鈴木さんちの家政夫

ユキヤナギ

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何度でも

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 智樹ともきはキッチンで紅茶を入れながら、頭の中で状況を整理した。

 伊藤は彩葉いろはのことを“たちばな先生”と呼んだ。
 つまり、先日渡された恋愛小説の作者は、彩葉だったということになる。
 どうして黙っていたのだろう。
 なんだかだまされたような気がして、智樹は複雑な心境になる。

 二人分の紅茶をトレーに載せ、彩葉の部屋のドアをノックする。

「紅茶を持ってきたよ」

「ありがとう。入って」

 智樹が部屋に入ると、彩葉と伊藤はローテーブルを挟んで向かい合っていた。二人はプリントアウトした原稿らしきものを前に、意見をぶつけ合っている。

「この展開は、てらいすぎだと思います」

「もっとありがちな展開にしろってこと?」

「そういうことではありません。このままではストーリーの流れが不自然だと言っているんです」

「そうかなぁ。そんなことないと思うけど」

「どうしてもこの方向で話を進めたいなら、主要な登場人物の内面をもっと丁寧に描写したり、エピソードを追加して話を掘り下げたりして、読み手が納得するような話の流れを作る必要があります」

「……でもさ、それって伊藤さんの個人的な意見だよね」

「数多くの書籍を手がけてきた、編集者としての意見です」

 張り詰めた空気の中、智樹はティーカップをそっとテーブルへ置くと、二人の邪魔にならないよう、すぐに退室した。

 昼食の支度したくをしていなかった事に気付き、キッチンに戻って焼きそばを作り始める。伊藤も一緒に食べるかもしれないなと考えて、多めに調理した。食欲をそそるソースの匂いが家の中に充満する。
 階段の下から声をかけ、お昼の用意が出来たことを知らせたが、彩葉と伊藤は打ち合わせに集中しているようで、部屋から出てこようとしない。

 それから二時間ほど経過し、出来上がった焼きそばがすっかり冷めてしまった頃に、ようやく二人は一階へと下りてきた。

 リビングに顔を出した伊藤が
「それじゃ、私はこれで失礼します」
 と智樹に向かって会釈えしゃくする。

「あっ、お疲れ様です。焼きそば作ったんで、良かったら食べて行きませんか?」
 智樹が勧めると
「そうしたいところなのですが、このあと別の予定がありまして……またの機会に、是非よろしくお願いします」
 伊藤は残念そうな顔で頭を下げ、鈴木家を後にした。


 彩葉と二人きりになった智樹は、遅めの昼食を一緒にとりながら、気になっていたことを尋ねる。

「このまえ貸してくれた恋愛小説の作者って、彩葉なの?」

「……そうだよ」

「なんで黙ってたの? 前に、田中とどうやって知り合ったのかを聞いた時も、答えをはぐらかしたよね。あれは、伊藤さん経由で田中と知り合ったことを話すと、小説家だってこともバレそうで言いたくなかったの? そもそも、どうして隠そうとしたんだよ。周りに言いふらされるとでも思った? もしそうなら、そんなに信用できない奴だと思われてたなんて、ショックなんだけど」

 智樹が気持ちをぶちまけると、彩葉は焼きそばを食べる手を止めて、まっすぐに智樹を見た。

「違うよ。智樹のことは、和葉と同じくらい信用してる。黙ってたのは、カッコ悪い過去を知られたくなかったからだよ」

 そう言って、彩葉は過去の出来事を語り始めた。

「学生の頃に、小説を書き始めたんだ。高二の時に両親が事故死して、和葉が実の兄弟じゃ無かったって知って……あの頃の俺は、精神的にボロボロだった。どうにかしてこの暗闇を抜け出さなくちゃと思って、グチャグチャになった感情を文字にぶつけて吐き出していくうちに、物語みたいな形になっていった。それから出版社が主催する賞に応募して……その時に受賞したのが、あの恋愛小説だったんだ」

 彩葉は、智樹から目をらさずに話し続ける。

「でも、その時に受賞したのは俺だけじゃなかった。もう一人、高橋紗雪さゆきっていう作家も同時に受賞した」

「それって……この間貸してくれた二冊のうちの、もう一冊の方の作者だよね?」

 智樹の問いに、彩葉がうなずく。

「そうだよ。俺と高橋紗雪の小説は文芸誌に掲載されて、その後に書籍化もされた。売れたのは、俺の本の方だった。でも、評判が良かったのは高橋の方だったんだ」

「俺の本は、ボロクソに叩かれた。『薄っぺらい』『ありがちな展開』『大衆に迎合してる』『こんなの小説じゃない』……他にもいろいろ。褒めてくれた人だって、いたはずなんだけど……当時の俺は批判ばかりに目がいって、バキバキに心が折れた」

「それに何より、高橋の小説を読んで、俺自身も感じたんだ。本当の小説家っていうのは、高橋みたいな奴のことをいうんだなって。俺が書いたものなんか、あいつの足元にも及ばない。どうして高橋の作品と俺の作品が同時に受賞したんだろうと思って、俺の担当だった編集者に聞いてみたんだ」

 話しながら、彩葉の表情が苦しそうにゆがむ。

「そうしたら、こう言われた。『あなたは、売れる本が書ける人です。出版社には、あなたのような作家が必要なんです。高橋先生は才能のかたまりだけど、万人ばんにん受けするような小説は書けない。あの人のような作家を世に出すためには、あなたのように大衆の心を掴む作家がいなければいけないんです。出した本が売れなければ、出版社は潰れます。そうなったら、作家は本が出せなくなる。だから、橘先生は売れる本を書いてください』ってね」

 彩葉は溜め息を一つ吐いてから、再び口を開いた。

「その日から、小説が書けなくなった。書こうとしてパソコンに向かったけど、一文字も打てない。もう二度と書ける気がしなくて、出版社からの連絡をフルシカトしていた時に、伊藤さんが家まで来てくれたんだ」

「もう二度と小説は書きたくないって話をしたら、ブックライターとしての仕事を紹介してくれて、『いつかまた小説を書きたくなったら教えて下さい』って言われた。それから仲良くなって……お互いにゲイだってことも知って、田中さんとも引き合わせてくれたんだ」

 話し終えると、彩葉はスッキリとした表情で箸を手に取り、焼きそばの残りを食べ始めた。
 智樹は頭の中で返すべき言葉を探したけれど、この場に相応ふさわしい言葉を見つけることは出来なかった。

 皿をからにした彩葉は
「本当は、作家の“橘光希”として復帰する目処めどが立ってから、過去の話をしたかったんだけどね」
 と呟くように言った後、こう付け加えた。

「智樹が俺の書いた小説を好きだって言ってくれたから、もう一度書いてみようと思えた。本当にありがとう。もし作家として復帰できなくても、今書いてる小説は必ず書き上げるつもりだから、完成したら智樹にも読んでもらいたい」

 そう言って、彩葉は照れ臭そうに目を伏せる。

「読みたい。読ませて欲しい」

 智樹の言葉に、彩葉がはにかむ。


 可愛い。好きだ。愛してる。


 彩葉への愛情が、智樹の胸にとめどなく湧き上がり、あふれそうになる。


 明日のデートで、もう一度自分の気持ちを伝えよう。
 たとえ受け入れてもらえなかったとしても。
 彩葉から完全に拒絶される日が来るまでは、何度だって伝え続けよう。


 智樹はそう考えながら、皿に残った焼きそばを口に運んだ。
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