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第三章 カスガイくんは、パパとママのお仕事を見学したい
3-8 あれは嘘よ!
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己のいつもの語尾を律儀に付け足しながら、イリスは声を上げる。突然の一喝に驚いたのはセンリだけではなかった。正面のロキも、背中を向けていたユラやマオまでも、きょとんとしながらこちらを見ている。
「イリスさん、それは…」
「そうです、センリさんがさっき言ってたことですよ! それ、ボクもそのまま言っちゃいます!」
言葉だけではもどかしくて、ついつい全身を激しく振り動かしてしまった。おもちゃ屋で駄々をこねる子どもみたいで恥ずかしいが、実際に子どもなのだからセーフだ。いけいけ! いってしまえ!
「センリさんが、お客さんのこととか博物館のこととか色んなことを考えて迷っているのはわかります! そういうプロフェッショナルなとこ、すっごくかっこいいです! それでも最終的な決断ができないでいる一番の理由は、パパとママのことですよね。二人が戦う姿を見せたら、お客さんたちに怖がられちゃうんじゃないかって心配してるんですよね。でも、でも、センリさん!」
がしっと、すぐ近くにあったスーツの襟元を両手で握り締めた。不安そうに揺れるセンリの瞳を見つめながら、イリスはゆっくりと音を紡ぐ。「怖いのあとにも、好きは来ますよね」
そう。それは他ならぬセンリ自身が証明していることだ。初めて出会ったときはマオとユラを怖がっていたセンリが、今は二人が誰かに怖がられることを怖がるほど、二人のことを大事に思っている。
そんなセンリの変化は、奇跡のような確率で起こったのかもしれない。けれど、センリだけが特別なわけではないはずだ。きっと。
「……はい、来ました」
ずっと沈黙していたセンリの口元が、そこでようやくほころんだ。思わず肩の力を抜いたイリスは、無意識にユラとマオを確認する。二人は我関せずとばかりに背を向けていた。話は聞こえているはずだが、なんの言及もない。それがセンリの説得をイリスに任せてくれたように感じられ、心の中で勇気の炎がメラメラと燃え上がった。
「ボクは、パパとママがどんな逆境でも乗り越えられる強い人たちだって信じてます。だから一緒にいます。センリさんは? センリさんは、どうしてパパとママのそばにいたいと思ったんですか?」
「オレは二人が、二人の強さが――みんなを笑顔にできる強さだと信じたからです」
「センリさん…っ」
言葉だけではない。その瞳の輝きとまっすぐな眼差しから、確固たる決意が伝わってくる。完全に腹を決めたのか、センリは微笑みながらうなずくと、イリスにロキを託して立ち上がった。少し離れたマオとユラの背中に軽く視線を送ってから、ドラゴン越しに天井を仰ぐ。
「グレイ・スリー!」
「はいはーい! お呼びとあらばどこでも参上! 超絶敏腕優秀キュレーターのグレイちゃんよーんって、もう! ちょっとじらしすぎじゃない? いったいどういう状況なの、これ? 適当に話を合わせちゃったけど、聞いてないわよっ」と、後半の部分は関係者にしか聞こえないようにボリュームを絞りながら、グレイが早口でしゃべり続ける。こんな状況でも変わらない明るい声音が頼もしい。
「予定通り、今から『残陽の遺跡の守護者とアンバーサスによる戦闘再現サプライズショー』を行います! 進行を!」
「お、あ、おっけー! あれよね、事前に完璧に打ち合わせていたサプライズショーね! みんなにお知らせしたプログラムには載ってない展開だけど、サプライズだから当然よね!」
グレイが言い終わる前に、観客たちの周辺に薄いカーテンのようなスクリーンがいくつも現れた。さきほどホールでも見た、もはやお馴染みの光景だ。何もない空間に浮かび上がった小さなモニターが静かに揺れ、ショーのロゴを映し出す。この展開はグレイでさえ予想外だったはずなので、おそらく即席で作ったのだろう。本当に仕事が早い超絶敏腕優秀キュレーターだ。
「え!? あの氷漬けのドラゴン動くの!? 本物ってこと!?」
