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Chapter1:死骸人形と欠けた月

第十五話:密かな決意

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「——そういえば。ヤト」
「え?」

 村を離れ、踏み固められた道を外れ、景色に木々が増えるようになった頃。ヤトの方に顔を向けるでもなく、唐突にノルトが問いかける。

「昨日はトラブルで気を失ったとはいえ、直前にはミアちゃんとの幼少期を思い出していただろう?」
「ああ……断片的に、だけど」
「それから、どうだ。なにかほかに、思い出したことは? 特にリアンについて——彼の最期の足跡そくせきについては」
「いいや、悪いがなんにも」
「そう、か。ならばやはり、これから向かう場所が鍵だな」
「あるいは頼みの綱……だ。オレとしてもなんらかの手がかりが見つかるか、記憶が戻ることを祈ってるぜ」

 友人であるリアンの死因について、ノルトは当初から気にしていた。彼女はことさらに落胆してみせることはなかったが、それからは口数も乏しく足を動かす。
 ノルトの記憶した道順は確かなものだったようで、やがて太陽が三者の真上から光を注ぐようになると、一行は仄暗い闇をその大口から覗かせた洞窟へたどり着く。
 周囲にはまばらな木々。
 朧げながらヤトも覚えている。地中へと続くごつごつとした岩肌に、確かにここだと確信する。

「あまねく闇よ、我が光に照らされてあれ」

 足を踏み入れながら、ノルトは隣人に話しかけるような何気なさでその文言をつぶやいた。
 すると、彼女が手にする道具、そこへ埋め込まれた黒い石がぼうと輝き出す。
 柔らかなオレンジの明かりが、一寸先も見えない洞窟の中を照らしてくれる。

「それ、灯りだったのか。聞こうと思ってたんだよな」
「魔術ランタン……魔術具の一種だ。ライトストーンという特殊な鉱石に術式を施し、そこへ後から魔力を流して使う。昼間と言えど、洞窟の中は暗い。多少、ふつうの灯りよりも光度を強めに調整してきたから、これならいくらか快適に進めるだろう」
「わ。ご自分で術式を刻んだんですね、流石は魔術技師のノルトさんです」
「なに、そう難しいことではないよ。魔術具の中でもライトストーンに使う術式はごく単純だ。石さえあれば三十秒とかからない」
「それは……普段、魔術通話機をチューニングしてるノルトさんからすれば簡単かもしれませんけれど……」

 入り口で留まっていても、魔物と遭遇する確率が増すだけだ。魔術ランタンの明かりを頼りに、一行は地面の中へと進んでいく。一歩、また一歩と階段と呼ぶには荒々しい自然の造りを降りていくと、地上でかすかに聞こえた風やそれによる枝葉の擦れ合う音は遠のいていく。

(あの黒い石……ライトストーン? なんか、どっかで見た気がするんだよなぁ)

 などと、二人の会話を聞き流しながら、ヤトはぼんやりとそんなことを思う。
 すると考えごとのせいで意識がおろそかになったのか、不意に足を滑らせる。岩の斜面を覆う苔が体重をかけられたことで剥がれてしまったのだ。

「あっ」
「ヤトさんっ!?」

 後悔先に立たず。バランスを崩したヤトは哀れ、ノルトの魔術ランタンの光さえ届かない洞窟の底へと頭から転がり落ちる——かに思われたが、ぎりぎりのところでヤトの手を誰かがつかみ取った。

「……はぁ。ガルディのことといい昨日といい、キミは怪我をするのがよほど好きらしいな」

 ノルトだった。ランタンを持つのとは逆の手でヤトを支えながら、呆れた表情を浮かべている。

「す、すまんノルト。助かった」
「せっかくの灯りを無駄にしないでくれ」
「ああ、よかった……。もう、驚かせないでくださいっ。また昨日みたいに倒れちゃうんじゃないかと思いましたよ」
「苔で滑ったんだよ……悪かった」
「苔むしているのは入口付近だけだ。少し降りれば地面の傾斜もましになる、今後は慎重に頼む」

 常より冷静で、口調の淡々としたノルトだが、今の声色は輪をかけて冷たかった。その声と放す直前の彼女の手から、ヤトはどこか、表面上からは読み取りづらいなんらかの緊張のようなものを感じた気がした。
 とにかく助けてもらったヤトとしては、「わかった」と素直にうなずく。

「……わかればいい。ひょっとすれば洞窟内には迷い込んだガルディや、もとよりここに生息する魔導生物もいるかもしれない。降りてからも警戒は欠かさないように」

 しかし返答は素っ気なく、釘を刺す忠告を冷たく言い放つと、ノルトはそっぽを向いて先へ進み始める。
 やはりヤトは、なんとなく彼女が普段と違う気がした。
 微妙な違いだ。元々が静かで無駄を嫌う性格ゆえに、出会って間もないヤトには見抜けないような、わずかにだけ態度ににじむ緊張。
 それでも違和感を覚えるのは、ヤトという意識ではなくその体の方が、ノルトという人物を事細かに知っているからなのかもしれない。

