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第二章 カスガイくんは、新居で一緒に暮らしたい

2-13 いったん箱に詰めてラッピングして置いておくとして

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「そうですよ、ママ! さっきタフィーさんの尻尾を縫いつけたお裁縫の技術は、おばあちゃんに教わったんですよね?」
「そ、そうだけど。改めてどうしたの、イリス? タフィー急にかわいいね?」
「急にかわいいですね! でも、その話はいったん箱に詰めてラッピングして置いておくとして! ママはお裁縫もお洗濯もお料理も、全部おばあちゃんに教わりました。つまり、生きていくために必要なものは全部おばあちゃんが教えてくれたってことです。ママは生きてるかぎり、おばあちゃんを忘れたりしないってことです!」
「えっ? んえっ?」

 ふんすっ、と鼻息を荒くしながら豪語するイリスに気圧されたのか、ユラの生首がメトロノームのように激しく揺れる。

「ママは小さなころからおばあちゃんに色々と教わったことを、『さっさと自分を追い出したいからだ』と認識していたみたいですけど、そうじゃなくて。そんなことじゃ全然なくて。ママを追い出すためじゃなくて、ママが思い出すためだったとしたら?」
「俺が思い出すため……?」

 花嫁修業とは、我が子が嫁いだ先で不自由なく幸せに暮らせるように、親が家事スキルを教えること。きっとその過程で『離れ離れになっても変わらずあなたを想い続ける』という愛情も一緒に伝えていることだろう。
 ブレンゼルだって例外ではない、はずだ。そうであってほしい。――そもそも前提としてユラの場合は花嫁修行ではないのだが、それはそれとして。箱に詰めてラッピングして置いておくとして。

(こじつけかもしれないけど、でもそういうことにしたら、あんな顔をさせなくてもよくなる)

 タフィーの尻尾を縫っていたときのユラの寂しげな横顔を思い出しながら、イリスはとどめの熱弁をふるう。

「ママはお料理やお裁縫やお洗濯をするたび、自然とおばあちゃんを思い出すことになります! ということは、どんなに離れたってママはおばあちゃんのことを絶対に忘れたりしないってことです!」
「す、すばらしいです、イリス様! ワタクシも、ぜひともユラ様にブレンゼル様仕込みのお料理をご指南いただきたいです! ワタクシ決して覚えがいいほうではございませんので、何度も何度も毎日毎日繰り返しご教授いただくことになると思いますが、その辺りはどうぞご容赦いただけますと幸いです!」
 
 テンションを上げたギルモンテに合わせて、お尻を振っていたタフィーが今度はジャンプを始めた。そのたびに、さまざまなカラーリングの小さなメンダコのぬいぐるみが、ポップコーンのようにポンポンと音を立てて空中から飛び出てくる。
 
「……ふふ。あはは、なにそれ。おっかし」

 熱気あふれる三人に圧倒され続けていたユラが、ついにたまりかねたように声を上げて笑い出した。ユラを包む大きなメンダコも、その振動に合わせてぷるぷる震える。

「はー、まいったまいった。君たちには負けたよ。うん、そうだね。ばあちゃんが本当はどう思っていたのかなんてわからないし、本人に聞いたって絶対教えてくれないだろうけど、でも俺が『すぐにいなくなってほしいわけじゃなかった』って勝手に思い込む分には自由だよね。それに――」

 そこで言葉を切って、ユラが微笑む。フロンスファに来てからずっと表情が硬かったせいか、そのひまわり印の笑顔に会うのもずいぶんと久しぶりな気がした。
 
「俺が生きているかぎり、ばあちゃんを忘れたりしないってことを――俺と一緒に住んでくれる三人が、俺以上に信じてくれるっていうなら、こんなに心強いことはないよ」
「四人だ」

 突如として広い空間に響き渡る圧倒的美声。靴音ひとつ鳴らさず、気配ひとつ感じさせない圧倒的美形は、玄関ホールの奥からゆっくりとその姿を表した。
 
「パパ!」
「ポポポッ?」

 いつの間にそこにいたのだろう。屋敷の隅々まで感知できるはずのギルモンテでさえ予想外だったらしく、慌てて振り返りながら大きな目をぱちくりとさせている。

「もうクライマックスですよ、パパ! ひょっとして寝てましたか?」
「ああ」
「やっぱりです!」

 やたらとギルモンテのマシュマロを気にしていたので怪しいとは思っていたが、予想どおりだった。どこでもすぐに眠ってしまうマオはそれはそれで大変かわいらしいので、社長出勤を咎めることもできない。
 ――それに、主役は遅れて登場するものだと相場が決まっている。

「なるほど。どうやら追いかけっこは、連合チームに軍配が上がったようだな。イリスを離さずにいてくれてありがとう、ギルモンテ。よく走った」

 マオは目の前のカオスな状況を即座に把握しながらイリスの頭を撫で、ついでにギルモンテの冠羽もさわさわして通りすぎていく。途端に「ポポポッ」と、真っ赤になって爆発するホンキバタン。わかる。あんなさりげないソフトタッチをかまされたらそうなっちゃう。わかる。

「タフィーも、ずいぶんと魔力を使っただろう。少し休むといい。半精霊という不安定な存在ながら、人の心の機微というものもよく理解している。頼もしいかぎりだな」

 マオは小さなメンダコたちに囲まれたウサギのぬいぐるみを拾い上げると、そのまま自分の頭の上に乗せる。ハートマークを乱舞させながら、ぴたっと抱き着くタフィーを見て、イリスはたまらずに空を仰いでしまった。本当に駄目だと思う! 軽々しくそういうことするの本当に駄目だと思う! 軽率に好きになっちゃう! 