「さっき『カチンコチンに凍ってるから絶対に動かない』って言ってなかったっけ、グレイちゃん!」
「あれは嘘よ!」
「嘘なの!?」
子どもたちを筆頭とした観客たちの疑問を愉快に一蹴して、グレイは続ける。
「それじゃあ、はじめるわよ! ほら、みんなもっと中に入って入って! できるだけモニターの近くでひとかたまりになってちょうだいね! はいはい、おっけー! あ、途中退室と撮影は禁止よ! ご協力よろしくお願いするわね! それじゃあ、最強のアンバーサスによる最高のショーをとくとご覧あれ! あたしもはりきって歌っちゃうわよーんっ!」
「歌っちゃうの!?」
思わず観客と一緒になってイリスも突っ込んでしまった。混乱している間におしゃれなイントロが流れ出し、オーディオスペクトラムが表示されたグレイ専用モニターが出現する。「あーあー。おほん、こほん。――それでは、イッツ! ショータイム!」
展示物を引き立たせるための暖色系と寒色系が混ざった控え目な照明が、何色ものビビットなスポットライトに変わって大きく揺れ動く。そして宣言通り、グレイが唐突に歌い出した。艶やかでありながら力強い美声が、聞いたことのないメロディを紡ぎ出す。ロックだろうか。オペラだろうか。ちょっとよくわからないが、それに合わせるようにマオがぱちんと指を鳴らした途端、ドラゴンを封じ込めていた氷が甲高い音を立てて霧へと変わり果てた。
拘束を解かれたドラゴンは、炎を吐こうとして口を開けたままだった状態から即座に次の行動に移った。目の前で輝く金色の髪の持ち主を顎先で叩き潰そうと、長い首を振り下ろす。
「あれ、ひょっとして俺のこと覚えてる? 前回はごめんね、バラバラにしちゃって」
残念ながらその金色の髪の持ち主は最強にして最速の勇者であるので、ドラゴンの攻撃を華麗に避けると同時に、その頭の上にひょいと飛び乗ってしまった。「まあ、今回もするんだけど」
ドラゴンの知能のほどはわからないが、実は本当にユラのことを覚えているのかもしれなかった。忌々しげに目をぎらつかせ、うるさい虫を振り落とそうと乱暴に頭を振る。その食いしばった大きな顎の隙間から、赤い炎がちらちらと覗いた。
「火ー! 火、また吐いちゃいます!」と、イリスが叫ぶのとドラゴンが炎を吐き出すのは同時だった。首の振りに合わせた予測不能な軌道を描きながら、眩いほどの光を放つ炎の線が飛んでいく。よりにもよって、観客のほうへ。
悲鳴が上がる。誰も逃げられない。けれど、イリスは知っている。絶対に大丈夫だと。
――だって、ここにはマオがいる。
超音波のように薄く儚い音を立てて、観客の目の前に巨大な氷の壁が出現した。氷山の端っこをスライスしたものをランダムにくっつけたような派手な形状をしている。イリスも頻繁にお世話になっているあのスノードームとは少し違うが、役目としては同じだろう。熱い炎で炙られても全く溶ける気配がない完全無敵のシールドが、まるで白鳥が広げた翼で卵を守るかのように、すべての客をあますことなく包み込んでいる。
「すごい、ぜんぜん熱くない」「こんな魔法、見たことないよ」「キラキラしててすっごくキレイ」と、ほんの数秒前までは恐怖に怯えていた観客たちが、お互いの顔と氷の壁を見比べながら口々に興奮の声をあげる。
いつの間にか、そんな彼らを背後に庇うような位置に移動していたマオが、ユラに向けて軽く頷いた。「守りは任せて好きにやれ」ということだろう。
ユラも笑顔で返すと、ドラゴンの頭から軽々と跳躍してマオの斜め前方に降り立った。恨みが相当深いのか、ドラゴンは相変わらずユラだけをロックオンしている。
イリスたち三人からは、その光景がちょうど横から見えている状態だ。ユラとドラゴン。あまりにもサイズが違いすぎる両者が、お互いの次の手をじっと窺っているのがわかる。それにしたって違いすぎないだろうか。ユラは守護者の心核を取り出すと言っていたが、本当にそんなことができるのだろうか。
それは観客たちも同じだったらしい。自分たちの身の安全が氷の壁によって完全に確保された今、気にかけるべき対象は目の前の勇者の無事のみだ。「ドラゴンなんてどうやって倒すんだ」「いくら魔力が強くたって、あんなに華奢な身体なのに」と、不安そうにドラゴンとユラを見比べている。
