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9.レインボーのカッパ

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 車は安全運転で、順調に目的地へ向かっているらしい。らしいというのは、そもそも一度も行ったことがないから道のりがわからないということと、ずっと目を閉じて眠ったふりをしていたというのが原因だ。けれど、途中で立ち寄った道の駅などで吸い込んだ空気は、いつもと違う匂いと湿度と温度を運んでくれる。コロに近づいているかもしれないと思うと、胸が弾んだ。

「ほら、夏樹! 海が見えてきたよ!」

 ヘッドフォンのノイズキャンセリング機能を軽々と乗り越えて、お母さんの声が耳に飛び込んでくる。弾かれたように顔を上げれば、フロントガラス越しに一面の海が広がっていた。

「ホントだ……! きれいだね!」
「あはは、夏樹ったら! まだ運転中なんだから、大人しく座ってなさい!」

 ヘッドフォンを外し、運転席と助手席に手をかけながら身を乗り出して海を見つめる僕の頬を、お母さんの楽しそうな声が優しくノックする。
 コロについて、お母さんにはなにも説明していない。僕のわがままに付き合わせるのは申し訳なかったけど、こんなふうに笑ってくれるなら、思い切ってお願いして正解だったのかもしれない。

「この道を左に曲がって、そのまま海岸沿いにまっすぐ進めば右手にレインボーのカッパが見えてくるはずだよ。お母さん早く早く!」
「わかったわかった。もー、夏樹ってば、いつからそんなにカッパが好きになったの?」

 後部座席に座り直し、窓を全開にして強い海風を顔面に受ける。近くに車がいないせいか、ためらいも恐怖もほとんどなかった。ただ、早く早くと、気持ちばかりが先行する。もどかしくてたまらない。

「あった……!」

 やがて見えてくる、虹色のカッパ。海岸近くの小さな公園のような場所に堂々とそびえ立っている姿が、遠くからでもはっきりとわかる。けれど車はちょっとした渋滞に巻き込まれてしまって、なかなか距離が縮まらない。そういえば、ちょうど近くでカッパのイベントが行われていると情報サイトに書いてあった。きっと、そのせいだろう。

「お母さん! 僕、先にカッパのところに行ってるね!」
「え、夏樹!? 危ないよ、ひとりでだいじょうぶっ!?」
「だいじょうぶ! あとで電話するから、駐車場で待ってて!」

 車が止まっている間に、僕は勢いよく飛び出した。慌てるお母さんの声を背にしながら大きな歩道を横切り、砂浜へと続く広い階段を降りる。
 キラキラ輝く海を脇目に、ただ虹色のカッパだけを見て。前進。直進。砂の柔らかさと熱さをスニーカーの裏に感じながら、一歩一歩を強く踏みしめる。たまに足をとられてよろけながらも、負けじと踏ん張って。走る。走る。走る。
 ここまで必死に走ったのは、いつ以来かな。それも、誰かに会うために、なんて。こんなにつらくて楽しいこと、人生であと何回くらい経験できるんだろう。
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