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第二話 転生特典はアンデッド
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「姉さん……このひと、すごい血」
後ろに呼びかける。そこには初めに聞こえた声の主だと思われる姿があった。
姉さんと呼ばれた通り、容姿や衣服は先の少女に酷似している。違うのは月光に梳かされたような銀の髪が背に届くくらい長いのと、瞳は妹らしい少女のそれよりやや薄まった黄金に近い色をして、また肉体的な凹凸も控え目だった。
「血? これは……! さっきの魔物にやられたのですか? いえ、今はまず治療を! 治癒魔術は不得手ですが、傷を塞ぐくらいは……」
血まみれの有り様を見て駆け寄ってくる彼女に、永一は「いや」と慌てて手を振る。
「大丈夫だ、怪我はない」
「怪我がない? ですが、その血は……魔物は血を持たないから、返り血でもないはずですし」
「オレにもよくわからないんだが、とにかく大丈夫みたいだ。本当、なにがなんだかさっぱりだけど」
「そう、なんですか?」
「姉さん。このひと……嘘は言ってない。……よく見れば、傷はないみたい。……よかった」
永一は立ち上がり、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねてみる。体のどこにも痛むところはなかった。獣にぶつかられた、脇腹もだ。
その様子を見て、姉と呼ばれた彼女は安堵の息を吐いた。それから妹に視線を移し、ジッと圧のある目線を送る。
「突然のことだったとはいえ、ひとりで魔物に突っ込むのはダメです。コハクだってわかっているでしょう?」
「でも……姉さんも、援護してくれた」
「そうですが、それはコハクが飛び出すからそうするしかなかっただけです。下手に交戦時間を伸ばすくらいより、片月を使ってでも一撃で仕留めるのを狙う方がリスクは少ないと判断しました」
「うん。うまくいった……ありがとう、シンジュ姉さん」
「うっ……そんな風にお礼を言ったってダメなものはダメ…………ですが、まあ、今回は緊急だったからよしとしましょう。今度からは気を付けてくださいね、片月もあったおかげで一撃で倒せたからよかったものの、迷宮に行けばこんな小型種ばかりではないのですから」
「わかってる……わたしは、どんな魔物も殺してみせる」
姉妹がなんの話をしているのか、永一にはまるでさっぱりだった。日本人離れした容姿に反して話しているのは日本語のようだったが、魔物、片月、インフ……聞き馴染みのないワードばかりが飛び交う。
——魔物?
蚊帳の外に置かれていると、ふと、永一が目を覚ました木立の方から、がさりと妙な音が鳴り響いた。
「待て。まだなにかいる」
低木を半ば踏み砕くようにして、木々が深く生い茂る森の方から、さっきと同じ形をした影がぬっと姿を現す。野生を隠そうともしない赤い眼に、獰猛さがそのまま現れ出たいびつな牙と爪。
しかしその大きさはまるで違った。狼に近い先の黒い獣と同一の形状をしているにもかかわらず、体全体が異常に大きく、その体躯はもはや大型トラクターくらいはゆうに越えている。
おかしな話だった。自明ながら、生物は大きさを増せば増すほど自重による筋肉や骨格への負荷も大きくなるはず。
巨大なその生物は、そんな生命としての矛盾を体現しているようだった。
四本の脚がことさら太くなるわけでもなく。体高体長比が変わるわけでもなく。巨大な獣はさっきの、コハクと呼ばれた妹にクナイで倒されたその個体と少なくとも見た目上は構造を変えないまま、スケールだけが五倍から六倍くらいに巨大化していた。
「——怪獣だと!? また災害が起きたのか……!」
その矛盾に、永一は覚えがあった。
怪獣災害。額に残る傷跡がじくりと疼痛を発する。
(だがゲートも見当たらない……それに怪獣にしてはやや小さいぞ)
