夜かかる魔法について

狗嵜ネムリ

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 見開かれた俺の瞳の先で、翔宇は悔しそうに顔を歪めている。
「響希……。お前が冷静になってくんなきゃ困る。俺だってお前と同じ気持ちなんだぞ。でもそいつを俺らが殴ったとして、どうなるって言うんだよ? ましてや今二人で出て行ったら、零が独りになっちまうだろうが……」
「でもっ……!」
「響希くん」
 言いかけた俺の手を零が強く握った。大きな目から涙を流し、すがるような目で俺を見ている。
「……嫌だ。二人が喧嘩するなんて、絶対に嫌だ……。響希くん、お願い」
「零、……なんでそんな男に惚れたんだよ……?」
 言った途端、俺の目からもどっと涙が溢れてきた。
 零の華奢な体を強く抱きしめ、何度も何度も頭を撫でる。失いたくないと思った。俺も翔宇と同じ気持ちだ。
 零を守ってやりたい──。
「……ごめんね、響希くん」
「なんでだよ……馬鹿野郎。マジで許せねえよ……」
 俺も零も泣きながら互いを抱きしめ合った。翔宇は俯き、額に両手をあてている。
 やがて、翔宇の腕が俺の腕に重なった。
「俺は零を許すよ」
「翔宇くん……」
「本気で好きだったんだろ。……だから、許すよ」
「う……」
 それから俺達は一言も発さず、黙って零の体を抱きしめた。俺も翔宇も、零から離れられなかった。
 そのまま一時間が過ぎ、自動延長を三十分続けた後、ようやく零が笑顔を取り戻した。
「……ん。もう大丈夫。だいぶ二人に勇気付けられたから、俺、そろそろ行くね。引っ越しの準備しないと」
「ちょっと待ってろ、俺が金払う。財布取ってくるわ」
 翔宇が立ち上がり、そのまま個室を出て行く。
 俺は零と向かい合い、鼻を啜って少しだけ笑った。
「何かできることあったら何でも言ってくれ。なんなら今日、ウチ泊まってけよ」
「大丈夫。今、実家の兄弟が来てくれてるんだ」
「そうなのか。引っ越し先は決まってんの?」
「俺の実家、沖縄なんだよ」
「お前その肌の白さで沖縄出身だったのか。いい所だけど、滅多に会えなくなるな」
「海行って、アイス食って、しばらくは稼いだお金でのんびり暮らして、落ち着いたら向こうで仕事探して、また好きな人作る。二人が遊びに来る時までには紹介できるようにしないと」
 零の瞳は希望に満ちていた。どこまでも前向きで、綺麗で力強く、本当に美しかった。
「知ってた? HIVって、寿命で死ぬまで発症を抑えられる場合もあるんだって。だから感染しててもしてなくても、俺絶対、幸せになるよ」
「うん……」
「響希くんもね。約束して」
「約束する。俺も幸せになる……」
 また涙がこぼれてしまわないうちに、俺は差し出された零の小指に自分の小指を絡めた。
「じゃあ、俺行くね。翔宇くんに払わせるわけにいかないから、お金響希くんに渡しておくよ」
「大丈夫だ。延長させたのは俺らのせいだし」
「じゃ、最初の六十分の料金だけでも払わせてよ。俺だって元売り専なんだからさ、筋は通しておきたいじゃん」
「………」



 それから店の外まで零を見送り、俺と翔宇は沈んだ気持ちのままで待機室に戻った。
 お互い、一言も発することができなかった。
 翔宇が煙草を咥え、火を点ける。俺はその横顔を黙って見つめていた。
 翔宇の気持ちを考えると、やり切れなくなる。泣き叫び、暴れ出したくなる。あの場では冷静さを保っていたけど、本当は俺よりもずっとショックだったはずだ。
「………」
 堪えようと思って唇を噛みしめる。だけどそれも、無駄なことだった。
「……う……」
 翔宇が俺に気付き、肩に腕を回してきた。
「泣くな」
 そのまま引き寄せられ、翔宇の胸に頭を預ける。自分でも、本当のところ何が悲しいのかよく理解できていなかった。零のこと、翔宇のこと、自分のこと。いろんな気持ちが交差し、溶け合い、一つの大きな疑問となって浮かび上がってくる。
 ──俺達が本当の意味で幸せになれる日なんて、来るのだろうか。
 今の俺が知りたいのはただそれだけだった。
「響希、泣くなって」
「翔宇……」
 戻りたい。あの夜に。
 自分達の輝かしい未来をただひたすら信じていた、七年前のあの夏の夜に。
「翔宇」
 瞼を開いた瞬間、スッ、と体が落ちるような感覚があった。
 翔宇に頭を抱きしめられた格好のままで、呟く。
「……好きだよ」
「………」
 翔宇は煙草の煙を細く吐きながら、俺の髪をそっと撫でてくれた。
 何も言わなくていい。何も言わないでほしい。
 強く祈りながら翔宇のシャツを握り締める。
 沈黙のまま時が過ぎ、やがて待機室のドアがノックされた。
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