戦闘機乗りの劣情

ナムラケイ

文字の大きさ
上 下
20 / 90

いってらっしゃい@エレベーター

しおりを挟む
 炊き立てのご飯に大根とワカメの味噌汁、焼き鮭、三つ葉入り卵焼き、キュウリの浅漬け、ほうじ茶。
 完全無欠の日本の朝ごはん@シンガポールである。
 朝6時に起きて、一緒にジョギングをして、一緒にシャワーを浴びて、一緒に朝食を作って、一緒に「いただきます」をした。

 味噌汁を啜る近間をちらりと見て、直樹は安心する。
 血色は良く、目も輝いている。ジョギングでは軽快に走っていたし、食欲もあるようだ。
 月曜日の朝。
 今日から、近間は2週間の飛行訓練に入る。
 3日前の深夜、近間から電話があった時は心底驚いた。
 そんな時間に電話してくることはこれまでなかったから。
 スマホ越しの近間の声は生気がなくて、タクシーを飛ばして会いに行ったらぎょっとした。
 数日ぶりに会った顔は、雛人形みたいに白く、何かに脅えているようだった。
 問い質すと、ずっと眠れていないと打ち明けられ、心底ショックだった。
 年上の近間が安心して頼れるような強さを、自分はまだ持っていないのだと突きつけられたようで。
 互いの思いを打ち明け合った後、直樹の腕の中でようやく近間は眠ってくれた。
 近間が嫌な夢で目を覚ました時に、すぐに微笑んで頭を撫でてあげられるように、その夜、直樹は一睡もせずに夜目で近間の寝顔を見つめていた。

「今日、泊まっていってくれないか? それで、明日の朝、笑って俺を見送ってほしい」
 昨夜、頼みがあると言った近間に、「なんでも叶えます」と答えると、見送りをリクエストされた。
 なんでもないような小さなお願いだが、近間にとっては大事なことだと分かった。
 近間と付き合い始めてから、直樹はひとかどの自衛隊マニアである。
 航空自衛隊の編成も装備品の種類と保有数量も空で言えるし、時々、自衛官妻のブログも覗いたりしている。
 自衛官の仕事は、いつ何が起こるか分からない。
 弾道ミサイル、テロ、災害、事故。出勤したら、その日に無事に帰ってこられる保証はないから。
 どんなに派手な喧嘩をしても、翌朝には笑顔で見送る。
 それが自衛官家族のルールだと直樹は知っていた。

「なんだよ、じろじろ見て。冷めるぞ」
「あ、すみません」
 慌てて箸を取ると、近間は呆れたように眉を下げる。
「おまえ、俺の顔好きだよな」
「好きですよ。近間さんだったら、どんな顔してても好きです」
「はは、なんだそれ」

 食事を終えて、一緒に後片付けをした。
 お泊りすると、日常のあれやこれやが全部「一緒に」になるのが嬉しい。
 汚れるといけないので、食事の間は二人ともTシャツにハーフパンツ姿だった。
 直樹が昨日持ってきておいたスーツに袖を通していると、近間も隣で着替えだした。
 自衛官は着替えが早い。あっという間に着替え終わる。
 その姿を見て、直樹は思わずスマホを構えた。

「何してんの」
 向けられるレンズに近間は警戒する。
「写真、撮りたいです」
「却下する。俺の写真なんかどうするんだよ」
「それは、まあ色々と使い道が…」
「うわなんか怖い。てか、オカズにもなんないだろ、こんな格好」
「なりますめちゃめちゃなります。カッコ可愛いです」
「おまえ、頭悪くなった?」
「頭悪くていいから、撮らせてください」

 直樹が何をこんなに興奮しているのかといえば、近間が戦闘服姿だからである。
 大使館に出勤する時はクールビズだが、今日は直接シンガポール空軍パヤレバ基地に行くためだ。
 空自の制服も、私服も、ジョギングスタイルも水着姿も見たことがある。でも、戦闘服はお初だ。上下ともグレーのデジタル迷彩で、生地は厚くごわっとしている。
 容姿の整った近間が着ると、ハリウッドの戦争映画の俳優のようだ。
 文句なしにカッコいい。

 結局、写真は撮らせてもらえなかった。
 拗ねながらスマホをしまい、ネクタイを結んでいると、近間の指が首元に伸びてきた。
「してやるよ」
 今日のネクタイは、タイシルクで紺色に象の柄が細かく織り込まれたものだ。
 首元で、タイをつまんだ長い指先が器用に動いている。
 定番中の定番の夢シチュエーションに、直樹は赤面する。
 伏せられた長い睫毛が頬に影を落とし、形のいい唇は濃いピンク色で誘うように濡れている。
 俺の象さんが元気になりそうだ。
 アホなことを考えていると、ぽんと胸元を叩かれた。
「はい、おしまい。このネクタイ、洒落てるな……んっ」
 我慢できなくて、迷彩に包まれた腰を引き寄せ、口づけた。
 近間は抵抗せずに身を任せてくる。
 唇を割り開いて舌を吸いたかったが、途中でやめられる自信がない。
 唇を柔らかく食むだけにして、近間を解放した。
「…………っ」
 見上げてくる近間の目は、足りないもっとして、と訴えている。
 直樹だって、こんなキスじゃ全然足りない。
 でもこれ以上は本当に駄目だ。
 近間を家から出してやれなくなる。
「遅刻しますよ。続きは、2週間後にしてあげます」
 理性を総動員すると、直樹は、近間の背中をぽんと叩いた。

