり。元気そうだね」
「市子ちゃんも。出迎えありがとう。助かったよ」
にっこり笑って礼を言うと、椿原市子は助手席に乗り込んだ保をばしばしと叩いた。
「やーん、やっぱり恵ちゃんカッコいい!」
「おまえ、誰の彼女だよ」
保の突っ込みに、市子は、
「保君の彼女です。でも恵ちゃんは特別なんだもん」
としらっとしている。
車が発車し、近間は流れゆく懐かしい風景に目を細めた。
シンガポールに赴任して半年しか経っていないのに、随分長い間、遠い場所に行っていた気がする。
保と市子は高校生の時から付き合っているので、近間家と椿原家は10年近く家族ぐるみの付き合いをしている。
飽きるほど聞いていた保と市子の掛け合いも、半年ぶりに聞くと懐かしさがある。
小松空港から金沢市の実家までは車で1時間弱だ。
「寒くないですか?」
車内の暖房は弱めだ。運転しながら、市子が風向きを調節する。
「寒い。日本、寒すぎ」
「はは。今日、3度だからな。シンガポールは12月でも暑いんだろ?」
「年中30度だよ。クリスマスも正月も半袖」
「うわー、季節感無くなりそう」
呻く保の横で、市子がルームミラーの中の近間を見た。
「恵ちゃん、あたし達、1月半ばにシンガポールに旅行する予定だから、案内よろしくね。その頃だと、保君が休暇取れるらしいから」
市子はデイトレーダーなので休暇は自分次第だが、消防士の保は休暇が制限されている。
「勿論。いつでも歓迎するよ。って言っても、俺も赴任して半年だから、観光地はあんまり詳しくないんだけど」
言いながら、近間はシンガポールに残してきた恋人のことを思った。
そういうのはあいつが詳しいんだよな。
直樹は、観光スポットのみならず、穴場のレストランや人気のショップも常に最新情報をアップデートしていて、デートの度に、近間が知らないシンガポールを見せてくれる。
「初めてだし、定番のスポットを案内してくれたらいいよ。あたし、マーライオンと写真撮りたい」
「お、それ俺も撮りたい! マーライオン、かっけーよな!」
青春時代を共に過ごした保と市子は、羨ましいくらいに感覚や価値観がシンクロしている。
「いや、実物はそんなにかっこよくもないけど」
毎日のように件のライオン像を見ている近間が期待値を下げようとすると、運転席と助手席から、
「夢を壊すこと言わない!」
と声を揃えて叱られた。
近間をドロップすると、保と市子は夕食用に注文した寿司を受け取りに行くと言って、再び白ワゴンで出かけて行った。
近間家は1階がとうふ店で、2階と3階が住居部分になっている。
店は年末年始は休業だ。
近間は、布をかぶせた豆腐資機材が並ぶ作業場に佇む。清潔で整理整頓が行き届いた店は、透き通る冬の日差しの中で静かに休息している。
近所の人達が木綿2丁とか油揚げ2枚とか、ささやかな買い物をしていく店だ。
出来立ての豆乳の味が舌に蘇ってきて、近間は微笑んだ。
俺の、育った家だ。
「恵介、よく来たな」
「恵介、おかえり」
居住部分に入ると、両親が揃って出迎えてくれた。
眼鏡をかけ、職人というよりサラリーマンのような風貌の父に、陽気さと気の強さが顔に滲み出ている母。
「父さん、母さん、ただいま」
二人とも変わらず元気そうだ。
近間が笑顔を見せると、母が背中をばしばしと叩いてきた。
「相変わらずの王子様スマイルね! ほら入って入って、あんたが最後なんだから」
羽田空港で家畜防疫官として働いている長男の陽一郎と妻のみちる、その息子の航一朗、東京国税局で勤務する三男の行人も既に帰省していて、順番に挨拶をしたり、お土産を交換したりする。
近間家には、余程ののっぴきならない事情がない限り、年末年始は家族で過ごすというルールがある。
今年も家族が勢ぞろいで、普段は両親しか住んでいない小さな家は賑やかさではち切れそうだ。
「恵介、遅かったな。大使館の御用納めは28日じゃないのか?」
まだ昼過ぎなのに、居間では酒盛りが始まっていた。
荷解きもそこそこに、渡されたグラスに陽一郎がビールを注いだ。
「28日なんだけど、ちょっと残務処理があってさ」
2週間の飛行訓練を終えて大使館に復帰すると、机には未決書類が山積みになっていた。