先に動いたのは、ユラ。相手の巨体の下を一直線にくぐり抜けて背後をとる。そのまま垂直に飛び上がると、ドラゴンの背中――心臓が人間と同じように左側にあるとするなら、ちょうどその位置だ――を狙って、華麗な回し蹴りをたたき込もうとする。そんなユラに、守護者の長い尾が襲いかかった。空中にいるときのデメリットは、自由に行動できないことだ。ユラの軌道を正確に読んでいたドラゴンが、地面に叩き落とそうと尻尾を一閃させる。
けれど、ユラはそこからさらにひとつ跳躍して難なくかわした。
「えっ!?」と、イリスは思わず驚きの声を上げてしまう。まるで、空中に備えつけられていたトランポリンを足場にしたような動き。あまりに予想外で、何が起こったのかわからない。こしこしと目を擦ってから改めて凝視すると、ドラゴンの尻尾が空を切ったあたりから、キラキラとした氷の粒が舞っているのが見えた。
(――氷?)
その単語と結びつく心当たりは、ひとつしかない。マオだ。思わずそちらに視線を向けるが、魔王の無表情は変わらない。泰然と直立したまま、ドラゴンと交戦中のユラを見上げている。
それでも、イリスにはわかる。あれは間違いなくマオの魔法だ。ユラの先回りをして、氷の足場を作っているのだろう。阿吽の呼吸なんて表現では間に合わないほどの抜群のコンビネーションだ。
そういえば最初に会ったとき、ユラが「魔王さま以外の魔王とは組めない」と言っていたが、こういうことも含めての言葉だったのだろうか。相性が、少なくとも戦闘の相性が本当にいいのだ。この二人は、なるべくして一緒にいるのだ。
これはもうデスティニーですね! などと呑気に考えているうちに、状況が大きく動いた。尻尾アタックを避けたユラが、そのまま軽やかに空を跳び続けながらドラゴンの前面へと回り込む。そしてくるっと一周して背面へ戻り、再び前へ。まるで守護者を取り囲んでいる見えない螺旋階段を登っているかのような不思議な動きだ。
そんなユラを絶対に視界から逃さないとばかりに、ドラゴンがその場でぐるぐると回っている。自分の尻尾を追いかける猫を思い浮かべて、イリスの頬がふにゃりと緩んだ。
次々と襲い来る牙も尻尾も、ぴょんぴょんかわしながら空を跳び回っている最強の勇者。そんな楽しそうなユラを見た観客から、わあっという歓声が沸き起こった。グレイの歌も、ここがサビとばかりにボルテージが上がっていく。
守護者がなにかアクションを起こすたび、そしてそれをユラが受け流すたびに、氷の粒が舞い落ちてくる。ライトを浴びて輝くそれは、さながらスパンコールかミラーボールのようだった。博物館の展示室が、一気にショーのステージへと変化する。
(すごい! すごい! すごい!)
腹の奥が熱い。胸の奥が震える。ふと、そこで気がついた。ずっと支えていたロキも、ユラに視線を奪われていることに。涙に濡れていた頬はすっかり乾き、ぽっかり開いた口は笑みの形を描いている。そして内側から強く光を放つ目を見て、イリスは思わず大きく息を吸い込んだ。
「ユラぁあああ! かっこいぃいいい!! がんばってぇええ!!」
本当の本当は『ママ』と言いたかったけど、余計な混乱を引き起こしそうだったので諦めた。ただどうしても、なにかを伝えたくて、イリスはさけぶ。
ユラとの距離は、何メートルも離れている。それでも、彼は受け止めてくれた。こんな状況にも関わらず、ヒマワリの笑顔で応えてくれた。だから好きだ。そういうところが大好きだ。
二人のやり取りがきっかけとなったのか、観客からも次々と声援が飛んでいった。それを全身で浴びたパフォーマーの動きがますます生き生きと鮮やかになり、ステージ全体がいっそう輝きを増していく。
「イリスさん、それは…」
「そうです、センリさんがさっき言ってたことですよ! それ、ボクもそのまま言っちゃいます!」
言葉だけではもどかしくて、ついつい全身を激しく振り動かしてしまった。おもちゃ屋で駄々をこねる子どもみたいで恥ずかしいが、実際に子どもなのだからセーフだ。いけいけ! いってしまえ!
