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国衡の最期
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無敵の兵士たちによって、内堀がだんだん埋まっていく。
義経、巴、国衡は、また錬金術を使って堀底を落として堀を深くした。
だがその方法にも限界がある。
無敵の兵士たちはまさしく命知らずで、躊躇なく水の中に飛び込んで行き、溺れ死んでいく。
鎌倉軍の指揮官たちも、自軍の兵ながら気味悪く感じてしまった。
外堀を越えてきた鎌倉兵の数が増え、中土塁にたくさんの鎌倉軍兵士が溜まって来た。
彼らが内堀の前で立ち往生してしまうと、奥州軍の攻撃を受けて鎌倉軍はばたばた倒れて行く恐れがある。
そこで工兵隊は中土塁に到達すると、鋤や鍬で内堀を壊し始める。そうはさせじと、奥州軍は弓矢や印地で盛んに攻撃を仕掛ける。壮烈な戦いが繰り広げられた。
無敵の兵士たちは、相変わらずどんどん内堀に飛び込んで溺死し、内堀を埋めて行った。
そのためとうとう、溺死体の橋を渡って鎌倉軍が内土塁の端に辿り着いた。
内土塁が破られると、防御施設が無くなってしまう。
奥州軍の兵士たちは内土塁の上に立って、内堀から上がってくる鎌倉軍の兵士の頭を鉄の棒で叩き出した。
これは義経が考えた新兵器であった。
斬るのではなく、上から振り下ろして相手の頭を叩きまくるだけであれば、太刀よりも鉄棒の方が頑丈で威力がある。
兜を被っていない鎌倉兵は、鉄棒の一撃を食らうとひとたまりも無く内堀の中に落ちて行った。
兜を被っていても、ガンガン叩きまくられれば、脳震盪を起こして倒れて行った。
中土塁の鎌倉兵は、弓矢で奥州兵を打ちまくった。
それに対して奥州兵は、弓矢と印地で対抗した。
こうして内堀から這い上がろうとする鎌倉軍と、内土塁でそれを叩き落そうとする奥州軍の、激戦の膠着状態がしばらく続いたが、無敵の兵士がどんどん水中に飛び込むので、溺死体の橋はどんどん広くなっていった。
それに伴い、内土塁に侵入して来る圧力が大きくなっていき、とうとう内土塁の防御が破れだし、国衡は、奥州兵に柵まで引くように命じた。
「柵の中まで引け!引け!引け!」
奥州軍は、一目散に柵の中へ逃げ込んだ。
鎌倉軍は後方にいた兵たちも、外堀を越え、中土塁を越え、内堀を越え、内土塁から這い上がって、どんどん押し寄せてくる。
「もはやこれまで!退却せよ!皆退却せよ!」
国衡が退却の指示を出し、合図が鳴らされると、奥州軍は命令されたとおり、柵の裏木戸から退却をし始めた。
『我らは老い先短い身、名誉の戦死を手向けにしたい。』
と申し出た老兵100名ほどだけが国衡のもとに残った。
「それでは、退却援護のために今ひとたび。」
と国衡が言って、義経と巴と三人合力での最後の錬金術の業を使って、柵の前の地面に大きな地割れを作った。
騎馬兵たちは驚いて馬を止めたが、無敵の兵士たちは地割れの中にも飛び込んで行った。
「戯け!板を渡せ!」
と、騎馬武者の指揮官が無敵の兵士を制して、他の兵士に運ばせて地割れに板を掛けさせた。
「国衡の運命はここまででござる。義経殿も巴殿もお逃げください。」
「国衡殿、どうぞご無事で。できれば出羽で落ち合いましょう。」
と巴は言ったが、国衡は、
「それは叶わぬこと。我らの運命でございます。どうか必ず使命を果たしてください。」
と、二人に告げた。
義経と巴は三度まで振り返った後、鎧を脱ぎ捨て、ものすごい速さで山道を駆けて行った。
地割れに掛かった板を渡って、鎌倉兵が柵の前まで辿り着いた。
鎌倉兵は梯子をかけて、柵を乗り越え始めた。
そこへ国衡の手勢100名ほどが、弓矢と印地で最後の抵抗を行なった。
しかし多勢に無勢。直に鎌倉勢が柵を越えて向かって来た。
国衡は力を振り絞ってもう一度地割れを起こし、鎌倉勢の勢いを止めた。
その隙に国衡の手勢は柵の裏木戸から逃げた。国衡も逃げた。
逃げながらも国衡は、山道に土砂を落としたり、穴を空けたりして、国衡勢の逃亡を助けた。
さらに国衡勢は北へと逃げた。彼らはもう一度平泉の土地を踏みたいという、切ない願いがあった。
しかし国衡に対する鎌倉軍の追手は厳しく、国衡は現在の宮城県の柴田郡のあたりで和田義盛によって討ち取られた。
侍大将として天晴な活躍であった。
「蝦夷の力は思ったより強かった。」
鎌倉大手軍として戦った御家人たちの弁である。
貧弱に見えた奥州軍の陣形は、いざ戦って見ると、沢山の犠牲者を鎌倉軍に与えた。奥州軍の新兵器にも手を焼いた。太刀で斬りあう戦はほとんどさせてもらえなかった。
味方の兵が暴走したのは奇妙であった。しかし、そのおかげで敵陣の堀を越えられたのであるが...
