不死殺しのイドラ

彗星無視

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第3章 断裂眼球

第51話 凝華連氷

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「お前のギフトは封じ切った。これで終わりだ、レツェリッ!」

 いかに傷をつけられないマイナスナイフと言えど、首や心臓を斬れば無事では済まない。痛覚のフィードバックを受ければ平静ではいられず、大きな隙を生むだろう。
 眼球の起動も間に合いはしない。イドラは躊躇なくマイナスナイフを振り放つ。

「なッ、防いだ!?」
「まさか。これを見せねばならないとはな」

 キン、と硬質な感触をナイフ越しに感じ、イドラは瞠目した。
 防いだのはレツェリの腕だ。だが、マイナスナイフは大抵のものは切り裂く。傷つけはしなくとも、刃自体は通すはず。それを防ぐのは——

(こいつ……袖の中になにか仕込んでやがる!)

 息のかかるほど近い距離で、真っ赤な眼球がイドラを射抜く。
 間違いなく彼の箱の範囲内だ。少しでも遅れれば体を切断される恐れから、背筋に冷たいものが走り抜けるのを覚えながらも、イドラは右手を引き戻しながら空間を斬る。
 空間断裂の能力により、彼我の間にある空間が膨張し、イドラは離れた位置に現れる。するとイドラが遠のくのを確認したレツェリは、ローブの袖口から棒状のそれを取り出す。
 杖。それがイドラが真っ先に覚えた率直な感想だ。

「フン。ソニアァ、さっきから隙を窺っているな? 気づかんとでも思ったかッ!」

 イドラと入れ替わるようにして、今まさに距離を詰めようとしていたソニアに向け、レツェリはその杖を向ける。
 杖の先には、開いた蓮の花のような意匠があった。 

「あれは……まさか!」
「ハッ、年若い貴様も知っているようだなァ! ——凍結フリージングッ!」
「え——きゃあっ!?」

 杖先から突如、冷気をまとう塊が撃ち出される。それは礼拝室の硬質な床の表面に霜のようなものを生みながら、ソニアの脚へと命中する。

「氷が……わたしを固めて。そんな、二つ目のギフトなんてありえないはず……!」

 パキンッ、と空気の凍結する音。ソニアの脚は一瞬にして、床に根を張るような氷の塊に呑まれていた。
 レツェリが手にする杖は黄金色で、細身かつ長さも一メートルに満たない小ぶりなものだった。錫杖のようでもあるそれを、色さえ違えど、イドラは見たことがある。
 デーグラムの入口、英雄の銅像が掲げるギフト。

「聖封印の英雄、ハブリの天恵アイスロータス……! どうしてレツェリに扱える!?」

 515年前。ヴェートラルを氷漬けにする聖封印を施し、その後亡くなった英雄の天恵は、未だ協会に保管されているのだと聞いていた。
 これがそうらしい。しかし、ギフトはそれを賜った本人にしか能力を行使できないのが大原則だ。

祝福された天恵ブレストギフト……そう名付けられている。協会の抱える機密だよ。英雄のギフトは、誰であれ扱うことができるのだ。フッ、私も司教の座に就き、これを知った時は大層驚いた」
「誰であれ……能力を」
「あ……」

 それは。ひどく——身に覚えのある話だった。イドラとソニアは間違いなく、脳裏に同じものを思い浮かべた。
 それを知らぬレツェリは、反転攻勢とばかりに今度はその杖をイドラへ向ける。

「空間を支配する能力はこの眼だけでいい。この、私の眼球だけでッ! 不死を断つ力が能力でないというのなら、貴様を殺してしまったとて問題はあるまい!」
「ギフトを二種……! なんてデタラメだ!」
「死ねィ! 不死殺しッ!! 凍結フリージング!」

 アイスロータスを持っていたとして、当然眼球のギフトである万物停滞アンチパンタレイが使えなくなるわけでもない。二種のギフトを同時に使う常識破りの形式。
 赤い眼球が起動し、同時に黄金の蓮の花の意匠が氷塊を放つ。
 イドラは常にマイナスナイフの空間斬裂で座標を変え、レツェリの眼球の能力から逃れ続ける。しかし空間の膨張で逃げた先に氷を放たれると、再度の空間斬裂を強いられる。

「うっ……!」
「ククッ、段々と読めてきたぞ! やはり私の眼こそが最強の天恵! 手間をかけさせよって……ヒトとわからんくらいに寸断してくれるッ!!」

 跳んだ先の座標に『箱』があったらしく、ひじを抉られる。幸いまだ読みが甘かったようで、それで肘から先がちぎれ飛ぶことはなかったものの、左肘の関節が剥き出しになった。すぐにマイナスナイフで治すも、またすぐ氷塊が放たれ、息をつく間もなく回避に能力を使わされる。
 この繰り返しは、飛んでくる矢を避け続けるようなものだ。
 いずれ捉えられる。そして空間斬裂を繰り返せば繰り返すほど、レツェリの目はその空間を膨張させた跳躍に慣れていくだろう。

(くそ……手数が違いすぎる! どうすれば……)

 アイスロータスで氷塊を飛ばすだけで、趨勢は簡単に傾いてしまった。眼球のギフトは起動に若干のタイムラグがあるとはいえ、ただ視るだけで起動する。ならば動作を必要とするほかのギフトと同時に使用するうえで、これほど相性のいいものもない。
 仮想の箱による断裂。着弾と同時に炸裂し、周囲を巻き込んで凍結する氷塊。
 イドラのマイナスナイフ一本でさばき切るのは限界がある。

