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Chapter1:死骸人形と欠けた月

第六話:消えないもの

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 外はすっかり暗闇だったが、人口の少ない、住民は皆顔見知りのような村だ。魔導生物が迷い込んでくるようなこともそうそうなく、陽が沈めども格別危険はあるまい。
 藍の空に瞬く星々に見守られるようにしながら、ヤトとミアは夜道を歩いていた。
 ノルトの診療所は村の端にある。魔術通話機の置かれた駐在所とは大抵そういうもので、そこを診療所にして住み込んでいるノルトが奇特なのだ。
 そしてミアの家は村の奥地にあり、そのせいで同じ村と言えど結構な距離があるようだった。

「……あの。ヤトさん」

 明らかに怒りを覚えていたノルトに診療所を追い出され、しばらく歩いた頃。
 無言だったミアは、ヤトに目を合わせず前を見たまま、唐突に切り出した。

「すみませんでした。さっき、ヤトさんが村に来た時、いきなり逃げ出したりなんてして」
「あ……ああ、いや、いい。気にしてない」

 嘘だ。実際のところ、ミアに受けた拒絶はまだヤトの心に深く傷を残している。

「ヤトさんは、その。兄さまの体……なんですよね」
「リアン・ムラクモって言ってたな。オレ自身に実感はないが、ノルトが言うにはそうらしい。悪いが、返せって言われても返せないぞ。なにせやり方がわからない」
「それももう言いません。考えてみればヤトさんも、被害者みたいなものですから」

 これもまた、嘘——
 理由もなくヤトは直感した。ミアが求めているのはヤトではなく、その肉体にふさわしいリアンの方だ。
 突然死者の肉体で目を覚まし、否応なしにリアンという人間の影に縛られた生を送らねばならないヤトは、確かに被害者と言えなくもない。ミアも、そこについては本心から思っているはずだ。
 だが、返す手段があるのなら、リアンに返せと頼み込むだろう。
 当たり前のはずだ。どこから生じたのかもわからない、魔導生物によって目覚めた意識よりも、長きをともにした実の兄を優先するのは。

「そうか。ありがとう」
「いえ……あの、ヤトさんはわたしのことを憶えてるって話しましたけど、どれくらい憶えているんですか?」
「実は、ほとんど思い出せない。名前くらいだ」
「あ……そう、なんですね」
「すまん」
「ヤトさんが謝ることじゃないですよ。ええと、ほかのこと……例えば陰陽魔術についてなんかも忘れてしまったんですか?」

 陰陽魔術と聞いて、すぐにピンと来るものはなかったが、ヤトは洞窟を出た後に魔物に襲われた時のことを思い出した。

「そういえば、魔術を使った……気がする。ガルディって言ってたか? 犬みたいな魔物に襲われて、オレも無我夢中だったからよく覚えちゃいないんだが」
「魔術を? どんなものを使ったか思い出せますか?」
「えーと。腕を噛まれたから、その血を凝固させて……トゲトゲにして殺した」
「——え。それって……鋭血えいけつ?」
「あ、たぶんそれだ。そんなことを口走った気がする」

 流れゆく血、雪がれぬ罪。
 流血さえも武器とする、穢れたムラクモの血が成し得る反撃カウンターの魔術だ。

「それは陰陽魔術ではなく、血晶けっしょう魔術ですね」
「はあ。ノルトも治癒魔術とかいうの使ってたし、魔術にも色々あんだな」
「あれとはわけが違います。兄さまは非常に珍しい、魔術血統がかなり高いレベルで二重顕在している方ですから」

 子は両親から血を受け継ぐ。ここで、両親がその血に宿す、魔術の形質をも受け継ぐ。
 これが魔術血統だ。だがふつう、子には両親のうち片方だけの魔術血統が顕在化する。多くは母親のものである。
 だが稀に、両親の保有する魔術血統が混ざったような魔術に目覚める者や、若干ながら両方の血統魔術を扱える者がいる。
 そしてリアン・ムラクモは百万人に一人とされるダブルホルダー、二種の魔術血統を完璧に受け継いだ完全な例外だった。
 こういった説明を、ヤトはミアにしてもらう。

