日本国を支配しようとした者の末路

kudamonokozou

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奥州藤原氏の滅亡とその後の頼朝

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文治五年(1189年)8月21日、泰衡が平泉に火を放って逃走したことにより、平泉に鎌倉軍が入った。
平泉は、頼朝の支配下に置かれたと言うことになる。

早速、頼朝は玉山金山、大谷金山など、奥州の金鉱脈を調べさせた。
しかし、頼朝が期待していたような、大量に金を産出できる金鉱脈は見つけられなかった。

「秀衡のやつ、何をしおった!」
頼朝は苛立った。そして憤慨した。
金はもう大方掘り尽くしてしまったのだろうか。
「何と言う戯けた真似を!」
と、頼朝は憤慨したが、そもそも頼朝のものではない。
どこかに隠してあるに違いない、頼朝はそう思ったが何処にも金は見つからなかった。
奥州の金を掠め取ることが第一の目的だったので、金鉱脈が、そして何処かに保管してある金が見つからないことに頼朝は大いに失望した。

しかし、いつまで経っても金鉱脈が発見されたという知らせは届かないので、頼朝はもう一つの目的である、厨川の土地を踏むという目的のために平泉を出立した。

厨川は、前九年の役で源頼義に討たれた安倍貞任の城柵のある所である。
頼朝は、五代も前の先祖の戦勝になぞらえて、その地に凱旋するというデモンストレーションを行なうつもりである。
安倍貞任は蝦夷である。
厨川柵は、現在の岩手県盛岡市にあったとされる。

一方、藤原泰衡は、藤原氏の郎党である河田次郎の元に身を寄せた。
河田次郎は国衡の参陣不要との命が出たこともあって、阿津賀志山には参陣しそびれた。

河田次郎は実直で人望の高い武将だったので、居館である贄柵にて泰衡を手厚くもてなした。
贄柵は、現在の秋田県の北方、大館市に位置する。

河田一族は一旦泰衡をもてなしたが、鎌倉軍の泰衡への追及は激しく、泰衡は城内の物々しさに切羽詰まっている状態を察知した。
また泰衡は、義経のみならず三人の弟まで殺害してしまった自分の愚かさを嘆いていた。
泰衡は蝦夷へ渡ろうかとも思っていたが、それも空しい考えだと思った泰衡は、贄の館の川向の葦原で自害して果てた。

河田次郎は困ってしまったが、正直に泰衡の首を厨川の近くの陣岡まで出陣して来ていた頼朝に届けた。

ところが頼朝は、『主君の首を切るとは不忠にも甚だしい』と、河田次郎に逆臣の罪を冠せ断罪に処した。
のみならず頼朝は、河田一族断罪の命令を下しその刑を執行した。

猜疑心の強い頼朝は、少しでも疑いの心を感じると、皆殺しにしてしまうのである。

さて、当主の途絶えた奥州藤原氏は、名実ともに滅んでしまった。
とばっちりを食って河田次郎とその一族は、とんでもない目に遭わされてしまった。

とうとう、秀衡や国衡が示現で見た通り、奥州藤原氏は滅んでしまったのである。

頼朝は泰衡の首の眉間に、前九年の役の故実にならい、眉間に鉄釘を打ち込んで柱に懸けた。

その後泰衡の首は平泉に戻されて、中尊寺金色堂に他の三当主のミイラと同じ場所に葬られている。

一方頼朝は、泰衡の首の眉間に釘を打ち込むこともでき、厨川に凱旋できたので、意気揚々と平泉に戻って来た。

金鉱脈に関して、吉報が聞かれるものだと期待していた頼朝であったが、その期待は裏切られた。金鉱脈は一向に見つからなかった。
全く進展が無かったので、頼朝はまた激怒した。

しかし、頼朝は欲張りすぎである。
兄義平や朝長、父義朝とともに平治の乱で命を落とすはずであった身が、奇跡的に伊豆への配流で済まされ、34歳まで好き放題に生きることができ、挙兵してみれば自身は功績を成していないのに回りの者が平家を滅亡させてくれて、武士の棟梁として最高権力者に上り詰めたのである。

それだけに本人に達成感が無く、いつまでも欲を追い求める。

建久元年(1190年)十一月、頼朝は上洛して後白河法皇と謁見し、その後、権大納言と右近衛大将に任じられるが、翌十二月三日には両官を辞任し、年末には鎌倉へ帰ってしまう。
頼朝にとって、朝廷の官位など張子の虎である。

建久三年(1192年)後白河法皇は崩御し、頼朝は征夷大将軍となる。

建久四年(1193年)曽我兄弟の仇討ち事件の際、頼朝が討たれたという誤報が伝わり、それを真に受けた範頼が失言をしてしまったため、伊豆へ配流される。範頼はその後、梶原景時らによって暗殺される。
ひょっとしたら、独裁で傲慢な頼朝に対する暗殺の動きがあったのかも知れない。

建久八年(1197年)七月、頼朝の長女である大姫が病死してしまう。
大姫は木曾義仲の嫡男義高と恋仲であったが、頼朝は木曾義仲を滅ぼし義高を誅殺してしまう。
それ以来、大姫は病身の身が続いていた。しかし頼朝は大姫を後鳥羽天皇に嫁がせようと、入内計画を画策する。天皇家の親戚となるために、大姫を利用したのだ。
しかし大姫は力尽き、19歳で儚い人生に幕を閉じた。

頼朝の死の直後、大姫の妹の三幡も病気により13歳で短い人生を終わらせてしまう。頼朝は大姫の死後、今度は三幡を後鳥羽天皇に嫁がせようと画策していたのだが、それも失敗してしまった。
三幡は高熱を出した状態が続いた後、目の上が異常に膨れ上がってそして亡くなった。

この後、頼朝の息子も孫も非業の死を遂げることになる。
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