戦闘機乗りの劣情

ナムラケイ

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じゃあ、付き合う?@ロバートキー

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 その日の夜、軽薄で上から目線だが偉大なる先輩である金子文隆が、気晴らしに飲みに行こうと誘ってくれた。
「俺、マーブル氏と会食があるんで、その後でもいいですか」
 直樹が言うと、金子は鷹揚に頷いた。
「あー、あの外資トレーダーな。いいよ。俺も別件あるから、その後で。適当に電話するわ」


 1日に2軒3軒4軒のハシゴなんて、商社マンなら当たり前だ。
 直樹は十代前半を英国で過ごしたので、英語はネイティヴ・レベルだが、トレーダー相手に外国語で経済ネタを喋り続けるのは肩が凝った。

 会食を終えて、クラークキーのスノッブなバーで、金子や何人かの同僚と落ち合った。
 全員が気の張る会食の後だったこともあり、競うようにカクテルを腹に納めていく。
 直樹は元々酒が強い上に、アメフト部と商社勤務で肝臓を相当鍛えられたので、どれだけ飲んでもほろ酔い以上に酔っぱらうことはほとんどない。

「おまえ、本当ザルだよなー」
 いい感じに酔っぱらっている同僚達とタクシーに乗り込み、それぞれのアパートメントを目指す。
 お開きまでにカクテルを10杯以上飲んだが、心はすっきりしないままに頭だけが冴えていた。


 シンガポール川沿いを進み、車はロバートキーに入る。
 運転手が酒臭いと苦言を呈したので、車窓を半分ほど開けていた。
 入り込んでくる夜風は、川の水分を含んでいて気持ちが良い。
 ぼーっと車窓を眺めていると、川沿いをジョギングをしている影が見えた。
 走り慣れている、綺麗な走り方だった。
 このあたりは景色がいいのでランナーは多いが、こんな深夜には珍しい。
 その姿をもう一度確認して、直樹は「あ」と叫んだ。

「なんだよ、急に」
 居眠り中に耳元で叫ばれた金子が不機嫌に言う。
「すみません、ここで降ります」
「おまえ、アパートまだまだ先だろ」
「Excuse me, May I drop here?」
 怪訝そうな金子には答えず、運転手に車を停めるよう指示する。

 タクシーを降り、走る影を追いかけた。
 速い。
 軽く走っているように見えるのに、スピードが半端ない。
 直樹だってばりばりの体育会系だが、酒が入っているし、革靴だ。

 追いつく前に、足音を不審に思ったのか、走る男が振り向いた。
「あれ、梶?」
 驚いた表情を見せる近間の顔はうっすらと汗ばんでいるが、呼吸は乱れていない。
「どうも」
 息が上がっているのを知られたくなくて、平静な声を無理やり押し出した。

「何してるんだ?」
「タクシーから見えたので」
「普通、それで追いかけるのか?」
 近間は本格的なジョギング姿で、急に止まるのが憚られるのか、足首や手首をぐるぐる回している。
「なんか、つい追いかけてしまって。偶然ですね」
「確かに」
「これ、男女なら運命ってやつですよね」
 冗談めかして言うと、近間はははっと笑った。
「なんだそれ」
 笑ってくれたことに、ひどく安心した。
 プライベートの番号を渡したのも、電話が欲しいと言ったのも、別に怒っても引いてもいないようだった。
「走ってるんですね」
「自衛官だからね。暇あれば走るよ」
 近間が歩き出したので、直樹も横に並んだ。

 吹き抜ける風が、酔った身体に心地いい。
「いくら治安の良いシンガポールでも、こんな時間は危ないですよ」
「俺、おまえより強いよ」
 そういえば、さっきも「梶」と呼び捨てにされた。「おまえ」という二人称に戸惑っているのに気づいたのか、近間が説明した。
「三宅さんに年聞いたから。俺のが5つ上」