これでもまだ小さい。記憶に焼き付く、赤い視界で見たその翼を持つ災害は、この巨大な獣よりももっと山のように大きかった。
困惑する永一のそばで、銀髪の姉妹も同様の戸惑いを端整な顔に浮かばせ、しかし別の言葉を口にする。
「中型種!? 迷宮の中でもないのに、こんな大きな魔物に出くわすなんて——」
「ツイてない……たぶん、群れを形成してた。……これは、親玉」
「くっ。ですがどのみち、螺旋迷宮に入ればいずれは相対する運命です。なんとかワタシたちで倒すほかありません! コハク、ワタシにも片月を!」
「うん……わかった。『血を巡るもの。循環するもの』っ——姉さん、危ない!!」
巨大な獣は、その質量がまとうべき鈍重さなど微塵も感じさせない敏捷さで、シンジュと呼ばれた細身の姉へ向かって駆け始める。
絶体絶命の四文字がこれ以上当てはまる状況もないだろう。周囲は平野で、唯一獣を撒けるかもしれない森の方向は、その獣の向こう側。逃げ場はなく、そもそも人の足で逃げられる相手ではない。
「まずい……!」
考えを巡らせる猶予などなかった。ただ、このまま巨大な獣を向かわせれば、華奢なあの少女の体は簡単に壊されてしまうだろう。それが明々白々で、ならば盾になろうとした人間の末路もまた明白だったはずなのだが、永一は咄嗟に獣の進路を防ぐよう身を滑り込ませていた。
「ガアアァァァァァゥッ!」
「え……!? そんな、あなた——」
赤い眼は障害を見て取るや否や、本能に従うまま、目の前の獲物に標的を変更した。
「ぐッ、ぉ」
さっき肩口を噛まれたのと同じ形、しかし大きさだけが異なる牙が腕に食い込む。質量はそのまま破壊力だ。笑ってしまうほど簡単に、永一の腕は肘の手前辺りで噛みちぎられてしまった。
「わ、ワタシを庇って——、いっ、今助けます!」
「ダメ、姉さん……間に合わない……!」
永一は痛みには強いタチだった。家族を亡くした時を除けば、涙を流したことさえ記憶にない。
しかしそんな永一でも、肉と骨と神経とを断たれる苦痛と、なにより生まれてから十八年ともにあった片腕を失う脊髄を凍らせるような喪失感は耐えがたかった。
だがそれもすぐに終わることになるだろう。
「ォォォ——」
「……今度こそ、ここまでか」
短くなった腕の断面からぼたぼたと血を垂らす永一は、小さく息を吐いて笑った。浮かんだ笑みは自嘲か、それとも諦めか。
目の前には血濡れの口を開く獣。これもやはり大きさだけが違う、先の再現だった。
——せめて、後ろの少女ふたりは逃げられるだろうか。
逃げきれればいい。難しいことではあるだろう。けれどできることならば、どちらも欠けることなく、無事な場所までたどり着ければいい。
家族と別れることほど、つらいこともないのだから。
「ぁ」
そんな思考を最期に、永一は自分の頭蓋がぐちゃぐちゃに噛み砕かれる音を聞きながら絶命した。
■
そして目が覚める。平野で二度目の死を迎え、三度目の生が始まる。
「——。オレは……いったいどうしちまったんだ?」
時間の断絶はさしてない。目の前には赤い眼の巨獣。その血に濡れた口の中からは……原型をなくした、誰かの頭部が覗いていた。
死んだ。死んだ。死んだ。
絶対に死んでいた。気のせいや勘違いではありえない。頭を噛み砕かれて、どうしようもなく死んだ。
「なのに。なんで、オレは生きてるんだ」
見れば、ちぎれたはずの腕まで戻っている。真に矛盾を抱えているのはこちらの方だった。
死んだのに生きている。死の瞬間を覚えているのに、頭を砕かれたことを覚えているのに、こうして考える脳とそれを守る頭蓋と視界の明瞭な眼球が無事にある。永一は状況も忘れて、ただただ生と死の困惑に翻弄される。
その間抜けな隙に、鋭い爪が永一の喉をぐさりと抉り取った。そのまま首の骨もろとも砕かれて呆気なく即死した。
■
「うわッまた死んだ……!? いや生きてるぞ!」
喉を貫かれ、衝撃で後ろによろめいた時には既に喉の肉は再生している。
再生。そう、死と同時に永一の体からは、失った血肉がひとりでに生まれていた。
(オレは死んでも生き返るのか? ゾンビみたいに?)