「センリさんが、お客さんのこととか博物館のこととか色んなことを考えて迷っているのはわかります! そういうプロフェッショナルなとこ、すっごくかっこいいです! それでも最終的な決断ができないでいる一番の理由は、パパとママのことですよね。二人が戦う姿を見せたら、お客さんたちに怖がられちゃうんじゃないかって心配してるんですよね。でも、でも、センリさん!」
がしっと、すぐ近くにあったスーツの襟元を両手で握り締めた。不安そうに揺れるセンリの瞳を見つめながら、イリスはゆっくりと音を紡ぐ。「怖いのあとにも、好きは来ますよね」
そう。それは他ならぬセンリ自身が証明していることだ。初めて出会ったときはマオとユラを怖がっていたセンリが、今は二人が誰かに怖がられることを怖がるほど、二人のことを大事に思っている。
そんなセンリの変化は、奇跡のような確率で起こったのかもしれない。けれど、センリだけが特別なわけではないはずだ。きっと。
「……はい、来ました」
ずっと沈黙していたセンリの口元が、そこでようやくほころんだ。思わず肩の力を抜いたイリスは、無意識にユラとマオを確認する。二人は我関せずとばかりに背を向けていた。話は聞こえているはずだが、なんの言及もない。それがセンリの説得をイリスに任せてくれたように感じられ、心の中で勇気の炎がメラメラと燃え上がった。
「ボクは、パパとママがどんな逆境でも乗り越えられる強い人たちだって信じてます。だから一緒にいます。センリさんは? センリさんは、どうしてパパとママのそばにいたいと思ったんですか?」
「オレは二人が、二人の強さが――みんなを笑顔にできる強さだと信じたからです」
「センリさん…っ」
言葉だけではない。その瞳の輝きとまっすぐな眼差しから、確固たる決意が伝わってくる。完全に腹を決めたのか、センリは微笑みながらうなずくと、イリスにロキを託して立ち上がった。少し離れたマオとユラの背中に軽く視線を送ってから、ドラゴン越しに天井を仰ぐ。
「グレイ・スリー!」
「はいはーい! お呼びとあらばどこでも参上! 超絶敏腕優秀キュレーターのグレイちゃんよーんって、もう! ちょっとじらしすぎじゃない? いったいどういう状況なの、これ? 適当に話を合わせちゃったけど、聞いてないわよっ」と、後半の部分は関係者にしか聞こえないようにボリュームを絞りながら、グレイが早口でしゃべり続ける。こんな状況でも変わらない明るい声音が頼もしい。
「予定通り、今から『残陽の遺跡の守護者とアンバーサスによる戦闘再現サプライズショー』を行います! 進行を!」
「お、あ、おっけー! あれよね、事前に完璧に打ち合わせていたサプライズショーね! みんなにお知らせしたプログラムには載ってない展開だけど、サプライズだから当然よね!」
グレイが言い終わる前に、観客たちの周辺に薄いカーテンのようなスクリーンがいくつも現れた。さきほどホールでも見た、もはやお馴染みの光景だ。何もない空間に浮かび上がった小さなモニターが静かに揺れ、ショーのロゴを映し出す。この展開はグレイでさえ予想外だったはずなので、おそらく即席で作ったのだろう。本当に仕事が早い超絶敏腕優秀キュレーターだ。
「え!? あの氷漬けのドラゴン動くの!? 本物ってこと!?」
「さっき『カチンコチンに凍ってるから絶対に動かない』って言ってなかったっけ、グレイちゃん!」
「あれは嘘よ!」
「嘘なの!?」
子どもたちを筆頭とした観客たちの疑問を愉快に一蹴して、グレイは続ける。
「それじゃあ、はじめるわよ! ほら、みんなもっと中に入って入って! できるだけモニターの近くでひとかたまりになってちょうだいね! はいはい、おっけー! あ、途中退室と撮影は禁止よ! ご協力よろしくお願いするわね! それじゃあ、最強のアンバーサスによる最高のショーをとくとご覧あれ! あたしもはりきって歌っちゃうわよーんっ!」
「歌っちゃうの!?」
思わず観客と一緒になってイリスも突っ込んでしまった。混乱している間におしゃれなイントロが流れ出し、オーディオスペクトラムが表示されたグレイ専用モニターが出現する。「あーあー。おほん、こほん。――それでは、イッツ! ショータイム!」
