花が散る、その夜に。

花の巫女

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相容れない二人

『プロローグ』

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佐原花街─所謂遊郭などが多数店を並べ、その周辺には美しく化粧を施した遊女や彼女らを利用する裕福な商人や貴族で溢れている。街の郊外にあり、昼よりも夜の方が賑わっているという一風変わった場所であった。

様々な店が自己主張の激しい目がくらむような看板を提示する中、まるで城のように異彩な存在感を醸し出している建物がそびえ立っていた。そこから出入りしている人たちは多種多様で、肥えた男性商人はもちろんのこと、高級な着物を身にまとっている貴婦人や街の権力者など、他の店とは別段に規模が違うことが一目で分かる。
この近辺で働いている人ではなくとも一度は耳にしたことがあるだろう『桜蘭楼』という店。ここでは遊女はもちろんのこと、陰間という男色向けに身体を売る美少年たちも勢揃いしているほど佐原花街では最も規模の大きい遊郭である。しかし店に入るためには相当の花代─芸妓や舞妓に対して支払われる代金─を出さなければならいので、普通の庶民や百姓は到底入ることすらできない。それ故に客は必然的に上位層の金持ちの連中となり、彼らの御用達のひとつとして『桜蘭楼』はこの街で名を馳せている。

そこで働くひとりの陰間─千里せんりと名付けられた齢15の少年は、今夜も情に流されることなく、淡々と仕事に専念していた。
彼がいつ、ここに来たのかは彼自身定かではない。気付けば自分がオメガであることを知り、社会的に地位の低いオメガでも多量の金が稼げる陰間として、毎日欲におぼれた男色たちを相手に身体を張って働いた。
それでも何故自分には家族がいないのか、親戚でさえも迎えに来ないのかと問われれば、大方自分がどんな状況下に置かれていたかなんてこの年にでもなれば誰にだって見当はつく。
売られたのだ。実の両親に。
家庭がどんなに苦しかったのかは知らないが、息子がオメガでその上容姿端麗と分かればこの界隈において巨額の金で買われることは確かであったし、実際、生活難で自ら娘や息子を売りに出してしまう家庭もこの時代においてはさして稀有なことではなかった。
そんなろくに顔も覚えていない両親に対して、彼は不思議にも恨んだり憎んだりの感情を持つことはない。彼の中で決別したのか、はたまたこの生業が天職だと悟ったのか。どちらにせよ千里は、感情が読み取れない表情で自分の立場を受け入れていた。

その少年にとって誰かと床入りすることにも抵抗がない。どんなに痛みを伴っても、翌日腰が壊れてしまっても『金になるから』という理由だけで客の求められるままに応えてしまう。
かといって無情であることと客を満足させることとはまた別問題で、陰間という役職についている以上、手を抜いて客をもてなすことは一度としてなかった。もしそうでなければ、この『桜蘭楼』で看板陰間にはなれなかったであろう。


「千里、あんたに指名だよ。準備が出来次第、『華凛の間』においで」

声を掛けてきたのは桜蘭楼の4代目女将であるお菊。元々は遊女として名を馳せ、佐原花街でトップの花魁だった彼女はそこで知り合った3代目の女将に誘われて、今現在、運営者として桜蘭楼を盛んにしている。現役を引退した後でも美しい美貌を保っているお菊と一度でいいから相手をしてほしいと懇願する客も少なくはない。

「分かりました。『華凛の間』とは……相当位の高いお客様なのですか?」

「まぁね。今日は大日本帝国陸軍の上層部様がいらっしゃるって話よ。」

「陸軍の上層部、ですか。今日は一段と花代が貰えますね」

そう言う千里に対し、お菊は元花魁らしい上品な笑いで呆れたように答える。

「千里は本当に金だけには目がないねぇ。まぁ床入りも頼まれるだろうから、その時はちゃんと名前覚えてもらうんだよ?」

最後の部分をやたら強調し、お菊は千里の控え室から出ていった。
嵐でも過ぎたのではないかと思うほど一瞬で沈黙が訪れた部屋で、千里はひとり溜息を吐く。
夜伽の仕事が嫌なのではない。否、確かに彼が憂鬱になる原因はそれなのだが、厳密にいえば、夜伽の相手が軍人だということだ。

─これじゃあ明日、絶対動けないじゃないか。

軍人、さらに言えば陸軍。国家を担う将校。毎日の訓練。すなわち、欲求不満が溜まりに溜まっているうえに力も常人よりはるかに強い。なので軍人相手だと翌日体の節々が痛くて仕事に支障が出てしまい、金がもらえるとしても彼らを好き好んで相手したいとは思えなかった。

それでも陰間は客を選べない。
自分の為すべきことは何なのか今一度確認して、客を待たせぬよう急いで衣装が入った箪笥を開き、どれを着るか吟味する。華凛の間というのは桜蘭楼の中で貴族や軍人のトップなど金に余裕のある人達が利用する『桜蘭楼』の中でも最高級の部屋であり、その華凛の間でもてなすということはそれなりに良い格好をしないと相手にも失礼になってしまう。
千里は店から貰ったり客に差し入れとして頂いた多種多様な着物から、白地に真紅の椿が描かれた清楚な着物を取り出して身に纏った。彼の漆黒の髪と相反した色彩を合わせると、その姿はこの世の人間とは思えないほど妖艶で美しい。この姿に一体幾人もの人間を虜にしてきたことか。

それから少年は薄化粧を施して、身なりを何度も確認した後、華凛の間へと向かって行った。






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