夜かかる魔法について

狗嵜ネムリ

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「何にしようかな」
 ファミレスで向かい合ってソファに座り、メニューを広げて笑う零を見つめながら俺は煙草を取り出した。
「和風ステーキにしよ。響希くんは?」
「俺もそれでいい」
 天井に向かって煙を吐くと、零が近くを通りかかった従業員を呼びとめて和風ステーキを二つ注文した。
「翔宇くん、何時くらいに来れるのかな」
 テーブルに肘をついて、俺を上目に見つめる零。
「さぁな、ひょっとしたらまた予約入るかもしれないしさ」
「そしたら違う日に遊べばいっか。今日は響希くんとゆっくりしようっと」
 煙草の上面を指で叩いて灰を落としながら、俺はその大きな瞳を見つめ返した。にっこりと微笑んだ零の顔は、相変わらず人形のようだ。
「あ、そういえば俺の店に雑誌届いたよ。響希くんと翔宇くんの特集組まれてたね」
「ああ。確か零の店も掲載されてたよな」
「二人ともすごくいい雰囲気だったから見ててキュンキュンしたよ。ウチの店の子達の中にも二人のファンがいてね、雑誌カラーコピーしてた」
「その話はやめてくれ……」
 赤くなった頬を隠そうとして頬杖をつく。
「……七日の花火大会、翔宇と一緒に行くんだって?」
 話題を変えるために俺が言うと、零の大きな目が更に大きくなった。
「翔宇くんに聞いた? 常連さんの予約が無ければ行こうと思ってるけど、俺の常連さんて、いつも土壇場で予約入れてくるからまだ分かんないんだよ」
「仕事休んで行ってやれよ。翔宇は行きたくて仕方ないみたいだし」
「そうだね。行けるといいなぁ」
「ていうか、お前とヤりたくて仕方ないって感じだけどな」
 ふと気になって、訊いてみた。
「あれから翔宇と二人で会った?」
 目を伏せて頷いた零に、俺は小さく笑って更に質問した。
「ヤッたのか」
 少しの間があった後、零が再び頷いた。
 煙草の煙が天井へ伸びてゆく。
「あいつ、俺にはそんなの一言も言わなかったのに。なんで隠そうとするかな」
 笑いながら文句を言うと、零が伏せていた視線を俺の方へ向けた。
「響希くんには、知られたくなかったんじゃないかな」
 そう言った零の顔は少しだけ寂しそうだった。きっと翔宇に口止めでもされていたのだろう。
「零は翔宇のこと好きか?」
「好きだよ。響希くんのことも好きだよ」
 ありがちな模範解答で答えられて腹が立ち、だから、つい冷たい口調で言ってしまった。
「俺は恋愛感情的な意味で訊いてるんだけど」
「……そういう意味なら、違うかな」
 しゅんとしてしまった零を見て我に返り、即座に謝罪する。
「悪い、別に怒ってる訳じゃない。ただ、翔宇はお前のこと気に入ってるみたいだから」
 すると、顔を上げた零がしっかりと俺の目を見て言った。
「確かに翔宇くんはかっこいいしすごくいい人だけど、俺達ってただのセフレでしょ。それ以上の関係にはなれないと思うよ」
「………」
「本当に翔宇くんが俺のこと好きになりかけてるとかだったら、もう一緒に遊べないかな」
 零の瞳は真剣だ。
 直感的にやばいと思った。俺の何気ない一言で翔宇の想いが砕かれてしまうなんて、絶対にあってはならない。失恋するのは俺一人でじゅうぶんなのだ。
「……とは言っても翔宇には好きな奴いっぱいいるしさ、別にお前と特別どうこうなる気はないと思う」
 取り繕うように言うと、張り詰めていた零の表情が途端に柔らかくなった。
「それならいいんだけど」
「うん」
 俺は短くなった煙草を灰皿で処理し、乾いた喉を潤すためにグラスへ手を伸ばした。
 内心、ホッとしていた。零は翔宇を恋愛の対象には見ていない──。
 そんなことを考えている自分は、やっぱり結城さんの言うような魅力のある男なんかじゃないんだと思った。
   だけどそれでもいい。一度喜んでしまったものは取り消せない。
 何か空気を変えるような話題はないものかと思い巡らせていると、俺の横に置かれている零の買い物袋がふと目についた。
「こんなにたくさん、何買ったんだ?」
 零の顔がパッと明るくなる。
「えっと、服が殆どだけど、セールでアクセとか鞄とか安かったから買ったんだ。あと秋物もいろいろ出てたから買っちゃったよ。ジャケットとかブーツとか」
「まだ七月なのに、早いところはもう秋物の時期か」
「結局暑くて着れないのは分かってるんだけどね。だから買い物なんて、所詮は自己満足なんだよ。俺の場合はストレス発散の手段!」