展示物を引き立たせるための暖色系と寒色系が混ざった控え目な照明が、何色ものビビットなスポットライトに変わって大きく揺れ動く。そして宣言通り、グレイが唐突に歌い出した。艶やかでありながら力強い美声が、聞いたことのないメロディを紡ぎ出す。ロックだろうか。オペラだろうか。ちょっとよくわからないが、それに合わせるようにマオがぱちんと指を鳴らした途端、ドラゴンを封じ込めていた氷が甲高い音を立てて霧へと変わり果てた。
拘束を解かれたドラゴンは、炎を吐こうとして口を開けたままだった状態から即座に次の行動に移った。目の前で輝く金色の髪の持ち主を顎先で叩き潰そうと、長い首を振り下ろす。
「あれ、ひょっとして俺のこと覚えてる? 前回はごめんね、バラバラにしちゃって」
残念ながらその金色の髪の持ち主は最強にして最速の勇者であるので、ドラゴンの攻撃を華麗に避けると同時に、その頭の上にひょいと飛び乗ってしまった。「まあ、今回もするんだけど」
ドラゴンの知能のほどはわからないが、実は本当にユラのことを覚えているのかもしれなかった。忌々しげに目をぎらつかせ、うるさい虫を振り落とそうと乱暴に頭を振る。その食いしばった大きな顎の隙間から、赤い炎がちらちらと覗いた。
「火ー! 火、また吐いちゃいます!」と、イリスが叫ぶのとドラゴンが炎を吐き出すのは同時だった。首の振りに合わせた予測不能な軌道を描きながら、眩いほどの光を放つ炎の線が飛んでいく。よりにもよって、観客のほうへ。
悲鳴が上がる。誰も逃げられない。けれど、イリスは知っている。絶対に大丈夫だと。
――だって、ここにはマオがいる。
超音波のように薄く儚い音を立てて、観客の目の前に巨大な氷の壁が出現した。氷山の端っこをスライスしたものをランダムにくっつけたような派手な形状をしている。イリスも頻繁にお世話になっているあのスノードームとは少し違うが、役目としては同じだろう。熱い炎で炙られても全く溶ける気配がない完全無敵のシールドが、まるで白鳥が広げた翼で卵を守るかのように、すべての客をあますことなく包み込んでいる。
「すごい、ぜんぜん熱くない」「こんな魔法、見たことないよ」「キラキラしててすっごくキレイ」と、ほんの数秒前までは恐怖に怯えていた観客たちが、お互いの顔と氷の壁を見比べながら口々に興奮の声をあげる。
いつの間にか、そんな彼らを背後に庇うような位置に移動していたマオが、ユラに向けて軽く頷いた。「守りは任せて好きにやれ」ということだろう。
ユラも笑顔で返すと、ドラゴンの頭から軽々と跳躍してマオの斜め前方に降り立った。恨みが相当深いのか、ドラゴンは相変わらずユラだけをロックオンしている。
イリスたち三人からは、その光景がちょうど横から見えている状態だ。ユラとドラゴン。あまりにもサイズが違いすぎる両者が、お互いの次の手をじっと窺っているのがわかる。それにしたって違いすぎないだろうか。ユラは守護者の心核を取り出すと言っていたが、本当にそんなことができるのだろうか。
それは観客たちも同じだったらしい。自分たちの身の安全が氷の壁によって完全に確保された今、気にかけるべき対象は目の前の勇者の無事のみだ。「ドラゴンなんてどうやって倒すんだ」「いくら魔力が強くたって、あんなに華奢な身体なのに」と、不安そうにドラゴンとユラを見比べている。
先に動いたのは、ユラ。相手の巨体の下を一直線にくぐり抜けて背後をとる。そのまま垂直に飛び上がると、ドラゴンの背中――心臓が人間と同じように左側にあるとするなら、ちょうどその位置だ――を狙って、華麗な回し蹴りをたたき込もうとする。そんなユラに、守護者の長い尾が襲いかかった。空中にいるときのデメリットは、自由に行動できないことだ。ユラの軌道を正確に読んでいたドラゴンが、地面に叩き落とそうと尻尾を一閃させる。
けれど、ユラはそこからさらにひとつ跳躍して難なくかわした。
「えっ!?」と、イリスは思わず驚きの声を上げてしまう。まるで、空中に備えつけられていたトランポリンを足場にしたような動き。あまりに予想外で、何が起こったのかわからない。こしこしと目を擦ってから改めて凝視すると、ドラゴンの尻尾が空を切ったあたりから、キラキラとした氷の粒が舞っているのが見えた。
(――氷?)
