不死殺しのイドラ

彗星無視

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第2部2章 堕落戦線

第127話 『没分暁漢』

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「あっ、これはその、理由があって——」
『——こちらオペレーター。聞こえているかな? 片月のみんな』

 ソニアが言いかけた言葉は、突如のウラシマの声によって遮られる。

「こちら奏人、問題ない」
「先生。聞こえてます」

 声が聞こえてくるのは、各人が左耳に装着した黒い通信機コミュニケーターからだ。ウラシマ自身はオペレーターとして、方舟本部にいる。
 もっとも当人としては、体が万全であれば今すぐにでも戦闘班に復帰したいところだろうが。

『大丈夫みたいだね、よかった。……イドラ君、今いいかな?』
「はい?」

 突然名指しされ、イドラは困惑する。どうやら呼びかけられるまでの若干の間に個人チャンネルに切り替えたらしく、後半はソニアやカナヒトたちには聞こえていないようだ。

夜組やくみから伝言があって、本格的に作戦が始まる前にそれを伝えておきたくてね』
「スドウから?」

 この前のようにうっかり『ヤクミン』と呼ぶようなヘマはせず、通信越しにウラシマは肯定する。

荊棘之道けいきょくのみちについて覚えているかな? コピーギフト開発部はあれの解析を進めて、どうやら真性のギフト本体からコピーギフトを抽出できないか試していたそうなんだけど』
「ああ、僕が先生の肩身として着けてた……。本体からコピーギフトを抽出? というのは?」

 荊棘之道。地底世界からお守り代わりにイドラが持ち込んだ、黄金のブレスレットだ。その正体はイドラも深くは知らないが、地底世界を旅する中でウラシマが譲り受けた何者かのギフトであるらしい。

『なんでも、うまくいけば無数に同じコピーギフトを量産できるとか……まあ、詳しくはワタシにもわからない、専門じゃないからね。ただ作業は難航していて、あと一歩のところで今回の作戦には間に合わなかった。そのことを謝らせてほしい、と』
「ああ、なるほど。大丈夫ですよ。自前のギフトがありますし、頼れる仲間もいますから」
『それは安心だね。わかった、そう伝えておくよ』
「ええ。ちなみにもちろん、頼れる仲間には先生のことも入ってますよ。後方支援、お任せします」

 驚いたような息遣いが、かすかにイドラの左耳に届いた。

『……いつからそんな気を回せるようになったのかな、キミは』
「はは。故郷のあの村から旅に出て、もう三年以上経ちますから」
『植物状態だったワタシには、その実感がないんだよ……』

 名前通り、おとぎ話の気分だ。そんなことをぼやきながらも、ウラシマの声音は成長を慈しむような優しさに満ちている。

『ともかくバックアップとしてできることはする。けれど、ワタシは実際に戦場に立つわけじゃない。どうか気を付けて』
「はい。先生が村に入った魔物を華麗に仕留めた時みたいに、アンゴルモアの侵攻を食い止めてみせます」
『ふふ、減らず口まで言うようになるなんて』
「先生は素直のままの方がよかったですか?」
『少なくとも、ギフトをからかわれて涙目になってたイドラ君の方が可愛げはあったかな?』
「……それはいい加減忘れてくださいよ」
『ワタシからすれば、ついこの間のことだからね』

 イドラが苦虫かそれとも一等不味い魔物の肉を嚙み潰したような顔をしていると、くすりと笑う声とともに通信が切れた。多少なりとも成長できたイドラだったが、まだまだウラシマには敵わないらしい。

「むぅー……」

 恩師との縮まらないパワーバランスを実感し、ため息をつきかけたところで、隣からソニアがじっと見つめてきていることに気付く。
 なんだか近かった。通信機コミュニケーターを着けるのとは逆の方、つまりは右腕にひっつくようにしながら、どこか咎めるような目を向けてくる。
——そういえば、通信が入る前はソニアと話していたのだった。

「ずいぶん楽しそうでしたね。ウラシマさんとお話するの」
「ソニア……?」

 怒っているか? などと直接訊くような愚は流石のイドラも犯さなかった。なにしろ笑顔の裏からにじみ出る無言の圧力から、本人に問わずとも察せられたからだ。

(……なんで怒ってるんだ!?)

 問題は、その理由がわからないこと。
 突然の無線で話が遮られてしまったからだろうか。いや、それくらいで気を害するほどソニアは幼稚じゃない。
 ではどうして? むくれた顔のいわれを考えるため、イドラの脳は高速回転する。そして、その灰色の脳細胞が導き出した結論は——

「ソニアもウラシマさんと話したかったのか……!」

 近頃、ソニアはウラシマに訓練室に付きっ切りで見てもらっている。ウラシマは綺麗で強くて博識で落ち着きのある頼れる女性であるのだから、ソニアが懐くのはごく自然なことだ。

「えい」
「ぐああッ何故」

 笑顔のまま流れるような所作で背後に回られ、膝カックンされた。以前のソニアからはとてもではないが考えられない軽やかな足捌あしさばきは、くだんの訓練の賜物であると思われた。