御用納めの後も、メールの返信や残務処理に追われ、昨夜シンガポールを出発し、成田で乗り継いで、今はもう大晦日の昼だ。
「へえ、大使館も大変だな。俺も、年末にアルパカの大量輸入があって検査が大変でさ……」
4兄弟全員が公務員だが、職務内容はばらばらだ。
陽一郎としばらく互いの仕事の話で盛り上がった。
三男の行人は、兄弟の中では一番近間と容姿が似ているが、寡黙でクールなタイプだ。
兄二人が話している横で、日本酒を舐めながら眼鏡越しに文庫本を読んでいる。
賑やかで温かい部屋でくつろぎながら、直樹のことを思った。
直樹は父子家庭で、父親と姉は東京で別々に暮らしている。
正月だからと言って帰省するような関係でないことは、近間も知っている。
年末年始を直樹と一緒にシンガポールで過ごすことも考えた。
けれど、近間は家族の約束を反故にしたくなかった。
「一緒に来ないか?」
金沢への帰省に誘うと、直樹はひどく驚いた顔をした。
近間のアパートで簡単な夕食を取り、ソファでくつろいでいた時だった。
「行けませんよ、そんな」
「うちの家族、オープンだぞ。兄嫁とか弟の彼女も来るし」
安心させるように軽い口調で言ったが、直樹は眉を下げて困り果てていた。
「奥さんや彼女さんと同じ土俵には立てません」
近間は、直樹が見ていた夜9時のNHKニュースを消した。
ソファーの上で、直樹に向き直る。
「うちの家には年末年始を一緒に過ごすっていう約束があって、俺はそれを出来る限り守っていきたい。同時に、この先新年を迎える時は、いつもおまえに隣にいてほしいと思ってる」
「近間さん」
「うん」
「それは、両立できませんよ」
どちらかを選ばないと。
直樹は悲しそうに言った。
近間はその頬を撫でる。
男っぽい顔立ちがくすぐったそうに、いや、辛そうに歪む。
この男に触れられる権利を手放すつもりは、微塵もない。
近間は直樹を見つめた。
くっきりとした二重の、少し茶色がかった瞳。
知性と自信と少しの傲慢さが宿る目が、今は不安に彩られている。
「俺は、家族とおまえとを天秤にはかけない。家族におまえのことをきちんと紹介して、理解して欲しいと思ってる」
それは、直樹と初めて身体を交わした時から考えていたことだ。
「挿れたら、近間さん、もう、俺のものですよ」
熱を孕んだ真摯な口調でそう宣告した直樹に、
「分かってる。いいよ、直樹」
と答えたあの時から。
いつも前向きな直樹が、この時ばかりはペシミスティックだった。
「俺は近間さんのご家族を知りませんけど、そんな簡単なことじゃないです。大事な息子さんが男にたぶらかされたなんて知ったら、ご両親がどう思うか」
「なに、俺がたぶらかされた側なの」
あまりの言い草に近間は苦笑する。
おまえの姉さんは、俺たちのことをあっさり認めてくれたけどな。
「とにかく、近間さんが、俺のことをそんなふうに考えていてくれたことは、すごく嬉しいです。でも、俺はまだ勇気が、ないです」
「俺がそばにいても?」
「すみません」
直樹は頭を下げた。
「近間さんのご家族に嫌な顔されたら、俺、しばらく立ち直れません」
うん。それはよく分かる。
幸運なことに、直樹の姉の梶茗子は、近間と直樹の関係を好意的に受け入れてくれたが、もし少しでも嫌悪感を示されていたら、近間はしばらく泥沼から這い上がれなかっただろう。
「それに、正月は3日からバンコク出張なので時間的にも無理なんです」
直樹は申し訳なさそうにそう付け加えた。
それを聞いて、近間は思わず直樹の首にしがみついた。
洗いざらしの髪に鼻をうずめ、何度もキスを落とす。
こいつのこういうところが好きだ。
最初から出張を言い訳にして断ることもできたのに、勇気がないから無理だと、心の弱さを曝け出して誠実に答えてくれた。
直樹を抱きしめる腕にぎゅうっと力を込める。
「分かった。じゃあ、この話はまた今度な」
「はい。近間さんは実家でゆっくりしてきてください。あ、でも、年が明けたら一番に電話していいですか?」
直樹の指先がTシャツの下にするりと入ってきて、背中を撫でる。
背骨をひとつひとつ確かめるような愛撫に、ずくんと腰が重くなる。
「当たり前だろ……っ」
手がハーフパンツの中に滑り込んできたので、声は掠れてしまった。
