君色の空に微笑みを

狗嵜ネムリ

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君色の空に微笑みを・17

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 無意識の内に歩いていた。一歩一歩、俺にとっての安らぎの宿に。
 混一ホンイツに会う気はなかった。会えるはずもなかった。どの面下げて会えばいい。
 それなら、どうしてここに来た? 分からない。自分でも何がしたいのか。何をするべきなのか……。
 見慣れた幻龍楼げんりゅうろうの看板を前に、俺は入ることも立ち去ることもできずただ立ち尽くしていた。
 どのくらいそうしていたただろう。
「兄さん」
 振り返るとそこには和了ホーラがいた。相変わらずの派手な出で立ちだ。黒いダウンジャケットと緩めのジーンズ、逆立った金色の髪。自由と非日常をそのまま人の形にしたような、三十二歳の男……。
「久しぶりだな! どうしたよ、顔が真っ青だぜ」
「和了さん……出掛けてたんですか?」
「ん。コンビニに昼飯と、副露フーロのお菓子買いに行ってたんだ。あとは百円ショップで色々、備品とかな。なんで店長の俺がパシリにされなきゃなんないのかって話」
 そう言って、和了が両手にぶら下げていた大きなビニール袋を地面に置いた。
「兄さんは何してんの? こんな真っ昼間から、仕事はどうした?」
「和了さん。……俺、もう駄目かも……」
「何がよ? 駄目だなんて言う時ほど案外平気なんだって。気にするな、元気出せよ」
 俺は力無く首を横に振った。
「もう駄目なんです……。仕事も無くして、混一とも会えないし、俺の周りにあった物が全て消えて行くんです……」
「仕事、辞めたのか? 何でまた」
「………」
「だったら別の仕事に就けばいいだけの話だろ。兄さんはまだ若いんだから、何だってできるって」
「簡単に言いますけど……。和了さんはいいですよね、何でも自由にできて」
 唇を尖らせて言うと、和了が溜息をついてポケットに手を入れた。
「俺なんか、兄さんくらいの齢の時はただのプーだったぜ。超貧乏で学歴も無えし、日雇いの土木とかやってその日暮らししてたさ。麻雀で勝てばその日はちょっとした贅沢もできたけど、完全に日蔭者だったな。そんな生活をダラダラと何年も続けてよ」
 振り出した煙草を咥え、和了が苦笑する。
「三十歳の時に副露を拾って、こいつ食わせる為に働かなきゃ、って思ったのがこの仕事始めたきっかけよ。俺一人ならどうでもいいけど、惚れた相手を路頭に迷わせたくねえもんな」
「和了さん、やっぱり副露くんに惚れてるんですね」
「笑っちまうか、こんなオヤジが十個以上年下のガキ相手に本気になるなんて」
「そんなことないです」
「兄さんも、混一に惚れてんだろ」
「……はい」
「あいつはどこか飄々としてるけど、基本は寂しがり屋なんだよ。あいつがこの仕事始めた本当の理由、聞いたか?」
 俺は黙ったままかぶりを振って和了を見つめた。
「あいつ、昔付き合ってた男にこっぴどくフラれた経験があるんだってさ。それで死ぬほど落ち込んで、風俗やって強くなろうと思ったんだって。こういう仕事を経験しておけば、その後の人生で何だって出来ると思ってるんだってさ」
「え……」
「変わってるだろ。別に金が欲しい訳でも、色んな男と寝たい訳でもないんだ。だけど俺に言わせりゃ、あいつも相当のガキだぜ。無欲ぶって誰とも付き合わないとか言ってっけど、裏を返せば寂しがりの上に不器用なんだよ、あいつは」
「………」
「手遅れになる前に混一を救えるとしたら、兄さんだけだろうな」
「そうでしょうか。俺じゃとても……」
「あんな意地っ張りの馬鹿たれ、お前以上に愛してやれる奴なんかいねえよ」
「………」
「混一に惚れたんならその気持ちを貫き通せ。あいつが根負けするぐらい押してやれ。これは人生も同じだぞ。もしもお前にやりたいことがあるなら諦めるな」