今度は意識は途切れない。途切れかけるギリギリのところまでいって、そこからぶわっと水が氾濫するように、急激にはっきりしてくる。
にわかには信じがたいことだが、状況が指し示す事実はひとつ。
この身はいつからか、不死と化している。
後ろに呼びかける。そこには初めに聞こえた声の主だと思われる姿があった。
姉さんと呼ばれた通り、容姿や衣服は先の少女に酷似している。違うのは月光に梳かされたような銀の髪が背に届くくらい長いのと、瞳は妹らしい少女のそれよりやや薄まった黄金に近い色をして、また肉体的な凹凸も控え目だった。
「血? これは……! さっきの魔物にやられたのですか? いえ、今はまず治療を! 治癒魔術は不得手ですが、傷を塞ぐくらいは……」
血まみれの有り様を見て駆け寄ってくる彼女に、永一は「いや」と慌てて手を振る。
「大丈夫だ、怪我はない」
「怪我がない? ですが、その血は……魔物は血を持たないから、返り血でもないはずですし」
「オレにもよくわからないんだが、とにかく大丈夫みたいだ。本当、なにがなんだかさっぱりだけど」
「そう、なんですか?」
「姉さん。このひと……嘘は言ってない。……よく見れば、傷はないみたい。……よかった」
永一は立ち上がり、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねてみる。体のどこにも痛むところはなかった。獣にぶつかられた、脇腹もだ。
その様子を見て、姉と呼ばれた彼女は安堵の息を吐いた。それから妹に視線を移し、ジッと圧のある目線を送る。
「突然のことだったとはいえ、ひとりで魔物に突っ込むのはダメです。コハクだってわかっているでしょう?」
「でも……姉さんも、援護してくれた」
「そうですが、それはコハクが飛び出すからそうするしかなかっただけです。下手に交戦時間を伸ばすくらいより、片月を使ってでも一撃で仕留めるのを狙う方がリスクは少ないと判断しました」
「うん。うまくいった……ありがとう、シンジュ姉さん」
「うっ……そんな風にお礼を言ったってダメなものはダメ…………ですが、まあ、今回は緊急だったからよしとしましょう。今度からは気を付けてくださいね、片月もあったおかげで一撃で倒せたからよかったものの、迷宮に行けばこんな小型種ばかりではないのですから」
「わかってる……わたしは、どんな魔物も殺してみせる」
姉妹がなんの話をしているのか、永一にはまるでさっぱりだった。日本人離れした容姿に反して話しているのは日本語のようだったが、魔物、片月、インフ……聞き馴染みのないワードばかりが飛び交う。
——魔物?
蚊帳の外に置かれていると、ふと、永一が目を覚ました木立の方から、がさりと妙な音が鳴り響いた。
「待て。まだなにかいる」
低木を半ば踏み砕くようにして、木々が深く生い茂る森の方から、さっきと同じ形をした影がぬっと姿を現す。野生を隠そうともしない赤い眼に、獰猛さがそのまま現れ出たいびつな牙と爪。
しかしその大きさはまるで違った。狼に近い先の黒い獣と同一の形状をしているにもかかわらず、体全体が異常に大きく、その体躯はもはや大型トラクターくらいはゆうに越えている。
おかしな話だった。自明ながら、生物は大きさを増せば増すほど自重による筋肉や骨格への負荷も大きくなるはず。
巨大なその生物は、そんな生命としての矛盾を体現しているようだった。
四本の脚がことさら太くなるわけでもなく。体高体長比が変わるわけでもなく。巨大な獣はさっきの、コハクと呼ばれた妹にクナイで倒されたその個体と少なくとも見た目上は構造を変えないまま、スケールだけが五倍から六倍くらいに巨大化していた。
「——怪獣だと!? また災害が起きたのか……!」
その矛盾に、永一は覚えがあった。
怪獣災害。額に残る傷跡がじくりと疼痛を発する。
(だがゲートも見当たらない……それに怪獣にしてはやや小さいぞ)
これでもまだ小さい。記憶に焼き付く、赤い視界で見たその翼を持つ災害は、この巨大な獣よりももっと山のように大きかった。
困惑する永一のそばで、銀髪の姉妹も同様の戸惑いを端整な顔に浮かばせ、しかし別の言葉を口にする。