その後、互いの存在を確かめあうように、めちゃめちゃした。
「恵ちゃん、何ぼーっとしてるの? お肉、無くなるよ」
市子が近間の目の前に生卵を突き出した。
夜になり、食卓にはぐつぐつ煮えるすきやき鍋と、保と市子が買ってきた4桶の寿司が鎮座ましましている。
「ごめんごめん、すき焼きなんて久しぶりで」
近間家は子供達の恋愛や性の話題にも寛容な方だが、大家族の食卓で、同性の恋人との情事を反芻していたなどと言えるわけもない。
近間は受け取った生卵を器に割り入れる。
その器に保が煮えた霜降り肉を入れてくれた。
「外交官って、パーチーでワイン片手にスパイ活動とかしてんじゃないの」
「あー、そのイメージある。あと、某国の美人スパイにハニートラップ仕掛けられたり!」
「うわ、それ、俺も仕掛けられたい。太ももから拳銃取り出されたい」
「じゃあ、あとでそういうプレイする?」
「お願いしやっす」
保と市子の漫才に、長男の嫁のみちるが、
「やだもう二人ともー、航一郎に聞かせないでよー」
と笑いながら息子の耳を塞ぐ。
父と母は寿司をつまみながら、子供達の会話を楽しそうに聞いている。
総勢6人の息子と義理の娘、それに初孫に囲まれながら、幸福そうに微笑み合う両親を見て、近間は誇らしいような泣きたいような気持ちになる。
自分は、こんなふうに子供や孫に囲まれることは生涯ないだろう。
でも俺は。
直樹がいればいい。
あいつを手に入れられるなら、他には何もいらない。
そう思えるだけの人に、俺は出逢うことができた。
それって、凄いことじゃないか?
そう思うと、胸があたたかいもので満たされ、自然に笑みがこぼれた。
石川県小松空港の外に出た近間は、身を切り裂くような寒さに身を震わせた。
雪こそ降っていないが、寒い。めちゃめちゃ寒い。
「恵兄!」
張りのある大きな声が近間を呼ぶ。
道路の方から、ダウンジャケットにロングブーツ、ニット帽姿の男が手を振りながら駆け寄ってきた。
近間4兄弟の末っ子、保である。もう25歳なのだが、末っ子気質が抜けないのか、いまだに仕草が子供っぽい。
元気そうな弟の姿に、近間は相好を崩した。
「保! 久しぶり。出迎え、サンキューな」
兄弟はぱんっと手を打ち合わせる。
「運転してんのは市子だけどな」
駐車スペースには、「近間とうふ店」と商標の入った業務用白ワゴンが停車しており、運転席から保の彼女が手を振ってきた。
ソバカスの散った愛嬌ある顔立ちに、ポニーテールが揺れている。
保は近間のスーツケースを取ると、トランクに積み込んだ。
「恵ちゃん、久しぶり。元気そうだね」
「市子ちゃんも。出迎えありがとう。助かったよ」
にっこり笑って礼を言うと、椿原市子は助手席に乗り込んだ保をばしばしと叩いた。
「やーん、やっぱり恵ちゃんカッコいい!」
「おまえ、誰の彼女だよ」
保の突っ込みに、市子は、
「保君の彼女です。でも恵ちゃんは特別なんだもん」
としらっとしている。
車が発車し、近間は流れゆく懐かしい風景に目を細めた。
シンガポールに赴任して半年しか経っていないのに、随分長い間、遠い場所に行っていた気がする。
保と市子は高校生の時から付き合っているので、近間家と椿原家は10年近く家族ぐるみの付き合いをしている。
飽きるほど聞いていた保と市子の掛け合いも、半年ぶりに聞くと懐かしさがある。
小松空港から金沢市の実家までは車で1時間弱だ。
「寒くないですか?」
車内の暖房は弱めだ。運転しながら、市子が風向きを調節する。
「寒い。日本、寒すぎ」
「はは。今日、3度だからな。シンガポールは12月でも暑いんだろ?」
「年中30度だよ。クリスマスも正月も半袖」
「うわー、季節感無くなりそう」
呻く保の横で、市子がルームミラーの中の近間を見た。
「恵ちゃん、あたし達、1月半ばにシンガポールに旅行する予定だから、案内よろしくね。その頃だと、保君が休暇取れるらしいから」
市子はデイトレーダーなので休暇は自分次第だが、消防士の保は休暇が制限されている。
「勿論。いつでも歓迎するよ。って言っても、俺も赴任して半年だから、観光地はあんまり詳しくないんだけど」