「さて、改めて確認だ。新居へ引っ越すにあたっての勇者の懸念点は二つ。ひとつは『怖い』という感情だが、それはイリスたち三人が払拭してくれた。残りは『寂しい』という感情になるが、それは――」
「ん、待って? 俺は別に寂しいなんて思ってないけど?」
「ブレンゼルが言っていた。『ああ見えて、うちの孫は寂しがり屋だ』と。表面上は気丈に振る舞ってはいるが、水面下では迷子の子どものように常に何かを探していると。ブレンゼルと離れることにより、その傾向が顕著に表れる可能性を考え――」
「ちょっとちょっとちょっと。魔王さまってば、いつの間にばあちゃんとそんな話してたの? そんなに仲良しだったっけ? ってか、俺は別に寂しがり屋じゃないし――大体、何かを探しているっていうなら魔王さまだって同じじゃないの?」
「おれが?」
「違った?」
「……」

 イリスからはマオの精悍な後姿しか見えないので、彼が今どんな顔をしているのかわからない。マオの頭の上にいるウサギのぬいぐるみの耳が楽しそうにぴょこぴょこ動いていて、タフィーがちょっと回復したんだなということくらいしかわからない。うん、元気になってよかった。

「――その話は、いったん箱に詰めてラッピングして置いておくとして」
「あ、イリスみたいなこと言ってる。まあ、いいけど。ちゃんと後で取り出せるようにしまっておいてよ?」
「わかった。ひとまず今は、勇者の『寂しい』という感情の払拭のために手を尽くそうと思うのだが」
「ふんふん。自覚はないけど、興味はあるかも。なになに?」

 打てば響くような会話は、はたから見ていて気持ちがいい。それが推しカプならなおさらだ。仲睦まじい光景をうっとりと眺めていたイリスは、マオが左手で装身具らしきものを取り出したのを見て素早く目を瞬く。

 指先でつまめるほどの、小さなサイズ。
 きらりと銀色に輝く、繊細なフォルム。

 それには見覚えがあった。確か、きょうの朝。マオが眠っているときに、胸元で光っていたものだ。とても大事にしていると思われる、ペンダントトップのリング。
 マオが右手を差し伸べると、メンダコの触手がゆっくりとほどかれた。自由になったユラがマオの手を支えにするように左手を乗せて、ようやく地上へ戻ってくる。

「勇者は右利きだったか」
「うん」
「なら、このままでいいな」

 待って。待ってほしい。
 この流れ。この構図。既視感がある。あれはそう、従兄の結婚式だ。新郎新婦が向かい合って指輪を交換した、あのシーン。

「い、イリス様っ! ……アラ? でももうすでにお二人はご結婚されているのでは? なぜ指輪を?」
「や、やっぱりそういうことですよねギルモンテさん……! 実はかくかくしかじかでプロポーズも結婚式も指輪交換もまだだったんですが、うはっ、ちょ、ボクの心の準備もまだでした! そしてできることなら立ち位置ー! 写真や動画なんて贅沢なことは言わないので、せめて正面から見せてくださいカミサマー!」

 咄嗟に組んだ両手に額をこすりつけながらの祈りが天に通じたのか、はたまた単純にイリスの叫びが聞こえただけか。タフィーがユラの後ろに居座ったままの大きなメンダコに飛び移ると、そのまま触手を伸ばしてマオとユラをぐるんと九十度回転させた。まさに向かい合う二人の横顔がはっきりと見えるベストポジション! ありがとうございます! カミサマ、メンダコ様、タフィー様!

「これがあれば、寂しくないだろう」

 ユラの左手の薬指に指輪がはめられた瞬間、リンゴーンリンゴ―ンと教会の鐘が鳴り響いた。てっきり自分の頭の中だけの幻聴かと思ったが、実際に鼓膜を通して聞こえてきている。ギルモンテによる演出かもしれない。鏡のようだった床には色彩豊かな花の映像が敷き詰められ、ドーム型の天井は青空に姿を変えて大きな虹を浮かべている。
 二人を取り囲んで万雷の拍手を送り続けている小さなメンダコたちが式の参列者なら、指輪の贈呈を目の前で見届けた大きなメンダコは、さしずめ牧師だろうか。

 ああ、結婚しちゃった。なんで急にそうなったのか本当に全然わからないけど、マオユラが結婚しちゃった。舞い落ちる色とりどりの花びらの下で、イリスはぎゅっと目を細める。花の優しい甘い匂いが鼻孔をくすぐり、涙腺をつんと刺激する。
 推しカプ成分の供給過多により薄れゆく意識の中で、ユラが「本当にいいの?」とマオに尋ねる声が聞こえたような気がした。
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