「なあ、ミア。もしかしてオレ、怒らせたかな」

 なので、降りるにつれ足元がなだらかになってくると、ヤトは灯りを手に先導するノルトに聞こえないよう、そっとミアに近づいて小さな声で訊いてみた。

「知りませんよ。ヤトさんが危なっかしいことばかりしてるからじゃないですか」
「う……やっぱりそうか」
「……まあ、でも、確かに。実を言うと、それだけじゃない気はします。なんだかノルトさん、朝から少しぴりぴりしてるっていうか」
「お? ミアもそう思うか? 実はオレも、らしくないなって思ってたんだよ」

 ミアの方はむしろ、昨日泣いていた一件を引きずったぎこちなさも歩くうちに解消されたのか、わずかにツンケンしながらも普段通りに答えてくれる。ここまで歩いたのは久しぶりなのか、疲労こそまだ表情に現れてはいなかったが、運動の負荷によって呼吸はいくらか浅く、ランタンの光が照らす頬もほのかに赤い。

「いつものノルトさんは、もう少し柔らかい印象のある人です。……いえ、普段と比較しての話であって、もとから表情に乏しいというか、どちらかと言えば物静かですし、話すときも歯に衣着せない方で、例えるなら——」
「氷みたいなやつ?」
「——ああ、そうっ。まさしくそれですっ。……じゃないですっ! 失礼なこと言わせないでください! わたしがノルトさんを冷たい人だって思ってるみたいじゃないですか!」
「ほとんど語るに落ちてたぞ今」

 もちろんあくまで上辺だけの話で、ノルトの本心は気遣いにあふれているとわかっている。だがやはり、ミアもそんなノルトが今日はどこか様子がおかしいと気づいているようだ。

「つってもまあ、他人事じゃないんだけどよ、リアンの足跡がわかるかどうかの瀬戸際なわけだしな。友人だって言ってたし、ノルトもそりゃあ緊張するか?」
「その割には、昨日はそんなこともなかったですけれど……でも、重要な機会と言えばそうですし。もしかしたら、その通りなのかもしれませんね」

 昨日、屋敷中を回ってもめぼしい成果は得られなかった。ミアとの幼少期の思い出を断片的に思い出すことはできたが、リアンの死因や行動の理由に結びつくようなものはなにもなかった。そして、長い時間を過ごしたあの村の家で駄目なら、ほかに記憶を刺激するような場所はそう多くない。
 だからヤトが目を覚ましたこの洞窟を再訪する今日こそ、言ってみれば記憶の復元に賭けるラストチャンスなのではないか。明言こそ避けていたが、そんな認識は三人が共有していることだろう。

(重要な機会。ああ、そうだ。もしもオレが、今日この洞窟の奥地でなんの手がかりも得られないのなら……)

 いくら平静に会話を交わそうが、目を閉じれば、昨夜のミアをすぐに思い出す。
 記憶の中の兄さまが、知らない間にあなたに塗りつぶされていく。
 ミアはそう言った。

(……そんな有害な偽物が、ミアのそばにいていいはずがない)

 ミアにはまだ頼る相手が必要だ。しかし、ただそこにいるというだけで、この身はミアを苦しめる。兄の姿をした兄でない男が、彼女の記憶を侵してしまう。
 ならばいっそ、いなくなってしまったほうがいい。ミアのそばを離れ、どこか……この地から遠い場所へ。どこであっても記憶の欠如したヤトにとっては同じことだ。
 あるいはここであるべき記憶を取り戻し、ヤトなどという虫の意識を捨て去り、この肉体にふさわしい彼の人格を再び作り上げるか。そうなればノルトも、そしてもちろんミアも喜んでくれるはずだ。
 つまるところ、ヤトは本物にならなければならなかった。今の偽物の自分ではなく、本物のリアン・ムラクモに。そうなれなければ、ヤトは自らを放逐するしかない。

「ふむ……見たところ、そこまで大きなほらではなさそうだ。岐路きろも今のところない。ヤト、キミが目覚めたという最深部まではあとどのくらいだ?」
「え? あーっと……正直あんまり正確な記憶はないんだが、おそらくもうすぐだ」
「そうか、なによりだ。幸い、この規模なら大きな魔物もいなさそうだな」

 ランタンが照らす岩肌の壁を、一匹の虫がかさかさと這い進んでいる。黒い色をした、長くうねった触覚の不気味な昆虫。
 それは正確には魔導生物の一種だった。この洞窟にいるのはせいぜいがこのサイズで、後はより小さな——それこそヘルツェガヌムのような、ミミズ程度の魔物くらいだろうというのがノルトの見立てだった。
 ミアは虫が苦手なのか、壁の昆虫型魔物を見るや否や顔をしかめ、逆側の壁に寄って進む。
 そこを越えると、急激に壁の間隔が狭まり、身をねじ込むようにして進むことを強いられる隘路になる。そしてそこもなんとか抜けると、大きく開けた場所へ出た。
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