「ストレスって、やっぱ仕事で?」
 零がソファにもたれ、大袈裟に溜息をついた。
「最近、なかなか稼げなくってさぁ。若くて可愛い新人がいっぱい入って来ちゃったから、俺の常連さんも何人かそっち試しに行っちゃって。新規で六十分とか、そういう細かいのしかないんだよね。昨日なんて何時間もお茶挽いてたんだよ。嫌になるー」
「分かる分かる。でも週末近くになったらソッコーで予約入るだろ」
「どうかな。それに、こないだ翔宇くんと響希くんに言われたこと彼氏に言ったら、ビビって客付けてくれなくなっちゃったし」
 項垂れる零を見て、俺は笑った。
「じゃあ、俺が休みの日にさ、零が出勤して暇だったら指名してやるよ」
「ほんとっ? 響希くんが?」
「いいよ。がっつり半日くらい使ってやる」
「うわぁー。じゃあ俺もがっつりサービスしないとね」
 零が俺の手を握って、嬉しそうに目を細める。俺にできることと言ったらこの程度だ。零の彼氏をビビらせてしまったことへの罪滅ぼしの気持ちもあった。
「零の源氏名、何だっけ」
「光、って書いてコウだよ」
「おっけ。絶対行くから、暇だったらいつでも連絡してくれ」
「分かった!」
 その時、タイミングを見計らったかのようにポケットの中でスマホが振動した。
「あ、やばい」
 翔宇に連絡するのをすっかり忘れていたのだ。
 取り出した端末のディスプレイには、案の定翔宇の名前が表示されていた。躊躇いつつ、通話マークをタップする。
「もし、翔……」
〈響希ー。お前なに勝手にあがってんだよ、待ってろって言ったじゃん。終わって部屋戻ったらお前いねえからびっくりしたぞ!〉
 翔宇の不機嫌な声が耳に心地良くて、俺は頬を緩ませた。
「ごめん。今、駅の方にあるファミレスにいるわ」
〈飯食ってんの? 俺も行く〉
「零もいるよ」
〈……ほぉん〉
「なんだよ」
〈別に。俺が汗水垂らして働いてる間に、響希は零と楽しく過ごしてたのかぁと思って〉
「突っ掛かるなよ。別に飯食ってるだけだ。ていうかまだ飯も来てないけど」
 俺が言ったのと同時に、テーブルの上に和風ステーキの皿が置かれた。
「あ、今来た。ステーキ超美味そう」
〈そういう実況はいいから。あ、ちょっと待って響希……〉
 翔宇の声が遠のいた。
 零が俺の電話が終わるのを待っているらしいことに気付き、先に食うよう手で合図する。
〈……ごめん、もう一本予約たもうた。今度は出張だから、そっち行けそうにないわ〉
「ん。分かった、頑張れよ」
〈俺がいないからって零とヤるなよな。絶対だぞ、分かったか〉
「うるせえな、そんなの俺の勝手だろ」
〈おい、ちゃんと約束しろよ〉
「いいから早く行って来い。どうにか延長取ってまた焼き肉奢れよ」
〈響希の馬鹿!〉
「馬鹿って言う奴が馬鹿」
 通話を切ってスマホをしまう俺を、零がステーキを頬張りながらニコニコ笑って見ていた。
「本当に仲良しだよね、響希くんと翔宇くん」
「仲が良いというか……ただの腐れ縁というか」
 俺もフォークを手にしてステーキに取りかかる。さっぱりした和風ソースのかかった肉は見た目以上に柔らかくて、俺は最近のファミレスメニューのクオリティに素直に感心した。
「翔宇くん、来れないんだ?」
「予約入ったってさ」
「人気者なんだね。平日の夕方前に予約入るなんて」
「あいつはウチの店のナンバーワンだよ。悔しいけどな」
「それは響希くんもじゃない? 二人とも同じくらいかっこいいじゃん」
 俺はかぶりを振ってそれを否定した。
「俺は翔宇とは全然違う。あいつみたいに社交的じゃないし、明るくもないし愛想もない。仕事もそれほど真剣にやってない。翔宇の客は翔宇の人間性に惹かれてんだ。俺はあいつみたいにはなれないよ」
「………」
 零が紙ナフキンで口元を拭い、そのままグラスの水に手を伸ばした。一口、二口と水を飲む零。白い喉が小さく動いている。
「ぷはぁ」
 結局グラスの中身を全て飲み干してしまった零が、テーブルに空のグラスを置いて言った。
「それは、確かにナンバーワンだね」
 零の頬は赤みを帯びているようにも見えた。フォークの先でステーキをつつきながら、嬉しそうに唇の端を緩めている。俺は黙って零の行動を見つめていた。
「翔宇くんは、響希くんの中でナンバーワンなんだね」
「……は」
「その気持ち、翔宇くんは知ってるの?」
「………」
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