東京ナイトイーグル

狗嵜ネムリ

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 翌朝、俺はいつもの習慣で午前七時に目を覚ました。
「くあ……」
 あくびをしながら部屋を見回す。見慣れない景色──ここは遊隆の部屋だ。
 見上げると、ベッドの上で豪快ないびきをかいている遊隆がいる。俺は彼を起こさないようにそっと寝室を出て、そのまま洗面所に向かった。
 顔を洗い、鏡に新しい俺の顔を映す。ニッと笑って気合を入れた。
 ──頑張るぞ。
 それから台所で二人分の朝食を作った。料理は得意ではないけど、「あの家」では飯を作ってもらっていなかったから簡単な物は自分で作れる。
 朝食らしく、メニューは目玉焼きとトーストに決めた。冷蔵庫の中は殆ど空っぽだったが、かろうじて卵だけがいくつか残っていたからだ。
「腐ってねえかな……」
 大きなフライパンに薄く油を垂らし、卵を立て続けに五つ割った。二つは目玉焼き、三つはスクランブルエッグにするつもりだ。こうして爽やかな朝の光の中、誰かと一緒に食べるための食事を用意できるなんて本当に幸せだと思う。自然と鼻歌も歌ってしまうというものだ。
「雪弥ぁ……?」
「遊隆。おはよう」
 寝室から眠そうな顔の遊隆が出てきた。振り乱した金髪は寝癖だらけで、口元には涎の跡もついている。
「飯作ってくれてんのか。卵、平気だった?」
「たぶん大丈夫だと思う。味は普通だよ」
「こういう朝は久しぶりだな。顔洗ってくるわ」
 遊隆が大きく伸びをしながらリビングを出て行く。戻ってくるまでにテーブルの上に皿を並べ、こんがり焼いたトーストと、冷蔵庫にあった牛乳をグラスに注いで一緒に添えた。豪華ではないが、一応完了。
 洗面所から戻ってきた遊隆は嬉しそうに笑って床に座り、テーブルの上の朝食に向かって両手を合わせた。
「いただきます。──ん。美味い、美味い」
 大した料理じゃないのに、口だけじゃなく本当に美味そうに食ってくれる遊隆を見て、自然と頬が緩んでしまう俺。
「雪弥、ハンバーグとか作れる?」
「作り方見ながらとかなら、たぶんできる」
「お。そんじゃ今日、仕事の帰りに材料買うから夕飯に作ってくれよ」
 それから遊隆がテーブルの端にあったキーホルダー付きの鍵を俺の方へ滑らせた。
「一応、スペア持ってていいぞ。帰りがバラバラになる時もあるから」
「ん、分かった。でもこんな簡単に俺のこと信用していいの?」
 頷いて鍵を受け取る俺をじっと見つめ、遊隆が笑った。
「盗まれて困るモンはねえし、襲われても勝てるだろうから」
「はあ、……」
「楽しみだな。早くみんなに雪弥のこと紹介してえ」
「上手くやっていけるかな……」
「みんな歓迎してくれると思うぞ」
「う、うん」


 実を言うと多少の不安もあったが、遊隆がいるなら大丈夫。そう思って俺は遊隆の車の助手席に乗り込み、シートベルトをしっかりと締めた。
「三十分くらいで着くから寝るなよ」
「寝ないよ。ていうか緊張する……」
「俺がずっと付いてるから安心しろ」
 しばらくして見えてきた巨大なビル。車が減速し、駐車場の中へ入って行く。
車を降りた俺は、遊隆より二、三歩遅れて歩き出した。
 どこにでもありそうなオフィスビル……ここでどんなことが行われているというのか。静まり返った廊下を歩いているうちに不安と好奇心が同時に沸き上がってきて、俺は遊隆の背中に問いかけた。
「このビルで撮影すんの?」
 遊隆が歩きながら俺を振り返る。
「一階と二階は全部うちの会社なんだ。撮影部屋もあるけど、あとはホテルとか、そういうスタジオ借りたりもするし、夏なんかはビーチとか、冬は温泉とか」
「俺、温泉なんて行ったことない。ちょっと楽しみだな」
「いろんなとこ連れてってもらえるぞ。人気出れば、それこそ海外とか」
「マジで? 遊隆は行ったことあんの?」
「俺は一度だけ。バリ島で撮ったっけな」
「へぇ、すご……」
 その時突然、背後で声がした。
「遊隆」
 名前を呼ばれた遊隆が足を止めて振り返る。その顔は今まで見せたことのない、凄まじく険しい顔だった。その表情にただならぬ空気を察知して、俺もゆっくりと後ろを振り返る。
「………」
 そこに立っていたのは目付きの悪い男だった。遊隆よりももう少し背が高くて、俺なんて見下ろされてしまいそうだ。無造作にセットされた黒髪。咥え煙草。その指にはごつい金のリング。野性味溢れるスタイルなのに、なぜかとても美しい。不思議な男だった。
 そして、低く深みのある声。
「もしかして、そのチビッコがお前の新しい素材か?」
「だったら何だ」
「どこで捕まえた」
「教えねえよ」
 俺は遊隆と男の間に挟まれて神経を尖らせていた。遊隆の顔は険しいままだ。声には棘があり、なんだか今にも喧嘩になってしまいそうな感じがする。
 男は俺なんて目に入っていない様子で、遊隆を見据えたままで言った。
「ガキがガキと絡んだって面白くねえだろうが」
「………」
「それか逆に、ガキ同士で案外ウケるかもな」
「っ……」
 その言葉にカチンときて、俺は男に向かって思い切り人差し指を突き付けた。
「アンタ、いきなり現れて人をガキ呼ばわりすんな! 何様だ、名を名乗れ!」
 自分でも興奮していて何を言っているのか分からなかったが、言ってしまったものは仕方ない。俺は人から何の理由もなく馬鹿にされるのだけは、どうしても許せないのだ。
 男は俺の剣幕に一瞬驚いたように目を見開き、だけどすぐにシニカルな笑みを口元に浮かべて言った。
「俺の名前は雀夜サクヤだ。覚えとけ、チビガキ」
 雀夜……。
「………」
「で、人に名前訊いて自分は名乗らねえのか? 見たところお前中学生か? 学校でどんな教育されてんだ、ああ?」
「ふざけっ……」
 男に掴みかかろうとした俺の首根っこが、遊隆の手によって引っ張られる。
「やめとけ、雪弥。……雀夜、こいつは雪弥。中学生じゃねえ、十八歳だ」
 それを聞いた雀夜が感心したように頷いた。
「十八ね、お前にしてはやるじゃねえか。今回はさすがの俺も売上負けちまうかもな」
「それにしては余裕ぶっこいた顔してるけど」
「本番じゃ何が起こるかわかんねえからな。そんじゃ、先行ってるぞ」
 雀夜が俺達の横を通りすぎて行く。
「後でな、ユキヤ」
「っ……!」
 からかうように頭を叩かれ、俺は顔を真っ赤にさせて遊隆の手を振りほどいた。
「なんなんだよ、あいつ」
 遊隆はバツの悪そうな表情を浮かべて雀夜の背中を見ている。
「雀夜はウチのトップなんだ。仕事場では誰も逆らえねえ」
「……遊隆の方が何倍もいい男なのに」
 ふてくされた俺を見て遊隆が言った。
「雪弥の方が何千倍もいい男だ」
「そんな棒読みで言われてもな……」
 遊隆が笑ってくれたのに安心し、ようやく俺も少しだけ笑みを浮かべることができた。
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