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Chapter1:死骸人形と欠けた月

プロローグ:生の再開

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 物音ひとつない暗闇で、その男は倒れていた。
 誰かの足音も、風の音も、鳥のさえずりも、水のせせらぎも、なにひとつとして響かない——耳に痛いほどの静寂。
 それを、男は苦痛には思わない。
 思えない。
 なぜなら……彼は既に絶命していた。ゆえに意識もなく、聴覚も機能しない。

 暗い、暗い、穴の奥。山の近くの洞窟の、人知れない最深部。
 うつ伏せに倒れるその体は体温を失って冷たく、しかし一体どのようにして命を落としたのか、外傷はどこにも見当たらない。
 衣服にも乱れはない。彼のカラスの羽根のような黒髪によく似合う、厳格さを表したかのような黒の装いが、このような僻地の洞窟から遠く離れた偉大なるポラリス魔術学院の制服であると、見る者によっては気づけただろう。
 だが——このような洞窟の奥に立ち寄る好事家もそうはいまい。男は救助はおろか、その死体さえ適切な埋葬を受けることは叶わない。
 そんな残酷な運命を哀れんだわけではなかろうが、彼の顔のそばを、ふと小さな生き物が歩いてきた。
 否、歩くというのは誤りだ。
 それは一種の蠕動運動で、その生物はミミズに酷似した紐状の、真っ黒で細長い三十センチほどの虫めいたなにかだった。

 黒いミミズのような奇妙な生き物が、うにょり、うにょりと身をくねらせながら近づき、倒れる男の顔面へと乗り上げた。
 通常であれば手でも使って払いのけたくなるところだろうが、生憎と彼は死んでいた。そのため黒ミミズは一切の抵抗を受けず、うにょりうにょり皮膚の上を進んでいく。
 そして必死の蠕動の末、側頭部へ登頂を果たすと、その真っ黒い髪に覆われた頭部から、今度は倒れる男の耳穴へと侵入し始めた。
 黒ミミズが死体の耳穴へ侵入して、しばらくのこと。
 長らく静寂の支配していたその場所で、指の一本も動かさなかった死体の男は、ビクッと体を痙攣させ——

「ガッ——げほっ、げほ————ッ、ぐ……げほっ」

 ひどく咳き込み、苦しげにうめいた。
 それが次第に落ち着くと、荒い呼吸を整えながら、小さく肩や脚を動かす。体の扱い方を思い出すかのような、そんな細かな所作。

「ぅ……ここ、は。どこ、だ?」

 声が洞窟に反響する。返事はない。
 暗闇の中で目を開く。動脈からぶちまけられた血のような、鮮紅色の眼。

「いや……オレは、誰だ?」

 思い出せない。なにも。顔も名前も、どうしてこんなところに倒れていたのかも。
——けれど、行かなくては。
 かくして、心臓でも痛むのか、胸の上を軽く手で抑えるようにしながら。
 蛇が鎌首をもたげるように、男はゆっくりと身を起こした。
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