一万人を遥かに超える鎌倉軍兵士が犠牲になった。
「勝ったのだから良い良い。これで平泉も落ちる。」
頼朝は、兵の犠牲は当然のことと思っていた。
一方、藤原氏当主の泰衡は多賀城に立て籠っていたが、鎌倉の大軍が押し寄せてくるという知らせを聞き、あっさり平泉に逃げてしまった。
鎌倉軍は、東海道軍が多賀城手前で大手軍に合流して、人数が膨れ上がっていた。
総大将の肩書の泰衡であったが、とにかく逃亡の一手であった。何ら抵抗することなく、泰衡はあっさり平泉の街に火をつけ燃やしてしまい、自身はさらに北へと逃げ落ちた。
文治五年(1189年)8月21日のことである。
泰衡は、父秀衡の命を破り起請文の誓いを破棄して、実質頼朝の命令によって源義経を討ったが、逆に頼朝に咎められ、結局奥州は鎌倉方の大軍によって攻められ、奥州軍は敗北した。
そして、栄華を極めた平泉の街も灰燼に帰した。
『頼朝という奴は滅茶苦茶だ。』
と、泰衡は頼朝に悪態をついたが、三人の弟を殺してしまった泰衡も滅茶苦茶である。
当主でありながら、保身のために守るべきものを犠牲にした者は、結局悲惨な運命を迎えるのである。
義経、巴、国衡は、また錬金術を使って堀底を落として堀を深くした。
だがその方法にも限界がある。
無敵の兵士たちはまさしく命知らずで、躊躇なく水の中に飛び込んで行き、溺れ死んでいく。
鎌倉軍の指揮官たちも、自軍の兵ながら気味悪く感じてしまった。
外堀を越えてきた鎌倉兵の数が増え、中土塁にたくさんの鎌倉軍兵士が溜まって来た。
彼らが内堀の前で立ち往生してしまうと、奥州軍の攻撃を受けて鎌倉軍はばたばた倒れて行く恐れがある。
そこで工兵隊は中土塁に到達すると、鋤や鍬で内堀を壊し始める。そうはさせじと、奥州軍は弓矢や印地で盛んに攻撃を仕掛ける。壮烈な戦いが繰り広げられた。
無敵の兵士たちは、相変わらずどんどん内堀に飛び込んで溺死し、内堀を埋めて行った。
そのためとうとう、溺死体の橋を渡って鎌倉軍が内土塁の端に辿り着いた。
内土塁が破られると、防御施設が無くなってしまう。
奥州軍の兵士たちは内土塁の上に立って、内堀から上がってくる鎌倉軍の兵士の頭を鉄の棒で叩き出した。
これは義経が考えた新兵器であった。
斬るのではなく、上から振り下ろして相手の頭を叩きまくるだけであれば、太刀よりも鉄棒の方が頑丈で威力がある。
兜を被っていない鎌倉兵は、鉄棒の一撃を食らうとひとたまりも無く内堀の中に落ちて行った。
兜を被っていても、ガンガン叩きまくられれば、脳震盪を起こして倒れて行った。
中土塁の鎌倉兵は、弓矢で奥州兵を打ちまくった。
それに対して奥州兵は、弓矢と印地で対抗した。
こうして内堀から這い上がろうとする鎌倉軍と、内土塁でそれを叩き落そうとする奥州軍の、激戦の膠着状態がしばらく続いたが、無敵の兵士がどんどん水中に飛び込むので、溺死体の橋はどんどん広くなっていった。
それに伴い、内土塁に侵入して来る圧力が大きくなっていき、とうとう内土塁の防御が破れだし、国衡は、奥州兵に柵まで引くように命じた。
「柵の中まで引け!引け!引け!」
奥州軍は、一目散に柵の中へ逃げ込んだ。
鎌倉軍は後方にいた兵たちも、外堀を越え、中土塁を越え、内堀を越え、内土塁から這い上がって、どんどん押し寄せてくる。
「もはやこれまで!退却せよ!皆退却せよ!」