「——いいですか? だから兄さまは天才なんです。すごいんです!」
「……要するに、リアンは陰陽魔術と血晶魔術、二種類の魔術が使えるんだな?」
「本当にすごいんですよ! わかってますか!?」
「わかった、わかったって……!」

 実際は、リアンがいかに優れた人間なのかという説明が、魔術血統の説明の八倍くらいあった。

「じゃあ、ノルトは治癒魔術が魔術血統……血統魔術? ってことか?」
「え? ああ、それは違います。人間はなにも、自分の受け継いだ血の魔術しか使えないわけではありませんから。ノルトさんが使ったの、アーリア治癒魔術ですよね?」
「そんなこと言ってたな。花の名前かって聞いたら、変な顔されたけど」
「あはは……お花も間違いではないんですけどね。アーリア治癒魔術はその優れた形式フォーマットから世界で最も普及している魔術です。ノルトさんの血統魔術は別にありますけど、アーリア治癒魔術への適正もいくらかある……といった感じです」
「うーん。こんがらがってきた」
「ふふ、ヤトさんの頭には難しすぎたかもしれませんね」

——それ間接的にリアンの頭もけなしてるぞ。
 とは言わなかった。ヤトにも最低限の空気を読む程度の能力は備わってるようだ。
 とにかく、ノルトが持つ固有の魔術はまた別にあるらしい。
 漠然と理解をしたところで、目的地に着いた。
 途中にいくつもあった家とは造りの違う、堀に囲まれた巨大な屋敷。

「大きな家だな。それに暗くて見えづらいが、形も周りと違う。ひょっとして村長の家系とか?」
「違いますよ。ムラクモの家は大昔、はるか東方から流れてきた血筋なんです。そこの建築を再現したものだそうで、わたしたちは代々ここに住んでいます」
「歴史ある家、ってことか。家族はいるのか?」
「いえ。母は幼くして病死、父も三年前に。ムラクモの家は短命が多いんだそうです」
「……そうか。悪いこと訊いたな」
「疑問に思って当然だと思いますから、気にしませんよ。ノルトさんの言ってた通り、独りで住むには手広いのも事実ですし」

 ミアはなんでもない様子で門をくぐり、敷地へ入っていく。
 ヤトも彼女に続く。まだ子どもの、小さな背に。

(なら……リアンは、妹をここにたった一人残して、村を出て魔術学院とやらに行ったのか)

 リアンはなにを思っていたのか。同じ肉体に意識を宿していながらも、ヤトにその真意はまるでわからなかった。
 肉体を、その脳を共有していようとも。ヤトはリアンではないのだから。
 外から見た通り、屋敷の中は相当に広いようだった。
 だが、「ほかの部屋には入らないでください!」とミアに釘を刺されてしまう。疲労もあり、今日は素直に休ませてもらうことにした。
 立派な屋敷だけあり浴室もあり、湯浴みをさせてもらい、上がれば食事まで用意されている。質素ながら十分な夕餉を前に、至れり尽くせりで申し訳ないとヤトが告げたところ、

「いいです。どうせわたしのついでですから」

 とそっけなく言って、ヤトと交代で湯殿の方へと早足に去っていった。ヤトが長風呂をしている間に、彼女は先に食べたようだ。

(あの軽快な足音は……嬉しい時のやつだな)

 ばらばらになった記憶が、ヤト自身でさえ気づかないほど自然に思考を紡ぐ。
 何気なく、そして意味もない奇跡。それを自覚することもなく、ヤトは夕餉を胃に収める。
 とても口に合う、好みの味付けばかりだった。



 風呂上がりのミアに、別の部屋へと案内される。
 食事をした居間からも近い一室で、障子戸をミアが開けると、物の少ない簡素な内装が覗いた。
 二人で部屋に上がる。そして、同じ部屋に布団を敷いて——

「——なんで同室?」
「うっ」

 いそいそと二枚の布団を配置するミアが、ヤトの指摘を受けてぎょっと固まる。

「…………実は、ほかの部屋、長らく掃除してなくって……埃だらけになっちゃってて」
「ああ……使わないもんな」
「恥ずかしながら……」

 顔を赤くして、こくんとうなずくミア。
 これだけ大きな屋敷だ。彼女一人が生活していくぶんには、ほとんどのスペースは不必要なのだろう。
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