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#5 エロス&インテリジェンス

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「ほ、炎樽っ? 来るんじゃねえ!」
 去年の俺の一〇〇メートル走の最高記録は十四秒くらいだったけれど、今は違う。十秒切ってるのではと思うほど速く走れる。まるで風になったよう。体重がなくなったみたいだ。

 たった今思い出した。このゲームはマルチプレイが可能で、二人協力での攻略ができるんだ──。

「天和、これを!」
 人生初の二段ジャンプとブロックの側面蹴りを繰り出しながら天和の元へ辿り着いた俺は、かけていた眼鏡を外して天和に手渡した。
「夢魔印の眼鏡だ。かければ視力低下が無効になる」
「だ、だけどそれだとお前が……!」
「いいから早くっ!」

 途端に視界がぼやけ始め、ただでさえ見づらいドット絵のシャックスがますます歪んで見える。

 だけど、これでいい。天和がやられる所を見るより、俺がやられた方がいい。

「──わっ!」
 思ったその時、体が宙に浮く感覚があって俺はぼやけた天和の顔を見上げた。吹く風が頬に当たる。至近距離で天和の息使いが聞こえる。俺は天和に横抱きにされ、ブロックからブロックを飛んでいた。

「お、下ろしていいって! 天和! 俺は大丈夫だから!」
「黙ってろ」
 シャックスが大きく跳躍するのが見えた。耳をつんざくほどの轟音。今さっき立っていた足場が全て破壊され、衝撃に地面が揺れる。

 新たなブロックを駆けあがり頂上へ立った天和が、俺の耳元で叫んだ。

「行くぞ!」
「うんっ……!」

 組んだ手と手に力が溜まっていく感覚。最後の一撃。これは、天和と俺の合体技。

「行けえぇ──っ!」

 光のスクリーンが目の前を覆ったかのように、ぼやけていてもその強烈な眩しさを感じ取ることができる。ごうごうと響く衝撃が俺と天和の体を包み込み、向こう側のブロックもグラフィックの地面も角ばった雲も全て、放たれた俺達の光と炎の衝撃波で勢いよく吹き飛んで行く。

 シャックスのコアに直撃した最後の一発。ひび割れたコアが粉々に弾け飛んだ瞬間、悪魔の断末魔が青空に響き渡った。

「あ……」
 俺達の足場になっていたブロックもいつの間にか吹き飛んでいたらしい。それでも落下の速度は緩く、天和が俺を抱きかかえたままふわふわと滑空し、数秒の後に地面へ着地した。

「炎樽」
「天和……」

 間近に天和の顔が見える。赤縁の眼鏡をかけた、普段より少し知的に見える天和が俺を見ている。
 屋上も元通り、まるで何事もなかったかのように辺りは静かだ。遠くに聞こえるのは校庭で騒いでいる生徒達の声か。青空に浮かぶ雲も綿あめのように丸い。

「戻った……。天和。全クリしたんだ! 全部見える!」
「はあ。すげえ疲れた……」

 俺達は屋上の地面で大の字に寝転がり、お互いに深呼吸を繰り返した。


「そ、そうだ。マカ……大丈夫か、マカ!」
 フェンスの近くで寝ていたマカロがのっそりと起き上がり、大きなあくびをして目を擦る。
「終わった? クリアできたの、ほたる」
「ああ、出来たよ! 天和が協力してくれた! マカもマジでありがとう!」
 その小さな体を思い切り抱きしめると、マカロが苦しそうな声をあげた。

「取り敢えず終わったんだな。腹減っただろ炎樽。飯買ってきてやる」
「ありがとう、天和。……また助けてもらって……」

 気にするな、の笑みを残して天和が屋上を出て行った。幾度も目にしてきたその後ろ姿はやはり男らしく大きくて、天和がいなかったらとっくに学園生活内でバッドエンドを迎えていただろうなと思う。


「ほたるの呪いが解けて良かった。おれも頑張った甲斐があったぞ!」
「でも、これから攻略サイト作ろうとか思ってたんだけど……ラスボスがあんな感じで出てくるんじゃまとめようがないよなぁ……」

 そもそもあのラスボスバトルが現実だったのかどうかも分からない。あれだけの巨大な悪魔が暴れたのに、他の生徒達や近隣住民には全く気付かれていなかったみたいだし。

 やっぱり現実がゲーム化したんじゃなくて、俺達がゲームの中に入っていたという方が正しいのだろう。

「おれ寝てたから分からないけど、画面からシャックス出てきたか?」
「ああ、凄いでっかいのが出てきた。毎回あんなのと戦うようにできてるってことなのか?」

 ううん、とマカロが笑って首を振る。

「ラスボスに辿り着いたのって、多分おれ達が初めてなんだと思う。画面見せて」
 消さずにそのまま置いておいたゲーム画面をマカロと一緒に覗き込むと、そこには真っ暗な中にウィンドウだけが表示されていた。中の文字はこうだ。

『シャックスはたおされた! 呪いはとかれ、全ての人間に 平和がもどった!』。

「これで大丈夫だと思う。誰か一人でも全クリすれば全プレイヤーの視力が戻るシステムなんだよ」
「ていうことは、一件落着ってこと?」
「ああ! ゲームそのものの呪いが解かれたから、もう被害に遭うひともいないと思う!」

 良かった、と心の底から溜息が出た。ゲームでこんなに疲れたのは初めてだ。


 それにしても俺達がクリアしなかったら、俺があのゲームと出会っていなかったらと考えると恐ろしくなる。こうしている今も別の悪魔から気付かれないうちに「何か」を奪われているのかもしれないと思うと……

「悪魔も人間の世界でビジネスしてるのかな。マカロも夢魔印の道具って金出して買ってるんだろ?」
「うん。今はタップ一つでラクラク注文できるから便利になったぞ」
「こっちの世界とほぼ同じ文明だな。そういえばサバラがくれたあの眼鏡も、何かスマホで買ってたなぁ……」

 力無く笑って、はたと気付く。

「天和に眼鏡かけさせたままだ……」


 呟いた瞬間、屋上のドアが音を立てて開け放たれた。驚いて顔を向けた先、入り口ではパンの入ったビニール袋を手に下げた天和が、肩で息をしながら俺達を睨んでいる。

「た、天和……おかえり」
「………」
「あ、あの。ちょっと聞くけど」
「……炎樽……」

 荒い呼吸。半笑いの口元。そして──赤縁眼鏡の奥でぎらつく目。
 俺は咄嗟に両手で自分の体を隠し、訊いた。

「もしかして、テンプルのとこのボタン、押した……?」
「炎樽ウウゥアァアァ──ッ!」
「や、やっぱり……!」

 ある意味では悪魔よりも恐ろしいこの鬼とのバトルは、一体いつまで続くのか。


 捕まったら最後。俺は全力で屋上内を駆け回りながら、この鬼から逃げる力を与えてくれと見えない悪魔に祈り続けた。

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