「イドラさんのばかっ、没分暁漢ぼつぶんぎょうかん!」
「ぐっ……どこでそんな難しい言葉を」

 イドラがアスファルトに崩れ落ちた間に、ソニアは小難しい捨て台詞を吐きながら臨時司令部の方にぱたぱた駆けていった。作業を手伝うつもりらしいが、素人が入っても大したことはできないだろう。ちなみに没分暁漢とは『わからず屋』の意である。

「判定すると、今のはイドラが悪いな」
「ちょっとありえないよねー。審査員も困惑」
「うるさいぞ外野……!」

 いつの間にか盗み聞きしていたカナヒトとセリカに揶揄される。
 勝手に人のコミュニケーションを評価するな。そう思いながらイドラは立ち上がり、一体なにが悪かったのかと首をかしげるのだった。

 *

 夜が深まり始めた頃、ヤナギの号令で皆が臨時司令部に集う。
 雲は変わらず夜空に留まり、月の明かりも星の瞬きも届かない。だがビルの中は、上の階はそうではないのだろうが、少なくとも一階は持ち運ばれた光源により十分な明るさが保たれていた。
 同じく方舟から持ち込まれたプロジェクターが、スクリーンに拡大された地図を投影する。
 作戦前のブリーフィングが始まる。
 方舟本部の観測班によれば、アンゴルモアの大群はもう二時間ほどでこの旧オフィス街まで進んでくる見立てだった。いくつもの小隊規模の群れに分かれ、碁盤目状の街を思い思いの道順で北上している。
 戦闘班の仕事は二つ。各班に分かれ、アンゴルモアの小隊を殲滅すること。
 そしてなにより、そのアンゴルモアの各隊に守られるように、全体の中央辺りでいくつものアンゴルモアを従え進行する、『星の意志』と思しき存在の撃破。

「星の意志の元へ至るには、他の小隊規模の群れをいくつか越えねばならん。また言うまでもなく、それ以外の群れも、この臨時司令部やさらに先にあるミンクツ、そして方舟本部を守るために排除する必要がある」

 言うは易し。おそらくはそう本人もわかっているだろう、困難な前提をヤナギは重々しく話す。
 アンゴルモアの脅威から後方を守り抜くには、皆殺しにするのキル・ゼム・オールが必須。しかし観測班の報告から鑑みるに、小隊規模に分かれたその群れひとつひとつにクイーンがいると考えるべきだろう。クイーンの持つアンゴルモア統率能力がなければ、ここまでのまとまりは成立するまい。
 カナヒトでさえ防戦を強いられ、ソニアの腕を易々と斬り落とした、あの怪物。
 方舟の誇る戦闘班たちの、どのチームであっても対処は困難を極めるだろう。

「……星の意志へは、チーム『片月』並びに『鳴箭めいせん』。この二チームに当たってもらう。異論は?」

 人で占められたフロアに、しんと静寂の波が走る。
 それは納得の沈黙であったのか、それとも困惑がゆえのものだったのか。定かではなかったが、ともかく反対意見は上がらなかった。
 最終決戦とも言える星の意志の討伐に、二チームしか割り当てられない——
 そう思った者も多かろう。だが実情は逆で、むしろ二チームも割り当てているのだ。未曽有の規模で侵攻する、アンゴルモアの群れ全体へ対処せねばならない中で。
 ヤナギの本心で言えば。大局を視て指令を出す側からすれば、一チームでの討伐を任せたいところだろう。
 しかし『片月』と『鳴箭』は、両チームとも先の北部地域奪還作戦で戦死者が出ている。班の高いレベルにすぐすぐ合わせられる者もおらず、この二チームだけは欠員の補充も完了していなかった。
 そのため、ともに欠員のある二チームを合同で動かす判断にしたのだろう。もとより、浦島零率いるチーム『山水』が解散してからは、少人数ながら困難な任務をこなす『片月』と、時に他のチームにメンバーを移しながらも先日まで戦死者を出さずにいた『鳴箭』が、最も方舟を支えてきた精鋭だ。
 
「では続けるぞ。他のチーム、『寒厳かんがん』、『巻雲まきぐも』、『逆風さかかぜ』、そして『無色むしき』については——」

 他のチームは、『片月』と『鳴箭』が星の意志にたどり着くまでの道を切り開き、周囲の群れを掃討する役目を担う。その際、群れから群れへの移動は一チームにつき一台輸送車を付けることもヤナギは告げた。運転手は当然非戦闘員であり、命がけだ。

「——以上。各員、準備に入れ」

 いくつもの返事が重なり合い、フロアが揺れる。それから各々が慌ただしく動き出した。
 イドラとソニアもまた、既に準備というほどの準備は済んでいたのだが、念のため装備の最終チェックをしようとしていたところで、ヤナギに直接手招きされる。

「どうかしたのか?」
「作戦については全体に伝えた以上のことはない。ただ、イドラ君とソニア君には今一度感謝を伝えておきたくてな。ここは君たちにとって生来の世界ではないというのに、また重荷を背負わせてしまう。人類の命運という重荷を」
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