「やりたいことなんて……」
「ガキの頃から今まで、幾つか夢は持ってたんじゃねえの。全部忘れた訳じゃないだろ?」
 勿論忘れてなんかいない。二十歳の頃に古着屋の面接を受けたあの日、自分が口にした夢のことは今でもたまに思い出す。だけど、俺に当時の夢を追いかける時間なんて残っているんだろうか。一か八かで挑戦するには、もう遅すぎる気がする。
 沈鬱な表情で俯く俺の肩を、和了が軽く叩いて言った。
「……前にした副露の話、覚えてるか? 親と上手く行ってなくて、家出してコッチ来たって」
「は、はい。覚えてます」
「あいつ、それまで親から酷い扱い受けててさ。夜は俺にしがみついてないと寝れねえし、学校もろくに行ってないから中学生の勉強すらできねえんだ。振る舞いがガキっぽいのも、そういう理由があってな」
「そうだったんですか……」
 でも、と言って和了が笑った。
「無一文で東京に逃げて来て偶然俺と出会って、あいつの人生は劇的に変わった。それまで相当な覚悟があったと思うぜ。だって一歩間違えれば野垂れ死んでたか、保護されて親元に返されて、もっと酷い目に遭ってたかだろ。……だけど結果あいつは自分の手で、自分の人生を切り開けたんだ」
 俺は強く頷いた。
「副露みたいな子供に出来て、俺達大人が出来ないなんて、そんな馬鹿な話はねえだろ。人生なんていつだって自分の気持ち次第でどうにでもなると俺は思うよ」
「………」
 唇を噛みしめてもう一度頷くと、和了が照れ臭そうに金髪を掻き毟りながら笑った。
「説教なんてガラじゃねえな。俺もジジイになってしまった」
「いえ……和了さんの話、聞けて良かったです。かなり救われました」
「よし、そんじゃ一緒に行くか!」
「はいっ」
 和了に続いて幻龍楼に入る。心臓が破裂しそうだった。
「和了さんお帰り! あ、浩介兄さんも一緒だ。いらっしゃいませー」
「はいよ、生チョコアイス買って来てやったぞ」
「やった!」
「このクソ寒い中、そんなモンよく食えるよな……」
 幸せそうな顔でアイスに齧り付きながら、副露が伝票を引き寄せて俺を見た。
「兄さんは今日も混一指名? 混一まだ出勤してないんだよ。あと二、三十分くらい」
「副露、今日の兄さんはプライベートな事情で来たんだってさ。部屋、用意してやってくれ」
 じゃあ、と副露に渡された伝票を手に、俺は階段を目指して歩き出した。
 足が震えている。恐ろしくて、逃げ出してしまいたい。
 正真正銘、混一との最後の時間。一時間か二時間か……どちらにしても、これで全てが決まる。この楼閣を出る時の俺が何を得、何を失うのか。
 部屋に入ってからも、俺は不安に心臓を震わせながらただ混一が来るのを待った。
 逃げ出し、諦めるだけの人生を過ごしてきた俺なんだ。逃げずに問題と向き合うことがこんなにも苦しくて恐ろしいことだなんて、知らなかった。
 正直言って、怖い。……怖いけれど、この恐怖と真っ向から闘うしかない。いま闘わなければ、俺はこの先もずっと自分を変えられないままだ。
「混一色にございます。……失礼します」
 ドアの向こうから混一の声がして、いよいよ緊張がメーターを振り切る。思えば初めてここで混一と会った日も、今と同じくらい緊張していたっけ。
「浩介……」
 ドアを開けた混一が目を丸くさせている。
「どうして……」
「ど、どうしてって。会いに来たんだよ、それ以外に無いだろ?」
「………」
 混一の無言が胸を締め付ける。部屋のベッドに並んで座り、俺はまず初めに言うべき言葉を口にした。
「ごめん」
「……何が?」
「土曜のこと。突然あんなこと言って、お前を困らせた」
「………」
「……だけど、本気だった。今もな。……俺はお前が好きだ」
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