 身支度を終え、戸締りと火の元を確認する。
 玄関で、直樹はマドラスの革靴を、近間は半長靴を履く。
 エレベーターを待つ間、直樹は近間のヘルメットバッグに目を遣った。オリーブ色のバッグには「JO」と刺繍が入っている。
「ジョーって?」
「俺のTACネーム」
 パイロットが持つ愛称のことだ。
「なんでジョーなんですか? 明日のジョー? 元ブラジル代表?」
「ハズレ。姉妹じゃないけど、2番目だから」
 謎かけを振られて、すぐにぴんと来た。
「ジョゼフィーン・マーチのジョーですか」
 若草物語に出てくる4姉妹の次女で、ボーイッシュな少女の名前だ。
 近間は4兄弟の次男だから、それとかけたのだろう。
「ぴんぽん」
「ジョーって呼んでいいですか」
「いいけど」
「やっぱやめときます」
 近間さんは、「近間さん」って感じだから。
「どっちだよ」

 おしゃべりしている間に、エレベーターが降下していく。
 タイミングを見計らって、直樹は、監視カメラから隠すように近間を隅に誘導する。
 近間が目を閉じたので、そっと口づけた。
 ぽーんと音がして、エレベーターはロビー階に到着する。
 車通勤の近間はガレージがある地下まで行くので、ここでお別れだ。
 笑顔で見送ってほしい。
 そうお願いされていたから、100万ドルの笑顔を作ってやろうと気負っていたが、キスの後で目が合うと、自然にやわらかい笑みがこぼれた。 
「いってらっしゃい」
 頑張ってきて。楽しんで。無事に帰ってきて。
 待ってるから。
 たくさんの思いを込めて見送りの挨拶をすると、近間は嬉しそうに笑った。
「いってきます」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

くまさんのマッサージ♡

はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。 2024.03.06 閲覧、お気に入りありがとうございます。 m(_ _)m もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。 2024.03.10 完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m 今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。 2024.03.19 https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy イベントページになります。 25日0時より開始です! ※補足 サークルスペースが確定いたしました。 一次創作2: え5 にて出展させていただいてます! 2024.10.28 11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。 2024.11.01 https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2 本日22時より、イベントが開催されます。 よろしければ遊びに来てください。

極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。 あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。 そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。 翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。 しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。 ********** ●早瀬 果歩(はやせ かほ) 25歳、OL 元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。 ●逢見 翔(おうみ しょう) 28歳、パイロット 世界を飛び回るエリートパイロット。 ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。 翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……? ●航(わたる) 1歳半 果歩と翔の息子。飛行機が好き。 ※表記年齢は初登場です ********** webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です! 完結しました!

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました

海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。 しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。 偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。 御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。 これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。 【7/27完結しました。読んでいただいてありがとうございました。】 【続編も8/17完結しました。】 「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785 ↑この続編は、R18の過激描写がありますので、苦手な方はご注意ください。

Good day !

葉月 まい
恋愛
『Good day !』シリーズ Vol.1 人一倍真面目で努力家のコーパイと イケメンのエリートキャプテン そんな二人の 恋と仕事と、飛行機の物語… ꙳⋆ ˖𓂃܀✈* 登場人物 *☆܀𓂃˖ ⋆꙳ 日本ウイング航空(Japan Wing Airline) 副操縦士 藤崎 恵真(27歳) Fujisaki Ema 機長 佐倉 大和(35歳) Sakura Yamato

【R18】僕とあいつのいちゃラブな日々

紫紺(紗子)
BL
絶倫美形ギタリスト×欲しがりイケメンマネの日常。 大人男子のただただラブラブでえっちな日々を綴ります。 基本、1話完結です。 どこをつまんでも大丈夫。毎回何かしらいちゃつきます(回によってはエロ強めのお話もございます)。 物足りない夜のお供にいかがですか? もちろん朝でも昼でもOKです。

男色医師

虎 正規
BL
ゲイの医者、黒河の毒牙から逃れられるか?

後輩の幸せな片思い

Gemini
BL
【完結】設計事務所で働く井上は、幸せな片思いをしている。一級建築士の勉強と仕事を両立する日々の中で先輩の恭介を好きになった。どうやら先輩にも思い人がいるらしい。でも憧れの先輩と毎日仕事ができればそれでいい。……と思っていたのにいざ先輩の思い人が現れて心は乱れまくった。

処理中です...