 ということは33歳だ。
 見えない。失礼になるかもしれないが、どう見たって20代だ。
 肌は綺麗だし、髪はつやつやだし、皺もない。身体だって贅肉の1ミリグラムもなさそうだ。
 金子なんてまだ29歳なのに、不摂生のせいで腹のあたりがやばい。

「なんか、武道やってたんですか」
「一通りね。おまえは?」
「アメフト部でしたけど、武道は全然」
「それでそのガタイか」
 軽いおしゃべりをしながら、互いの目的地は確認しないままに川沿いを歩いていく。
 マリーナベイエリアの夜は眠らない。
 きらきら光るイルミネーションが川に映り込み、世界経済を担う大都会なのに、幻想的ですらある。

「良かったら、飲みに行きますか?」
 人を飲みに誘う台詞なんて何百回と口にしてきたはずなのに、やたらと緊張した。
 くそ、なんなんだよこれ。
 近間は一歩前に出ると、歩きながら直樹の目を覗きこむようにした。
 黒目がちな瞳に見つめられてどきりとする。
 近間はすぐに前に向き直ると、からかうように言った。
「おまえ、十分飲んでるだろ」
「あ、酒くさいですか?」
「いや、俺も汗臭いしな」
 近間さんの汗なら臭くなんて全然ないと言おうとしたけど、流石に引かれそうなのでやめた。
「えーと、いいバー知ってますけど」
「この恰好で?」
 確かに。全身ランニングスタイルではドレスコードにひっかかる。
「じゃあ、うち来ますか? ブギスなんでちょっと距離ありますけど」
 駄目元で誘うと、近間は歩みを止めた。直樹も慌てて足を止め、振り返る。
 近間は眉を寄せ、困ったような顔をしていた。

「おまえ、どういうつもり?」
「……どういうって」
 無性に喉が渇くのは、たくさん飲んだ酒のせいじゃない。
「俺は公務員でヤバい奴じゃないって分かってるにしても、ほぼ初対面の人間に、いきなり電話くださいって言ったり、飲みに行こうって誘ったりするもんか?」
 直樹はごくりと唾を飲み込んだ。そして、腹をくくった。
「俺は、ただ、もう少し話したいなって。今ちょっと、別れがたくないですか?」
 近間は、否定はせずに反問した。
「それ、告白?」
「え」
 予想外の単語に心臓が跳ねる。
「家誘うとか話したいとか、おまえ、俺のこと好きなの?」
 直球で指摘されて、ぐるぐると目眩がしそうだ。

 近間は呆れても怒ってもいないようだったが、答えられずに黙っていると、追い打ちが来た。
「じゃあ、付き合う?」
「ええっ」
「やっぱやめとくか」
「いや、ちょっと待ってください」
「どっち」
 あまりのことに、口元を押さえてしゃがみこんで悶絶する直樹を、近間は面白そうに微笑んで見ている。

 これは、からかわれているのだろうか。
 そのままの姿勢で、近間を振り仰いだ。
 端正な顔が月明かりと人口の光で照らされて、とんでもなく綺麗だった。
「いや、あの、近間さんはゲイの方ですか」
「男と付き合ったことはないな」
「じゃあどうして」
 近間は頭を整理するように一呼吸置いてから、口を開いた。
「さあ、どうしてだろう。なんか、おまえ、面白そうだし。気に入った」
 直樹は立ち上がって、スーツの裾を払い、近間に向き合った。
 取引先に対するよりもずっと心と誠実さを込めて、頭を下げた。

「よろしくお願いします」
「うん。こちらこそよろしく」
 近間は爽やかに言うと、何度か屈伸をした。
「まあでもとりあえず、今日は帰れよ。俺はまだ走るから」
 先手を打つように言うと、近間は軽やかに走り去ってしまう。
 その後ろ姿を見ながら、直樹は再び地面にしゃがみこんだ。
「えーと、これ、やっぱ、夢なパターンかな」
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