その単語と結びつく心当たりは、ひとつしかない。マオだ。思わずそちらに視線を向けるが、魔王の無表情は変わらない。泰然と直立したまま、ドラゴンと交戦中のユラを見上げている。
それでも、イリスにはわかる。あれは間違いなくマオの魔法だ。ユラの先回りをして、氷の足場を作っているのだろう。阿吽の呼吸なんて表現では間に合わないほどの抜群のコンビネーションだ。
そういえば最初に会ったとき、ユラが「魔王さま以外の魔王とは組めない」と言っていたが、こういうことも含めての言葉だったのだろうか。相性が、少なくとも戦闘の相性が本当にいいのだ。この二人は、なるべくして一緒にいるのだ。
これはもうデスティニーですね! などと呑気に考えているうちに、状況が大きく動いた。尻尾アタックを避けたユラが、そのまま軽やかに空を跳び続けながらドラゴンの前面へと回り込む。そしてくるっと一周して背面へ戻り、再び前へ。まるで守護者を取り囲んでいる見えない螺旋階段を登っているかのような不思議な動きだ。
そんなユラを絶対に視界から逃さないとばかりに、ドラゴンがその場でぐるぐると回っている。自分の尻尾を追いかける猫を思い浮かべて、イリスの頬がふにゃりと緩んだ。
次々と襲い来る牙も尻尾も、ぴょんぴょんかわしながら空を跳び回っている最強の勇者。そんな楽しそうなユラを見た観客から、わあっという歓声が沸き起こった。グレイの歌も、ここがサビとばかりにボルテージが上がっていく。
守護者がなにかアクションを起こすたび、そしてそれをユラが受け流すたびに、氷の粒が舞い落ちてくる。ライトを浴びて輝くそれは、さながらスパンコールかミラーボールのようだった。博物館の展示室が、一気にショーのステージへと変化する。
(すごい! すごい! すごい!)
腹の奥が熱い。胸の奥が震える。ふと、そこで気がついた。ずっと支えていたロキも、ユラに視線を奪われていることに。涙に濡れていた頬はすっかり乾き、ぽっかり開いた口は笑みの形を描いている。そして内側から強く光を放つ目を見て、イリスは思わず大きく息を吸い込んだ。
「ユラぁあああ! かっこいぃいいい!! がんばってぇええ!!」
本当の本当は『ママ』と言いたかったけど、余計な混乱を引き起こしそうだったので諦めた。ただどうしても、なにかを伝えたくて、イリスはさけぶ。
ユラとの距離は、何メートルも離れている。それでも、彼は受け止めてくれた。こんな状況にも関わらず、ヒマワリの笑顔で応えてくれた。だから好きだ。そういうところが大好きだ。
二人のやり取りがきっかけとなったのか、観客からも次々と声援が飛んでいった。それを全身で浴びたパフォーマーの動きがますます生き生きと鮮やかになり、ステージ全体がいっそう輝きを増していく。
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