「こんな、氷なんて……わたしは! もうなににも邪魔なんてされたくない!」
「——! なんだ貴様、その目の色は。イモータルの力を……自分の意思で引き出しているのか?」
「ソニア!」

 突如、ソニアの脚を固めていた氷が木っ端みじんに砕け散る。ギフトの能力や、氷を解かす特別な方途のせいではない。ただの、純粋な力で強引に内側から破壊したのだ。
 夜空に浮かぶ月は、その高度によって異なる色を見せる。今夜の月は張りぼてのように青白く、壁の一面を埋めるステンドグラスから粛々と光を注いでいる。
 その冷たく無感情な月とは別種の——狂気を象徴するに相応しい満月の黄金が、ワダツミを構えるソニアの双眸に宿っていた。

「ヴェートラルの時と同じ……!」

 白い災厄を正面から押しのけたあの力。リミッターの外れた、イドラのマイナスナイフを頼らねば、自分では止めることさえできない暴走だ。

「やぁっ!」

 型もなにもない力任せの一刀。しかし不壊の刀で繰り出すそれは、人体を破壊するには十分すぎるほどのエネルギーが備わっている。不用心にもレツェリは咄嗟にアイスロータスの柄で受け、大きく数歩よろめいた。あまねくギフトに不壊の性質がなければ、杖ごと叩き折られそのうえで背骨まで断ち切られていただろう。

「好機……! はぁ——」
「待て、追うなソニア!」
「馬鹿力が……ッ! だが欲張ったな間抜け。不死に近づいていると言うのなら、胴を断たれても即死はすまい!」
「——っ」

 体勢を崩したレツェリに、ここぞとばかりに追撃を叩きこもうとするソニアの表情が凍り付く。
 尋常の相手ならいざ知らず。その深紅の眼が能力を行使するのに、体勢の悪さなどなんの障害にもならない。手も足も動かさずとも、仮想の箱は空間の中に配置され、動くすべてを断裂する。
 イドラの呼びかけが耳に入ったのか、ソニアは振り上げたワダツミを下ろすことを放棄し、真横へ跳ぶ。それと同時に、レツェリにのみ視認できる存在しない箱の内側の時が遷延される。
 赤い、鮮血の飛沫が上がった。

「うぅッ、ぁあああああああっ!」
「ちィ、少し『箱』がズレたか。すばしっこい小娘が……しかしその負傷では動けんだろう」

 床に落ちる、血まみれの下ろした魚の身のようなものは、ソニアの腹部から腰にかけての肉だ。服もろとも、箱の範囲内に巻き込まれて切断された。
 不死を宿した肉体の、敏捷な跳躍がなければ腹から上と下で真っ二つにされていただろう。胴もつながっているため、痕は残るかもしれないが、後でイドラのマイナスナイフで傷を塞げば命は助かるはずだ。
 その『後で』があればだが。

「まだ……まだ、わたしはっ……、——ぅッ」
「ソニア! 無理するな……くそ、お前ぇ!」

 なんとか立ち上がろうとするソニアだったが、床に手をついて体を起こそうと力を入れると、胴からぼたぼたと夥しい血液が流れ出す。肉を削ぎ落された傷口の赤く血をにじませる断面からは、剥き出しになった生白い骨盤の腸骨がちらりと覗いていた。

「いどら、さん……! づ、あぅっ」  
「断じて体を起こせる傷ではない! ハハハッ、そこで這いつくばって見ていろソニアァ! 不死殺しがこの私の眼に寸断され、無様に絶命するところをなァ!!」

 ソニアの体がべちゃりと自らの血の中へ沈む。血が出すぎたせいか、さっきのミロウのように顔も青白く、イドラを見つめる目からも生気が欠けていく。
 もはや戦える体ではないと、レツェリはイドラへと視線を移す。イドラは怒りに顔を歪ませ、青い負数を手に特攻していた。

「レツェリぃ————!」
「来い。引導を渡してやろう、不死殺し!」

 赤い眼球の視線に射抜かれ、内臓が浮くような怖気が全身に走る。反射的にイドラはマイナスナイフを横薙ぎに振るい、空間の膨張により横方向へ移動する。しかしその先には氷塊が待ち構えていた。
 冷気。それと、砲弾をねじ込まれたような痛み。氷の弾丸は運悪く右肩に命中し、右腕全体を覆うような形で凍り付かせる。

「あ……!」
「——った。見慣れてみれば下らん芸だ! 当然ッ、ナイフを持ち替える暇など与えん! 起動しろ万物停滞《アンチパンタレイ》ッ!!」

 凍結能力。アイスロータスに備わった力は、着弾と同時に氷塊が炸裂し、周囲を巻き込んで再凍結するというものだった。聖封印を見てわかる通り、繰り返し命中させれば相手はたちまち氷の像に閉じ込められてしまう。
 とはいえまだ一度受けただけだ。肩で炸裂し、伸びた氷の根は手首の先までは覆っていない。しかし右腕はまるで動かせず、右手のマイナスナイフを左に持ち替えて振り抜くより先に、レツェリの眼球がイドラを断ち殺すだろう。

 詰み。
 限りなくそれに近い状況。右腕を振るえなければマイナスナイフで空間を斬ることもできず、さっきまでのように座標をズラして逃げる手は使えない。
 赤い眼の男は口の端を吊り上げ、白い歯を見せて嗤う。逃げ場を失った獲物に嘲笑を送る。
——その慢心を砕いてやる。
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