「中型種!? 迷宮の中でもないのに、こんな大きな魔物に出くわすなんて——」
「ツイてない……たぶん、群れを形成してた。……これは、親玉」
「くっ。ですがどのみち、螺旋迷宮に入ればいずれは相対する運命です。なんとかワタシたちで倒すほかありません! コハク、ワタシにも片月を!」
「うん……わかった。『血を巡るもの。循環するもの』っ——姉さん、危ない!!」
巨大な獣は、その質量がまとうべき鈍重さなど微塵も感じさせない敏捷さで、シンジュと呼ばれた細身の姉へ向かって駆け始める。
絶体絶命の四文字がこれ以上当てはまる状況もないだろう。周囲は平野で、唯一獣を撒けるかもしれない森の方向は、その獣の向こう側。逃げ場はなく、そもそも人の足で逃げられる相手ではない。
「まずい……!」
考えを巡らせる猶予などなかった。ただ、このまま巨大な獣を向かわせれば、華奢なあの少女の体は簡単に壊されてしまうだろう。それが明々白々で、ならば盾になろうとした人間の末路もまた明白だったはずなのだが、永一は咄嗟に獣の進路を防ぐよう身を滑り込ませていた。
「ガアアァァァァァゥッ!」
「え……!? そんな、あなた——」
赤い眼は障害を見て取るや否や、本能に従うまま、目の前の獲物に標的を変更した。
「ぐッ、ぉ」
さっき肩口を噛まれたのと同じ形、しかし大きさだけが異なる牙が腕に食い込む。質量はそのまま破壊力だ。笑ってしまうほど簡単に、永一の腕は肘の手前辺りで噛みちぎられてしまった。
「わ、ワタシを庇って——、いっ、今助けます!」
「ダメ、姉さん……間に合わない……!」
永一は痛みには強いタチだった。家族を亡くした時を除けば、涙を流したことさえ記憶にない。
しかしそんな永一でも、肉と骨と神経とを断たれる苦痛と、なにより生まれてから十八年ともにあった片腕を失う脊髄を凍らせるような喪失感は耐えがたかった。
だがそれもすぐに終わることになるだろう。
「ォォォ——」
「……今度こそ、ここまでか」
短くなった腕の断面からぼたぼたと血を垂らす永一は、小さく息を吐いて笑った。浮かんだ笑みは自嘲か、それとも諦めか。
目の前には血濡れの口を開く獣。これもやはり大きさだけが違う、先の再現だった。
——せめて、後ろの少女ふたりは逃げられるだろうか。
逃げきれればいい。難しいことではあるだろう。けれどできることならば、どちらも欠けることなく、無事な場所までたどり着ければいい。
家族と別れることほど、つらいこともないのだから。
「ぁ」
そんな思考を最期に、永一は自分の頭蓋がぐちゃぐちゃに噛み砕かれる音を聞きながら絶命した。
■
そして目が覚める。平野で二度目の死を迎え、三度目の生が始まる。
「——。オレは……いったいどうしちまったんだ?」
時間の断絶はさしてない。目の前には赤い眼の巨獣。その血に濡れた口の中からは……原型をなくした、誰かの頭部が覗いていた。
死んだ。死んだ。死んだ。
絶対に死んでいた。気のせいや勘違いではありえない。頭を噛み砕かれて、どうしようもなく死んだ。
「なのに。なんで、オレは生きてるんだ」
見れば、ちぎれたはずの腕まで戻っている。真に矛盾を抱えているのはこちらの方だった。
死んだのに生きている。死の瞬間を覚えているのに、頭を砕かれたことを覚えているのに、こうして考える脳とそれを守る頭蓋と視界の明瞭な眼球が無事にある。永一は状況も忘れて、ただただ生と死の困惑に翻弄される。
その間抜けな隙に、鋭い爪が永一の喉をぐさりと抉り取った。そのまま首の骨もろとも砕かれて呆気なく即死した。
■
「うわッまた死んだ……!? いや生きてるぞ!」
喉を貫かれ、衝撃で後ろによろめいた時には既に喉の肉は再生している。
再生。そう、死と同時に永一の体からは、失った血肉がひとりでに生まれていた。
(オレは死んでも生き返るのか? ゾンビみたいに?)
今度は意識は途切れない。途切れかけるギリギリのところまでいって、そこからぶわっと水が氾濫するように、急激にはっきりしてくる。
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