国衡が退却の指示を出し、合図が鳴らされると、奥州軍は命令されたとおり、柵の裏木戸から退却をし始めた。
『我らは老い先短い身、名誉の戦死を手向けにしたい。』
と申し出た老兵100名ほどだけが国衡のもとに残った。
「それでは、退却援護のために今ひとたび。」
と国衡が言って、義経と巴と三人合力での最後の錬金術の業を使って、柵の前の地面に大きな地割れを作った。
騎馬兵たちは驚いて馬を止めたが、無敵の兵士たちは地割れの中にも飛び込んで行った。
「戯け!板を渡せ!」
と、騎馬武者の指揮官が無敵の兵士を制して、他の兵士に運ばせて地割れに板を掛けさせた。
「国衡の運命はここまででござる。義経殿も巴殿もお逃げください。」
「国衡殿、どうぞご無事で。できれば出羽で落ち合いましょう。」
と巴は言ったが、国衡は、
「それは叶わぬこと。我らの運命でございます。どうか必ず使命を果たしてください。」
と、二人に告げた。
義経と巴は三度まで振り返った後、鎧を脱ぎ捨て、ものすごい速さで山道を駆けて行った。
地割れに掛かった板を渡って、鎌倉兵が柵の前まで辿り着いた。
鎌倉兵は梯子をかけて、柵を乗り越え始めた。
そこへ国衡の手勢100名ほどが、弓矢と印地で最後の抵抗を行なった。
しかし多勢に無勢。直に鎌倉勢が柵を越えて向かって来た。
国衡は力を振り絞ってもう一度地割れを起こし、鎌倉勢の勢いを止めた。
その隙に国衡の手勢は柵の裏木戸から逃げた。国衡も逃げた。
逃げながらも国衡は、山道に土砂を落としたり、穴を空けたりして、国衡勢の逃亡を助けた。
さらに国衡勢は北へと逃げた。彼らはもう一度平泉の土地を踏みたいという、切ない願いがあった。
しかし国衡に対する鎌倉軍の追手は厳しく、国衡は現在の宮城県の柴田郡のあたりで和田義盛によって討ち取られた。
侍大将として天晴な活躍であった。
「蝦夷の力は思ったより強かった。」
鎌倉大手軍として戦った御家人たちの弁である。
貧弱に見えた奥州軍の陣形は、いざ戦って見ると、沢山の犠牲者を鎌倉軍に与えた。奥州軍の新兵器にも手を焼いた。太刀で斬りあう戦はほとんどさせてもらえなかった。
味方の兵が暴走したのは奇妙であった。しかし、そのおかげで敵陣の堀を越えられたのであるが...
一万人を遥かに超える鎌倉軍兵士が犠牲になった。
「勝ったのだから良い良い。これで平泉も落ちる。」
頼朝は、兵の犠牲は当然のことと思っていた。
一方、藤原氏当主の泰衡は多賀城に立て籠っていたが、鎌倉の大軍が押し寄せてくるという知らせを聞き、あっさり平泉に逃げてしまった。
鎌倉軍は、東海道軍が多賀城手前で大手軍に合流して、人数が膨れ上がっていた。
総大将の肩書の泰衡であったが、とにかく逃亡の一手であった。何ら抵抗することなく、泰衡はあっさり平泉の街に火をつけ燃やしてしまい、自身はさらに北へと逃げ落ちた。
文治五年(1189年)8月21日のことである。
泰衡は、父秀衡の命を破り起請文の誓いを破棄して、実質頼朝の命令によって源義経を討ったが、逆に頼朝に咎められ、結局奥州は鎌倉方の大軍によって攻められ、奥州軍は敗北した。
そして、栄華を極めた平泉の街も灰燼に帰した。
『頼朝という奴は滅茶苦茶だ。』
と、泰衡は頼朝に悪態をついたが、三人の弟を殺してしまった泰衡も滅茶苦茶である。
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