言いながら、近間はシンガポールに残してきた恋人のことを思った。
そういうのはあいつが詳しいんだよな。
直樹は、観光スポットのみならず、穴場のレストランや人気のショップも常に最新情報をアップデートしていて、デートの度に、近間が知らないシンガポールを見せてくれる。
「初めてだし、定番のスポットを案内してくれたらいいよ。あたし、マーライオンと写真撮りたい」
「お、それ俺も撮りたい! マーライオン、かっけーよな!」
青春時代を共に過ごした保と市子は、羨ましいくらいに感覚や価値観がシンクロしている。
「いや、実物はそんなにかっこよくもないけど」
毎日のように件のライオン像を見ている近間が期待値を下げようとすると、運転席と助手席から、
「夢を壊すこと言わない!」
と声を揃えて叱られた。
近間をドロップすると、保と市子は夕食用に注文した寿司を受け取りに行くと言って、再び白ワゴンで出かけて行った。
近間家は1階がとうふ店で、2階と3階が住居部分になっている。
店は年末年始は休業だ。
近間は、布をかぶせた豆腐資機材が並ぶ作業場に佇む。清潔で整理整頓が行き届いた店は、透き通る冬の日差しの中で静かに休息している。
近所の人達が木綿2丁とか油揚げ2枚とか、ささやかな買い物をしていく店だ。
出来立ての豆乳の味が舌に蘇ってきて、近間は微笑んだ。
俺の、育った家だ。
「恵介、よく来たな」
「恵介、おかえり」
居住部分に入ると、両親が揃って出迎えてくれた。
眼鏡をかけ、職人というよりサラリーマンのような風貌の父に、陽気さと気の強さが顔に滲み出ている母。
「父さん、母さん、ただいま」
二人とも変わらず元気そうだ。
近間が笑顔を見せると、母が背中をばしばしと叩いてきた。
「相変わらずの王子様スマイルね! ほら入って入って、あんたが最後なんだから」
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近間家には、余程ののっぴきならない事情がない限り、年末年始は家族で過ごすというルールがある。
今年も家族が勢ぞろいで、普段は両親しか住んでいない小さな家は賑やかさではち切れそうだ。
「恵介、遅かったな。大使館の御用納めは28日じゃないのか?」
まだ昼過ぎなのに、居間では酒盛りが始まっていた。
荷解きもそこそこに、渡されたグラスに陽一郎がビールを注いだ。
「28日なんだけど、ちょっと残務処理があってさ」
2週間の飛行訓練を終えて大使館に復帰すると、机には未決書類が山積みになっていた。
御用納めの後も、メールの返信や残務処理に追われ、昨夜シンガポールを出発し、成田で乗り継いで、今はもう大晦日の昼だ。
「へえ、大使館も大変だな。俺も、年末にアルパカの大量輸入があって検査が大変でさ……」
4兄弟全員が公務員だが、職務内容はばらばらだ。
陽一郎としばらく互いの仕事の話で盛り上がった。
三男の行人は、兄弟の中では一番近間と容姿が似ているが、寡黙でクールなタイプだ。
兄二人が話している横で、日本酒を舐めながら眼鏡越しに文庫本を読んでいる。
賑やかで温かい部屋でくつろぎながら、直樹のことを思った。
直樹は父子家庭で、父親と姉は東京で別々に暮らしている。
正月だからと言って帰省するような関係でないことは、近間も知っている。
年末年始を直樹と一緒にシンガポールで過ごすことも考えた。
けれど、近間は家族の約束を反故にしたくなかった。
「一緒に来ないか?」
金沢への帰省に誘うと、直樹はひどく驚いた顔をした。
近間のアパートで簡単な夕食を取り、ソファでくつろいでいた時だった。
「行けませんよ、そんな」
「うちの家族、オープンだぞ。兄嫁とか弟の彼女も来るし」
安心させるように軽い口調で言ったが、直樹は眉を下げて困り果てていた。
「奥さんや彼女さんと同じ土俵には立てません」
近間は、直樹が見ていた夜9時のNHKニュースを消した。
ソファーの上で、直樹に向き直る。
「うちの家には年末年始を一緒に過ごすっていう約束があって、俺はそれを出来る限り守っていきたい。同時に、この先新年を迎える時は、いつもおまえに隣にいてほしいと思ってる」
「近間さん」
「うん」
「それは、両立できませんよ」
どちらかを選ばないと。
直樹は悲しそうに言った。
近間はその頬を撫でる。
男っぽい顔立ちがくすぐったそうに、いや、辛そうに歪む。
この男に触れられる権利を手放すつもりは、微塵もない。
近間は直樹を見つめた。
くっきりとした二重の、少し茶色がかった瞳。
知性と自信と少しの傲慢さが宿る目が、今は不安に彩られている。
「俺は、家族とおまえとを天秤にはかけない。家族におまえのことをきちんと紹介して、理解して欲しいと思ってる」
それは、直樹と初めて身体を交わした時から考えていたことだ。
「挿れたら、近間さん、もう、俺のものですよ」
熱を孕んだ真摯な口調でそう宣告した直樹に、
「分かってる。いいよ、直樹」
と答えたあの時から。
いつも前向きな直樹が、この時ばかりはペシミスティックだった。
「俺は近間さんのご家族を知りませんけど、そんな簡単なことじゃないです。大事な息子さんが男にたぶらかされたなんて知ったら、ご両親がどう思うか」
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あまりの言い草に近間は苦笑する。
おまえの姉さんは、俺たちのことをあっさり認めてくれたけどな。
「とにかく、近間さんが、俺のことをそんなふうに考えていてくれたことは、すごく嬉しいです。でも、俺はまだ勇気が、ないです」
「俺がそばにいても?」
「すみません」
直樹は頭を下げた。
「近間さんのご家族に嫌な顔されたら、俺、しばらく立ち直れません」
うん。それはよく分かる。
幸運なことに、直樹の姉の梶茗子は、近間と直樹の関係を好意的に受け入れてくれたが、もし少しでも嫌悪感を示されていたら、近間はしばらく泥沼から這い上がれなかっただろう。
「それに、正月は3日からバンコク出張なので時間的にも無理なんです」
直樹は申し訳なさそうにそう付け加えた。
それを聞いて、近間は思わず直樹の首にしがみついた。
洗いざらしの髪に鼻をうずめ、何度もキスを落とす。
こいつのこういうところが好きだ。
最初から出張を言い訳にして断ることもできたのに、勇気がないから無理だと、心の弱さを曝け出して誠実に答えてくれた。
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「分かった。じゃあ、この話はまた今度な」
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直樹の指先がTシャツの下にするりと入ってきて、背中を撫でる。
背骨をひとつひとつ確かめるような愛撫に、ずくんと腰が重くなる。
「当たり前だろ……っ」
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その後、互いの存在を確かめあうように、めちゃめちゃした。
「恵ちゃん、何ぼーっとしてるの? お肉、無くなるよ」
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「ごめんごめん、すき焼きなんて久しぶりで」
近間家は子供達の恋愛や性の話題にも寛容な方だが、大家族の食卓で、同性の恋人との情事を反芻していたなどと言えるわけもない。
近間は受け取った生卵を器に割り入れる。
その器に保が煮えた霜降り肉を入れてくれた。
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「うわ、それ、俺も仕掛けられたい。太ももから拳銃取り出されたい」
「じゃあ、あとでそういうプレイする?」
「お願いしやっす」
保と市子の漫才に、長男の嫁のみちるが、
「やだもう二人ともー、航一郎に聞かせないでよー」
と笑いながら息子の耳を塞ぐ。
父と母は寿司をつまみながら、子供達の会話を楽しそうに聞いている。
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自分は、こんなふうに子供や孫に囲まれることは生涯ないだろう。
でも俺は。
直樹がいればいい。
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